危険な香り
……ああ、嫌な感じだ。
煙草を吸いながら、わたしは微笑みを浮かべる。
嫌な予感とでも呼べばいいのか、この気持ちの悪さを表現できる言葉はない。
だが、ひとつだけ確かなことがある。
「俺の故郷にも煙草があった。弟がよく、これを吸っていたんだ」
売ったばかりの煙草を持ち、男が小さく笑って身を乗り出し、商品名をわたしに囁いた。
……この男は危険だ。
剣の柄に手をかけたシルヴェストル君を、手で制する。
「それは面白い偶然だねぇ」
この男は不穏分子だと、本能が警告していた。
* * * * *
「またね、煙草屋さん」
「今後ともご贔屓に」
お客が帰っていく。露出の多い体に沿う形のドレスを着た美女だった。
……いやあ、眼福眼福。
あれほどスタイルのよい美女を間近で拝めるなんて、と思って眺めていれば、横から視線を感じた。見れば、シルヴェストル君と目が合った。
「ルイ様は女性がお好きなのですか?」
「どうだろうねぇ。恋愛に性別は関係ないと思うけれど……そんな目で見ないでくれ。あの女性が綺麗で目の保養だとは思ったが、別に惹かれたわけじゃあない」
「そうですか」
……なんだか浮気を疑われた気分だ。
一応、これでもシルヴェストル君のことは婚約者だと思っているし、他の人間に興味は欠片もないので誰かと恋愛をしたいとも思わない。
まだどこか疑わしげな様子だったので、小さく息を吐く。
「この国の人々は、わたしからすればみんな美男美女に見える」
「そうなのですか?」
意外そうな顔をするシルヴェストル君に頷き返す。
「そうだ。その中で君が一番美形に見える」
「美形……」
「そもそも、わたしは今のところ君以外に関心はない」
シルヴェストル君が目を瞬かせた。
「私のことは気にかけてくださっているのですか?」
「……さすがに無関心な相手と婚約しようとは思わないし、信頼もしない」
「そうなのですね」
嬉しそうな表情のシルヴェストル君に、わたしはもう一度小さく息を吐いた。
……少し疲れてしまったな。
こんなことを相手に面と向かって言う機会など、そうあることではない。
少し落ち着かない気持ちで胸がざわつく。
煙草を咥えれば、慣れた仕草でシルヴェストル君の手が伸びてくる。
火をもらおうと顔を近づけると大きな手がわたしの頬に触れた。
「私が一番関心を持っているのはルイ様です」
……まったく。
無邪気で嬉しそうな笑みに、わたしも釣られて口角が引き上がる。
「わたしなんて面白味のない人間だがね」
「そうですか? ルイ様ほど難解で興味深い方はそういないと思います」
「言うねぇ」
大きな手が煙草に火をつけて離れていく。
なんだかしてやられたような気分が面白くないので、ふぅ、とシルヴェストル君に煙を吹きつけると、おかしそうに笑われた。
……我ながら子供じみてるか。
煙を操り、シルヴェストル君の周りから散らす。
そんなことをしていると店先に新たなお客がやってきた。
「いらっしゃい」
お客は初めて見る顔だった。
黒髪で右目に縦に大きな傷があり、風体からして冒険者か傭兵か。
どことなく懐かしさを感じさせるのは、その顔立ちが日本人寄りだからだろう。
「煙草を売ってるって聞いて来たんだが」
「ああ、売ってるよ。よければ、お試しでどれか一本吸ってみるかい?」
「それなら、そこの黄色い箱のやつを頼む」
「はいよ」
棚から煙草の小箱を取り出し、一本抜いて差し出す。
マッチも貸せば、慣れた仕草でお客は煙草に火をつけた。
「……懐かしい味だ」
ぽつりと呟く言葉に確信する。
顔立ちや髪色といい、この男は恐らく、わたしと同郷者だ。
……他に召喚魔法が使われたなんて話は聞かないけれど。
「いい葉だ。どこから買っているんだ?」
「残念ながら秘密だよ。商人が売り物の入手先を簡単に教えると思うかい?」
「それもそうだな」
男が小さく笑う。
……敵意はなさそうだ。
だが、赤城君達の存在は気付かれないようにしたほうがいいかもしれない。
「これを一箱くれ」
「ああ」
煙草を取り出し、カウンターに置く。
値段を伝えれば金が渡され、男が煙草の小箱を懐に仕舞いつつ、店先のカウンターに男が肘をついた。
「俺の故郷にも煙草があった。弟がよく、これを吸っていたんだ」
