マハラリィの花11
厚い霧が王女とトマスを飲み込み、通り過ぎ、二人は丘に立っていた。なだらかな丘はどこまでも続く。踝ほどの背丈の草が地を覆い、ところどころに白い野花と地を這う薄紫の小花、時折黄色い低木の花が咲いている。世界が妙に白っぽい。空は真珠色の膜を張ったように淡く、太陽がないのに足下には薄い影が落ちていた。無音。
「ここが、異界?」王女の声が静寂に飲み込まれて消える。
「・・・早く妖精女王を探しましょう。」トマスは気味が悪いという言葉を飲み込んだ。
目の前の丘を登る。一番高いところまで登ると、異様な光景が目に入った。なだらかな下り斜面一面に無数の剣が刺さっていて、そのすべてが不思議と強い反射光を放っている。光は張り付いたように瞬きも揺れもしない。
「これは・・・。」
「行ってみましょうよ。私たちは剣を求めて来たのですから。」
剣は剣身を下にして乱雑に刺さっている。種類も装飾も統一性がなく、新品のように見えるものも使用した痕跡があるものもある。何か共通する点があるとすれば、美しいということだろうか。現世にあれば、どれも宝物扱いを受けるだろう。
林立した剣の間を抜けた先で、妖精女王が横たわっていた。さながら眠れる森の美女のようだが、羽だけでなく体も衣服もティアラまでも全てが半透明に透けていた。
王女は躊躇いながらも声をかけた。「もしもし、妖精さん。お休みのところ大変申し訳ないのですが・・・。」
クカッ。妖精女王が目を見開き、ギョロッと王女を視界にとらえた。
「あぁ。また養分が来た。」
王女とトマスが異界に消えて後、モーリスはメルトとリリスを自分の近くに置いて二人の安全を図った。大隊は魔女の館を包囲することに決めていた。
大隊は夜襲を警戒して全軍武装のまま夜を明かした。メルトは睡魔に負けてリリスにもたれかかって眠ってしまったが、リリスは王女が心配で眠れなかった。
夜明け前、居並ぶ大隊にモーリスは言った。
「ヘメロカリスの戦友たちよ。敵は、ただ一人、彷徨える老女にすぎない。
我らは王国の守護者であり、この大地の正当な主である。
数でも地の利でも、我々が勝っている。奴を包囲し、追い詰め、必ずや王国の未来を取り返そう。
あの身の程知らずな侵略者に、目に物を見せてやろうじゃないか。王の軍勢がいかなるものかを思い知らせよう!」
大隊は魔女の館を取り囲もうと広がっていく。多少弱った軍勢ではあるが、数に頼って籠城戦に持ち込むのならなんとかなるだろう。
左翼と右翼の端が互いに相手の姿を見とめた辺りで、館から多数の兵士が現れて大隊の包囲を妨げに動いた。魔女の手下は大隊の右翼を崩すつもりだ。大隊はそれに合わせて右へ右へと動いていく。しかし、館を包囲網の内に入れておかなければならないので、大隊は伸びた。敵の中に王太子がいないことを確認しても、なお非情になりきれないでいる。
「よくないわね。」リリスが言った。メルトとリリスはモーリスと一緒に中央にいた。
誰も傷つけずに全員を助けられるならそれが一番いい。でも現実はそんなに甘くない。館から新手の少数部隊が出た。今度は中央突破しようと突進してくる。大隊は中央を守ろうと左翼から兵士が移動し始めた。
「限界だと思う。」メルトは言った。きっと魔女は手薄になった左翼から逃げるつもりだ。
「了解。援護するわ。」
メルトは威嚇のために剣に炎を纏わせた。それでも振り下ろされる刃をリリスが振り払い、戦闘の渦を潜り抜け、包囲の内側に入た。敵から見れば二人は本陣に突っ込もうとしているように見えたことだろう。被害を最小限にするために、少しだけ集中したい。リリスに敵を預けた。ポニーテールが視界の端で揺れている。
――― 一枚目雪嵐 二枚目音無しの雪 三枚目しまり雪 四枚目音無しの雪 五枚目ざらめ雪 拒め、氷板層
館をぐるりと高い壁で取り囲んだ。これで安心して魔女の手下となった仲間の捕獲に注力できる。捕獲に数時間を要した。
これからは魔女との交渉になるだろう。メルトたちと司令部は壁の上に上った。壁は二階建ての建物くらいの高さがあるが、最上部はざらめ雪にしたので滑りにくくて歩きやすい。館は、やはり全体的にキラキラしている。
「このキラキラは妖精のせいだね。」メルトは妖精の羽からこぼれる鱗粉を思い浮かべた。
「妖精も、魔女の手先になってしまっているのかしら?」とリリス。
「妖精って何ができるんだい?」とモーリス。
「妖精といっても、王じゃなければ、それほど凄いことはできないと思うけど。」メルトも妖精の軍団というものに遭遇したことがないのでよくわからない。
館の中から魔女が出てきた。もちろん王太子を侍らせている。派手な青いドレスに赤毛の髪を一つにまとめ、大輪の忘れ草の花を髪に挿していた。魔女は雪の上の敵をざっと見渡してから、メルトに目を向け、にっこり笑った。「まぁ、可愛らしい。しかもあなたは素晴らしい。」
手を上げてパチンと指を鳴らした。ここまでは届かないはずだった。もし届くようなら、また洗い流せばいい。そう思っていた。洋館の周りのキラキラが一斉に剥がれて魔女の指先に集まって、魔法を纏うとメルトめがけて飛んだ。風が起きて魔法は高い場所まで運ばれた。何が起きたかわからないうちに、メルトも、近くにいたモーリスもリリスも一緒に魅了の魔法を浴びた。
