マハラリィの花10
長丁場を覚悟し、兵士たちは野営の準備を始めた。
四人には近隣の民家が割り当てられた。
荒野の魔女の犠牲者の家で、広さだけは田舎の地主風だが、内情は貧しく、諸々の手入れを諦めていた。おじいさんとおばあさんは、「泊めるのは構わないが、食べさせるものがない。」と申し訳なさそうに言った。
「じゃぁ、買い出しに行ってくるわ。」とリリスが言った。
買い出し!?
メルトは目を輝かせた。
「だったら、僕、荷物持ちする!」
「いや、荷物持ちをするなら私の方が適任だろう。」とトマス。
「ヘレン様とメルティだけにしてはダメよ。ちゃんと大人がついてないと。」
そのようにハロルド王子に言われている。
「だったら、私一人で行って来よう。」
トマスが言った。一見紳士風。
しかしリリスは疑いの目を向ける。
「トマス。あなた、食材の買い出しなんてしたことある?支払いはどうするつもり?」
「えっと……食材は買ったことないかな、支払いは小切手で。」
借り物の軍服のポケットから小切手帳を出して見せた。
「はい、却下。即、却下。」
リリスは王妃からヘメロカリスの硬貨を渡されていた。
「私も市場に行ってみたいわ。これを逃せば二度と行けないかもしれない。リリス、駄目かしら?」
「リリス、駄目かな?」
「リリス、駄目だろうか?」
トマス、お前もか。
リリスは大きな溜息をついた。
「もう、仕方がないな。」
「「「やったー!」」」
都合のいいことに、リリスとトマスは借り物の軍服を着ている。
メルトと王女は動きやすくて地味な服装をしているが、それでも市井では目立つ。
兵士が要人の子女の警護をしているように見せることができる。帯剣もしているし、危険は少ない。
市場は少し寂れていた。国境の市場なら人や物資が集まりそうだが、魅了の魔女が影を落としていた。
ただ食料や日用品を買うくらいなら問題はない。
リリスは露店を回って、じゃが芋、人参、玉ねぎ、キャベツ、日持ちのしそうなものを買っていく。
メルトが注意散漫で周りに気を取られている。
「何か探しているの?」
トマスは、後ろから声をかけた。
「うん。姉さまのお土産。何かいい物はないかなと思って。」
「無いだろう、ここじゃ。」
トマスが苦笑した。
「物は何でもいいんだよ。お土産の意味は、『離れていてもあなたのことを忘れていません』って伝えることなんだから。それに、こういう所の方が姉さまには新鮮だと思う。」
トマスも王女も、なるほどと思い、真似することにした。
しかし、一番最初に欲しいものを見つけたのはトマスだった。
トマスは家禽を売っている露店の前で足を止めた。
「リリス(ママン)!これがいい。これ買って!」
異変を察知した一匹が大きな声で鳴きだし、つられて他の鳥も鳴きだした。
グワッグワア!コケコッコー!騒がしい。
「すみません。あの一番元気なガチョウをください。」
トマスが言った。
おじさんが籠ごと持ち上げると、驚いたガチョウが、けたたましく鳴いた。
どん引きする三人に、トマスがにっこり笑って言う。
「ガチョウは最高なんだぞ。夜警として優秀なうえに雑草を食べるから飼料もいらない。
卵も産むし、食料にもなる。」
グワァグワグワ、グワァァアアア!!!
なるほど、間違いない……トマスが持つなら問題ないかな。
次に乾物屋に入った。
煩いトマスは店の前で待機。メルトも店の中を見て回る。ドライフルーツはどことなく可愛らしいし、乾燥豆はビーズ玉に似ている。
その様子を見て店主のおばちゃんが話しかけた。「何が欲しいんだい?」
メルトは言葉がわからず首を傾げた。
王女が代わりに答える。「お土産を探しています。珍しくて、可愛いものがいいわ。」
「それなら、いいものがある。手を出してごらん。」
ポケットから何かを取り出して、メルトの手に置いた。
干からびたグリンピース?が3粒。何だこれ?
