第15章 隣に立つ資格
放たれた熱線が空気を焼き、床を焦がす。
プラスチックを焦がした臭いが充満する中、ライアンは地面に伏していた。
蜘蛛型の兵器はなおも八本の脚で天井を脚で闊歩し、一歩ごとに機械的な駆動音を響かせる。
ライアンは顔認証による標的探知から逃れるために地面に伏したまま、次の手を考えていた。
(効かなかった……)
さきほど放った電気ショック弾は、金属装甲の表面を紫電とともに包み込んだものの、蜘蛛型兵器は怯むどころかそれ以降むしろ動きが俊敏になったようにさえ見えた。
「帯電装甲か、それとも……エネルギーを吸収した?」
ライアンは舌打ちした。そんな兵器が裏で造られていたという事実が何より腹立たしい。だが怒りよりも先に、冷たい汗が背中を伝っていた。
(やるなら、今だ。あいつを……エリカを、ここに巻き込むわけにはいかない)
思考の端に、エリカの姿が浮かぶ。戦えば彼女ならきっと勝てる。そんな確信に似た信頼が、彼の胸にあった。
だがその考えが、すぐに自己嫌悪にすり替わる。
(また頼るのか――俺は、あいつの隣に立ちたいだけなのに)
拳を握った。憧れなんかじゃない。ただ、隣に立ちたかった──戦友として。
「エリカ!」
短く呼びかけると、部屋の入口付近から振り返る影があった。手には焼け残っていた資料。だがその目は鋭く、彼の声に反応してすぐさま戻ろうとする気配を見せた。
「行け!別の部屋に、こいつの"主"がいるはずだ!」
「でも――!」
「大丈夫だ。……ここは、俺が引き受ける」
ライアンは立ち上がり、顔を上げた。天井に這う蜘蛛型兵器の首がギギギと回転し、頭部のカメラアイが赤く点滅する。標的を見つけたという合図。
エリカは立ち止まったまま、わずかに顔を伏せていた。ライアン一人に任せることの危険性を、誰よりも理解しているのは彼女だった。
だが、ライアンの声には迷いがなかった。だからこそ、言葉もまた、真っ直ぐだった。
「……無理は、しないで」
静かに、けれど真っ直ぐな言葉だった。
「絶対に……死なないでください」
ライアンは少しだけ笑い、その言葉を胸に刻んだ。
「わかってる。……そっちは任せた」
エリカが奥へと走り去った瞬間、蜘蛛の発する赤い光が、完全にライアンを捉える。
ブォン、と音を立てて熱線砲が起動した。
「っ、シールド!」
襲い来る死の気配に、咄嗟に左腕を前に構え、力を込める。左腕のエネルギーシールドの起動方法だ。
黄色い光が腕輪型の装置から展開し、盾のようにライアンの前に浮かぶ。
砲撃が床を抉り、壁を灼き切っていく。空気を溶かすような無骨な音が連続して響き、やがて盾へと着弾した。
「こいつ……火力、化け物かよ……!」
装甲も、シールド越しの熱も、すべてが常軌を逸している。
「ぐっ……!」
左腕が、じりじりと痺れてくる。焦げた布地の隙間からは、赤く爛れた肌が覗いていた。
だが、それでも足を止めるわけにはいかない。
(時間を稼げ。少しでも、エリカに先を進ませる……それが、今の俺の仕事だ)
照射時間に限りがあるのか、数秒で熱線は止まった。排熱のためか蜘蛛は蒸気とともに唸り声をあげる。
その機を逃さずライアンは立ち上がり、盾を全力展開したまま突進した。蜘蛛型兵器の真下へ潜り込むように滑り込み、全身でぶつかる。
その一瞬、敵がわずかにバランスを崩した。
「いけるッ!」
地面を蹴り、跳躍と同時に拳を振り上げる。黄色い光が拳を包み、盾だったエネルギーを圧縮して打撃に変える。
「シールドバッシュ……!」
駆動部にある装甲の隙間──狙った瞬間、敵の脚が鋼の弾丸のように迫っていた。振り抜いた腕に、鋼鉄がぶつかる感触と共に、皮膚が裂ける感覚。
「っあ、あああああっ!」
拳が、血を噴いた。光を込めた一撃でも装甲が割れることはなかった。
振り打ち払われた敵の脚が、天井を砕き、ライアンの横腹をかすめて吹き飛ばす。
「がっ、は……!」
空中で二回転し、壁に叩きつけられた。
視界が揺れる。耳鳴りが止まない。
それでも、立ち上がるしかない。立たなければ、あいつに届かない。
呼吸が荒れる。脚が震える。それでも、立つ。
蜘蛛型兵器は天井から飛び降り、轟音と同時に、砲門をライアンに向けた。
第二射。逃げ場はない。
ライアンは、血を流しながら左腕に力を込め、金色の盾を再び構えた。
それは、勝利のためではなく――ただ、生き延びるための抵抗だった。
耳を劈くような炸裂音が、室内の通路を焼き払った。
灼熱の光線が薙ぎ、空気が焼ける。盾に弾かれた熱のかけらが、周りの棚を溶かしていく。
もし一度でも直撃すれば、命は無い──それだけは確かだった。
白い蒸気の向こうに、異形の影が立っている。大きさは二メートルを超え、節くれだった金属の脚が地面を鈍く打ち鳴らしていた。
一切の揺らぎもない。まるで“設計された死”だ。対象を解析し、確実に仕留めるだけの合理性しかない。
何の音も発しないその機械が、首のような部位をわずかに動かした。背中に冷たい汗が走る。
その時、ライアンの眼は、兵器の首元にある一箇所を捉えていた。
熱線砲の直後、放熱装置を覆うあの装甲が──一瞬だけ開く。
「……あれか」
生きるチャンスは、次の一撃。ただ、それだけ。
背中を晒すように走り出した彼に、正確な照準が追いつく。
甲高い音とともに光が集束し──来る!
