霊媒探偵の死 弎
午前9時前、母さんに言われた時間よりも少し早めに葬儀場に到着した。
母さんのところに行く前に、今日お世話になる葬儀場を先に一目見て回らせてもらいその後に2階にある爺ちゃんを寝させてもらっている霊安室にいるはずの母さんのもとへと俺は向かった。
「母さん、おはよう」
霊安室に入ると母さんはちょうど線香を変えていた。
「おはよう、早く来てくれたんやねありがとう」
「大丈夫やで、それより変わるから少しでも寝とき」
「ありがとう、気分少し悪いし休ませて貰うな」
思ったとうり体調が優れないようだった、顔色も昨日より少し悪くなっている様にも見えるし、もしかしたら仮眠できずに徹夜してしまっていたのかもしれない。
その後、母さんは15時から始まる湯灌の30分前まで一度も起きることなくぐっすりと寝ついていたが、時折悪い夢を見ているのか疲れが溜まっているせいか少しうなされていて心配だったけど湯灌前に起きた時には顔色も少し良くなって元気になっていたし俺は安心した。
部屋の扉がノックされる。
「失礼致します、湯灌に参りました」
「はい、どうぞお入りください」
部屋の二重扉を開けて湯灌を行うスタッフさんが2名入って来た。
丁寧な挨拶をくれた後、湯灌の準備を手早く着々と進められた。
俺と母さんはスタッフさんの気遣いでくつろぎながら待たせて貰う事ができ湯灌について色々と聞かせてももらえた。
「それでは本日湯灌の義をさせていただきます、酒井と藤原と申します、宜しくお願いいたします」
スタッフさんは酒井さんと藤原さんと言う名前らしい、2人は優しい表情と声で俺と母さんを安心させてくれる。
「はい、お願いいたします」
「お願いします」
俺と母さんも心から頭を下げて爺ちゃんの湯灌を任せた。
湯灌の最中は話していて大丈夫らしいけど、俺も母さんも静かに見ている事しか出来なかった。
酒井さんと藤原さんは丁寧に、でも素早く爺ちゃんの湯灌を行っていく。
そんな中俺は準備中の時に聞いた湯灌を行う意味を思い出していた。
それは、亡くなった人が今世の歩みでえてきた辛い事、悲しい事、未練などを洗い流し清めてる為に行う。
たしかそんな感じだったなと考えていると20分ほどで湯灌が終わり、爺ちゃんは綺麗に白の冥土着に着替えさせられていた。
酒井さんと藤原さんの作業は本当に丁寧で手際がいい。
「湯灌の義、終わりました」
「ありがとうございます」
「とんでもございません、御親族様もお疲れ様でした。 では私共は片付けをしておりますのでこの後もごゆっくりとなさって下さい」
そう言うと2人はまた手早くでも来た時よりも俺と母さんに気を使わせない様に配慮しながら片付けて行った。
「この後は18時から開式でそれが終わったら誰か一晩線香の番やったやんな?」
「そうやで」
「じゃあ今晩は俺が線香の番するから母さんは家帰ってゆっくり休んで」
母さんはもおすでに1日中葬儀場にいる、次は俺が変わって線香の番をして母さんを休ませてあげるつもりだ。
「ありがとう、じゃあこれ明日の予定が書かれた用紙渡したとくな」
そう言うと机の上にあったファイルの中から1枚明日の方が組まれた用紙を取り出してくれる。
俺はそれを受け取り一通り目をとうした。
「明日の開始は13時からなんや」
「うん、でも明日お母さん10時には来て智幸と交代するから一回帰って身だしなみ整えておいで」
「ありがとう、助かるわそれ」
葬儀場にもお風呂とかはあるにはあるが、明日の葬儀に来る爺ちゃんの知り合いの方々をお迎えするには少し心細い。
爺ちゃんはそこそこ有名な探偵だったのもあって仕事上の付き合いも広く色んな人が来る。
そんな爺ちゃんの親族として身だしなみ一つ整っていないなんて、そんな恥ずかしいところ爺ちゃんに見せられない。
母さんと明日の事を話し終わった頃間にまた部屋の扉がノックされる。
「失礼致します、納棺の準備が整いましたので参りました」
「どうぞ、お願いします」
湯灌が終わり、爺ちゃんを納棺する時間がきた。
「では失礼致します。 少し横に幅を取りますので机の方を移動させていただきますね」
「あ、はい。 手伝います」
「申し訳ありません、ありがとうございます」
ファイルや茶菓子やらが置いてあった机を部屋の隅に寄せて、爺ちゃんが入る棺桶が部屋の中に入って来た。
棺桶は爺ちゃんの隣にセットされた。
「それでは納棺させて頂くんですが、どなたかお一人様お手伝いをお願いしても宜しいでしょうか?」
「じゃあ俺がやらせていただきます」
「ありがとうございます、それでは故人様の体あたりか頭側のどちらかをお持ちください」
「じゃあ頭の方を持たせていただきます」
俺は爺ちゃんの頭側を持つことにした。
「はい、ではこのシーツの手持ちをお持ち下さい。 それとたまに持ち上げる際に腰をいわせてしまう方もいらっしゃいますのでご注意下さいね」
「ふ…ありがとうございます、気をつけます」
