第6章 狙われた少女
ノクス本部の最深部──対管理局用に強化された厳重なセキュリティが張り巡らされた自動扉が静かに開き、重厚な足音が会議室に響いた。廃工場を改装した地下施設には外光の差す余地はなく、金属製の照明が無機質な光を投げかけていた。鉄と薬品の匂いが微かに鼻を突く。
その中央、円卓の周囲には三人の影が揃っていた。
一人は、黒ずくめの軍服に身を包み、顔に包帯を巻いた男──ラゼル。5日前の交戦での深手が癒えておらず、もともと金属製の戦闘用義手がつけられていた左肩からは、その大きな体躯には似合わない、明るい色の医療用プラスチック製義手が付けられている。両足の銃創は浅く、痛みを堪えれば立てる程度には回復していたが、まだ本調子ではないのか、無骨なデザインの車椅子に腰を据えていた。
もう一人は、グレーのハンティングキャップが特徴的な赤髪の少女──サラ・エヴァンス。彼女はテーブルの端に足を投げ出し、椅子を少し傾けたまま座っている。何かを我慢しているように、唇をかみ、視線は部屋の主に注がれていた。
そして、その主。部屋の奥、影の中から現れたのは──ヴァルデスだった。
長身のシルエットは、戦闘員らしい隙のない立ち居振る舞いを今も保っている。が、その表情はどこか遠くを見ているように虚ろで──それは、ある決断への迷いが拭いきれないようにも見えた。
「……遅かったな、ヴァルデス」
ラゼルが低い声で言った。
「すまない、別件で動いていた」
ヴァルデスの返答は淡々としていたが、どこか心ここにあらずといった調子だった。椅子に腰を下ろすと、視線をサラへと向ける。
「……サラ、お前から状況を」
「了解。けど、その前にひとつ質問いい?」
サラはいつもの飄々とした態度ではなく、睨みつけるような鋭い視線をヴァルデスに向ける。
「構わん」
サラは片眉を上げた。
「“あの子”のこと、ほんとに無関係のまま放っておく気なの?」
一瞬、空気がぴたりと止まる。
あの子──エリカ・ノヴァ。
その名を出した瞬間、ヴァルデスの目に微細な揺らぎが走った。しかし彼は無言のまま、椅子の肘掛に指を置いた。
「彼女は……今、戦うべきではない立場にいる。巻き込むわけにはいかない」
「でも、それってヴァルデスの事情だよね?あの子が戦場にいるのは事実だし、ラゼルをこんな姿にしたのも……」
「……それでもだ」
ヴァルデスの声音はその心を反映してか、一段深くなった。
「……ラゼルと戦闘になってしまったことについては返す言葉もない。だが……これ以上彼女の未来を私の罪で染めたくない、それだけなんだ。個人の事情に巻き込んですまない」
ラゼルが重々しく頷き、静かに口を開く。
「感情に流されるな、とは言わん。だが、今のエリカは管理局に身を置いている以上、完全に無関係じゃいられない。少なくとも、何かしらのけじめはつけるべきだと、俺は考える」
サラも視線を落とし、膝の上で手を組んだ。
「……あたし、エリカのことよく知らない。でも、ヴァルデスがそこまで言うなら、ただの敵じゃないってことだけは分かる。だから私は自分で判断する。あの子と向き合って、その意志を確かめる」
その言葉に、ヴァルデスは静かに目を閉じる。サラが自分の思惑に賛同しているわけではないことを悟っていた。
「……状況報告に戻ろう」
ラゼルの声で重苦しくのしかかっていた空気が引き戻される。
サラは軽く首を振ると、いつも通りの飄々とした雰囲気を取り戻し、携帯端末を片手に報告を開始する。
「あの廃工場で保管していた3つの”涙”については既に管理局によって回収済み~。あとはエリカちゃんの報告でヴァルデスとラゼルの捜索部隊が編成されたみたい。ソフィアちゃんって子がリーダーかな?」
