煙草屋ルイ(2)
* * * * *
「さて、次の商品について考えようと思う」
と、休日の午後、またルイ様が言った。
二週間前に『魔物避け煙草』を売り始めたところ、これが爆発的に売れ、普通の煙草を買いに来ていた常連客以外にも予想以上に色々な人々が店を訪れた。
最初は冒険者や『宵闇の月』の加入者がほとんどであったが、効果が確実だと広まると他ギルドや王都を守る警備隊、騎士団、そして貴族達も欲しがった。
人が押し寄せすぎてギルド一階が身動きできないほどだった。
そのため、急遽ギルド職員総出で対応に当たってもらい、とりあえずなんとかなったものの、マグナス・バレンシアは即座に他ギルドと話し合って『魔物避け煙草』の委託販売の契約を取り交わすこととなった。
その契約の場に、当然ルイ様も同席していたが、マグナス・バレンシアに万事任せていた。
『若いわたしがあれこれ言うより、マグナスさんに任せたほうがいいさ』
というルイ様の言葉通り、マグナス・バレンシアは他ギルドと交渉して『魔物避け煙草』を割高で取引し、値段や販売期間は一年更新という取り決めを行った。
他ギルドはルイ様に非常識な量の注文をかけた。
恐らく、期日までに納品できなければ安く買い叩くつもりだったのだろう。
だが、ルイ様は翌日には全てのギルドに納品を済ませた。
『今後とも、どうぞご贔屓に』
納品先のギルドで、ルイ様は笑顔でそう言って回った。
注文の翌日に納品されてしまえば難癖をつけることもできず、他ギルドは高い値段で『魔物避けの煙草』を売るしかない。
ルイ様の店に来るのは常連や『宵闇の月』加入者がほとんどになり、客足も落ち着いた今、またルイ様は新たな商品を出そうと考えているようだ。
そして、あまりに『魔物避け煙草』が売れすぎたため、この二週間は休日を取る余裕もなかったというのに──……。
「次はどのような商品を考えておられるのですか?」
「煙草ばかりなのも芸がないから、別のものがいいと思ってるよ。ただ、どういうものがいいかは考え中だけどね。『魔物避け煙草』が思いの外、当たりすぎたから、忙しくならないものがいいんだよねぇ」
……ある意味ではわがままな内容だ。
新しい商品は出したいが、売れすぎないものがいいなんて、商売をしている人間の口から出てくる言葉ではない。
「改めてお聞きしますが、ルイ様の能力は煙草などに関係するものしか出せない……という認識で間違いはありませんか?」
「うん、概ねそういう感じだねぇ」
シルヴェストルは考え、ふと気付く。
「そういえば、ルイ様はご自分の煙草を時々自作していましたね?」
「ああ。能力で出すと状態のいい葉のものになるから、それもいいんだけど、手作りして時間が経った時の少し辛みが出始めた葉もなかなかに味があって好きなんだ」
「煙草の葉以外は出せませんか?」
問えば、ルイ様が「ふむ」と考える。
「……ハーブも出せるかもしれないね。元の世界では『ハーブ煙草』というのもあって、煙草の成分はいらないけれど、煙草を吸いたい人用のものがあったはず。わたしも一度、茶葉を使ったニコチンフリーシガレットを試した」
「何か試しに……少々お待ちください」
シルヴェストルは部屋を出て、厨房に行き、料理人からハーブを一つもらった。
それを持ってルイ様の部屋に戻る。
「こちらをどうぞ」
差し出せば、受け取ったルイ様が目を瞬かせた。
「これはミントかい?」
「はい、ルイ様の能力で同じものが出せないか試してみてはいかがかと」
「なるほど、やってみよう」
ルイ様が左手を上に向け、そこに視線を向ける。
パッと掌にミントだろう葉が現れたが、乾燥している。
「ん、乾燥したものしか出せないらしい」
もう一枚、その手の中に、やはり乾燥したミントが現れた。
「乾燥させたハーブを売ったところでねぇ……」
手の中の乾いたミントをルイ様が眺める。
けれども、シルヴェストルの中にはひとつの仮説が立った。
「ルイ様、ミントに香りづけはできますか?」
「うん? 香りづけ?」
「ルイ様の吸っていらっしゃる煙草は菓子のように甘い香りがします。あのように、ミントに別の匂いや味を付与することは可能でしょうか?」
「どうだろうね」
ルイ様が左手のミントをサイドテーブルに置き、手を空けるとまた視線を向ける。
その掌に同じく乾いたミントの葉が現れた。