男が身を乗り出し、今渡した煙草の正式な商品名をわたしに囁いた。
……この男は危険だ。
剣の柄に手をかけたシルヴェストル君を、手で制し、わたしは微笑む。
「それは面白い偶然だねぇ」
「煙草屋のあんた、出身地はどこだ?」
「さて、どこだったか。遠い場所なのは確かだけどねぇ」
かなり短くなった煙草を携帯灰皿に入れ、懐に入れた。
男がおかしそうにまた笑い、カウンターから肘を離す。
「俺の生まれ故郷も遠いどこかだ。……また買いに来る」
そう言って煙草を咥えたまま、男は去っていった。
男がギルドの外に出ていったのを、画面で確認する。
しかし、男はある程度通りを進むと煙草を捨て、踏んで火を消した。
……まったく、煙草のポイ捨てか。
きちんとした喫煙者なら、道端に捨てるようなことはしない。
空気に煙が広がっていき、画面が途切れて消える。
口元に煙草を持っていけば、シルヴェストル君が火をつけてくれた。
「ありがとう」
……まさか、この世界に赤城君達以外の同郷者がいるとはねぇ。
煙草を吸い、考える。きっとあの男もわたしが同郷者だと気付いている。
この世界で喫煙といえば、葉巻やパイプで、煙草はなかった。
しかも、わたしの煙草は現代日本で売られているパッケージをそのまま使っているため、同郷者ならすぐに分かるだろう。
……さて、どうしたものか。
ふぅ……と紫煙を燻らせながら悩んだ。
悩んだけれど、とりあえず、王太子に報告はしないといけない。
「……今日は風呂でも入りに行こうか」
「はい」
シルヴェストル君も難しい顔で頷いた。
* * * * *
「──……と、いうわけで、同郷者らしき人物が来たのですが」
王城に行き、王太子に事情を説明した。
恐らくわたしが煙草を売っていると聞き、本当にそれが自分の知る煙草かどうか確認しに来たのだろう。
そしてわたしの売る煙草が元の世界の煙草と同じだと気付いた。
だが、特に何もせず帰っていったことが不気味である。
「一応お訊きしますが、召喚魔法をまた使ったりはしていませんよね?」
「ああ、もう二度と儀式は執り行わないと決まっている。それに召喚魔法は大勢の魔法士達とその魔力が必要で、短期間に何度も繰り返し行えるようなものではない」
「つまりこの国の召喚魔法で喚ばれた人ではない、と?」
王太子が頷き、考えるように言う。
「他国が喚び出したのであれば、自由に過ごすことは許されないだろう。……そう考えると、その同郷者らしき男は『落ち人』なのかもしれない」
「『落ち人?』」
「召喚魔法ではなく、偶然、この世界に迷い込んできてしまう異世界人の総称だ」
基本的に、この世界に異世界人を喚ぶには召喚魔法を使って招く。
しかし、稀に世界と世界の隙間を抜けて、異世界人がこの世界に来てしまうことがある。そういう異世界人をこの世界では『落ち人』と呼ぶらしい。
その『落ち人』も何かしらの称号を得ることはあるが、とても稀で、この国でも落ち人を発見した記録は少ないそうだ。
「他国では『落ち人』は非合法な奴隷として高額で取引される。ほとんどの『落ち人』は保護されず、人身売買によって闇に消えていき、公の記録には残らない」
「この世界に来たばかりという雰囲気ではなかったので、多分『落ち人』であることを隠しているのでしょう」
「どのような意図でハシバ殿に近づいたかは分からないが、警戒は怠らないでくれ」
王太子の言葉にわたしもシルヴェストル君も頷く。
あの男から敵意はなかったが、好意も感じられなかった。
……さてはて、どうしたもんかねぇ。
「赤城君……勇者君達はしばらく、城に留めておいたほうがいいと思います」
「ああ、それについては問題ない。前回、冒険者として初の依頼を受けた彼らは『自分達はまだ未熟だから』と依頼を控えて、騎士達と共に訓練に勤しんでいる。しばらくは依頼を受けに行くことはないだろう」
「なるほど」
初の依頼──……ゴブリン退治は彼らにとって、相当堪えたのだろう。
生き物を殺す場に立ち、初めてこの世界の厳しさに気付いたのかもしれない。
そこで折れずに未熟だと理解して、訓練に励むところは若いな、と思った。
わたしのように最初から諦めて挑戦しない人間とは違い、前向きで活動的な様子が感じられる。未来のある少年少女達らしい、若さと強さがある。