「ソフィア?」
ラゼルが車椅子を軋ませ、顔を俯かせる。
「“特殊鎮圧部隊”のか……?」
サラは携帯端末を操作しながらも、眉をひそめて答える。
「う~ん、そうなのかな?この子、管理局内の名簿に情報が無さ過ぎてぇ……よくわかんないや」
「いや、名簿に情報がないなら確定だ。奴ら、遂に表に出てきたか……!」
ラゼルの拳が震えた。失われた左腕が疼き、義眼となった左目が痛みを訴える。
「いやいや、いま戦ったら死ぬよ?自分の状態わかってる~?」
サラは一瞬驚いたようにみせてから、煽るような眼をむけてラゼルの義手をツンツンとつついた。
ヴァルデスは腕を組み、視線をサラの持つ携帯端末へ向けた。
「特殊鎮圧部隊が動いているということは、管理局内部でも“粛清”の動きが強まっている証拠だな。私たちの存在が、かなり危険視されているのだろう」
「じゃあ……」
サラがラゼルをつつく手を止め、今度は真剣に、言葉を探すように続けた。
「もし管理局の人たちと鉢合わせになったらどうするの?今度は──ラゼルだって、無事じゃすまないかもしれない」
沈黙が落ちる。
やがて、ヴァルデスは重々しく口を開いた。
「……我々も動くべき時だ。だが、戦力の再編と情報の補強が必要だ。無駄な交戦は避けろ。特に特殊鎮圧部隊と接触した時は、可能な限り撤退しろ」
その言葉にサラは、誰にも気づかれないように胸をなでおろし、頷いた。
「は~い」
「──了解」
解散の意志が示された会議室からは、数分と経たないうちに人の気配も痕跡もなくなり、静寂だけが残っされていた。
*
管理局本部の執務室。窓の外では、夕陽が西のビル群に沈みかけ、オレンジの光が部屋を染めていた。
エリカは湯気の立つコーヒーカップを手元に置き、自分の机で静かにキーボードを打っていた。制服の袖口には戦闘の跡がうっすら残っているが、触れない限りは痛みも特にないレベルに落ち着いている。あの戦いから一週間が経過した。
(ラゼル……あの人は確かに強かった。でも、私が“死ななかった”ということは、手加減されていたのか、それとも……)
端末の画面には、あの日の戦闘記録と被害状況、そして回収されたシリウスの涙の分析報告が並んでいた。任務報告という名の単純作業──慣れてしまった自分が、少し嫌になる。
(……あの時の傷も思ったよりも深くなかった。あれだけ吹き飛ばされたのに、致命傷となる傷はない。これが単純に運が良かっただけとは思えない)
ふと、思い出すのは、戦闘の最中に見せたラゼルの一瞬の躊躇いだ。自分に対しての攻撃が、まるで“警告”のように感じられたこと。もし、彼が本気だったなら、自分はもうここにはいなかったはずだ。
(……ライアンのほうは、まだかかりそうですね)
視線を端末の右隅へ移す。そこには入院中のライアンの名前が表示されていた。彼は複数の“光の矢”を受け、内部に深刻なダメージを負った状態で今も療養中だ。回復にはもう少し時間がかかるだろう。
報告書を最後まで打ち込み、送信ボタンを押すと、エリカは深く息をついて立ち上がった。報告書の提出は終わった。ライアンへの見舞いのため、荷物をまとめて席を立つ。
——その時だった。
携帯端末がわずかに震え、非通知のメッセージが届いた。発信元は不明。しかし、そこに表示されたのは、1つの短い文章とともに再開発エリアにある、人気のない一角──そんな住所が指定されていた。
『エリカちゃん。ここにきて。知りたいこと、教えてあげる』
エリカちゃんという呼び方にこの文調──間違いない。サラ・エヴァンス。
(なぜ、私に?)
