44話 定義の分岐点と、観測干渉体ミラ
転送が完了すると、俺たちは奇妙な空間に降り立っていた。天空も地面も存在せず、視界は上下左右すべてが“観測される前の光”で満たされている。
「ここが……“Ω-3”?」 ノーラが足元を確認するように、空中に浮かぶ足場をそっと踏みしめる。
「重力も定義されてない。踏んでる感覚すら、俺たちの意思に依存してるみたいだ」 俺の《虚数再構築》は、警告を出し続けている。
《構造確定率:38%》 《注意:観測基点が不安定です》
そのとき、空間の中心に音もなく現れた。
──白い髪。金属のような虹彩。微笑を湛えたまま、感情の欠片もない女の姿。
「初めまして、観測者の皆さん。私は≠NULL観測干渉体“ミラ”」
その声は、温度のない風のようだった。
「あなたたちが“記録の揺らぎ”を連鎖させている。とても興味深い」
「俺たちを招いた理由を聞こうか」 レイとして、観測者として、俺は一歩前に出た。
ミラはゆっくりとうなずいた。 「あなたたちが記録した“ユナ”──観測されるはずのなかった存在が、世界に定義されたこと。それは、コード全体の整合性を乱す事象」
「それが、何か問題でも?」 カイルが挑発的に前へ出る。
「問題ではなく、“可能性”です」 ミラの瞳がわずかに光る。「もしその連鎖が進めば、この世界そのものの定義構造は、再編されるかもしれない」
「つまり、世界を書き換えるってことか」 ノーラが呟く。
「あなたたちに問います」 ミラは腕を広げた。「“定義されている世界”と、“定義し直せる世界”──どちらを選びますか?」
その問いに、誰も即答できなかった。
俺はしばし考えた末に、言った。 「選べない。それは、まだすべてを見ていないからだ」
ミラは、それを“正解”と判断したかのように微笑む。
「よろしい。では、次の座標をご案内しましょう。“定義の起源”──原初コードの眠る領域へ」
その言葉と同時に、空間に巨大なリングゲートが出現する。 中心に記された識別コードは、見慣れないものだった。
《転送先:起源層セクター・0-C/構造名“ソース・ロスト”》
「これが……≠NULLの始まり?」 ヒカリが息を飲む。
「いや……もしかすると、世界そのものの始まりかもしれない」 俺の背筋を、冷たい何かが這い上がっていく。
だが俺たちはもう立ち止まらない。 記録する者として、“この世界がなぜここにあるのか”──その問いに向き合う覚悟があった。
「行こう。定義される前の場所へ」
そして、俺たちはゲートをくぐる。
旅は、ついに“原初の真実”へと到達しようとしていた。