左手を顔に寄せ、ルイ様がに匂いを確かめる。
「香りづけはできるらしい」
差し出されたミントを受け取り、匂いを嗅ぐと、爽やかで甘酸っぱい果物の匂いがした。
「白ブドウの匂いをつけてみた。でも、これが商品になるかい?」
首を傾げるルイ様に頷き返し、腰に下げたポーチから細い筒瓶を取り出す。
コルクを抜くと、キュポン、と軽い音が響く。
「こちらは回復薬といい、骨折などは難しいですが、切り傷や打撲程度であれば治癒することができます。飲むことも塗ることもでき、治癒魔法が使えない者はこれで怪我を治します」
と、細い筒瓶を渡せば、ルイ様が「おお、さすがファンタジー世界」と呟く。
けれども、それに鼻を寄せた瞬間、即座に顔を離した。
「……すごい臭いだねぇ」
「効果はありますが、味は非常に不味いです」
「まあ、この臭いならそうだろうねぇ」
返された瓶のコルクを閉じて、ポーチに戻す。
「これに使われるハーブを、もしもルイ様が香りづけをして出せたとしたら、よい匂いの薬に変えることができるのでは?」
なぜかルイ様が微妙な顔をする。
「薬は不味いほうがいいんだよ。美味しい薬なんて、みんなが気軽に飲んでしまう」
小さく息を吐き、ルイ様がベッドに寝転がった。
「しばらくは『魔物避け煙草』で稼ぐとしようか」
この案はあまり好ましくなかったらしい。
シルヴェストルは「かしこまりました」と返事をした。
少しだけ残念だと思ったのは秘密である。
* * * * *
ルイ様が煙草屋を開いてから三月が過ぎた。
煙草屋は繁盛して、毎日客が途切れることなくやってくる。
商品を大箱の中に詰め込むとルイ様が顔を上げた。
「風呂に入りに行こう」
時々、ルイ様はそう言う。『風呂に入る』は『登城する』という意味だ。
シルヴェストルはそれに頷いた。
「はい」
決まった時間に迎えにくる馬車に乗り、御者に行き先を告げれば、ゆっくりと走り出す。
この三月の間に、ルイ様は何度か城に行っている。そのほとんどが情報を王族に渡すためで、彼女の言う『風呂に入る』はついでのようなものである。
「シルヴェストル君、悪いけれど王太子殿下に伝言をお願いできるかい? 今回は──……」
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「──……財務部所属のパルドル伯爵とドゥネーヴェ子爵が横領と収賄に関与しているとのことです。災害用に購入している小麦の金額を水増ししており、差額を己の懐に入れ、商人からも購入先に選ぶ代わりにと賄賂を得ています。商人とのやり取りや差額の金はパルドル伯爵家のワインセラー奥の隠し部屋にあるそうです」
シルヴェストルが報告を行えば、王太子殿下が小さく息を吐いた。
「……そうか、報告ご苦労」
「『ちなみに商人は国に納めた小麦の量を偽り、少なく納めているようなので、そちらも確認したほうがよいと思います』とルイ様がおっしゃっていました」
「……頭が痛い話だ……」
恐らくただの収賄事件であったなら、ルイ様は指摘しなかっただろう。
しかし国に納める小麦の量を商人が偽り、量が少ないというのであれば大問題だ。
この小麦は毎年新しいものを購入し、古いものと入れ替えることで不作や災害などが起こった際に民が飢えないように備えているものだ。
もしも不作などが起こった時、本来の量より少なければ誰かが飢え死にする。
国全体を賄うにはギリギリの量だが、それでもないよりはと備蓄されている。
「分かった、それも早急に調査しよう」
王太子殿下が疲れた顔で頬杖をついた。
毎日政務をこなし、行事などの公務に参加し、夜遅くまで様々な書類を確認している。滅多に休日も取れていないのではと思うが、王太子殿下は昔からこのような方だ。
「それで、ハシバ殿は?」
「大浴場に行っておられます」
「『煙の魔女殿』は風呂好きなのだな」
小さく笑う王太子殿下に、シルヴェストルは目を瞬かせた。
「『煙の魔女』とは?」
「ハシバ殿の通称だ。城下どころか、王宮内でも『魔物避け煙草』は話題に上がる。常に煙草を吸って煙をまとっていることと、煙草売りというところから貴族達は彼女を『煙の魔女』と呼んでいるそうだ」
……煙の魔女……。
不思議とその言葉はよく似合う、と思った。
「幸い、彼女は我が国とは友好的な関係でいようとしてくれている。我々としても、彼女の能力を考えれば敵に回したくはないし、他国に流れるのも困る」
