打診
* * * * *
シルヴェストルのもとに、兄から手紙が届いた。
内容は近況報告で、時々手紙のやり取りをしている。
ルイ様のことについては知っているだろうし、警備の都合上、共に住んでいるとも伝えた。
どうやら兄はルイ様のことが気になるらしい。
貴族の間で『煙の魔女』と呼ばれる彼女がどのような人物か。
そして、未婚の男女が同じ屋根の下で暮らすのはいかがなものか、とも書かれていた。
同室で過ごしているわけではないし、ルイ様は恐らく恋愛方面に関心がない。
だから、共に暮らしていると言っても兄が心配するようなことはないのだが。
「その……兄から手紙が届いたのですが、ルイ様にお会いしたいと言っておりまして」
「お兄さん? ああ、そういえば最初に次男と言っていたね。……まあ、弟がいきなり見知らぬ女と一緒に暮らし始めたら気になるものか」
「申し訳ありません」
「いや、シルヴェストル君が謝ることではないよ」
ルイ様は煙草を吸い、小さく笑った。
「優しいお兄さんじゃないか」
「噂を聞いて気になっただけだと思います」
「噂?」
不思議そうにルイ様が小首を傾げる。
「……ルイ様は貴族の間で『煙の魔女』と呼ばれているそうです」
「それはまた、大層な呼び名だねぇ」
愉快そうにルイ様は笑っている。
気分を害した様子はなさそうだが、言葉のわりにそれほど関心があるようにも見受けられない。恐らく、彼女にとって呼び名など本当はどうでもいいのだろう。
「王太子殿下の判断を聞いて、会っても問題ないというのであれば会おう」
「かしこまりました」
* * * * *
シルヴェストル君の兄の話から数日後。
王太子から許可が下り、彼の兄はこちらの休日に予定を合わせてくれた。
そろそろ来る頃だな、と思っているとシルヴェストル君に話しかけられる。
「兄についてお訊きにならないのですね」
「会えば分かるからね」
正直に言えば、シルヴェストル君の兄に対して関心は特にない。
シルヴェストル君には世話になっているので、彼自身についてならばともかく、その家族まで深く知りたいとは思わなかった。
……ん? シルヴェストル君のことは気になるのか。
考えながら、自分の気持ちに少し驚いた。
これまで、ほとんどの相手に興味や関心が湧かなかったが、なんとなくシルヴェストル君のことは知りたいような──……そんな気がするかもしれない。
立ち上がり、座っているシルヴェストル君の頭を撫でる。
「ルイ様?」
少し驚いたような彼の声に微笑んだ。
「わたしはそのお兄さんよりも、シルヴェストル君のことが知りたいけどね」
「え」
目を瞬かせるシルヴェストル君の声と重なり、居間の扉が叩かれる。
家政婦長のポーラさんが扉を開けた。
「お客様がお見えでございます」
シルヴェストル君がわたしを見るので、頷き返す。
「通してくれ」とシルヴェストル君が言う。
そうして、一人の男性が入ってきた。
シルヴェストル君と同じ銀髪だが、瞳は青色で、どこか冷たい印象を覚える。
長い髪を後頭部でひとつにまとめているその男性に、シルヴェストル君が立ち上がった。
「兄上」
シルヴェストル君が差し出した手に、男性も手を重ね、握手を交わす。
「元気そうで何よりだ、シルヴェストル」
「兄上こそ。さあ、座ってくれ」
シルヴェストル君が男性にソファーを勧め、男性が座るとシルヴェストル君は向かいにあるソファーにわたしと共に座った。
男性がこちらを見つめてくるので、とりあえず微笑み返す。
「こちらが俺が今仕えているルイ・ハシバ様だ。……ルイ様、こちらは兄のイグナーツと申します」
シルヴェストル君の紹介に、男性が小さく頷いた。
「シャリエール侯爵家の嫡男、イグナーツ・シャリエールです」
「初めまして、涙・羽柴です。弟さんにはいつもお世話になっております。ご挨拶が遅くなり、失礼しました。どうか、普段通りにお話しください」
「……分かった。ハシバ殿も普段通りで願いたい」
そう返され、チラリと横を見ればシルヴェストル君に頷き返される。
……まあ、本人がそう言うならいいか。
「では、お言葉に甘えて。シャリエールさん、煙草を吸っても?」
「ああ、構わない。それと私のことはイグナーツでいい」
「了解」
懐からシガレットケースを出し、開けて、口元に煙草を咥える。
当たり前のように横からシルヴェストル君が火をつけた。
「ありがとう」と言って、煙草を吸う。
嗅ぎ慣れた匂いに包まれると少しばかり、気を張っていたと気付く。