葬儀場の従業員の皆さんは気さくだった、俺と母さんを少しでも悲しい気持ちから和ませようと細かな気遣いやコミュニケーションをとってくれる、お陰で気持ちは楽になってる。
「それでは1、2、3、で持ち上げますので」
「はい」
「では1、2、3!」
足がわと体部分を持ってくれている従業員と息を合わせて持ち上げるが、頭側と思って最初の力を緩くしてた俺は予想以上に重さがあって少しで遅れた。
でもそこは従業員の方が合わせてくれて難なくいき、爺ちゃんをちゃんと棺桶の中に入れる事が出来た。
「御親族様お手伝いありがとうございました、この後蓋を閉めますと下に準備してあります葬儀場にお運びするまでお顔が見れなくなってしまいますのでご了承くださいませ」
湯灌と納棺が終わって時刻は16時、通夜の始まりは18時からで下の会場の準備も終わっているぐらいの時間だ。
「でも御親族様方はこの後準備してあります下の葬儀場に移動して頂きます、こちらのお部屋へはお戻りなりませんのでお荷物のお忘れ物がない様にだけお気をつけ下さい」
俺と母さんは返事をして荷物をまとめていった。
その間に爺ちゃんの棺桶の蓋が閉められていった、これで下に行くまで爺ちゃんの顔は見れない。
「それじゃあ母さん下に移動しよっか」
「忘れ物はないし大丈夫やね。 すいませんそれでは私達は先に移動させていただきます、父のほど宜しくお願いします」
「はい、すぐに下にご移動させますので」
従業員はずっと優しい笑顔のままだった。
部屋をあとにして下の階へと移動する、階段を降りたら目の前に友貞様と書かれた看板が立ててある会場があったので場所はすぐに分かった。
会場に入ると上にいた人とは違う従業員が待っていてくれていた。
待っていてくれた人は『笹井』さんって人で、会場の設置物や部屋の説明があった。
「本日は昨晩からお疲れ様でした、喪主様はお母様の『多美子』様とお伺いしておりますので後ほどで挨拶のタイミングの打ち合わせをさせて頂きますね」
笹井さんからの説明と打ち合わせを終えて会場に隣接している休憩用の部屋でひと休みしていると爺ちゃんの棺桶が運ばれてきた。
「失礼致します、ご本人様をお運びさせていただきました」
爺ちゃんが運ばれて、仏式祭壇に組まれた祭壇の前に準備してもらった。
後は18時の開式まで特にする事はなく隣接されている休憩室で休ませてもらう事にした。
そして開式の30分ほど前だろうか、笹井さんが来て参列客の御香典や名簿への記入用品の説明を教えてもらった。
受付を始めてから数分後、近所に住んでいる爺ちゃんの顔見知りが数人通夜に参列しに来てくれた。
参列に来てくれた人達は近所の人なだけあって名前と顔は分かるけど、俺個人は朝の挨拶ぐらいで交流はほとんどない人達だった。
けど母さんと思い出話をし始めて、受付は俺1人で一旦すませる事になった。
開式前で受付も終わりにした、俺も親族席に移動しないといけない頃にはあれから参列客は1人しか来なかった。
最後に参列に来た人は俺も知っている、三条商店街にある爺ちゃんの行きつけBARのママさんの『フジ子さん』だった。
「久しぶですフジ子さん、今日は来て頂いてありがとうございます」
俺は軽く一礼する。
「ほんまにえらい久しぶりやね、10年ぶりぐらいか?突然の不幸でこう言うこと聞くのはあれやけど元気にしてたか?」
対してフジ子さんは元気のいい笑顔で俺の事を気にかけてくれる。
「お陰様で元気にさせていただいてます」
フジ子さんは顔見知りだが会うのはもお10年以上久しい。
今年で確か74歳になるはずなのに全然衰えを感じさせずに若く見える。
背筋も曲がらずにピンと伸びていて立ち筋がとても綺麗だ、現役でBARのカウンターに立っている事だけはある。
「フジ子さんこそ相変わらず元気そうで何よりですよ」
「私は自分の店があるからまだまだ頑張らへんとあかんから!」
相変わらず元気強さも変わってない。
「そうですよね、でも無理はせずに頑張ってくださいね」
「私は元気だけは尽きへんから大丈夫やで、じゃあちょっと静護さんの顔を拝ませて貰いに行ってくるわ」
言葉だけ元気満々に言うフジ子さん、でも俺に話しかけて爺ちゃんの顔を拝ませてって言ってるのに何故は顔は母さんの方を向いていた。
母さんとも何か話があったのに俺が引き留めすぎていたのだろうかと思い手短に返事をしてゆく道を開ける。
「どうぞ」
話を終えたフジ子さんは足早に爺ちゃんの顔を見に祭壇の前に歩いていったので母さんには用事はなかったらしい。
でも、昔から一瞬で話の内容も気分もコロっと変わってしまうところがあるのに今日は安定していたな。
それから少しして開式が近づくと皆んな席に着いた、するとタイミングを見計らってか、お願いしてあった僧侶様も入って来られて式が始まった。
僧侶様の挨拶が最初に少しだけ入った後に読経が始まった、半分ほど読み上げたあたりでお焼香になり最初に母さん、そして俺と続き後は参列に来てくれた人達が順番に行なっていった。
