召喚
この作品は喫煙を助長させるものではありません。
特に未成年者の喫煙は違法となりますので、ご注意ください。喫煙は本人、または周囲の人々への害がございます。
物語として楽しんでいただけましたら幸いです。
グラリと一瞬、地震のように体が軽くふらついた。
次の瞬間には暗く冷たい空気と石造りの重厚な壁に囲まれた広い空間、そして、現代日本では着ている人間など見たこともないような、ヨーロッパの古い貴族の装いをした人々。
「どこだ、ここ!?」
その声に視線を巡らせれば私服姿の若い男女が三名。
ファンタジー世界の貴族のような装いの中年男性が愕然とした顔をしている。
「そんな、まさか……召喚魔法が発動してしまうなんて……」
それを聞きながら煙草を吸い、ふぅ……と煙を吐く。
まるで流行りのライトノベルのような展開に思わず口角が上がる。
……わたし、こんな夢を見るくらい精神状態がヤバいのかねぇ。
手の中にあるのは火のついた煙草一本だけ。
とりあえず、これがわたしの夢だとしても一つだけ確実に分かることがある。
「もう無理……寝かせて……」
夢の中でも限界というものはあるらしい。
* * * * *
日付けが変わってしばらく経つ頃、帰宅した。
後ろ手に扉の鍵をかけ、靴を脱ぎつつチェーンもかけて、部屋に入る。
ワンルームの安アパートだが、一人暮らしで寝に帰るだけのような生活だとこれで十分だった。
右手に洗面所や浴室があり、左手にトイレ、ミニキッチンがあり、奥は部屋だ。
ベッドと小さなローテーブル、壁に備え付けのクローゼット、姿見があるだけで殺風景だが、買い物に出かける暇もないし、気力もないのでいつも物は必要最低限しかない。
……ゴミ出しだけは適当でもいいのが助かるけど。
家賃が安いわりに、ゴミを出す場所に指定通りに出しておけば大家が仕分けてくれる。
ゴミを見られるのが嫌だという人もいるだろうが、分別をしなくても済むのはとても楽だ。
廊下と言えないような短い廊下を歩き、部屋の中央にあるローテーブルにバッグを置く。
スーツをハンガーにかけ、ワイシャツなどの他のものは洗濯機に放り込み、まずはシャワーを浴びて一日の汗を落とす。出たらヘアバンドで髪をまとめたまま、顔に化粧水を塗り、パックを貼り付ける。
その間にノートパソコンを立ち上げて、スマホとパソコンとでメールを確認する。
それが済んだらパックを捨てて、クリームを塗る。
髪を乾かし、冷蔵庫から取り出したゼリー飲料を飲みながら確認したメールに返事をしていく。
返信が済んだらゼリー飲料のゴミを捨て、ノートパソコンの電源を落としてバッグに戻す。
スマホはテーブルの隅に放置し、棚から道具を取り出して並べた。
ローラー、ペーパー、袋に入った葉、フィルター。
バッグから空になったシガレットケースを取り出し、ついでに小皿に少量の水を入れて持ってくる。
煙草用のシートの上に煙草葉を揉みほぐし、均一に広げる。
次に手巻きローラを置き、二つのローラーの間の右側にフィルターを、残りの部分に煙草葉を細長く詰めていく。あまり固く詰めすぎないのがコツだ。
煙草葉をほどよく詰めたら、ローラーを閉じて挟んで手前に数回、回転させる。
ペーパーの糊面を上、自分のほうに向けるようにして端をローラーに差し込む。
ゆっくりローラーを巻いていき、残り一センチほどで止めて、指先に軽く水を付けて糊面を濡らす。
その後は最後までペーパーを巻き、数回余分に回転させたら自作の紙煙草の完成だ。
もう慣れたもので、明日の分を作っていく。
わたしは面倒なのでいつも前日の夜に翌日の分を全て作ってしまう。
持ち運び用のシガレットケースに作った煙草を入れていく。
この時間が一日の中で最も心穏やかに、ゆっくりできる。
明日の分の煙草を作り終え、シガレットケースをバッグに戻す。
ついでに残った一本とライター、灰皿を手にベランダに出た。
深夜ということもあってかあまり周囲に明かりはなく、薄暗いベランダの室外機の上に灰皿を置いて、口に咥えた煙草に火をつける。
ゆっくりと吸い込み、ふぅ……と煙を吐き出せば、甘さと煙草特有の香りが広がった。
……やっぱりこの香りが一番落ち着くなぁ。
メンソール系も悪くないが、甘い香りは心が安らぐ。
片手にライターを持ったまま、ベランダの柵に寄りかかってもう一度煙草を吸う。