シガレットケースを仕舞い、代わりに携帯灰皿を片手に持った。
「本当に煙をまとっているんだな」
と、イグナーツさんに言われて苦笑する。
「これがないと生きていけないんでね。……ああ、この煙草は特別製なので、シルヴェストル君に害を及ぼすようなことはないから安心してほしい」
「そうなのか」
興味深そうな視線を向けられるが気付かないふりをして受け流す。
シルヴェストル君が口を開いた。
「それで兄上、ルイ様に会いたいなんて急にどうしたんだ?」
「どうもこうも、女っ気が欠片もなかった弟が急に家を使うと言い出して、女性と共に暮らしていると聞けば、兄としては心配にもなる」
「何を今更。ルイ様がここに来てから、もう三月は過ぎているというのに……」
シルヴェストル君が眉根を寄せる。
イグナーツさんがその言葉を遮るように軽く手を上げた。
「お前の言いたいことは分かる。だが、こちらとしても確認しておきたいだけだ」
「確認とは?」
訊き返せば、イグナーツさんが「ああ、そうか……」と呟く。
難しい顔で黙るイグナーツさんに、シルヴェストル君が更に眉間の皺を深める。
「兄上」
責めるようなシルヴェストル君の声にイグナーツさんが小さく息を吐いた。
「そう怒るな。……王太子殿下から、シルヴェストルによい人がいないならハシバ殿と婚約させてはどうか、という話が我が家に来ている」
「な……っ!?」
「あくまで打診の段階だ」
横でシルヴェストル君が驚きのあまり硬直している。
……なるほどねぇ。
なんとなく、色々と察してしまった。
王太子としてはわたしを監視下に置きたい。もしくは、他国に出したくない。
協力関係を維持するためにも、自身の部下──この場合は騎士か──と、わたしが結婚すれば王太子としても不安要素は減るだろう。
元々護衛についているシルヴェストル君なら、拒絶されにくい。
あくまで形だけの結婚だとしても、貴族と結婚すれば、国に属しているようなものだ。
シルヴェストル君がわたしのそばに居続けるなら、護衛も夫も同じだと考えたのかもしれない。
「王太子殿下はこの話をお前達に伝えてもよいとおっしゃった」
つまり、遠回しにわたし達に結婚を勧めているわけだ。
……断っても他の男をあてがわれそうだなぁ。
短くなった煙草を吸い、考える。
「しかし、いきなりそのような話……!」
「だから密かに打診が来ている。……殿下も私にこの役をさせるとは悪いお方だ」
はあ、とイグナーツさんが小さく溜め息を吐いた。
……結婚ねぇ。
結婚どころか恋愛すら興味がないのだけれど、ここで断って、次の相手を用意されても面倒くさい。称号の能力も、信用できる相手にしか明かしたくない。
ふぅ……と煙を吐き出す。
「シルヴェストル君がよければ、受けてもいいんじゃない?」
「ルイ様!?」とシルヴェストル君がギョッとした顔をする。
「わたしは結婚願望はないんだけどね。ここで断っても、どうせ次の相手、そのまた次の相手ってこっちが折れるまで用意されるんだろうし。それなら君と友情結婚したほうが安心だ」
「友情結婚……」
「そう。まあ、シルヴェストル君次第ってところかねぇ」
横を見れば、なぜかシルヴェストル君が肩を落としている。
「わたしと結婚しても君に利点はないから、嫌だろうけど──……」
「嫌ではありません!」
バッと顔を上げたシルヴェストル君と目が合う。
まっすぐな目に、思わず「……あ、そう?」と少し気圧されてしまった。
「……ありませんが、その、戸惑ってはいます……」
「そうだろうねぇ」
「ルイ様は驚かれていないようですが……」
「驚いてはいるさ。でも、護衛でずっとそばにいるのも、夫としてそばにいるのも、似たようなものじゃないか。夫婦でいたほうが都合がいいことも多そうだ」
短くなった煙草を灰皿に入れ、懐に仕舞うようにして消す。
横に手を伸ばし、シルヴェストル君の頭を撫でる。
「これでも、わたしはこの世界で一番信頼できるのは君だと思っているよ」
最後に二度、軽く叩いて彼の頭から手を離す。
シルヴェストル君の顔が微かに赤い。照れているらしい。
「それでシルヴェストル、どうする?」
イグナーツさんの言葉に、シルヴェストル君は赤い顔のまま頷いた。
「……受けるしかない」
「そうだろうな。父上には話をお受けするよう、伝えておく。恐らく、そちらにも改めて打診の話がくるだろうから、心の準備はしておくように」
「……もう遅い……」
珍しく、シルヴェストル君が両手で顔を覆っている。