「あら。私、女の子はいらないの。死んでいいわよ。」魔女が指で弾く真似をするとリリスは壁の外側に落下した。
「痛ーい。」けど死んでない。
そんなことより大変なことになった。慌ててもといた場所を見上げると、メルトが大きな炎を壁一面に広げている。雪魔法と火魔法どちらが強いかな?みたいな。偉い人たちが慌てて飛び降りている。
「何てこと!?」
「アハハハハ!この子がいれば、もうみんな要らないくらいだわね。」魔女は高笑いした。
「おいで、坊や。」魔女に呼ばれて、壁の内側へぴょんと飛び降りる。「まぁ。若いっていいわねぇ。」
メルトは魔女に言われるままに、手加減なしの氷柱を打ち込み壁を崩落させた。そこから残りの兵士が全て打って出た。その後から、王太子にエスコートされた魔女がメルトの手を引いて悠々と姿を現す。
「あぁ、なんて最悪!ヘレン様にもマリア様にもなんて言えばいいのよ!」リリスは叫んでいた。大隊は疲労と恐怖で戦意を失ってしまっている。
「このまま逃げてもいいんだけど、ここは私のお気に入りなの。」
魔女が指を掲げると、妖精軍団が魔女の周りに集った。パチンと指を鳴らすと妖精たちが魔法を浴びた体で大隊の上を飛び違った。
「さぁ、一番の兵は誰かしら?」魔女が言うと兵士は互いに刃を向け合った。
一回でばら撒ける魔法には限界があり、魔法にかからなかった者もいた。リリスもかからなかった。操られた兵士がリリスを容赦なく襲う。
「モーリスさん、しっかりしてください!」リリスがモーリスの剣を自分の剣で受けると、モーリスと目が合った。モーリスの目から涙が流れた。「なんて惨い。」
幸いなことに、モーリスは剣の達人ではない。リリスは脇腹に回し蹴りを入れてモーリスから離れた。連れて逃げたいけれど、そうするには力不足だった。
リリスは戦場から離脱し、少し離れたところから乱闘を見つめた。日はもう傾いている。
「早く帰ってきてください。ヘレン様。」口に出して言うと、自分の無力が際立って涙が溢れた。
――― あの丘に行けたなら
涙の尽きるまで 泣きましょう
涙で水車が回るほどに
どうか ご無事でありますように
糸巻棒も糸巻も糸車も
すべて売ってしまいましょう
あなたの剣を買うために
どうか ご無事でありますように
どうか どうか 祈っています
あなたが戻ってくることを
どうか ご無事でありますように ―――
リリスが歌い終わると同時に、一陣の風が宙を切り裂いた。
トマスと王女は魔女の真ん前に飛び出した。境界に辿り着いたのはリリスの歌の導きがあったからで、現世に帰って来たのがこの場所なのは、妖精女王の加護があったからだ。
「メルト、こっちに来い!」トマスが手を伸ばした。
メルトの顔がぱっと明るくなった。
「坊や、やっておしまいなさい。」魔女が囁く。メルトの目に涙が浮かぶ。手が勝手に氷柱を作った。
そんなの嫌だ、絶対嫌。「ダメ!逃げて!!!」
叫んだのは氷柱を投げるのと同時だった。
パリン。
トマスは氷柱を切り落とし、そのまま魔女に斬りかかった。立ち止まってはいけない。今が最大の好機なのだから。魔女は咄嗟に魅了の魔法を発動させた。妖精女王の剣は魔法を切る風の剣だ。トマスはそのまま間合いを詰めて魔女の心臓を貫いた。魔女はその場に崩れ落ちた。
光の粒がそこら中から立ち昇り、一点に集束し、異界に向けて飛び去った。妖精が起こした風は花風となって荒野を吹き渡った。
「メルティ!」
「うわ――ん!ヘレン様!トマス!ごめんなさい。」号泣。
「頑張ったわね、メルティ。」よしよし。
「頑張ったな、メルト。」
トマスは、魔女から剣を抜こうとして、魔女の足元が地面に氷漬けになっていることに気が付いた。王太子の足元もまた凍っていた。少し残念な気持ちになった。
メルトの魔法で剣の血をすすぎ、王女の前に片膝をついて両手で剣を捧げ持った。
「ヘレン様、この剣はお返しします。ありがとうございました。」
「この剣はあなたに与えます。カサブランカの平和のために使ってください。」
「でも」
「いいえ。私のものになった剣を私が好きにするのですから、何の問題もありません。さぁ、皆さんの手当をいたしましょう。」王女は照れ隠しに笑った。
この大隊と魔女の包囲戦の攻防部分はガウガメラの戦い(紀元前331年)をなぞってます。魔女の方がアレクサンドロス大王軍で大隊の方がペルシアのダレイオス三世軍ですね。アレクサンドロス大王は中央突撃隊の先頭に立って、中央にいたダレイオス三世を追い詰め、退却させることに成功しました。平地で行われた包囲戦を破る代表的な戦いです。敵を包囲するって簡単なようで、なかなか難しい。
リリスの歌はSiuil A Runというアイルランド民謡です。1番と2番と5番かな?我流で意訳しております。本来は、フランス軍に入隊するためにアイルランドを出て行った恋人を慕う歌です。なぜフランスかというとフランスがカトリックだったからで、イギリスの宗教史が関わってきます。今でもカトリックが多い地域です。