前回の接触では、エリカを殺そうともせず、むしろ挑発するような態度で立ち去ったノクスの少女。あれは純粋な敵意ではなかった。遊びのようでもあり、真剣なようでもあり──底が見えない。
(罠の可能性は十分ある。でも……)
ノクスの構成員と接触する機会は限られている。そして、敵である管理局員であるエリカにサラが自発的に連絡してくるという事実は、異常だ。
(これはチャンスかもしれない)
エリカは静かに立ち上がり、制服の袖口を整えた。腰の装備スロットに最低限の戦闘補助ツールを差し込み、上着の内ポケットに小型の通信端末を収める。
「……行ってみる価値は、ありますね」
ほんの一瞬の逡巡──だがそれは、胸の奥に沈んだ何かを掘り起こすには十分で、エリカは制服の上着を掴み、静かに部屋を後にした。
***
空は赤く血のような夕焼けに覆われ、冷たい風が枯れた草をなでていた。
サラは人気のない路地裏に背を預け、息を殺していた。ラゼルは傍らで肩を上下させながら、脇腹を押さえてうずくまっている。包帯越しにも滲み出る血が、彼の体力が限界に近いことを示していた。
「……大丈夫?ラゼル……?」
「クッ……少し油断しただけだ……この程度……」
強がる声はすでに熱を失っていた。いつもは飄々とした態度をしているサラも口を噤み、赤く染まる空を見上げる。
(……おかしい)
静かすぎる。さっきまでは普段と変わらず響いていたはずの車の音も、仕事をしている人の気配さえもない。ただ、風の音だけが街の空白を埋めていた。
「ラゼル、立てる?……まずいかも」
明らかに異質な雰囲気に言いえぬ悪い予感を吐露したその瞬間。
「排除対象再確認。今度は逃がさない」
不意に背後から聞こえたのは、女の声だった。
サラの全身に電流のような戦慄が走る。跳ねるように振り向くと、そこには一人の女が立っていた。黒を基調とした管理局の制服――その立ち姿はただの局員とは異なる冷徹さと威圧感を纏っていた。
「もう追いつかれた……!」
サラが反射的に現れた黒い女に向かって構えをとる。ラゼルは静かに目を閉じた。
「……来たか」
ソフィアは無感情に言い放つ。
「前回の戦闘地点に残されたラゼルのものとみられる繊維片と血痕から、エリカ・ノヴァのシリウス反応を検出。そのシリウス・エッセンスの反応から、本人のものを除外すれば特定可能」
「……エリカちゃんの痕跡?」
サラは目を見開いた。
あの日、ラゼルが負傷し、血を流しながら撤退したあの現場。確かに、服は裂け、倒れ込んだ地面に血が滲んでいた。
「局の追跡スキャナーは、特定の個人のシリウス反応を数キロ先までトレース可能。肉眼では見えなくとも、我々には充分な手掛かり」
「嘘でしょ……」
サラは唇を噛む。科学的な理屈は理解できなくても、その執念と精密さに背筋が凍る。
まるで機械のようだ。正義ではなく、ただ処理対象を消すための冷たい意志――。
「排除対象確認。優先順位、ラゼル・カーソン」
ソフィアは一歩を踏み出す。言葉と同時に、腰から銀色のトンファーを引き抜いた。電磁的な駆動音とともに、柄の部分から小さな火花が散る。
サラは咄嗟に前に出る。
「待って。……ラゼルは、殺したって意味ないよ。もう動くこともできないからね」
「意味の有無は排除優先順位に含まれない。生存中の危険因子は確実に処理する」
その瞬間、サラの中の警戒が怒りに変わる。
「ふざけんなよ……!アンタ……人の命を何だと思ってんだよ!」
ソフィアの視線が微かに動いた。それが反応なのかどうかは分からなかったが、次の瞬間にはサラの手が懐の通信機に伸びていた。
(――お願い。気づいて。あの子なら、来てくれるって信じてる)
エリカ・ノヴァ。
敵かもしれない。あの場限りの優しさだったかもしれない。
それでも――。
(ヴァルデスには……連絡できない。ここで発信すれば、位置情報ごと拾われる。今、あの人まで巻き込むわけには……)
ラゼルは重傷。ここで倒されれば、ノクスのすべてが露見する。
でも、ヴァルデスが動けば、今度は彼が狙われる。
(エリカちゃんなら……たとえ敵同士でも、あたしみたいな立場の人間でも――)
わずかに震える指で、座標だけを打ち込み、非通知設定で送信する。
「送信完了……」
「通信履歴、確認」
冷えた声が響いた次の瞬間、鋼鉄のような衝撃がサラの横を薙いだ。
壁が砕け、衝撃波が髪をなびかせる。
「っ……ラゼル、逃げて!」
「無理だ……ッ!」
ソフィアの足音が、床を焼くように近づく。咄嗟にポーチから閃光弾を引き抜き、足元に叩きつけた。
――バンッ!
白光と爆音。だが、ソフィアの足取りはほとんど乱れない。
すでに体を低く構え、サラの影をなぞるようにトンファーが振りかぶられていた。
(速い――!)
反射的にナイフを振るい、鋭い金属音と共に受け止める。だが、支えきれない。
肘に伝わる衝撃が骨を軋ませ、刹那、全身が浮いた。
「――っ!」
視界がぐるりと回転する。背中から地面に叩きつけられ、肺の空気が一気に抜けた。
霞む視界の端で、ラゼルがうつ伏せに倒れているのが見える。
「……立って、お願い……!」
這うようにして近づき、手を伸ばす。だが肩に激痛が走り、思わず呻いた。
ソフィアはすでに間合いを詰めていた。
(逃げなきゃ……でも、ラゼルを……)
歯を食いしばり、身を挺して立ち上がる。震える脚を無理やり前に出し、ソフィアの前へ躍り出た。
「来ないで……!」
答えはない。
次の瞬間、ソフィアの拳銃が無言で火を吹いた。
衝撃――肩を掠めた銃弾が肉を裂き、鮮血が弧を描いて宙を舞う。
足がもつれ、視界が横に流れた。
倒れる――その刹那、頭の奥で祈るように叫ぶ。
(来て――エリカ……!)