「とっても可愛い花が咲くんだよ。しかも実もなる。最高だろう?」
「可愛いお花が咲くの!?素敵ね。」
王女が喜んでいる。
喜んでいるなら、まぁいいか。
民家に戻ると、トマスはガチョウを庭に放した。
メルトは庭先に種を1粒埋めてみた。こんなシワシワで本当に芽が出るか怪しい。
魔法で水をたっぷりあげてみる。
念のためガチョウ避けも作っておこう。
立ち上って、もう一度、場所の確認のつもりで視線を落とす。
芽が出ている。「え?」
茎が伸びた。「え?」
つぼみが膨らんだ。「え?」
花が開いた。「え?」
ピンクの小妖精が生まれた。「えぇ!?」
騒がしいメルトの様子見に王女が顔をだした。
尻餅をついたメルトの周りを小妖精がパタパタと飛んで、その後をガチョウがグワグワ追いかけている。王女がそっと手を差し出すと、小妖精はその手に止まって、ほっと一息ついた。
「まぁ、可愛いい。メルティ、この子に名前をつけてもいいかしら?」
豆は一年草だし、小妖精は力が弱い。
「ずっと付き纏われてもいいなら、どうぞ。」
「豆の妖精だから、あなたの名前はピー。よろしくね、ピーちゃん。」
「ピィピィ」
ピーちゃんも喜んでいる。
みんなで夕食を作った。
丁度6人掛けのテーブルにポトフとパンとオレンジを並べて、食べながら荒野の魔女について話し合った。
「魔女には近づけないと思う。魔法の種類にもよるけど、僕の場合だとね、攻撃を認識すれば防衛本能で魔法が発動する。」とメルト。
「私も。悩み事があると、スープやお茶に勝手に未来が映るわ。」と王女。
「つまり、館から出てきた被害者を捕まえるしかないってことだな。」とトマス。
「果てしないわね。」とリリス。
「意外とそうでもないかもよ。あれだけの人数がいて自給自足できているなんて、ちょっと考え難い。」とトマス。
だが、王太子が最後まで盾にされることは容易に想像がつく。
沈黙が流れて、王女は慌ててスープを飲み干した。
傍でピーちゃんが美味しそうにオレンジを齧っていた。
その後、メルトはみんなにお風呂を提供して、男子部屋で軍支給の毛布にくるまった。
疲れているはずなのになかなか寝付けない。
「眠れないのか?」トマスが聞いた。
「うん。お布団がないときは、いつもルルと一緒だったんだよね。」
「ルルって誰?」
「熊みたいな猫。」
連れてこればよかった。
「凶器だな。仕方ない、添い寝してあげるよ。」
にやけ顔で片腕を差し出した。
「バッカ。こう見えて僕は大人なんだぞ。」
トマスがププッと笑った。
メルトがうつらうつらしていると、遠くで木枯らしが吹くような風鳴りを聞いた。
でもこの辺りは無風だったはず。耳を澄ますと、高音で悲しげな旋律を歌う歌声だと気づいた。
思わずトマスを呼んだ。歌声は、波のように寄せては引いてを繰り返す。
女子部屋が騒がしくなった。
様子を見に行くと、ピーちゃんが部屋の中を忙しなく飛んでいる。
小さな発光体が暗がりを飛ぶ様子は死者の魂を連想させる。
何が起きているのだろう?戸惑っていると、庭のガチョウがけたたましいく鳴きだした。
玄関扉が激しく叩かれる。
「大魔法使い様、お助けください!」
軍で何かが起きたのだ。
全てはつながっているのだろうか。今はまだ何もわからない。
「リリス、ヘレン様、どうかここにいてください。」
トマスは言った。
足手纏にはなりたくない。王女は言う。
「くれぐれも気を付けてください。」
新月の空に、星だけが冷たく瞬いていた。
歌声は途切れない。
恐ろしく美しく、そして底知れず不気味だ。
誰かが闇の中から僕等をじっと見ていて、隙あらば引きずり込もうとしている。
そんな恐怖に抗いながら、ランプの火だけを頼りに馬を進めた。
野営地の篝火は消え、怒声、悲鳴、剣戟音、乱闘音が入り乱れている。
暗くて状況がわからない。
――― 清祓の火よ 照らせ、焔
大きな火球を野営地の上に作り、辺りを照らした。
火球を見上げる者もいれば、争いを続ける者もいる。
火球の始末に困って魔力の圧縮を解くと、万の火の粉が飛び散った。
「このバカ魔法使い!俺たちを焼き殺す気か!」
逃げようとする人は正常な人。
メルトは詰め寄る兵士を無視して地面に手を置いた。
――― 凍上
地面が割れてせり上がる。猶予は与えた。
無秩序な集団を囲むイメージでさらに地面に魔法を叩き込む。
柱状の氷が伸びて、兵士たちは氷の箱に捕らわれた形なった。
魅了の魔法にかかっていない、ただ逃げ遅れただけの兵士もいるだろう。
だが、
――― 清めの水よ、洗い流せ 黒雨
氷の箱の上にだけ大量の雨を降らせた。
「おい、止めろ。仲間に何をする!」兵士が詰め寄った。
トマスがメルトを庇う。
「誰も傷つけずに全員を助けろとでも言うつもりか?