それに彼らは一人ではない。三人で協力し、支え合っていける。
……本当、青春だねぇ。
若いというのは素晴らしいものだと思いつつ、煙草を咥えれば、横から火が灯される。
「ああ、ありがとう」
「いえ。……あの男についてはどうされますか?」
「しばらくは様子見だねぇ。あまりいい雰囲気は感じないけど、何かされたわけでもないし、下手に尾を踏んで怒らせる必要はないさ」
「かしこまりました」
シルヴェストル君が頷いた。
王太子がなぜか呆れたような顔で話しかけてくる。
「ハシバ殿もシャリエールも婚約したというのに、相変わらずだな」
「あくまで政略ですので。わたしがシルヴェストル君にベタベタしていたら、気持ち悪いでしょう? 『護衛』に『婚約者』という立場が追加されただけですよ」
「気持ち悪くはないと思うが……」
「わたしは、そういう自分を想像したらかなり気持ち悪いです」
……それに、その場合は嫌な絡み方をしそうだ。
自分でも捻くれ者だという自覚はあるし、若い子のように素直にはなれない。
結果的にダル絡みしてシルヴェストル君にストレスをかけそうな気がするので、それなら、今まで通りに過ごしていたほうがお互い無難である。
「私はベタベタしていただいても問題ありません」
シルヴェストル君が真面目な顔で言うので、噴き出してしまった。
「ははは、面白い冗談だ」
「本心です」
「君は変わってるねぇ」
気遣いだと分かっていても、そう言われると悪い気はしないのだから、わたしは単純な人間である。
「気が向いたらね」と返すとシルヴェストル君は少し不満そうだった。
「その話はともかく、その落ち人については極力関わらないか、ハシバ殿の情報が漏れないよう気を付けてもらいたい。シャリエールもハシバ殿の護衛を頼んだ」
「はっ」とシルヴェストル君が頷く。
「保護はしないのですか?」
「様子を見てになるが……国が動けば、ハシバ殿と国との繋がりを疑われる」
「なるほど」
わたしもわざわざ、自分の弱点を晒すようなことはしたくない。
相手がどういった意図を持って近づいてきたのかは分からないが、下手に刺激せず、距離を置いたほうがよいのは確かである。
王太子の政務室を出て、シルヴェストル君と共に馬車に乗り、家に帰る。
……しかし、落ち人ねぇ。
召喚以外にも、異世界人がこの世界に来ている。
……わたし達はある意味、運が良かったんだろうなぁ。
暗い馬車の中、シルヴェストル君に声をかけられた。
「ルイ様、今、何をお考えですか?」
「ん? 召喚されたのがこの国でよかった、と思っていたところだよ」
もしも他の国であったなら、きっと自由に生きる道はなかっただろう。
王族が誠実な国に召喚されてよかった。
護衛という名の監視はついているけれど、それは仕方がないことだ。
顔を横に向け、ふと気付く。
「君、いつからわたしの横に座るようになったんだ?」
以前は馬車に乗っていても、向かいの座席に座っていたはずだ。
それがいつの間にか、ちゃっかり隣に座っている。
「こちらのほうがルイ様の煙草に火をつけやすいので」
「……なるほど?」
座席は広いのに、真横に座っているのは気になるが。
……まあ、嫌というわけではないし、いいか。
煙草を取り出せば、シルヴェストル君が手を差し出して、わたしが煙草に火をつけるのを待つ。最近は分かってきたのか、わたしが煙草を吸おうと出す時にはもう手が差し出されていることが多い。
「……ありがとう」
ふぅ……と煙を吐く。
甘い香りと煙草特有の香ばしさ、葉の焼ける匂いにホッとする。
落ち人の男について、わたしが今ここでどうこう考えても無意味だ。
相手の出方を待つしかない。
「……それにしても、やっぱり少し近くないか?」
思わずそう言えば、シルヴェストル君が眉尻を下げて離れる。
馬車の壁ギリギリまで身を寄せて離れるので、今度は妙な距離感ができる。
これはこれでなんだか居心地が悪くて溜め息が漏れた。
「そこまで離れなくてもいいんだが……」
「おそばに寄っても?」
「ああ」
すると、やっぱり真横に戻ってくる。
……まあ、いいか。
シルヴェストル君がそうしたいというなら、好きにすればいい。
いくら煙の害は受けないとはいえ煙たいだろうに、シルヴェストル君はずっと真横に座っていた。




