休息
シルヴェストル君は真面目である。
騎士という職業柄、振る舞いには気を付けているのかもしれないが、きっと彼自身の性格が元から真面目で努力家なのだろう。
朝、日が昇ってすぐの頃に隣室の扉が閉まる音で一度、目が覚める。
あえてここで十分から十五分ほど二度寝をする。幸せな時間だ。
短い二度寝を楽しんでから起き上がり、窓のカーテンを開けて弱い朝日を浴びる。
欠伸混じりにまずは寝起きの一服を吸い、それから用意されている水と洗面器で顔を洗い、化粧水などをつけてからメガネをかけて着替え、髪を梳かす。この世界に来てから化粧はしていない。
……化粧をしてもあんまり変わらないしねぇ。
身支度を整えたら、わたしも一階に下りる。
この家は二つに分かれており、間に中庭がある面白い造りだ。
中庭は芝生が広がっていて、小さな花壇やそこそこ背の高い木が一本植えてある。
この時間だと中庭に日差しは当たらないが、ほどよく涼しくて過ごしやすい。
中庭に出て、軽く背中を伸ばし、それから体操をする。
時間をかけて丁寧に体を解し、筋肉を伸ばし、体を目覚めさせる。
体操を終えたら木陰に置かれたベンチに座り、また一服。
その一本を吸い終える頃にシルヴェストル君が中庭に現れる。
毎朝、一時間から一時間半ほどかけて走り込んでいるらしい。
「おはよう」
煙草片手に声をかければ、挨拶が返ってくる。
「おはようございます」
そうして、シルヴェストル君は剣の鍛錬を始める。
素振りを繰り返したり、剣の型をなぞるような動きをしたり、素人のわたしでも分かるほど綺麗に同じ動きをしていると思う。同じ動きを維持するのは大変なはずだ。
……見ていて飽きないねぇ。
同じ動作のはずなのに、ピンと伸びた背筋や振られる剣が風を切る微かな音、ピタリと同じ位置で止まる動きは面白くて、つい眺めてしまう。
しかし、あまりジッと見ているとシルヴェストル君も集中できないだろう。
視線を外し、ベンチの上に煙草道具を出す。
今日は煙草を作りたい気分だった。
煙草葉に巻紙、フィルター、巻くための道具、それと少量の水。
まずは煙草葉を適量、布の上に出して軽く揉みほぐして広げる。
ローラーは表面にツルツルとした素材で包まれており、動くほうを手前に置き、片側の端にフィルターを入れる。あとは空いたところに葉を均一に詰めていく。
固く詰めると吸いにくくなるため、ほどほどに詰めるのがコツだ。
葉を詰めたらローラーを閉じて手前に何度か回す。
ここが面白いところで、葉がこぼれることなく中で整えられる。
巻紙が糊面が上、こちら向きになるように挟む。
あとはもう一度ロールを回し、糊面部分に少量の水をつけて濡らし、最後まで巻紙を巻く。何度か巻いて形を整えたら完成だ。
ロールで作る煙草は簡単だし、この単純作業は地味に面白い。
……さて、最初の一本、と。
作りたての煙草を口元に咥え、マッチで火を灯す。
マッチを振って火を消し、手放せば、マッチ棒も箱も消える。
口元に煙草を咥えたまま、次の煙草も作っていく。
ふと視線を感じて顔を上げれば、意外と近い位置にシルヴェストル君の顔があった。
……おお、美形ってのは間近で見ても綺麗だな。解像度が高い。
「以前から思っていましたが、煙草は簡単に作れるのですね」
そう言われて、わたしはまた煙草作りに戻る。
「そうだねぇ。自分で作るものは少し不恰好だけど、これはこれで味がある。普段売っているほうの煙草は綺麗で、見栄えがいい。どちらが好きかは好みだね」
「ルイ様は作るほうがお好きなのですか?」
「ああ、好きだ。こういう時間こそ『人生の余裕』という感じがしないかい?」
シルヴェストル君がベンチの反対端に腰掛け、首を傾げた。
「私にはよく分かりませんが……ルイ様が煙草を作っているところを見るのは興味深く感じます」
「そうかい? まあ、手間をかけなくても手に入るものだけど、自分の好きなものだからこそこだわりたいと思う。他人から見れば無駄に感じるかもしれないが、自分の好きなことをする時間は楽しいからね」
「それについては分かる気がします」
わたしが煙草を作るのを、シルヴェストル君が首にかけた布で汗を拭いながら見つめてくる。
ただ同じ作り方を繰り返すだけなので煙草に興味のない人間からすれば、あまり面白くはないだろうに、ジッと熱心に見つめる様子は少し幼く感じた。
「ルイ様は手先が器用ですね」
「覚えれば、君も簡単に作れるよ」
「そうでしょうか? 葉を詰める具合や紙を巻く力加減が難しそうです」
その言葉に少し驚いた。
「見ただけで難しい点に気付けるなんて、すごいねぇ」