自分ができないのに他人に要求し過ぎだ。」
「何を!?お前には関係ないだろう?」
剣を片手にすごんだ。
「あるに決まってる!」
トマスも柄に手を掛けた。
こんな無意味な争いでトマスが傷つく必要はない。
「待って、トマス。」メルトはトマスの腕を引っ張った。
「悪いけど、僕の魔法は一度手を離れると魔力の素を使い果たすまで止められない。
これでも、水魔法は僕の魔法の中では一番人に優しいんだよ。
もし、あなた方が敵を選別してくれたなら、僕だってピンポイントで攻撃できたんだけど。
こんな風に。」
氷が地面を伝い男の足を這い上がった。
「うわっ!?足が、足が!・・・化け物め!」
「ははっ。よく言われる。」
乾いた声で言った。
夜が白んできたので大きな霜柱に雪の階段を作って上に上り、きれいな朝日を眺めた。
いつの間にか歌声は止んでいた。
一体あれは何だったのだろう。不幸の前触れみたいなものだったのだろうか。
モーリスが階段を上がって来た。
モーリスは軍人ではないので、メルトたちと同様に近くの民家に宿泊していた。
「おはよう、メルト。昨晩は大活躍だったんだって?」
睡眠十分といった顔をしている。
「モーリスさんは、よく眠れたみたいでよかったですね。」
僕の体に徹夜なんてまだ早いのに、周りが全員敵に思えて、うたた寝をすることもできなかった。
モーリスが眼下を見渡して言った。
「皆さん体力を奪われて動けませんね。でも、多くの者は生きている。
あなたの判断は間違っていなかったということです。
さぁ、救助をしないといけません。魔法を解いてください。」
「だから。僕の魔法は出したり引っ込めたりできないの。」
「えー?不便ですね。」
間の抜けた声で言った。どいつもこいつも全くもう。
数か所氷を溶かした。
難を逃れた兵士たちは、上裸になって、横たわる兵士たちの人定を行った。
大隊に組み込まれていなかった者は手首を縛ってから手当をした。
ほとんどが大隊の兵士で魔女の手先は少ししかいなかった。
野営地の端でトマスと木に寄りかかっていると、一通り状況確認を終えたモーリスが来た。
「死者にはみな刀傷があったよ。やはり、君の判断は正しかった。」
「そうですか。」
刀傷があっても、雨に打たれなければ生きていたかもしれない。
モーリスは、しゃがんで兵士たちの作業風景を眺めた。
「食料が全部ダメになった。病気も広がりかねない。一度引くべきかな?」
「かもですね。」
モーリスは湿気た地面に直に腰を下ろした。
「アハハ。人は皆、私が王になりたくてマキシムを嵌めたと言うだろうな。
あーぁ。世の中、王様になりたい奴ばっかりじゃないのになぁ。」
モーリスは王の私生子だった。
作戦の継続の判断は、かなり繊細な内政判断になる。
「メルト。魔女は昨晩のあらましを知ているかもしれない。
僕が魔女なら、今すぐ荒れ地を捨てて逃げるか、さもなければ君を狙う。
これ以上は危険だ。」
トマスは真剣に言った。
「おーい、メルティ!トマス!朝ごはん持ってきたよ!」
リリスの声がした。
メルトたちは王女たちに手を振った。ピーちゃんもいる。
トマスは二人に惨状を説明して、潮時だと告げた。
四人とモーリスは、最初に荒野を見下ろした場所まで下りて朝食を広げた。
ガチョウの卵のスペイン風オムレツ。
「リリスちゃんが作ったの?それともヘレンちゃん?」
モーリスが馴れ馴れしい。
「私が卵を割りましたの。生まれて初めて卵を割ったんです。
しかも、かき混ぜました!
あ、でも、じゃが芋の皮を剥いたのはおばあさんで、焼いたのはリリスですけど。」
興奮気味に話し始めて、最後の方は声が小さくなった。
「うわぁー!王女様の手料理、食べちゃった♡」
モーリスは王女の自尊心を守った。
王女とリリスは新しく仕入れた情報を披露した。
情報源はピーちゃんとおじいさんとおばあさん。ピーちゃんは一晩で言葉を話すようになった。
あの美しい声の主は妖精女王だいう。妖精というのは異界の住人だが、美しいものを好み、花畑や、丘や、湖などに姿を現す。妖精が異界と現世の行き来を繰り返すと、異界と現世の境界が薄すれ、美しい場所は更に美しく、この世のものからかけ離れていく。
眼下に広がる荒野もかつてはそうした花畑の一つだった。
魅了の魔女が花畑は浸食し始めると、妖精女王は花畑を守るために魔女に妖精の軍団を差し向けた。
しかし軍勢は逆に魅了の魔法に掛けられ、まるっと奪われてしまった。
妖精女王は軍団の帰還を求めて毎日歌った。
おじいさんたちの息子が攫われたときも歌声は聞こえていた。息子には歌の上手い妻がいた。
ある黄昏時、妻は花畑で妖精女王の歌をなぞるように歌って、忽然と姿を消した。
妻の歌声は妖精のものと聞き違えるほど美しかったので、女王が間違えて異界の入口を開けたのだと言われている。
妖精女王はもう随分前に歌うのを止めた。
それにも拘らず、また歌い始めたのは、妖精女王が魔法を切り裂く風の剣を作って、それを持つに相応しい者を探しているからだという。
魅了の魔法が洗い流されたことを知り、資格のある者が近くに来ていると考えたのだ。
「異界の剣といえば、ジョンの剣だ。だからあり得ない話ではないけど。
お嫁さんは帰ってこなかったんでしょ?