読経が終わりお焼香も周りきった後、笹井さんのナレーションが入り母さんの喪主挨拶が始まった。
「今日は義父『友貞 晴護』の通夜に御参列いただき有難うございます」
母さんが参列客側に一礼をする。
「義父・晴護は生涯探偵と言う職に付、多くの人の助けを行ってきました、見返りと言う物は多くを求めず、その代わり依頼で会ったお客様を人と人とのご縁と言い繋がと人脈を大事にして来ました」
俺も幼い頃から聞いていた爺ちゃんの話で最後によく『大事なのは人のご縁』って聞かされていた。
「その人生の歩みの結果として義父・晴護が他界したと知人や職の関係者に連絡を入れるにあたってその多さにどれほどご縁を大切にしていたかを思い知らされましたものです」
母さんは一度そこで口黙って涙を堪えた。
堪える時間はそう長くはなく数秒するとゆっくりと挨拶の続きを始めた。
「ですが、全盛期を過ぎてからの人生は辛いものだったと思います…妻の『茂子』を亡くし、数年後には私の夫で義父・晴護の息子である『優志』も早くに亡くしました…私たち家族共々悲しさに打ちひしがれていましたが、本人の悲しみは私達の比ではなかったと思います…」
生涯連れ添った婆ちゃんが亡くなった時、辛い気持ちを心に押し込みながら親父の背をさすりながら泣き顔でお母さんを見送るんじゃないって優しく説教をして慰めてた。
それにあんなに泣く親父を見たのはあの時が最初で最後だったのを覚えてる、大人でもあんなに泣く事が本当にあるんだなって俺は痛感してた。
そんな爺ちゃんでも親父が亡くなった時には流石に気持ちの限界が来ていたのがあの時は見て分かった。
その時の爺ちゃんは頑張って明るく振る舞ってたけど、泣いた後で目は赤くなって、瞳の中の光は濁ってた。
人って限界を迎えるとあんな目になってしまう事に対して、親父を亡くした直後だったのに怖気を感じてしまっていた事に今でも申し訳なさを感じる。
色々と昔の事を思い出してしまっていると、母さんの喪主挨拶を半分ほど聞き逃して終わりを迎えているころに気がついた。
「どうか義父・晴護が天国で2人と再開し笑い合っている事を願っています」
爺ちゃんに向けたその一言で母さんの挨拶は終わり、参列に来てくれた近所人達に一礼をしたところで通夜は無事に退場した。
退場して参列客が帰っていった後、母さんが晩ご飯を買って来てくれるので、俺はその間に最後まで残ってくれていたフジ子さんとさっきの話の続きをしていた。
「お母さんの喪主挨拶よかったで」
「ありがとうございます、でもそう言うんは本人に言って下さい」
「そんなあんた、いきなり面識もないお婆ちゃんがい来て挨拶よかったでなんて話したら、逆にお母さんに変に気を使わしちゃうやろ?」
あまりそう言う事は気にしない方だったので気づきもしなかった。
「あぁ〜なるほど、確かに」
「あんたのそう言う気の聞かへんところ静護さんそっくりやわ…それよりこれ渡しとくから家の玄関にでも貼っとき」
そんな俺にフジ子さんは呆れた顔をしながら鞄の中から1枚の晴明神社と書かれた封筒を取り出し渡して来た。
「これ、何ですか?」
晴明神社の事は分かっているけど中身と何故渡されたかが分からなかったから聞いてみた。
「それな晴明神社から頂いてきた厄除けの御札やで、あんたの家色々と不幸があったやろ、それでこれ以上あんたらに何も起こらへん様にって貰って来たんや」
何なのかと思ったら俺と母さんの事を案じての厄除けの御札だった。
「そんな、自分達の代わりに厄除けの御札を頂いて来てもらってすいません、ありがとうございます」
昔から爺ちゃんが世話になっていたのに俺の代でも世話になってしまうなんて申し訳ないが有難い。
「ええんよ…不幸ばかり続いてんのを見てたら私も心が痛くてな…せやからせめてもの気持ちとお婆ちゃんのお節介やと思っといて…」
「…本当にありがとうございます」
晴明神社の御札、そんな物の効力なんて有る訳がないと思うけど昨日の事を思い出すと迷信でも少しはって思い頭を軽く下げて両手を出して頂戴する。
でも俺は今日ここに泊まって線香の番をしないといけない、後で母さんに渡しておこう。
飾り方が分からない、それを言い訳にこのしんきくさい空気を変えようとフジ子さんに聞いた。?
「でも、こう言うのってどこに飾っておくもんなんですか?」
「さっき言ったやん、これは厄除けやから玄関あたりに貼っておいたらええよって」
なるほど、家に悪い物が入らないって事か。
確かに、うちでも火の用心の御札をキッチンコンロの近くに飾ってあったはずだ。
「玄関ですね、分かりました貼っておきます」
「あ、それとな明日やねんけど私お店の用事で御葬式には参加できへんのよ。それだけはごめんな」
「いえいえとんでもないです。今日の通夜に来て頂いただけでも爺ちゃん喜んでくれてますよ」
自営業で忙しい中で晴明神社で御札を貰って来て通夜にも参列してくれただけでも有難いことだ。
「明日は多分甥っ子の龍也が来ると思うから堪忍な」
(龍也?)