あまりに熱心に見てくるので、ローラーを差し出した。
「ほら、試しに作ってみてごらんよ」
「え? ですが、失敗したら……」
「誰しも初めてってのは失敗が付きものさ。でもね、始めからなんでも上手くできてしまったら、つまらないじゃないか。何度も練習するからこそ、上手くできた時は嬉しい。そういうものだろう?」
シルヴェストル君にローラーを差し出せば、大きな手が受け取った。
わたしの手にはちょうどよいが、彼の手の中ではローラーが小さく見える。
新しく道具一式を出し、布の上の煙草葉に手を伸ばす。
「こうやって葉を柔らかく、均一にほぐすんだ。塊があると詰めた時に吸いにくくなるし、太さが均一にならないからね」
「はい」
シルヴェストル君が真剣な表情で煙草葉を軽く揉みほぐす。
「次にローラーを、動くほうを自分側に置いて……そう、その端にフィルターを入れる」
シルヴェストル君に説明しながら、ゆっくりやってみせれば、彼も真似をする。
確かに彼の手にはローラーもフィルターも、小さく感じられた。
「次に葉を詰める。無理に全部詰めなくていいから、固く詰めないよう、優しく、均一にね」
「…………難しいです」
眉根を寄せ、シルヴェストル君が少量ずつ葉を詰めていく。
こぼさないよう丁寧に詰めているのが手つきで分かった。
「そうしたら、手前の巻きを奥に動かして閉じる。自分のほうにこうやって指を動かすとクルクル回るから二、三回、回してごらん」
慎重な手つきでそっと回すシルヴェストル君が微笑ましい。
「次に巻紙を挟む。端に光が反射する部分があるだろう? それを上に、自分にその反射する部分が向くように反対側の端をローラーに挟み込んで……さっきと同じように手前に巻く。全部巻かずに反射している部分を少し残してね」
「はい……」
先ほどと同じく、やはり慎重に紙が巻かれていく。
「で、この小皿の水を指先に少しだけつけて……本当に少しでいいよ。それを反射しているところにスッと塗って、あとは全部巻く。何回か巻いて形を整えたら完成だ」
わたしが作ってみせると、シルヴェストル君も糊面に水をつけ、クルクルと巻いていく。
……懐かしいなぁ。
初めて自分で煙草を作った時、わたしも煙草屋で教えてもらったが、店主が話しながら手慣れた様子でサッと作っていたのを見て、簡単に作れると思った。
でも、初めて作った煙草は失敗した。
葉の量が少ないのに詰め方が固かったせいで、フィルターよりも本体が細くて、不恰好で、ヨレヨレで、吸いにくい煙草だった。
だけど、初めて好きなフレーバーの煙草を自分で作れたことが嬉しかった。
ローラーを開けたシルヴェストル君が煙草を取り出した。
「初めてにしては上手にできたねぇ」
フィルターから先端まで、太さが均一で、少し濡らしすぎたのか若干巻紙にふやけが見えるものの、形は綺麗だ。先端からチョロッと煙草葉が飛び出しているのも愛嬌があった。
シルヴェストル君がジッと作った煙草を見た。
「ルイ様のように上手くはできませんでした」
しょんぼりと肩を落とす姿はまるで大型犬のようだ。
「わたしが初めて作った時よりはずっと綺麗だよ」
その手から、作りたての煙草を抜き取り、シガレットケースに仕舞う。
蓋のほうに一本だけ入れておけば、他と間違えることはない。
「君の記念すべき一本は保管しておこう」
「吸っていただいても構いませんが……」
「じゃあ、今度吸わせてもらうとするよ」
パチリとシガレットケースを閉じて、ポケットに仕舞う。
自分で作るのも好きだが、誰かが作ってくれた煙草というのも悪い気はしない。
「さて、そろそろ朝食の時間かな」
「私は軽く汗を流してから向かいます」
「ああ、ゆっくりでいいよ」
シルヴェストル君が立ち上がり、中庭を出ていく。
その背中を見送ってから道具を全て消し、わたしも立ち上がった。
* * * * *
普段よりも鼓動の速い心臓に、シルヴェストルは小さく息を吐いた。
……ルイ様のあんな表情は初めて見た……。
シルヴェストルが作った煙草を大事そうに見つめる、嬉しげな横顔。
柔らかくて、優しくて、穏やかな微笑みにドキリと心臓が高鳴った。
ルイ様の作った煙草に比べて、シルヴェストルが作ったものはヨレているし、あまり綺麗ではないように見えたが、嬉しそうにするルイ様を見ると作ってよかったと思う。
……また作ったら喜んでくれるだろうか。
そんなことを考えてしまい、気恥ずかしさで口元に手をやった。
いつもルイ様が吸っている煙草の甘い匂いが自分の手から香る。
入浴したらこの匂いは落ちてしまうだろうと思うと、少しばかり残念な気持ちになる。
だが、早く汗を流さないとルイ様を待たせてしまう。
