トネリコの木7
僕はいかなくちゃいけない。この森に来たのはワイズマンに会って自分の魔法を取り戻すためなのだから。
「姉さま、僕はちょっと行くところがあるから、しばらくここにいてくれない?」
「「「「「「「「無理!」」」」」」」」
なんで!?
「だって性格の不一致。」「精神的ダメージが。」「おいてかないで!!」と小人。
「いやだなぁ誤解だよ。姉さまは優しい人だよ。何を言ったかじゃなく何をしているかを見てみてよ。」
「働かざる者食うべからず。」「そうよメルティ、私に奴隷労働をしろっていうの?」
うっ、ぐうの音もでない。やっぱり無理だ。
「一緒に路頭に迷うことになるかもよ?」上目遣いで聞く。
マリアは笑った。「あなたはすぐに迷子になるのよね。迷ったときは私が道を教えてあげるわ。」
ふふっ、マリアだってこの森のことは何も知らないはずなのに、なんとかなりそうな気がする。
僕は、急いでクルミ製のこげ茶色のチェストの引き出しを引き、自分がもと着ていた服を取り出し、今着ている小人から借りた服を脱いだ。もう戻らいつもりだ。ぐるっと周りを見回し忘れ物がないことを確認した。少し寂しい気持ちになった。知らぬ間に愛着が湧いていた。小人たちに別れの言葉と感謝の言葉を伝えた。
「メルト、餞別込みだ、受け取れ。」
小人がメルトの背中に皮ベルトを回した。何を?と思っていると、ずんと重たいものが背中を斜めに走った。
「ただの剣だ。大きくなって使ってくれたら嬉しいし、そうでなくても困った時に売ればいい。」
「いいの?売り物でしょ?」
「メルトのおかげでいつもより多く作ることができた。ならこれは、お前も一緒に作ったようなものだろう。だから遠慮はいらない。」
毎日を頑張って生きていたのは自分だけではない。
「ありがとう。マナ、イハ、コア、ミカ、アリ、イア、ニカ。」
マリアをルルに乗せることにした。メルトが頼むとルルは香箱座をした。
マリアが肩に乗って、メルトに手を差し出した。二人も乗って大丈夫?と心配そうな顔をすると、ルルがニャーと鳴いた。むしろ早くしろと言っている。
メルトはマリアの後ろに座った。マリアは馬に乗り慣れているが、ルルは勝手が違うだろうから危ないときは首に抱きつくのが一番安全だと思う。ルルと僕の信頼関係からすれば、僕が振り落とされることはない、はず。座りのいい位置をみつけると、ルルに光の進む先へ出発を促した。無数の光の中を軽快に走りだす。足を左右交互に動かす走り方は安定していた。マリアがルルの首を撫でて褒めると、走り方が変わって跳ぶように走りだした。背中が激しく波打ち、ぐわんぐわんと揺れる。思えば小人の家はルルにとって狭かった。解放されて嬉しいみたいだけど、少し落ち着こう、そうじゃないと吐きそう。背中をガシガシ叩いて訴えた。
「姉さまは、僕がどうしてワイズマンに会いに行くか知ってる?」
「帰るためかしら?」
あぁ、だから一緒には嫌だったんだ。秘密にしておきたかったのに。
「僕、魔法が使えなくなっちゃったんだ。どうしたら魔法が戻るのか聞きに行くんだ。」
マリアがどんな顔をしたかはわからない。幻滅したのではないかと、メルトは肩を落とした。
少し間をおいてマリアは言った。「戻るといいわね。でも戻らなくても」
「よくないでしょ。」強く言葉を遮った。
魔法の使えない僕に存在意義はない。公爵家にとってもそのはずだ。魔法が戻らないと帰れない。帰る場所はない。メルトはルルの毛をぎゅっと握って唇を固く結んだ。
長い間無言で走り続けると、光の帯の収束点が見えた。
一際高いカウリの巨木の上にツリーハウスが乗っており、その窓という窓から光の帯が伸びていた。ツリーハウスの更にその上にダイヤモンドを散りばめたような星々と白い月が照っている。
「どうしよう。」ワイズマンは気難しいと聞いている。
躊躇っていると、マリアが言った。
「ルル、あの窓に飛び込びなさい。メルティ、振り落とされないようにしっかり掴まって。」
「むちゃくちゃ言わない!」
「しっ、ほら、舌噛むわよ。」
ルルは徐々に加速すると、大きくジャンプをして、幹に掛けられた梯子を踏み台に、更に枝に跳び移り、ガサガサと枝葉をかき分けて、あっという間に窓に飛び込んだ。
ニァーオン!