「それってもしかして自分の働いている会社の藤井龍也さんですか?」
「何言ってんの、そうに決まってるやん。あの子は私の親戚で静護さん紹介したんも私やで」
そんなの初耳だ。
藤井さんからこんな間近に親戚がいて顔見知りだなんて何一つ聞いた事がない。
「そうなんですか!?あの人からはそんな事何も聞いたことないですよ!」
もお何年も一緒に働いているのにそんな事酒の席でも一度も話に出た事がなかった。
ましてやフジ子さんなんて俺も中学生時代から顔見知りだったのに。
あの人、俺の身近な人間関係の報連相がどうかしてる。
「まぁ…それあの子の悪い癖でな。そう言うの伝え忘れたり、隠す癖があるんよ。恥ずかしいんかどうか知らへんけど許してあげて」
「はぁ…その癖があるのは知ってます、仕事でもちょくちょくありますから…じゃあ明日改めて本人から聞かせてもらいますね」
「苦労かけてごめんやけどそうしたって。じゃあ長居してしまったし御暇させてもらうな」
フジ子が申し訳なさそうにそう言って、時間も遅くなっていたので帰って行く、その頃に丁度母さんも晩ご飯の買い出しから帰って来てた。
「そうさせてもらいます、今日は来て頂いて本当にありがとうございました。気をつけて帰って下さいね」
出入り口の玄関で母さんと帰って行くフジ子がすれ違いお互いに軽く一礼する。
「晩ご飯買って来たけど、あの人はお爺ちゃんのお知り合いの方?」
「うん。爺ちゃんがよくお世話になってた人」
この後は母さんと晩ご飯を食べて、俺は線香の番の準備を、そして母さんは一足先に帰って行った。
時刻は23時半過ぎ、俺は休憩室の風呂に入り仮眠の準備を整えていた。
会場をフットライトとブラケットライト、そして爺ちゃんの祭壇の左右のスタンド式ライトだけにして仮眠に支障がない程度の明るさにする。
そして爺ちゃんに一本の線香を上げた俺は仮眠を取ることにした。
「玄関の鍵は閉めたし、他も…大丈夫か」
家で起こった事を考えると何が起こってもおかしくないと心構えを持っていたけど無事何も起こらなさそうだ。
不安があると言えば家に残っているあの足跡が気がかりだ。
母さんがアレに触れて俺と同じような事になっていなければいいのだが。
考えると今体調がすぐれない母さんが心配でしかない。
母さんの事を考えていてやっと気がついた、フジ子さんから頂いた厄除けの御札を渡すのを忘れていた。
「やってもうた…御札渡すの忘れてた…クソ」
時刻も遅い、今帰ったら寝ている母さんを起こしかねない。
そんな事をして体調を悪化させてしまいたくなから明日の葬式が終わってから帰って自分で貼るしかない。
布団の中でそんな事を悔やみながら明日の事を考えてると、俺はいつの間にか眠ってしまっていたようだ。
ふと目が覚めてスマホを見てみると時刻は深夜2時。
渦巻き線香が切れてないか確認しに行くには丁度いい時間だろう。
軽い仮眠で眠いはずなのに頭が完全に覚醒状態になっている。
手早く選考を見て早くもう一度寝ら為会場内のスリッパを履き爺ちゃんの祭壇へと向かう。
…何故だろう、足取りが凄く重い。
眠くて重い、疲れすぎていて重い、みたいな感じじゃない。
まるで足に何かがしがみついて行き先を妨害しているような重み。
それでも『あっちにある』線香を確認しに行かないといけない。
無理矢理にでも重い足を動かして参列客席の間を会場のスリッパを履いて力一杯踏ん張って進んでいく。
祭壇の半分まで来た時、目の前から小川のせせらぎの音が聞こえる様な気がして不思議に立ち止まった。
その時。
『智幸!』
「…!」
突然聞こえて来た聞き覚えのある声に名前を呼ばれた気がして飛び起きた。
部屋の時計を見て時間を確認すると。
時刻は、深夜2時。
確か俺は爺ちゃんの線香を確認しに行っていたはず。
「…夢?」
眠く重い目を擦りながら独り言を言う。
なんだったのか思い出そうとするけど、線香を確認しに行こうとする強い意思があった事だけしか思い出せない。
多分、線香の番に意気込み過ぎて変な夢でも見てたのだろうか。
それにまだ深夜2時だ、線香を確認するには丁度いい時間だし確認したらもう一回寝よう。
そうとなればもう一度寝るために善は急げ、会場のスリッパを履いて爺ちゃんの祭壇へと向かう。
渦巻き線香はまだ半分以上残っている。
これだけ残っていたら無理に変える必要もない、一本だけ線香をあげてから布団へと戻るとしよう。
その後も大体2時間おきに目を覚ましては線香の確認をして寝てを繰り返しているといつの間にか時刻は早朝7時前だった。
会場には窓が無くて会場の出入り口と休憩室の玄関以外は非常口しかなくて日差しが差し込んで来なのが尚更時間の感覚を狂わせていた。
母さんが来る前に最後の線香の確認でもしておく。