以前、ルイ様の称号の能力を見せてもらった時は驚いた。
本人は『防戦一方』と言っていたが、使い方次第ではどんな相手とも戦えるし、大勢相手でもきっとルイ様は勝てるだろう。
……私が護衛をしている意味があるのか、時々疑問に思う。
シルヴェストルが守る必要などないような気がする。
けれども、ルイ様はいつもシルヴェストルに『ありがとう』と言う。
その言葉が心地好くて、聞きたくて──……嬉しそうに目尻を下げる顔が見たくて、いつの間にかシルヴェストルは必ず火を差し出すようになっていた。
「引き続き、ハシバ殿の護衛を頼んだぞ」
王太子殿下の言葉にシルヴェストルは頷いた。
報告を終えて大浴場に向かえば、ちょうどルイ様が浴室から出てくる。
「お疲れ様、シルヴェストル君」
「ルイ様、髪が濡れたままです」
「だって君が乾かしてくれるだろう?」
期待のこもった眼差しに、シルヴェストルは黙って乾かすしかなかった。
初めて触れたルイ様の髪は黒く、細く、艶があってさらりとしているが柔らかい。
……いつまでも触っていたい髪というのは、こういうものか。
などと、くだらないことを考えてしまう。
「……終わりました」
髪が乾いたことを伝えれば、ルイ様が目尻を下げて微笑む。
「ああ、ありがとう」
いいように使われているだけなのか、甘えられているのか、分からない。
分からないが、ルイ様は基本的に自分のことは自分でやる方なので、これは恐らく頼りにされているということだろう。
「さて、ひとっ風呂浴びたし帰ろうかねぇ」
「はい」
「今日の夕飯が楽しみだ」
そう言って歩き出すルイ様の足取りは少しだけ軽やかだった。
分かりにくいけれど、共に暮らしていると分かることもある。
最近、ルイ様は食事を人並みに食べられるようになり、そのおかげか食事が楽しいらしい。食事の時は機嫌がいいと気付いた。
「本日はロック鳥を使った料理だと聞いています」
「ロック鳥? もしかして魔物かい?」
「はい、大きな鳥型の魔物ですが──……」
二人で並び、歩きながら王城の玄関に向かう。
ルイ様はやはり、歩いている時は煙草を吸わない。
城を出て、馬車に乗ったところでようやく口元に煙草を出した。
その先端に火を灯すと「ありがとう」と美味そうに吸い、煙を吐く。
「ああ、労働後の一服は格別だ……」
と、呟き、大事そうに吸っている。甘い香りが馬車の中に広がった。
ジッと見つめているとこちらに気付いたルイ様と目が合った。
「煙草に興味が出てきたかい?」
「いえ……ただ、いつも美味しそうにお吸いになられるなと思いまして」
「まあ、美味しいからねぇ」
ルイ様が言い、手の中に小箱を出すとシルヴェストルに差し出した。
受け取れば煙草に似た形の菓子だった。
「一本、付き合ってくれるかい?」
「かしこまりました」
シルヴェストルが真似をして口に菓子を咥えると、ルイ様が小さく笑う。
その穏やかで柔らかな表情は初めて見るものでドキリとした。
「みんなには内緒だよ。夕食前に菓子を食べたと知られたら、怒られるからね」
「……以前から思っていたのですが、私を子供扱いしていませんか?」
まるで小さな子供対して使うような言葉に、シルヴェストルは訊き返した。
「子供扱いはしていないが、歳下扱いはしているかもしれないねぇ」
でもね、とルイ様が言葉を続ける。
「わたしは大人だから、子供だと思っている相手に頼りはしないさ」
……その言い方はずるくないか?
シルヴェストルは思わず、口の中の菓子を噛んでしまった。
パキッと小さく音を立てて菓子が割れる。
「……そうですか」
「ああ、そうさ」
ふぅ……とルイ様が煙草の煙を吐き出す。
「シルヴェストル君には悪いけれど、これからも頼らせてもらうよ」
その言葉がシルヴェストルは嬉しかった。
けれども、どうして嬉しいのか分からず、緩みそうになる口元を引き結んだ。
「何があろうともルイ様をお守りいたします」
「君は本当に真面目だねぇ」
おかしそうに小さく笑い、ルイ様が煙草を吸う。
シルヴェストルは口元の菓子を外し、口内に残ったものを噛み砕く。
甘く、少しだけスッとするような不思議なその菓子は悪くない味だった。
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