……明日も四時には起きないと……。
もうすぐ一時になる頃だろうから、この一本を吸ったら歯を磨いてすぐに寝なければ。
更に煙草を吸うために口に手を寄せようとした瞬間、グラリと地面が揺れた。
「お?」
転ぶことはなかったが、震度四は確実にあっただろう揺れの強さだ。
そして、ふと気付く。
都会の夜よりも暗く、冷たい空気と石造りの堅牢な壁、蝋燭の揺れる明かり。
空間の中心にわたしは立っており、足の裏に石の冷たさや硬さを感じた。
……どこだ、ここ──……。
「どこだ、ここ!?」
わたしの疑問を誰かが叫ぶ。
振り向けば、十代半ばか後半くらいの男女が三名いた。
若い少年が二人、同じ年齢くらいの少女が一人。全員、部屋着だろう。
……わたしが一番、草臥れてるなぁ。
そんなことを思うと声もなく笑ってしまう。
「そんな……」
聞こえてきた声に顔を戻して、すぐに眉を寄せてしまった。
現代日本人が見かけることは滅多にない、ヨーロッパの昔の人々が着ていたような装いの人々がいる。豪奢な装いが三名、他は騎士っぽい鎧を着た人々やローブをまとった人々。
その中でも豪奢な装いの中年男性が愕然とした様子で呟く。
「そんな、まさか……召喚魔法が発動してしまうなんて……」
それに少女が顔を上げた。
「ここはどこですか!? あなた達は誰!?」
「優樹菜!? って圭も!?」
「二人とも、何がどうなってるの〜……?」
残りの少年達も驚いており、どうやら三人は知り合いらしい。
三人で集まり、警戒する様子はまるで威嚇する子猫みたいだ。
「っ、申し訳ない……!!」
豪奢な装いの中年男性が頭を下げる。
……王冠被ってる……。
「こちらの手違い……いや、事故により、そなた達を異世界から喚び出してしまった……!!」
「本当に申し訳ない……!!」
中年男性の横で、男性と同じ金髪に翠目の十代後半くらいの若い男性も頭を下げる。
ドレスを着たお姫様のような子は真っ青な顔で震えていた。
男性達の聞きながら煙草を吸い、ふぅ……と煙を吐く。
まるで流行りのライトノベルのような展開に思わず苦笑が漏れた。
……わたし、こんな夢を見るくらい精神状態がヤバいのかねぇ。
手の中にあるのは火のついた煙草一本だけ。
とりあえず、これがわたしの夢だとしても一つだけ確実に分かることがある。
良くないことだが、煙草の火を地面で消す。
片手に吸い殻を持ちつつ、もう片手を上げる。
「あー……ちょっといい?」
わたしが声を発すると全員の視線が突き刺さった。
物理的攻撃力があったら死んでしまいそうなくらい、多くの視線が集中する。
だが、これだけはハッキリと伝えておかなければ。
「もう無理……寝かせて……」
三徹目に片足を突っ込みかけていた人間に、この情報量は多すぎる。
ふら、と体が倒れ込むのを感じながら意識が遠退いていった。
* * * * *
部屋で寝ていたはずなのに、地震を感じて飛び起きたら見知らぬ場所にいた。
部屋着に裸足姿で放り出され、赤城拓真は驚いた。
「どこだ、ここ!?」
思わず叫び、周りを見回せば、見慣れた顔が二つあった。
一人は八坂圭。生まれた時からの幼馴染で、明るい茶髪に焦茶色の目をした、ちょっとふわふわした感じのする容姿だ。
一人は鈴代優樹菜。小学生の頃からの幼馴染で、拓真と圭と家が近いこともあって仲が良い女子だった。拓真と同じく黒髪に黒目の、気の強そうな容姿である。
「そんな、まさか……召喚魔法が発動してしまうなんて……」
振り向けば、見たこともない格好の男がとても驚いた顔をしている。
それに幼馴染の優樹菜が顔を上げた。
「ここはどこですか!? あなた達は誰!?」
その言葉に拓真もハッと我に返る。
「優樹菜!? って圭も!?」
「二人とも、何がどうなってるの〜……?」
眠そうな圭が緩い声で訊いてくるが、拓真にも分からない。
三人で集まり、警戒すると男が頭を下げてくる。
「っ、申し訳ない……!!」
……頭にあるのって王冠か……?
「こちらの手違い……いや、事故により、そなた達を異世界から喚び出してしまった……!!」
「本当に申し訳ない……!!」
男の横で、同じ金髪に翠目の拓真達より何歳か歳上の青年も頭を下げる。
そのそばにはお姫様みたいな格好の女の子が真っ青な顔で震えている。
……何がどうなってるんだ!?