渦巻き線香は最後の一巻きになってる、でもこの時間になれば後は線香を一本立てるぐらいでいいだろう。
線香を立ておりんを一回鳴らし手を合わせる。
深夜2時ごろに見ていたはずの夢がふと気に掛かってどんな夢を見ていたのか手を合わせながら少しばかり思い出そうとしていると。
「智幸、おはよう。 線香の番ありがとう」
朝の挨拶と共に母さんがやって来た。
「おはよう。線香の番するんって結構疲れるな」
「そうやろ。これ変えのカッターシャツ持って来たから後で着替え」
カッターシャツが入った紙袋を手渡されそれ受け取った。
その後は準備の人が来て忙しなく葬式の準備が始まった中、母さんが持って来てくれた朝ご飯を食べていた。
母さんは家を担当してくれている会場の人と打ち合わせをして、俺は朝ご飯を食べ終えてから頭をシャキッとさせる為にシャワーを浴びて持って来てもらったカッターシャツに黒のスーツを着て自分の身支度を整えていた。
身支度を終えたぐらいに母さんも打ち合わせが終わり一緒に少し休憩をしながら家で何も変わった事がなかったか聞いてみる。
「昨日遅めに帰ったけど大丈夫やった?」
「別に何もなくて大丈夫やったで?なんで?」
「んん〜いや、思い出されへんような変な夢見てなんか心配になって」
「なにそれ、どんな夢みたん?」
思い出せないって言っているのに聞いて来るところが本当に母さんらしいけど、寝不足の今は苛々してしまうからやめて欲しい。
「いやいや、思い出せれへんって言ったやん」
もしその夢が家に残っている足跡と関係してたらって思うと怖いから聞いてるのに、伝え聞きたい事が出来ないのがもどかしく不安感を掻き立てて来るので感じていて思い出した。
「あ」
「なに?」
「そう言えばこれ昨日のうちに渡そうと思って忘れてた物があんねん」
そう言って机に置きっぱにしていた厄除けの御札が入った晴明神社の紙袋を右手で取ってそのままさんに渡した。
「これ、昨日最後までおったフジ子さんって言う人が持って来てくれた厄除けの御札」
「あぁ、智幸が言ってたお爺ちゃんの知り合いの人の。こんなお心遣い、お礼せえへんと」
「でも今日は自分のお店が忙しいらしくて来れへんらしいからお礼はまた今度になるで」
お礼はまた今度改めて連絡して俺が渡しに行こうと思う。
「それとな、これは玄関に貼っといたらいいらしいから玄関の横か扉にでも貼っといて」
「玄関やね分かった」
渡す物も渡せたことで家の厄除けはこれで大丈夫だろう。
そしてその後、母さんも俺も今日の葬儀に来るであろう参列客のお出迎えに向けて身だしなみを整えて受付へと立った。
今日の葬儀の参列客用の椅子は48脚用意してある、親族の母さんと俺を含めて50席になって入りのいい数字だ。
それに連絡して回った母さん曰く、席は一応48脚用意したけどそんなに連絡する先もなかったらしい。
って聞いていたのに、連絡した人の先から知人から知人へと話が回ったらしく48人分の席は全て埋まって、以来の会場内で立っての葬式に参加する人まで出てしまった。
そして大体の受付が終わり締め切り間際、藤井さんが最後に駆け込んできて聞こえる程度の小声で誰に言うのでもなく呟く。
「間に合った…」
聞こえ呟きには触れず来てくれた事に感謝だけ伝えたる。
「お疲れ様です藤井さん。自分の分の仕事もしてもらってお忙しいのに葬式にまで来て頂いて、本当にありがとうございます」
「そんなええよ、俺の方こそ昔からお世話になっててんから」
お世話になってた、そんな事を言う藤井さんに俺はふと頭をある事がよぎって苛ついた。
(爺ちゃんの事も、フジ子さんの事もなんも話してくれてへんのにお世話にはなってますってか)
「それでもありがとうございます。爺ちゃんも喜んでると思いますよ」
「そうやと嬉しいな」
そう言い残し受付用紙に名前も書かずに会場内へと入って行った。
職場では愛想の塊のような人なのに、今日は意外な程に素っ気ない。
その二面性が、この人と家の関係性を知った今ではまた苛立たしさを感じる自分自身を大事な葬儀中だといい宥めながら受付終了の片付けを済ませる事になった。
その後の葬儀も何事もなく進み、昨日来てもらった僧侶様の息子さんの読経が入り家族と参列客の焼香、爺ちゃんが世話になった人達や企業からの弔電と進み昨日と同じく母さんの喪主挨拶となって出棺。
正直な気持ち出棺時は爺ちゃんの人脈の多さに驚いた、仕事の都合上間に合わなくて出棺だけ見届けに来た人達もいて、葬儀に参列してくれた人の人数はざっと60人は超えていた。
そんな大勢に見送られて葬儀場から10分と離れていない火葬場へと向かって行った。
着いてから火葬許可証を担当の人に渡し、納めの式、火葬となった。
母さんと俺だけ、2人で最後まで見送った。
火葬場は出棺時とは逆で静かで寂しい物だった。