着いたと思った瞬間シュー、シュー、という聞きなれない音が聞こえた。状況を確認する暇もなく、目の前に巨大な蛇がルルごと呑み込もうと迫まった。食われる!そう思ってぎゅっと目を瞑った。
まだルルのシャーという威嚇音が聞こえる。
恐る恐る目を開けると、逞しい初老の男が自分の腕を蛇に噛ませていた。血がぼたぼたと落ちている。
「ガイアス、何故かばう?」
大蛇のさらに後ろから低い声がした。
「子供です。」ガイアスは答えた。蛇はしゅるしゅると縮み、縮んでも大きいが、声の主の姿が見えた。黒いローブを着て、黒髪を長く垂らし、若かった。蛇はまだルルと威嚇し合っている。
「邪魔だ。さっさとつまみ出せ。」声が冷たい。
若い男は上を向いて口を開け、再び光の粒を吸い始めた。魔法の素の光が皮膚の薄いところからわずかに透けて見える。メルトの体から大量の魔法の素が抜けていく。近いからか、これまでより酷く、怖くなった。
ガイアスに腕を掴まれて我に返る。
「ちょっと待って、ワイズマンに聞きたいことがあって来ました。ワイズマンは何でも知っているんでしょ?僕を助けてください。」
「坊や、残念だけど我が主は、人助けなどしない。搾取されることを何よりも嫌う。」
「うっ、でも僕の魔法の素いっぱい盗ってるじゃないか!」
大きな声で叫んだらワイズマンが、光を食べるのを止めた。
「どうせいつかは捨てられる不要なものを食っているのだが。」
生き物は全て新陳代謝を繰り返し、魔法の素も古くなれば老廃物として放出される。
「僕は捨ててない。もしかして、僕の魔法の素をあなたが食べたから、僕は魔法が使えなくなったんじゃないの?」
ワイズマンの顔がものすごく不愉快そうに歪んだ。
「吾は、膨大な年月をかけて集めた知識をただで抜き取ろうとする奴が嫌いだ。
どうせたいしたものは持っていないだろうが、お前の一番大切なものを吾に捧げよ。そうすれば話を聞いてやらんでもない。」
大切なものを考えて、ルルとマリアを見た。
「生ものはいらん。」ワイズマンは即否定し、絡みつき肩まで登った蛇の顔をひと撫でした。
それ以外で一番?考えるまでもない。渡したくない。でもこれを渡して魔法が戻るのなら、本来の役目を果たしたといえるのかもしれない。そう思って、メルトは自分の首にかかる首飾りを外した。
「そんな執念の籠ったものは要らん!どうせ親の結婚指輪とかだろう、気色悪い。」
ワイズマンは我儘だ。
メルトはむくれながら、自分の持っているものを順番に床に並べていく。
「フルドラから貰った堅パンでしょ、妖精から貰っちゃった惚れ薬でしょ、その解毒剤でしょ、あと、小人から貰った剣。これしかないよ、どれがいい?おじさんの好きなのを持っていってよ。」
「お、おじさん!?」とワイズマン。
「確かに。不死だからおじさんどころかおじいさんだ。」ガイアスが大笑いした。
ワイズマンがチッっと舌打ちをし、それから剣を手にとり鞘を外した。すらりとした細身の刀身が美しい。「業物だな。」
「ただの剣だって言っていたけど。」
「魔法剣じゃないという意味だろう。主は自分の魔法を纏わせるから、むしろこの方が好都合だ。」
「よし、これを貰おう。」にやっと笑った。
それが欲しいなら最初からそう言えばいいのに。
「お前の話を聞いてやろう。」ワイズマンは偉そうに書斎机の椅子に腰かけ、足をくんだ。
あらためて室内を見回すと、外から見たよりずっと広かった。天井ははるかに高く、全ての階で本が壁を埋め尽くし、ところどころにホルマリン漬けの標本が置かれている。標本は小妖精、ゴブリンの頭部、世界で2番目に偉大な魔法使いの脳、等々。