緊張した空気の中、突然別の声がした。
「あー……ちょっといい?」
その声に驚いて顔を向ければ、二十代半ばくらいの女の人がいた。
顎くらいで切り揃えられた黒髪に、黒い目で、メガネをかけた無表情な人だった。
服装からして、拓真達と同じように突然ここに連れてこられてしまったのだろう。
全員の視線が向けられているのに気にした様子がない。
「もう無理……寝かせて……」
ふら、と女の人の体がよろけ、床に向かって倒れていく。
あっと声が漏れるのと同時に、近くにいた鎧を着た銀髪の青年が女の人を受け止める。
「大丈夫ですかっ!?」
優樹菜が慌てて女の人に駆け寄り、その顔を見て目を丸くした。
「……寝て、る?」
驚きながらも優樹菜がホッとしたように小さく息を吐いた。
この女の人のおかげか、さっきのピリピリした空気は消えていた。
「あの、ここはどこですか? 俺達、自分の家にいたはずなんですけど……」
「ああ……それについてはきちんと説明しよう。……ここでは落ち着かないので、部屋を移動させてもらってもよろしいかね?」
「あ、はい」
優樹菜と圭が頷き、優樹菜が「この人も一緒にお願いします」と女の人を示す。
それに華やかな服を着た男が頷く。男は拓真の父親よりいくらか歳上に見えた。
女の人を支えていた銀髪の青年が、マントみたいなものを外して女の人にかけてから、横抱きに持ち上げる。銀髪の青年は拓真よりずっと背が高かった。
最初に声をかけてきた男についていく。
ここがどこなのかも分からないけれど、話を聞くにはついていくしかない。
後ろをチラリと見れば、銀髪の青年の腕の中で女の人が気持ち良さそうに眠っている。
それが少し羨ましい。
広い廊下を歩き、角を曲がったり、階段を上ったりして、一つの部屋に通された。
「すげ〜……」
「豪華……」
圭の言葉に拓真も釣られて呟いてしまう。
見たこともないほど豪華な室内は、ダークブラウンと落ち着いた赤でまとめられており、足元に広がる赤い絨毯は縁に金色のフサフサしたものがついている。
「そちらにかけてくれ」
と、男に言われ、三人掛けのソファーに座る。
女の人は隣の部屋にあるベッドで休ませるらしい。
銀髪の青年が隣の部屋に消えると優樹菜が少し心配そうに見たが、青年だけがすぐに戻ってくる。
目の前の三人掛けのソファーに金髪の青年とお姫様が、斜め前の一人掛けのソファーに男が座った。
「まずは自己紹介をしよう。余はアンセルム・ジュール=アルセチュール。このアルセリオン王国の国王だ。こちらは息子のテオフィルと娘のマリエットだ」
それに正面に座っている二人がお辞儀をする。
何となく拓真もそれに釣られて小さく頭を下げた。
「あの、アルセリオン王国って何大陸の国ですか?」
「……ここは、そなた達の世界にある国ではない」
「え?」
拓真はキョトンと目を瞬かせてしまった。
……どういうことだ?
「さっき『異世界から喚び出してしまった』って言っていましたよね?」
優樹菜が眉を顰めながら言う。
それに圭が「えっ?」と声を上げた。
「もしかして、ココって異世界なの〜っ?」
「そうだ。……この国に伝わる『勇者召喚魔法』により、そなた達をこの世界に招いてしまった。これは我が国……いや、余の落ち度である。謝罪など無意味かもしれないが、本当にすまない……!」
男──……国王だという人が頭を下げる。
まだ混乱しており、理解するのに時間がかかった。
それでも国王は怒ることもなく、こうなった理由について話してくれた。
この世界は遥か昔、人間と魔族が対立していた。
その中でアルセリオン王国は魔族との戦争に勝つべく、魔法で異世界から『勇者』を召喚した。
勇者というのは『特別な能力を持った者』で、この世界の言葉が通じているのはそういう魔法がかかっているかららしい。中には召喚ではなく、別の原因でこの世界に来てしまう異世界人もいるのだとか。
それはともかく、アルセリオン王国が召喚した勇者は魔王を倒して人間側が勝った。
世界は人間界と魔界とに分かれ、人間は人間界、魔族は魔界で生きるというふうになった。
この国では十年に一度、偉大な勇者に感謝と尊敬を捧げ、大きな戦争を忘れないためにその『勇者召喚魔法』を真似た儀式を行ってきたんだとか。
これまでは何も起こらなかったのに、今回、何と魔道具は作動して魔法が展開──……つまり、魔法が使われて、拓真達が召喚されてしまった。
「事故……?」
「ああ、そういうことになる……」
優樹菜の言葉に国王が深刻そうな顔で頷いた。
「元の世界に返してもらえるんですよね……?」
優樹菜の震える声に、国王は首を横に振った。
「今現在、召喚した勇者を元の世界に戻すことは不可能とされている。……世界、いた場所、時間など、様々な要因があるが、何より召喚魔法は一方通行で上から下に落とすようなものなのだ。上に戻る術がない……」
「うそ……」
「じゃあオレ達、戻れないってこと〜っ!?」
拓真も遅れてそれを理解して、呆然とするしかなかった。
……元の世界に戻れない……?
家族も、友人も、これまでの、そしてこれからの人生が消えてしまった。
衝撃があまりに強くて、悲しいとか苦しいとかを感じる余裕すらない。
優樹菜がガタリと勢いよく立ち上がった。
「そんな、じゃあ私達はどうなるんで──……!」
その声を掻き消す勢いでバターンッと隣の部屋の扉が開かれた。
全員が振り向けば、乱れた黒髪にメガネをかけた女の人が叫ぶ。
「寝過ごしたっ!!」
そして、女の人はこちらを見て、目を瞬かせた。
「……ここどこ?」
……いや、それ少し前にやったし。
そう思うと拓真は溜め息が漏れた。
優樹菜も圭も同じタイミングで溜め息を吐き、三人で顔を見合わせるしかなかった。
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