家族は母さんと俺だけ、親戚も亡くなっている、2人だけで火葬に向かう爺ちゃんを見送るって言うのは思った以上に静かなものだった。
胸に沁みる静かさがそのまま孤独感と悲しみになって心を浸していく。
現実とは常に辛いものだった。
この後はまた2時間後に火葬場に戻って来る。
それまで葬儀場の休憩室で休む事にしたけど、俺は昨晩の寝不足でその2時間爆睡してしまった。
少しは寝不足が解消されて楽にはなったけど、20代半ばで仮眠をとりながらとは言え半徹夜みたいなものでどっと疲れを感じてしまうなんて。
中学生の時は徹夜でゲームしても平気だったのに。
違う意味で辛い。
「智幸、起きて。そろそろ時間やで」
「…あ〜…分かった…」
母さんに声をかけてもらって起きる。
葬儀場からバスを手配してもらうと余計にお金が掛かってしまうため火葬場までは実家のタントで向かう事にした。
火葬場に着き中に入ると電子掲示板には『友貞様―残り10分』って映し出されていた。
「すこし早く着いちゃったな」
「そうやな」
他愛もなく喋りながら『友貞様』と書かれた札が下げられている部屋の前に行き待っている。
そして丁度10分後。
「友貞様でしょうか?」
「はい、そうです」
担当の人が2人来た。
「本日はお疲れ様でございます。これよりご本人様のお骨あげを始めさせて頂きたいと思います」
火葬時に手渡された友貞と書かれた木名札を渡してお骨上げを行う部屋へと案内してくれる。
「お荷物はあちらの部屋のお隅にあります腰掛けにどうぞ置いておいてください。私はこれからご本人様をお連れさせて頂きます、お連れ致しましたらこちらのもう1人の従業員が反対側あちらの扉をお開けします。その際こちらお部屋中央にあります台へと御運びしますのでそのままお待ちになっていて下さい」
丁寧な説明の後、その人は爺ちゃんを迎えに行き、もう1人は指示されたとうりに反対がの扉の開閉ボタンがあるところで待機していた。
一気に鼓動が強く、そして早くなって心拍数が上がって行くのが分かる。
ヤバい。
爺ちゃんのお骨を見るのが怖い、それに辛い。
本当に爺ちゃんは亡くなった実感が、葬儀中はまだ半端なままだったけど今になって急激に頭に浸透して行く。
それによって色んな感情がぐちゃぐちゃになって心拍数や動悸が乱れてるんだと理解はしてる。
抑えられなくて息苦しさまで感じる。
「では、ご本人様の到着です」
担当の方がそう言って入ってきた側とはとは反対側の入り口をボタン操作で開ける。
爺ちゃんが入っていた綺麗な棺桶は綺麗に焼け切って灰になっている。
そして…爺ちゃんの遺骨は、足の先と頭蓋骨しか残ってなかった。
母さんも俺も涙が堪え切れず目ばしらから流れ落ちそれをハンカチで拭い去る。
震える声を堪えて聞く。
「…こんなに骨って残らないものなんですか…」
「…お骨は個人差はありますがこちらまで残らないのは相当お骨が弱っていたのだと思われます」
現役で探偵を続けてよく歩いていい運動になっていたはずなのに。
うちの家族は亡くなっても失くすだけじゃないのか…亡くなってからも、何も残らないのか…
「…失礼ながらお骨上げを始めさせて頂きます。どうぞこちらの箸をお使いになって骨壷の中でご本人様が立つ様に足からお入れになって差し上げてください」
そう言われて母さんと俺は涙を堪えてつつ箸を持った。
そして足の先と頭蓋骨しか残っていない骨を骨壷へと丁寧に入れてゆく。
全て入れ終わった後でも骨壷の半分は隙間が空いていて、まるで『空白の骨壷』のようだった。
後は何も語る事はない、埋葬許可証を貰って空白が半分の骨壷を抱き抱えて葬儀場へと一度帰って行く。
帰りの運転は俺がして、助手席で母さんが骨壷を持っていてくれているけど、骨壷からたまに『カラン』と音が聞こえてくる。
今日一日、いやここ2、3日色々とありすぎた。
悲しくて辛い事、実家で起きた奇妙な出来事、これ以上はもお何も無いだろうと思いながら葬儀場まで母さんと爺ちゃんを連れて帰って来たら。
葬儀場の入り口のところに藤井さんが1人で待っていた。
車を駐車場に停めてから改めてわざわざ待っていてくれた藤井さんの元へと向かう。
「わざわざ待っていてくれたんですか藤井さん?」
「待っていただいてありがとうございます。無事に火葬も終わりお骨上げもしてまいりました」
「この度はお2人とも本当にお疲れ様でした。実は智幸君に少し大事な話がありまして待たせて頂いておりました」
俺にって言う事は昨日のフジ子さんが言っていた事に関係がある事だろうと直ぐにピンと来た。
「母さん、、」
「ええよ。後はお母さんがやっとくから。多分仕事の話やろから早い方がええやろ?」
「申し訳ありません疲れてる時にこんな察してまで頂いて」
藤井さんが気を利かせて話を合わせお礼を言う。