「あぁ、その前にその猫を小さくしろ、ウロボロスが落ち着かない。」
小さくなるの!?びっくりしてルルを振り返るとしゅるしゅると縮んだ。久しぶりにルルを抱きかかえた。やっぱりこのサイズが可愛い。ということは、ウロボロスはワイズマンの聖獣だ。
視線を戻すとマリアがメルトの広げた持ち物をしげしげと見つめている。
「姉さま、それは僕のだから。」
「でもあなた、惚れ薬なんてどうするの?」面白そうに聞いた。
色々と使い道はあるかなと思う。「王子殿下に使うとか?」
マリアの動きが一瞬止まった。「メルティ、それは駄目よ。」急いで薬を取り上げた。
「勘違いしないで。ちょっと、もう、駄目だってば。」メルトは高く持ち上げられた薬瓶を取り戻そうとぴょんぴょんと跳ねた。
そしてうっかり解毒剤を倒した。緑色の液体が床に広がっていく。
「うわー、どうするのさ!」こうなっては惚れ薬だって危なくて使えない。
「お前等、やっぱ帰れ。」ワイズマンがジト目で言った。
「ごめんなさい。」メルトは、慌ててワイズマンに向き直った。
メルトは今まで使えていた魔法が突然使えなくなったことを話した。
ワイズマンは首を傾げる。「確かにお前の魔法の素は多い。それで何で使えないんだ?」
それを聞きに来たんだけど。
ガイアスが、魔法が使えなくなった時の状況を聞いたので、人攫いに遭ったことを話した。やはり首を傾げた。ワイズマンが立ち上がってメルトに近づき心臓近くに手を翳した。するとぽこぽこと魔法の素が吸い出され、手の上に魔法の素が集まった。魔法の素は本来もっと小さいが、吸い出す過程でお互いにくっついて大きくなり、目に見えるようになるのだと言う。手の上の光の粒が動き始める。まるでどこかに第2のワイズマンがいるように。「これは面白い、吾の食事を横取りしようというのか?」
窓から外に出て、更に上空に飛んでいく。ワイズマンは窓から身を乗り出し暫く星空を凝視した。視界を遮るものは何もなかった。
「なぁ、お前。これはお前が自分で飛ばしているんじゃないか?」
心外な!飛ばし方もわからないのに。
「今は無意識かもしれないが、魔法が使えなくなった時に、どこかへ行きたいと強く願わなかったか?」
あの頃は丁度前世の記憶が戻った頃で、強く「もと居た世界に戻りたいと願った。」ってこと?
ワイズマンは笑った。「なんだ、お前は吾等の同類か。ハハハ、なまじ生まれ変わるとは難儀なことだ。不老はいいぞ、混乱することはないし、次の体を手に入れるまでの無駄な時間もない。」
今一釈然としないでいると、ガイアスは、この空に瞬く星のどこかにメルトの前にいた世界があり、メルトはそこへ戻ろうと魔法を使い、前の世界でも誰かが帰って来て欲しいと願っているのだと説明した。
「強く願ったら帰ることができるの?」
ワイズマンは、メルトの年齢を聞いた。そんなに長く魂が肉体を離れて、残された肉体が存在し続けられるのかということだが、前世の医療水準ならばできないことではないと思う。そんなことを考えているメルトにガイアスが言った。
「死んだ母親に会いたいと思ったことはないか?」
僕が母さまに会いたいと思うように、前世の母や妹が僕に会いたいと願っている。しかし僕の体はもう骨になってお墓の中に入っているということか。
「何にせよ、吾と同じく時を操る魔法を使わなければ、魔法で魂を肉体から分離することはできない。魔法の素の動きを見れば、お前の血に時魔法の残滓があるのだろう。ただ半年足搔いても分離しないということは使い手ではないのだ。何年か続ければもしかしたら叶うかもしれないが。」
なら僕は、どうすればいい?