駆け抜けるような金属音が響き渡る。
彼女からこぼれ落ちたハンティングキャップが、地に転がり、血飛沫がそこに散った。
***
サラから指定された座標は、繁華街から少し外れた再開発区画の一角だった。夕暮れの街路を抜け、工業用の倉庫が点在するエリアに差し掛かった時、エリカは異変に気づいた。
人の気配が、まるでない。
(おかしい……この時間帯なら、業者の人たちや配送トラックが通ってもおかしくないはず)
開発予定区の影響で複雑に入り組んだ路地を1本2本と抜けて歩き続け、エリカは指定された住所にたどり着く。だが、そこには建物の建材らしき鉄骨が何本か積み重ねられただけの空き地が広がり、サラの姿はどこにもなかった。
罠の可能性を考慮し、十分に警戒しながら、空き地に足を踏み入れるが、どこを見まわしてもサラはおろか人の気配が全く感じられなかった。
その時だった。彼女の視界の端に、何かが風に煽られて転がった。
(これは……)
しゃがみ込んで拾い上げると、それはサラが被っていたハンティングキャップだった。帽子の縁に乾きかけた血の跡。
——言い知れぬ悪寒が全身を駆ける。
耳を澄ます。風に乗って、かすかに金属音が聞こえた。——そして、続けて銃声。エリカは即座に走り出した。奥の路地を越えた先、この空き地の裏手で何かが起きている。
聞こえてくる戦闘音が次第に大きくなる。
空き地の裏の路地を抜け、足を止めた瞬間、視界に飛び込んできたのは、赤い髪の少女——サラだった。
地面に転がり、必死に後退しながら、路地の角から飛び出してくる。それを追い詰めるように、ゆっくりともう一人、路地の角からトンファーを携えた黒い影が現れる。
その相手は、見間違えようもない。
「ソフィア……!」
黒髪の少女。シリウス管理局本部の特殊鎮圧部隊——ソフィア・クレイン。冷徹な眼光と、鋭い身のこなし。拳銃とトンファーを駆使し、獣のような間合いで獲物を狩る少女。
(なんで、ここに……)
サラは既に満身創痍なのか、地面を転がるようにソフィアの追撃をかわすが、エリカの姿を見つけると、一瞬驚いたような表情を見せた。
だがその隙を突かれ、サラの腹部に蹴りが叩き込まれる。転がるように倒れた彼女に、ソフィアが無感情な目で銃口を向けた。
「ノクスの構成員。排除する。それだけ」
「待って!」
エリカが思わず声を上げたのは、感情だったのか、それとも咄嗟の本能だったのか。
声に反応したソフィアが、素早くエリカへ銃口を向ける。その眼差しには驚きも戸惑いもない。ただ、冷たく、静かに、エリカの存在を認識しただけだった。
「エリカ・ノヴァ。今回、あなたは対象外。邪魔をするな」
エリカは、答えなかった。代わりに、サラの方へと視線を送る。彼女は苦しそうに息をしていたが、まだ意識はある。
(このまま見逃せば、サラは死ぬ。だが助ければ、私は“管理局のソフィアの敵、つまりは"管理局の敵"になる)
葛藤が、胸を貫いた。
でも——
(……目の前で、人が殺されるのを見過ごす。ソフィアの正義を認めるの?)
エリカは拳を握った。白い光が、右手に集まっていく。
(それは……できない)
「後で処罰されても構いません。私は、私の正義を貫く……これが私の正義ですから!」
彼女は地を蹴った。白の閃光が夕焼けを貫き、エリカはソフィアに向かって突進する。
二度目の”正義”をかけた戦いが、始まる。
どうも、クジャク公爵です。
第6章ですね。
皆さんは趣味はありますか?僕はゲームが大好きです。でも飽き性なのですぐに飽きちゃうんですよね。
なのでろくにプレイしてないゲームがいっぱいあります。しかもプレイしたいゲームもいっぱいです。
どうしよう。。。
え?本編に関係ない?そんなことないですよ?気づいてないだけかもしれないですよ?
まあ、あとがきなので覚えてなくても全然問題ないです。
今回の作品もお楽しみいただけていれば、幸いです。
また次回、お会いしましょう。