「ありがとう。仕事の話でも遅くならへんと思うけど片付き終わったら先に家に帰ってて」
「分かった。では私は後の方がありますので失礼させて頂きます」
母さんは軽く一礼だけして葬儀場中へと帰っていった。
「ほんまに、葬式終わりで疲れてるのに申し訳ないな。でも話って言うのも静護さんの事で大切な話なんや」
葬式に来てくれた時は特に何もなく静かに最後まで見送ってくれてたけど、今は仕事をしている時の顔をしている。
「ちょっと探偵事務所の方まで一緒に来てもらってもええか?」
「大丈夫ですよ」
俺はそれから改めて話があると藤井さんから言われて探偵事務所へと連れて来られた。
葬儀場の最寄駅松ヶ崎駅からバスで京阪出町柳駅へ行き、そこからさらに少しばかり銀閣寺の方へ行った所に爺ちゃんの事務所がある。
昭和感が漂う5階建の北白川ビジネスビルの3階だ。
ビルは階数は5階までしかないものの横と縦幅は広く作られている。
ビルの正面中央にある入り口から中に入ると上がるためのエレベーターは付けられてなく、ビルの真ん中に階段が突き抜ける形で5階まである。
テナントはその左右に別れて2社ずつ入れる様に作られている。
俺達はその階段を上がって3階へと向かう。
1階の左手側には昭和ビルを上手く活用したレトロチックな『ブーランジェリーカフェ・リリー』って言う店が入っていて、階段を上がっていると14時過ぎなのにまだ焼き立てパンを使ってるのか良い香りがしてくる。
昔入っていた喫茶店が数年前に店主の高齢化で閉まってからしばらく空いていたけど、新しくテナントが入っていたのか。
そんな焼き立てパンの香りにお腹を一度鳴らして3階へたどり着く。3階の階段はビルの正面側に上がる様になっている。
事務所はビルの正面側を背に右手側にあって入り口はその奥に側にあるから今向いている方の右手側だ。
藤井さんは葬儀様に履いて来た革靴を鳴らしながら奥へと進む、俺も場所は知っているけど後ろをついて歩いて行く。
事務所の扉は昔ながらのアルミサッシの扉にすりガラスが嵌め込まれていて、ガラスには『友貞探偵事務所』と書かれている。
藤井さんがドアノブに手をかけて扉を開けて事務所へと入って行き俺も続いて入る。
事務所の作りは、ビル正面側に爺ちゃん用の大き目の机があり窓から日が差し込んでいる。
俺達が入って来た反対側にはこの部屋用のトイレへの扉に、壁には縦に長くて天井近くまで届く本棚がある。
本棚には俺も中学生の頃から読ませてもらっていた妖怪や日本神話の古い文献から探偵用の資料がずらりと並んでいる。
妖怪本は当時やっていた妖怪アニメの影響もあって読んでて面白かった。
部屋の真ん中には依頼者用のソファーと木で出来た長方形のテーブルを挟んでもう2台1人用のソファーが並んでいて、両脇の壁には書類棚が置かれている。
そしてその後ろに爺ちゃんの机が置かれている。
後、事務所を少しでも明るく見える様にする為か爺ちゃんの机の横に観葉植物と階段側の壁にある書類棚に多肉植物が置かれている。
緑好きの爺ちゃんらしい事務所だ。
「警察にえらい荒らされて随分と埃っぽくなってんな」
部屋の中は書類が出されたままで、後片付けはされずに終わったらしいく埃っぽくなっていた。
「自殺でも色々と調べないといけなかったんじゃないですか?」
「……」
探偵職は関係なく、事件性も視野に入れて隅々まで調べてくれた後だろう。
藤井さんは散らかった事務所を歩きながら依頼者用のソファーの背もたれについた埃を指でなぞり、警察に荒らされたままの事務所に文句を垂れた。
「はぁ…警察は後片付けまでは仕事に入らへんみたいやな」
葬式に来て受付で話した時とは大違いで、会社で見る藤井さんだ。
「仕方ないですよ。俺達も仕事の取引先で出たお茶は片付けないでしょう?それと同じ様なもんですよ」
藤井さんはそのままソファーを横切って爺ちゃんの仕事机に向かいながら否定する。
「はぁ、ものは言いようやな…でもなこっちには思い出ってもんがあるやろ?」
「…」
そうだ、記憶に残っている事務所もこんな酷く散らかってない。
ソファーに座って爺ちゃんの探偵話を聞いたり、妖怪の本を読んだり、時には依頼者と鉢合わせして下の喫茶店で待ってる様に爺ちゃん言われたとこもあった。
場所には思い出が残る。
そう思うと俺も警察の調べ方の雑さに腹が立って来てしまう。
「そうですね…」
「思い出に残っているものも、今現在あるものも両方ともちゃんと大切にせなかあんで」
俺は記憶を少し辿って違和感を感じる、この事務所の中で藤井さんらしき人とは一度も会った事がない。
(ん?藤井さんは俺が15の時に爺ちゃんに依頼して解決後は手伝いをしてたはずやんな?じゃなんでその間に俺は藤井さんと会うことがなかったんや?)
