第1章 シリウス・エッセンス
——カンッ——カンッ——カンッ——
夜明け前の都市。その高層区画を駆ける少女の足音が、金属の床に乾いたリズムを刻んでいた。
銀髪の少女、エリカ・ノヴァ。赤いラインの入った白の制服が風を切り、腰の通信端末が微かに揺れる。
「ライアン、対象の位置は?」
通信越しに、やや緊張した声が返ってきた。
「南ブロックD-12。工業区域の中央広場。熱反応は高い。避難は完了している」
「了解。正義に迷いはありません」
引き締められた口元と共に、エリカはビルの屋上から次の建物へ跳躍する。暗闇の中で長く束ねられた銀色のポニーテールがたなびき、眼下には無人の暗い街並みが広がっていた。
「……今回の暴走者は、元配送業の男。家族を事故で失った直後、感情の高まりで暴走。本人は今も家族を奪った加害者を探しているみたいだ」
「そういう情報、事前にくれると助かります」エリカは端末に応じた。「共感して手が緩むとでも思いましたか?」
「いや、お前が任務で私情を見せないのは知ってるよ。でも……なんか言いにくくてさ」
通信の相手はライアン・ダンパー。エリカの同僚であり、管理局で数少ない信頼できる人物。彼の理想は“正義に生きる”こと。だがそれが甘さになることを、エリカは何度も現場で目にしてきた。
「同情するだけなら、警邏部隊にいる意味がありません」
「でも、エリカもちゃんと同情はしてるんだろ。相棒やってりゃ、声色でわかるよ。」
「無駄口は不要です。任務なんですから」
彼の言葉に応じず、エリカは最後の跳躍を終えた。工業区域の広場に着地すると、目の前には蒼白い光に包まれた男が立っていた。
男の皮膚は亀裂のように輝き、怒りと哀しみが交錯する表情のまま、何かを呟いていた。聞き取れた言葉は——「……どこだ……娘を殺したやつは……」
「対象確認。制圧に移行します」
エリカは静かに告げ、前へ踏み出した。その目には、深く暗い色が滲む。
彼女の内心では——『この世界では、感情を抱くことが罪になるのかもしれない』という冷たい声が響いていた。けれど、口に出すことはない。今の自分に必要なのは、感情ではなく結果。
「私の正義って、こういうことですから」
そして、広場に閃光が走った。
白い閃光が広場を満たした瞬間、空気が歪み、地面が爆ぜた。エリカの放った衝撃波が、暴走した男の前方をえぐる。
だが、男は立っていた。蒼く光る皹が肌に走り、膨れ上がったシリウス・エッセンスが絶えず漏れ出ている。その目は、哀しみと怒りの感情で濁っていた。
「まだ足りない……俺の娘を奪った奴は、どこにいる……っ!!」
叫ぶと同時に、男の腕が弾けた。エッセンスが凝縮し、破壊の光となってエリカを貫こうと放たれる——が、その瞬間、横から鋼鉄の板のような黄色い光の障壁が現れ、エネルギーを受け止めた。
「間に合ったな!」
ライアン・ダンバーが建物の影から飛び出す。白を基調に赤のラインが走った制服、乱れたネクタイ、右手には展開型のエネルギーシールド。
「遅いです、ライアン。もう少しで被弾するところでした」
「すまん!でも、ここからは俺も本気出す。エリカ、後ろは任せた!」
「了解しました。連携も、任務達成の一部ですから」
エリカは淡々と応じながら、わずかに口元を緩めた。彼女の視線は敵に向けられたまま、周囲の遮蔽物と暴走者の立ち位置を瞬時に把握する。
ライアンは正面からエネルギーシールド敵の注意を引きつける形で前へと踏み出し、エリカは広場の西側から迂回して敵の背後に回り込む。
爆発の余韻がまだ地面に残るなか、二人の連携は迷いなく、正確だった。