髪の隙間から覗く耳は少し赤く、なんだか微笑ましい。
手を伸ばし、その赤い耳に触れるとすごい速さでシルヴェストル君が身を引いた。
酷く驚いた顔で、わたしが触れた耳を押さえている。
「な、ル、ルイ様……っ!?」
あまりに動揺している姿がおかしくて、幼く見えて、笑ってしまった。
「すまない、君の耳が赤かったら……微笑ましくて」
こほん、とイグナーツさんが小さく咳払いをした。
「ハシバ殿、貴族では相手の耳に触れるのは『性的な誘い』を意味する」
「おや。それは失敬、驚かせてしまったね」
更に赤い顔で視線を彷徨わせるシルヴェストル君はまるで純情な少年のようで、わたしは悪い大人の典型的な例となってしまった。
すまないと言いながらも、微笑ましくて笑みが浮かぶ。
「……ルイ様、他の者の耳には絶対に触れないでください」
と、渋い顔のシルヴェストル君に注意される。
「誰彼構わず、こんなことはしないさ。誰かの耳に触れたのも、君が初めてだよ」
安心させるためにそう言ったのに、シルヴェストル君はやっぱり渋い顔のまま「……そうですか」とだけ呟いた。
* * * * *
「では、またな」
と、兄はシルヴェストルの肩を叩き、帰っていった。
一階の外に繋がる通路でルイ様と共に兄を見送った。
……ルイ様との婚約話なんて……。
どういう反応をすればいいのかも分からないし、自分の気持ちもよく分からない。
だが、ルイ様はこの話に前向きらしく『シルヴェストル君次第だよ』と言った。
シルヴェストルも貴族として育ったため、政略結婚については理解も納得もしているが、これまで護衛対象だった相手と急に婚約しろと言われたら戸惑いもある。
馬車が通りに出ていくとルイ様が両腕を上げて背筋を伸ばした。
「いやはや、予想外の方向に話が転がっていったねぇ」
その声はいつもより少しだけ明るくて、微かに笑い交じりだった。
「……ルイ様、面白がっていませんか?」
「ははは、バレたか。まあ、とりあえず居間に戻ろう」
と、背中を軽く押されて二階の居間に戻る。
ソファーに並んで座り、煙草を咥えたルイ様に火を差し出す。
なぜかルイ様は小さく笑って「ありがとね」と言った。
ふわりと広がる甘い香りに、どことなく体の力が抜ける。
「政略結婚を受け入れて、本当によろしいのですか?」
ルイ様が笑って「女に二言はないよ」と煙草を吸う。
こういったことで冗談を言う方ではないというのは、これまでの付き合いで察しているが、それでも、まさかルイ様がこの話を受けるとは思わなかった。
「ああ、もし愛人ができたら教えてほしいけれどね」
……愛人を持つような人間だと思われているのか……。
シルヴェストルは衝撃を受けた。少なくとも、そのようなつもりは微塵もない。
貴族の中には政略結婚で嫡子が生まれたら、あとは好きに愛人を作ってそれぞれに過ごすという夫婦はいるものの、それはシルヴェストルの考えや価値観に反する。
「私は愛人を囲う気はございません」
「子供がいないと困らないかい?」
「嫡男の兄ならばともかく、次男の私は継ぐ家もありませんので。そもそも浮気は人としても、騎士道にも反します。結婚する以上は相手に誠意を持って尽くします」
「真面目だねぇ」
ルイ様が言い、また煙草を吸う。
その言葉にシルヴェストルは少しばかり不安を覚えた。
「……ルイ様は愛人をご所望でしょうか?」
「いいや、要らないかな。第一、恋愛自体に興味が湧かなくてねぇ」
「それは……なんとなく、そうではないかと思っておりました」
「元の世界では働き詰めだったし……まあ、人間の嫌な部分ってのをたくさん見て、触れてきたから、自分を守るためにも他人に関心を持たないのが楽だったんだよ」
ルイ様は元の世界でのことを話すのは、最初の頃以来だった。
勇者様達と話していた時も『久しぶりの休暇だ』と言っていたが、一体、どのような生活を送っていたらこんな考え方を持つようになってしまうのだろうか。
ジッと見ていれば、ルイ様が苦笑する。
「身の上話なんて、年寄りっぽくて嫌だねぇ」
そう言って、ルイ様はそれ以上は語らなかった。
だが、他人に関心を持たないルイ様が、婚約の話は受け入れた。
シルヴェストルに多少の関心を持ってはいるのだろう。
……今はそれでいい。
ルイ様は『この世界で一番信頼できる』と言ってくれたのだから。
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