9話 幽語スキルと≠NULLの影
ルゼが加わってからというもの、行動がやたらと静かになった。
声を出さない。足音も立てない。飯も音を立てずに食う。
「お前、忍者か何かか?」
とカイルが茶化しても、彼女は首をほんの少し傾けるだけ。
(沈黙は美徳ってレベルじゃないな)
ただ──ルゼの“存在”そのものが場の空気を制圧しているのも事実だった。
彼女の半径10メートル以内にいると、下手な魔物は近寄らない。
俺の《虚数再構築》でも、彼女の“構造”は最後まで読み取れなかった。
「おい、お前……」
「ん、何?」と振り向くカイルに言う。
「お前がうるさいんじゃなくて、ルゼが静かすぎるんだよ」
「えっ、オレ悪くないよな!?」
──その日の夜。俺たちは古い通信塔の廃墟で野営していた。
ノーラが古文書を解析していた時、ルゼが突然指を一本だけ天に向けた。
「……来る」
それだけで全員、武器を手に立ち上がった。
そして、通信塔の上空に現れた黒い球体──
《≠NULL第十二端末:探索個体「バル=モルフ」接近中》
《目的:規格外構造体の位置特定および拘束》
機械じみた無機質なアナウンスが、空間全体に響く。
「うわ……あれ、“人”じゃないよな……?」カイルの声が震える。
黒い人型。眼の代わりに情報ウィンドウが浮かんでいる。
無数のコード断片が周囲に浮遊し、時折「適合率」や「除外率」の数値が点滅している。
(ついに来たか……この世界の“バグ処理装置”……)
≠NULL。俺のような“規格外”を排除するために存在する、裏の管理機構。
それが、俺の存在を正確に“検知”してきたということ。
──そして、ルゼが前に出た。
無言のまま、手を前に差し出す。
何も詠唱しない。だが、空気が変わった。
《スキル起動:幽語(コード:T-Null)》
《発動条件達成──影響範囲内の敵対構造体、意識干渉判定中》
《判定完了:抑制率87% 拘束状態へ移行》
──“それ”は突然、動きを止めた。
≠NULLの端末が、制御不能のように硬直し、そのまま地面へ落下する。
「えっ……あれ、倒したのか?」
「……いや、違う。ルゼが“会話”したんだ。言葉じゃなく、構造そのものと」
ノーラの分析は静かだった。
言葉より先に、スキルそのものが“対話”を完了していたということ。
ルゼは俺のほうを振り返った。言葉はなかったが、その眼差しにははっきりとしたメッセージがあった。
──“まだ来る”
──“これは序章にすぎない”
≠NULL──それは、俺たちが踏み込もうとしている“世界の裏”の扉。
そしてその扉は、すでに半分、開き始めている。