男の攻撃は粗雑だが、威力は凄まじい。暴走した能力者がもたらすのはただの混乱ではない。都市機能を停止させ、民間インフラを破壊し、人々の心を折る。それはまさに、社会に対する無差別の暴力。
「止まってください」
エリカの手のひらが白く光る。再び放たれた衝撃波が男の体勢を崩し、その隙をついてライアンが跳び込んだ。
「悪いけど、ここで止まってもらうぜッ!」
男の腹部にシールドが叩き込まれる。瞬間、暴走の光が一瞬鈍り、エリカがその隙を逃さず、男の背後から純白の光に包まれた拳を叩き込む。
蒼白い光が爆ぜ、男の体が地に崩れ落ちる。
「……終了。対象の意識喪失を確認しました。.............これは?」
地面に転がる男の傍らに、小さく透き通った水晶のような物体が転がっていた。
「やっぱり今回も出たな。これが“シリウスの涙”か……」
ライアンがそれを拾い、掌で転がすように眺める。その表情に迷いが浮かぶ。
「こんなに綺麗なのに、悲しみの結晶か……」
「ライアン、それは......なんですか?」
「”シリウスの涙”だ。暴走した能力者から生まれるシリウス・エッセンスの結晶らしい。きれいなだけで何の価値もないらしいが、証拠品とのことで本部から見つけ次第回収命令が出てるんだ。......初めて見たのか?」
能力者―――手や全身から光を発して超常的なエネルギーを行使する人間。具体的な仕組みは解明されていないらしいが、生まれながらに体内にシリウス・エッセンスと呼ばれる物質を持ち、不思議な力を扱える。
だが、その分危険も多く、特に『暴走』した能力者は、もはや兵器と化す。
エリカは、一瞬何かを思い出すように結晶を見つめたが、すぐに小さく首を振った。
「それがなにかは知りませんが、無関係な人々を傷つけていい理由にはなりません」
エリカは冷ややかに言い放ち、空を仰いだ。宵闇の風に揺れる銀色のポニーテールは、まだ少女の心を残していた。
「収束まであと数時間……でしょうか」
後処理部隊の仮設作戦拠点での簡易な状況報告を終えたエリカは、戦闘の余波が残る広場をぼんやりと眺めて静かに呟いた。淡く揺れる救護班の灯りが、彼女の銀髪と制服をかすかに照らす。現場には既に応急処置用のドローンが散開し、倒れた男の搬送準備が進んでいた。
「……やっぱり、今回の件も処理報告で終わるのかな」
ライアンの声は、どこか腑に落ちないものを抱えていた。彼の顔には汗と煤が残り、シールド展開の負荷からか右手がかすかに震えている。
「報告は私がまとめます。あなたは先に休んでください」
「でもエリカ、なんか…毎回こういうのって違和感ないか?」
彼女は答えず、代わりに小型端末に指を滑らせた。画面には暴走者の生体データ、現場記録、そして生成されたシリウスの涙の座標情報が並んでいる。
「ライアン。私たちが扱っているのは、人の“感情”が引き金になった災害です。そこに感情で向き合うのは……危険です」
暴走は、昂ぶる感情により体内にあるシリウス・エッセンスが制御不能に陥った状態。
怒り、悲しみ、憎しみ——そうした感情が制御を失わせ、力は増幅され、破壊力は跳ね上がる。能力によっては街ひとつを吹き飛ばすことすら可能だって話だ。
「でも、感情が原因なら、感情で救える方法だって——」
「感情で救えるのなら、今ここに倒れている人はいなかったはずです」
エリカの声は硬く、明確だった。だがその目には、わずかに影が差している。
「……正論だな。でも、なんか違う気がして」
ライアンはぽつりと呟き、拳を握り直す。彼のような“理想主義者”は、きっとこうして何度も傷つくのだろうとエリカは思った。
「管理局本部に戻りましょう。正式な報告と、回収された涙の提出があります」
