蝕4
メルトが毎日王宮に行くようになるのと同時期に、国務大臣の秘書官の子息ワイアット・キャンディダムが学友に加わった。ワイアットは成年間近の少年だった。
王子たるもの、自身より年上の者も使えなければならない、ということだろう。
国務大臣と法務大臣の役割分担は、国務大臣が王の「こんな法令を作りたい」をその秘書官とともに形にし、できあがった法令の格により法務大臣が国璽を押すことになっている。法務大臣が儀礼的・司法的高官であるのに対し、国務大臣は政策実務の中心である。この関係は法令の作成だけではなく裁判においても、議会においても同様で、法務大臣は常に表方になり、国務大臣とその官僚は裏方である。
メルトは、実体は武官候補として王子につけられているのだが、法務大臣の庇護下にあるせいで役割が判り辛くなっていた。
宮廷内ではセオドアがいなくなったことで、公爵の政界引退は間近だと噂されていた。
ワイアットは官僚と世間話をする体で、メルトに聞いた。
「公子が身を引いたのに、何故君は居座り続けているんだい?」
ストレートな質問だ。
根がお花畑にできているメルトはこれに馬鹿正直に答えた。
「セオドアはいずれ戻ってくるから、それまでその場所を確保しておくことが僕の役目だよ。」
ワイアット厳しく非難した。
「君はどこを向いているんだ。殿下のお役に立つ気がないのなら、いるだけ迷惑だ。」
倍ほど年上の人間が大人げない。メルトはムっとする。
「僕だって色々努力をしているんだ。何も知らない君にそんなことを言われる筋合いはないよ!」
「ハハハ、努力?何の努力ですか。教えてくださいよ、子爵。」
「それは……」
公式には竜は死んだことになっているので、家職を明かすことができない。
ワイアットは隣の官僚に言った。「あなたもそう思われますよね?」
「私は王と国家に忠誠を誓っております。」官僚は控えめに言った。
メルトが口ごもっていると、王子がメルトの肩を軽く叩いてワイアットを引き受けた。
「ワイアット、君が私を尊重してくれるのは嬉しい。
ただ、敬愛の情というものは強制されて持つものじゃないんだよ。
もし、メルトにそれが足りないのだとしたら、それは私に人としての魅力が足りていないんだ。
これから一層努力しなくてはね。もちろん君からも敬われるようにね。」にこっ。
完璧王子。
ワイアットはすっかり感服している。
ワイアット以外の少年は嘘くさいセリフに目を丸くして、必死に笑いをかみ殺していた。
メルトとワイアットは最初から馬が合わなかった。
それからワイアットはメルトに細々とした嫌がらせをするようになった。
「ねぇワイアット、僕の古典の教科書知らない?」
「知らないですね。なんで私に聞くんですか。」
口の端が笑っている。
「そうか。ごめん、ちょっと聞いただけ。」
メルトは、以前、問題を起こしたマクリーンを追い出してしまっている。
同じことは繰り返したくない。
でもどうすればいいのだろう。もやもやは溜まると態度にでる。
メルトは剣術の授業で思いっきりワイアットの剣を弾き飛ばした。
その時は気分がよかったけれど、二人の仲はますます険悪になった。
放課後、メアリは、近衛の訓練場の前でメルトを待つようになっていた。
メルトは王宮側から、メアリは正門から許可証を持って入る。
ある日、王宮と近衛の施設を結ぶ通路を曲がると、人だかりができていて騒がしかった。
近づくと、メアリの鋭い声が聞こえた。
「通してください。メアリはうちの侍女です。彼女がどうかしましたか。」
誰も答えない。
一番外側の隊士を引っ張って事情を聞くが、ただの野次馬で何も知らなかった。
「一使用人に言ったところで意味はありません。」
「俺たちは公爵様に会えないんだ。軍役代納金は巡り巡って俺たちの給料になる。だったら物申す権利くらいあるだろ。」
「そのようなものはございません。」
「冷たいなぁ。奥様の宝石一つで俺たち何人が助かることか。」
「何を馬鹿なことを!」
「どうせ気づきやしないさ。仲良く山分けしようぜ。」
「無礼な、それ以上近づくな!」
メアリは隠し武器に手を掛けた。
兵士の大量雇用と配置換えにより近衛の質が下がった。
メルトが憧れた近衛連隊はグレン副連隊長と共に消えた。
――― 清めの水よ、洗い流せ 黒雨。
叩きつけるような雨が降り、飛沫で視界が煙った。
土砂降りの中、メルトとメアリだけが残った。
「ごめん、メアリ。こんな助け方しかできなくて。」
気が動転していたので全力の雨だ。当分止みそうにない。
「いいえ、私こそ至らず申し訳ありません。助けていただきありがとうございました。」
メアリは深々と頭を下げた。
「稽古は雨で中止だね。帰ろっか。」
もうメアリを稽古場に来させることはない。
ワイアットは、しばらくおとなしかった。
メルトは古典の教科書がなくなったので、セオドアからもらった教科書を持って行った。
古典語はもともと苦手な科目ではないが、その教科書のおかげで教授からたくさん褒められるようになった。さすがセオドア。
ある日、剣術の授業から帰ってくると、ちゃんとしまったはずの古典の教科書が破かれて床に落ちていた。
自分の教科書がなくなるよりずっとショックだった。
メルトは破れたページを全部集めると教室を飛び出した。
とりあえず誰もいないところに行きたかった。
剣術の授業を行う広場の奥には木々を多く植えた庭があった。そのさらに奥には温室がある。メルトが王宮に来るきっかけになったお茶会をした温室だ。メルトは温室と広場の間の木々の植わった庭に行った。四阿があって、小さな噴水があって、春になれば花々が咲く秘密の花園のような場所だが、今は冬なので少し寂しい。
噴水の縁に座って、そっと教科書を開いてみる。
「あぁ、どうやって直そう。」
メアリには頼みたくない。メアリに知れればマリアに知られる。
きっと、もう王宮なんかに行かなくていいと言うだろう。
自分では何もできない。情けなくて涙が出てきた。
「そこで、泣いているのは誰かな?」
大人の男の人の声がして、メルトは慌てて涙を拭いて、立ち去ろうと立ち上がった。
「おや君は。ふふ、冬の妖精じゃないか。」
現れたのはミカエル祭司だった。顔を知られていては逃げるわけにもいかず、挨拶をした。
祭司は外は寒いから建物の中に入るよう促したが、誰かに泣き顔を見られるのが嫌で首を横に振った。
祭司は、「では。」と言って、自分のコートを脱いでメルトに着せようとした。
そんなことをしたら祭司様が寒くなる。メルトが断ると、祭司は少し考えて、自ら噴水の縁に座り、コートを広げ左脇に入るように促した。
初対面にしては距離が近すぎる。
しかし祭司が譲らないので、しぶしぶメルトが折れた。
祭司はメルトの持つ破れた教科書に気がついた。
「もしかして、君が泣いている理由はこれなのかな?」
メルトはこっくり頷いてうまくいっていない友達関係について名前を伏せて話をした。
ミカエル祭司は相槌を打ちながら聞いていた。
話終わるとミカエル祭司は微笑みながら言った。
「守り人が、何故そのような些末なことに心を砕いているのですか?力は用いてこそ力でしょうに。」
メルトはびっくりして祭司を見上げた。