僕たちも死んだ母さまの導きがなければ帰って来られなかった。危険だと思う。」とメルト。
「でも、妖精女王は魔女を退治して欲しがっているわ。資格ある者が戻らなければ意味がない。」とリリス。
「それは僕らの中に選ばれし者がいるっていう前提だよね。どうやったらそう思い込めるのかな?」とトマス。
「再び歌いだしたのは今です。あんな頼りない軍に、妖精女王の剣を振るうに相応しい方がいると思いますか。」と王女。
「手厳しいな。」とモーリス。
どうしても行くと言うのなら「だったら僕が行く。僕は異界に行って帰って来た。」
メルトの魔法に反応したのならメルトが行くのが筋だろう。
「それはダメ。もともと殿下を助けたいと言いだしたのは私です。
私の我儘でメルティが戻らなかったら、お兄様にもマリア様にも合わせる顔がないわ。」
「だったら私が行こう。」とモーリス。
「それもダメ。風の剣は渡しません。行くのは私、それとトマスです。」
「「「「はっ!?」」」」
「私、トマスを勇者にしてみせます!」
キリッ!
メルトは、魅了の魔法との相性はあまりよくないが、軍を守る力がある。
王女が自ら行くと決めた時点で、トマスに選択権はなかった。
黄昏時、妖精女王が歌いだし、四人と一匹は荒野に下りた。
「いい?二人とも、異界では時の流れる速さが違う。だから早く帰ることを心がけて。
たとえ長い時間が経ったと思っても、帰ることを諦めないで。絶対、絶対、約束だよ。」
メルトは言った。
トマスは答える。
「一日だ。一日だけ待って戻らなかったら、二人はカサブランカへ帰るんだ。
ズルズルと留まれば、ロクなことにならない。リリス頼んだ。」
リリスは頷く。
「ヘレン様、必ずお戻りになると信じております。どうかご無事で。」
「私たちは必ず戻ります。心配しないで。」
王女はリリスを抱きしめた。
王女はトマスの腕に手を置いた。
メルトはリリスの腕を引いて二人から距離を取る。
王女は深呼吸をすると、妖精女王の声に耳を澄ませ、声を重ねた。
――― なんて私は哀れなの
日が昇る前に あなたのところへ行きたい
土が枕なら花は寝床 星屑は灯火
あなたのところへ行けたらいいのに
あなたと一緒に行けたらいいのに
歌声が重なった瞬間、空気がわずかに震えた。
黄昏色の膜が辺りを覆い、荒野の色が一つ薄くなった。
境界が開いたのだと、誰もが直感した。
王女はトマスの腕を強く握りしめ、震える声を必死に保ちながら歌い続けた。
黄昏色はゆっくりと輝きを増し、光の層が二人の輪郭を包み込む。
光が満ち、影が薄れ、二人の姿は溶けていった。
本当に行ってしまった。
上手く書けなくて1回お休みをしてしまいました。そのせいでちょっと長めです。ガチョウの話はもう少し圧縮してもよかったかな。普通は犬を夜警に使いますが(日本も同じで歴史資料によくでてきます。)、西洋ではガチョウも使いました。ヘメロカリス軍はそれすらしなかったってことです。
最後の歌は、 Ailein Duinnという スコットランドの古い挽歌を下敷きにしています。もとの歌詞は、海に沈んだ恋人アレンのところに行きたいという内容です。他にも色々なケルト圏の悲恋歌に目を通しました。全部恋人が亡くなっちゃった歌ですけど、聞き比べや歌詞比べをするのも面白いです。Siuil A Runは美しいです。Scarborough Fair はハーブの名前が呪文のように出てきますが、それらすべてに呪術的意味があります。ハムレットのオフィーリアでも「ローズマリーは記憶のため」と言いますよね。The Unquiet Graveは墓の下の恋人と会話をしている形式です。She Moved Through the Fairは可愛らしい。 Barbara Allen はマザーグースぽさがありました。海と戦争で亡くなっていることが多いんですよね。そういうことが多かったのかなと想像します。こんなことをしているので全然筆が進まないのです!