「了解。……あ、そうだ。今日の昼、ヴァルデスの件で通達が出てたぞ。閲覧制限付きのやつ」
エリカの足が、わずかに止まった。
「内容は?」
「詳細は俺も読めてない。けど、“元局員の死亡確認に関する内部調査”ってタイトルだった」
——やはり、管理局は動いている。
エリカの脳裏に、かつての養父ヴァルデスの背中が過った。裏切り者として闇に消えた男。だがエリカにとっては、今もなお、憧れであり、目標だった。
(もし、この件が表沙汰になれば……)
「気をつけた方がいいかもしれない。お前がヴァルデスと関係あるって、知ってる人は少ないけど——」
「関係ありません」
エリカは遮るように答え、歩き出した。
それは、自身の正しさを信じるための言葉。そして、過去を切り離すための仮面だった。
制圧任務から数時間後。管理局の仮設作戦拠点に戻ったエリカとライアンは、冷えた夜の空気に包まれたまま、それぞれの端末に報告データを入力していた。
「ふう……こういう書類仕事って、どうしてこんなに時間がかかるんだろうな」
苦笑を浮かべながら、ライアンが背もたれに体を預ける。仮設のテント内部には簡易照明が吊るされており、静寂が二人を包んでいた。
「記録が曖昧だと、後で誰かが困ります。全て事実に基づいた記録を残すべきです」
「だろうけどさぁ……」
ライアンの愚痴にエリカは目を上げず、淡々とキーボードを叩き続けていた。彼女の端末画面には、今回の暴走者に関するデータと、戦闘の記録が冷徹に並んでいる。
男の名前、年齢、職業、家族構成。
そして、暴走に至った経緯——
「……家族を事故で失ってから三日後に暴走……。対応が遅れたのが悔やまれます」
「対応って……いや、これ以上は誰にもどうにもできなかっただろ」
「それでも、です。兆候を見逃したのは、我々の責任でもありますから」
ライアンは言葉に詰まった。
エリカの目は冷静だったが、その奥にうっすらとした苛立ちのようなものが見えた。だが、それが誰に向けられているのかは、彼女自身にもわからなかった。
ライアンは立ち上がり、エリカの端末の傍に歩み寄った。
「さっき、あの人の最後の言葉……覚えてる?」
「『娘を返せ』……ですね」
「そう。……なあ、エリカ。仮に、君が同じ立場だったら——」
「私は暴走しません」
エリカの答えは即答だった。目線をライアンに向けず、手を止めず、ただ淡々と。
「どんなに怒っても、悲しくても。自分を制御できない者は、力を持つべきではありません」
「……でも、それってあまりにも……人間らしくない、っていうかさ」
エリカはわずかに指を止めた。だが、顔は変わらない。
「私は、感情よりも正しさを選びます。それが——」
一拍置いて、エリカは小さく、しかしはっきりと言った。
「私の……"正義"ですから」
沈黙が落ちた。
遠く、外の空気を裂くように警報音が鳴り響いた。
「……緊急通達、ですね」
エリカが素早く端末を閉じ、立ち上がる。その顔にはもう、さきほどまでの葛藤の影はない。
ライアンも肩を竦めて、手早く装備を整えた。
「まったく……休む暇もないんだよな」
仮設テントの幕が開き、ふたりは次の現場へと向かう。
沈黙の帳は、またしても破られた。
どうも、クジャク公爵です。
本作が初投稿となります。
世界観とキャラクターを理解してもらおうとしていたら、結構話の起伏が少ないかもですね.....
でも!次章ではもっと勢いのある展開になっていますので、今回はお試しということで許して!
今回の作品もお楽しみいただけていれば、幸いです。
評価や感想、気になる点など、どんなコメントもお待ちしておりますので、
ぜひ一言でも記載いただけると嬉しいです!
ではまた次回、お会いしましょう。