「明白。元の世界に帰りたいと願わなければいい。」
だって、前の世界は優しくて、安全で、自分の出来る範囲でそこそこ頑張ればよくて、平凡でも今よりずっと幸せだった。
「忘れろ。」ガイアスは言った。
「幸せな思い出がある限り、忘れる事なんて無理だよ。」
「その窓から飛び降りればいいんじゃないか?」ヘラヘラと笑いながらワイズマンが言った。
「忘れる魔法はないの?」
縋るような気持ちで言うと、ワイズマンの纏う空気が変わった。「吾に魔法を使わせようなんて、いい度胸だ。」
「やめておけ。ワイズマンに魔法を使わせた男の成れの果てがこの私だ。魔法は呪いとなって永久に奴隷から抜け出せない。」
「おかしなことを言う。吾がいつお前を奴隷にした?お前が望んでしていることではないか。」
悲嘆に暮れるメルトの手をマリアが握った。
「ねぇ、メルティ。これってそんなに難しいことかしら?つまり、あなたが過去を過去として受け入れて、今を楽しめばいいって話でしょ。」
「それが難しいんだよ。」どうしても比べてしまう。
「まだたった7年じゃない。これは量の問題よ。この世界で楽しい思い出を沢山作りましょう。お姉さまが全力で手伝ってあげるわ。」
何かにつけて、戻らない過去と今を比べることがよくないことはわかる。心の持ちようで世界は変わる。頭ではわかる。メルトはコクコクと頷いた。
「ガイアス、お前はこの子供の記録を採れ。能力がなくても努力を続ければ願いは叶うのか。弱い心は強くなるのか。もしかしたら、一度体から抜け出た魂がこの世界を抜けだし、更に再びこの体に戻ってくることまで確認できるかもしれない。面白いサンプルだ。」
「承知しました。」ガイアスは畏まって答えた。
ガイアスがどこから来たのかと尋ねた。マリアがカサブランカ王国だと答える。ガイアスが世界地図を広げると、ワイズマンがそれをチラッと覗き、ツリーハウスのドアを11回ノックした。
「出血大サービスだ。さっさと帰れ。」
ガイアスがドアを開けた。
冬至の日、カサブランカ王国の王城内の礼拝所では、新しい年を迎える儀式が行われる。
祭壇の前で王家と祭司が祈りを捧げている最中に、祭壇の後ろの壁に渦巻きが浮かび上がり、中から3人と1匹が姿を現した。祭壇が設けられている場所は他より一段高くなっていて、しかも祭壇のせいで、メルトからは下にいる王族の姿が見えなかった。壁も床も装飾さえもやけに白っぽく、ここがどこだか検討がつかない。
しかしマリアはすぐに気づいた。
「メルティ、この林檎を齧りなさい。」フルドラから渡されたという林檎をメルトの口に押し付けた。
「何?」
「いいから早く!」
メルトは急かされるままに林檎を齧った。同時にマリアも齧った。林檎を挟んで二人の顔が交差した。
メルトが驚いて目を見開くと、二人してドサッと柔らかいものの上に落ちた。
寒い!
雪を被ったマリアの庭のトネリコの木の下に帰っていた。
「姉さまの大嘘つき!!」
ちょっと長くなってしまいましたが、自分探しの旅から帰って来ました。