小さく頭を振り、シルヴェストルは止まっていた足を動かした。
* * * * *
午後、わたし達は街に出た。
この世界にも時計はあるようだが、値の張るものらしい。
基本的に朝六時から夜八時までに二時間毎、計八回鐘が鳴るため、その音でほとんどの人は時間を確認し、動いているそうだ。
……でも、それだけだと不便なんだよねぇ。
煙草屋の稼ぎもあるし、携帯できる時計の一つくらいは持っておきたい。
そういうわけで、シルヴェストル君と時計屋に来ていた。
「おお、色々あるねぇ」
壁にかける時計や歌にあるような大きな立て時計、携帯用の懐中時計もある。
色々なデザインの時計は見ていて面白い。
「いらっしゃいませ。どのような時計をお探しでしょうか?」
「懐中時計が欲しいのですが、初めて使うので扱いやすいものがあると嬉しいです」
「でしたら、こちらがお勧めです」
と、時計屋の年嵩の店主がガラス棚の中からいくつか時計を出した。
丸い懐中時計は厚みがあって、わたしの拳よりやや小さいくらいだ。落下防止のチェーンもついていて、どれも繊細な彫刻が施されている。
「これらは魔石を使っておりまして、持ち主の魔力をほんの僅かに吸って動きます。一度魔力を吸収すると二、三日は動きます。他に比べて、ネジを巻く必要がないので使いやすいかと」
「ネジ?」
「普通の懐中時計は日に一度、ネジを巻かないと時計が止まってしまうのです」
「ああ、なるほど」
昔の時計は手巻き式だったと聞いたことがある。
と、すると、魔石というのは電池みたいなものだろうか。
「最新式で少々お高いですが、ネジを巻く手間がないのでご購入される方も多いですよ」
「では、これをください」
銀色の懐中時計を指差すと、店主が「お包みいたしますね」と懐中時計を丁寧に布で包み、小箱に入れる。懐中時計は結構高かったが、よい品は高いものだ。
お金を渡し、小箱を受け取り、お礼を言って店を出た。
「ルイ様は買い物で迷うことがありませんね」
通りを歩いているとシルヴェストル君に言われた。
「単純な人間だから『これがいい』って思ったら、他に関心がなくなってしまうだけさ」
「私の母はとても迷うので、ひとつ何かを買うだけでも何時間もかかります」
「ははは、それは大変だ──……?」
ぽつ、と何かが鼻先に触れた。
なんだろう、と思う間もなく、ザァッと雨が降り出した。
「ルイ様、こちらに」
シルヴェストル君に手を引かれ、近くの店の軒先に避難する。
ほんの僅かな間だったのに二人揃ってずぶ濡れになってしまった。
……しばらく止みそうにないねぇ。
煙草でも吸おうかと思っていると、肩に何かがかけられる。
見れば、シルヴェストル君の上着がわたしの肩にあった。
「冷えると風邪を引きますので」
「シルヴェストル君は大丈夫かい?」
「私は鍛えております」
濡れた服の上からでも、確かに彼の意外とがっしりした体つきが分かる。
かけられた上着に残ったシルヴェストル君の温もりが伝わってきて、温かい。
「そうか。じゃあ、しばらく借りていようかな。……ありがとうね」
「いえ」
口元に煙草を持っていくと、当たり前のように火がつけられる。
もう一度「ありがとう」と言って煙草を吸う。
「なかなかにいい雨が降るねぇ」
ザァザァと降る雨の中、通りにいた人々はあっという間に消えていった。
人気の減った通りを眺めつつする一服の趣きがある。
「雨の匂いや雨音が子供の頃から好きで、昔は雨が降ると窓を開けて眺めたものさ」
「私はあまり雨が好きではありませんでした。……幼い頃は騎士達と剣の訓練をするのが好きだったので。室内訓練場もありましたが、外のほうが好きでした」
「君は子供の頃から真面目だったんだねぇ」
小さなシルヴェストル君はきっと可愛かっただろう。
興味本位で少し見てみたい気もするが、この世界には写真がない。
「ルイ様は幼い頃はどのような子供だったのですか?」
「ん? そうだねぇ、周りの子供達が駆け回って遊んでる中、部屋の隅で本を読んでるような子だったよ。たまに他の子達と遊ぶことはあったけど、一人遊びが好きだったのかもしれないなぁ」
わたしの言葉にシルヴェストル君が、ふ、と小さく笑った。
「今とあまりお変わりはないようですね」
その微笑みは歳相応で、柔らかくて、どこか温かい。
……シルヴェストル君は時々、可愛いところがあるんだよねぇ。
ふぅ……と煙を吐き出し、わたしも笑う。
「人間、そう簡単に変わるもんじゃないさ」
雨音を聴きながら、狭い軒下で身を寄せて雨止みを待つ。
互いの存在を感じながら、ぽつりぽつりと交わす会話は心地好かった。