「──来いッ!!」
ライアンは振り向きざまに銃を構えた。放熱装置が開いた、次の瞬間だった。
弾丸が、焼き切るようにフィンへ突き刺さる。
金属が悲鳴を上げ、熱線砲が内部から崩れ落ちる。
爆ぜるような音と共に、兵器の首が揺れる。逃げ場のなくなった熱で焼け爛れた砲身の先は垂れ下がり、熱線砲全体が制御不能に陥っていた。
(……よし)
勝機を掴んだ。あの殺人光線はもう撃てず、兵器自体も制御を失って首を振るように暴れている。その様はまさに、死の間際の虫のようだった。
数秒ののち、怪物は停止した。全身のセンサーが光を失い、じたばたと動いていた脚が固まる。
「やったか……?」
……だが。それは終わりではなかった。
――ブォン!
蜘蛛の眼が赤い光を取り戻す。怪物は止まらなかった。
直後、爆音とともに跳躍した怪物は再び天井に取りついた。虚空を見つめるカメラアイは、それが今までとは違う行動をとることを暗に示す。
脚部の装甲の一部が展開し、そこから小型の球がばら撒かれた。
ライアンは一目見て、それが何か理解した。
「対人衝撃グレネード……だと!」
衝撃波と音により人間の平衡感覚と内蔵へ直接ダメージを与える対人間に特化した装備。暴走した能力者に対処する警邏部門でも使用することのある非殺傷性の武装だが、臓器にダメージを与える仕様上、後遺症が残る可能性が高く人道的ではないということで使用を控えられている装備だった。
理解するとほぼ同時に、ばら撒かれたグレネードが爆ぜる。
たったひとつでも内蔵を溶かすような激痛が襲う爆弾。それが辺り一面で散発的に爆ぜていた。
襲い来る衝撃の波に全身が痺れる。心臓が震え、胃を焦がし、内臓がすべて無くなってしまえばいいと思うほどの痛みに意識が滲む。
だが、それでも、ライアンは立った。
「……ざけんな……こんなとこで……終われるかよッ!」
さっきの一撃で焼け爛れた発射口──そこが唯一の急所。
銃を構え、叫びと共に駆ける。
「オオオオォォォッ――!」
一歩、踏みしめるごとに脚の骨が悲鳴を上げ、揺れた内蔵が破裂する。もはや、心臓や脳ですら正常な形で残っているのかわからない。
虚空を見つめたままだった怪物は、その接近に気づいたのか、二本の足を鋭く構えていた。
それでも反応する前に懐へと飛び込む。溶解した砲身に銃口を突き立て、引き金を連打した。
振りかぶられた鋼鉄の脚がライアンの頭部へと撃ち振るわれる、その時――
機構の奥で何かが爆ぜる音がした。破裂した金属片が火花を散らし、ライアンの頬をかすめていく。
最後の一発が、何かを穿つ感触を残して砲腔に消えた。
赤く輝いていた兵器の目が光を失う。胴体がよろめき、金属の悲鳴が轟いた。
キィィィという機械の断末魔とともに、ライアンに振り下ろされるはずだった脚が崩れ落ちる。
やがて怪物は天井から崩れ落ち、地面へと仰向けに落ちて動きを止めた。
――……止まった、のか?
不意に、腹の底から力が抜けた。力任せに押し込んでいた体勢が崩れ、その場に膝をつく。
前方の兵器は、完全に静止していた。光も動作音もない。ただ巨大な金属の塊がそこにあるだけだった。
無音が、研究所の空間を満たす。
ライアンは、肩で息をしながらその場に膝をついた。
心臓の鼓動はまだ戦闘中であるかのように速く、皮膚の内側で血が暴れていた。
だが――。
「……なんとか、なった……か……」
銃弾は限界まで消費されていた。もし照射機構を破壊できていなければ、自分が今ここに立っていることはなかっただろう。
冷却機構の展開――機械であるがゆえの動作パターンの単純さが、唯一の勝機だった。
冷たい鉄の死体を見下ろしながら、彼は静かに呟いた。
「……これで、隣に立てっ……かな……」
室温、摂氏33度。熱線により灼熱となった資料室の中、ライアンはそれでも、目を閉じてはいなかった。
どうも、クジャク公爵です。
15章です。
今までいぶし銀すぎる活躍をしてきたライアンのメイン回です。
いままで脇役でしたからね。下手したら敵よりも。
ここで重要なのは、”ライアンが強くなったわけではない”ということです。
あくまで、ライアンは根性とか、精神的な部分がネックなんですよね。
まあ、これ以降もどんどん活躍するはずなので、期待してお待ち下せえ!
今回の作品もお楽しみいただけていれば、幸いです。
評価・感想もらえれば空を飛んで喜びます。
良ければ、また次回、お会いしましょう。