聞いていた話と俺の記憶の中で情報の辻褄が合わない事に苦いモヤモヤしたものを感じ少し言い詰めるように書いてしまう。
「話変わるんですけど、藤井さんって爺ちゃんの手伝いしてたんですよね?」
「そうやな、元々は依頼した側やったけどな」
「それは俺も聞いてます。でも詳しい事は母さんにも知らされてなくて分からないんです、やから教えて下さい。なんで藤井さんが爺ちゃんの手伝いをしてたのかと、手伝っていたって言うのになんで俺と藤井さんはその間面識がなかったのかを」
疑問をぶつけると藤井さんは右手をズボンのポケットに入れて爺ちゃんの仕事机の横へと歩いて行き、その横で立ち尽くす。
そしてそのまま、まだ入り口の近くにいる俺の方を向いた。
ポケットから何か取り出すのかと思って警戒するけど、藤井さんの真剣な目を見てそれは杞憂なのだと理解した。
やはりそうだったらしい藤井さんは俺の知りたかった事情を話し始めてくれた。けど話しながら爺ちゃんの仕事机の横にしゃがみ込みこんでしまった。
俺は不思議に思いながらも一旦は何も言わずに静かにしていた。
「俺が静護さんに初めて会ったのは京都の大学に受かってから引っ越して来て半年したぐらいやった。その時に借りてたアパートが問題物件やったのが事の始まりやったかな」
横板の左上、何も無い横板の角を人差し指で押し込む、すると10円玉ほどの大きさに丸く窪んだ。
そこに右手を突っ込んでいるポケットから錆びついた鍵を取り出して差し込んで右に回すと。
横板の一部が『ガコ』っと音を鳴らし正面に浮き上がった。
藤井さんはそれを外し中から一枚のファイリングされた紙と指輪一つ入りそうなほどの小さ目の箱を取り出した。
俺はそんな意味の分からない仕掛け外しも黙りながら見ている。
黙りながら見ていたって言うよりも、本当に意味が分からないだけだったから無駄に聞こうとしなかった。
話す気があるのか、それとも自分自身が隠していた遺留品をわざわざ親族の前で回収してるのかどうなのかが分からない内に変な茶々を入れない方がいいと思ったからだ。
「そのアパートは言わばいわくつきで物件で心霊現象が絶えず起こってたのを俺は知らずに借りてしまってたんや」
「心霊現象?それと爺ちゃんになんの関係が?」
「まぁ最後まで聞いてくれ。貧乏大学やったから新しい部屋を契約するためのお金もなくて、仕方なく京都に住んでる親戚の冨士子叔母さんを頼ってみたら良い霊媒師がいるって事で静護さんを紹介されたんや」
「…」
フジ子さんと藤井さんが親戚で、フジ子さんが爺ちゃんを紹介したのは昨日聞いた通り。
「俺もその時までずっと知らされてなかってんけどな、冨士子叔母さんも紹介された静護さんも世間一般に認知されてへん『霊媒関係』の仕事を生業にしてたんや」
フジ子さんも霊媒関係の仕事をしていたのは初耳だ、この人達は身近な人にも秘密が多い人達だな。
「?探偵じゃなかったんですか?」
「正式には『霊媒探偵』、やな」
「霊媒探偵?…爺ちゃんがそんな物騒なもんをしてたなんて本当ですか?」
「こんなこと聞かされてそう易々と受け入れれへんのは分かる。やから静護さんがこう言う時の為に証拠品と解決した依頼書を残してたんや」
そう言って取り出した依頼書と箱を真ん中のテーブルに置き1人かけ用ソファーの隣に立つ。
テーブルに置かれた依頼書と箱を見る為に俺はテーブルへと近づいていくけど、一歩踏み込むごとに家であの足跡に触れた時と似た悪寒が背筋を走って行く。
でも今回はまだ軽い、まだ耐えられる。
嫌なものを感じてはいるが、恐る恐るテーブルに近づいて依頼書を手に取って読む。
依頼書
―依頼者 藤井 龍也 20歳 大学生
―住所・連絡先 ◾️◾️◾️◾️◾️◾️
―依頼内容 自身の住んでいるアパートで多発している心霊現象の解明、もしくは解決。
―メモ 行きつけBAR店主冨士子さんからの頼み。早急に解決。料金は半額。
―依頼結果 アパートの下に埋められていた土地の持ち主の先祖の御霊が怨念が漏れていた事が原因。解決の為位置を特定、1階105号室と判明したので床下を掘り返す。そこに呪物化した遺骨を発見、貴船神社の清流水で清め納めて改めて埋葬した。
依頼者の名前が藤井さんのものだった。
「これって藤井さんのですか?」
これは当初、藤井さんが爺ちゃんに実際に依頼した案件の書類であった。
「そうや。本当はこんな個人情報が書いてある物をこんな形で残すのは御法度やけど、お前に全てを伝える時に少しでも話を信じてもらえる様にって静護さんが残してくれたんや」
依頼書の筆記は確かに爺ちゃんのも。
こんな物を自分の死後に人を使って見せると言う事は爺ちゃんは本当に『霊媒探偵』だったのだろうか。
「もう一つのこの箱の中身は?」
「それはその依頼の証拠品で、中に入ってるのは呪物化した遺骨の欠片や。無理に触ると霊障を起こすから気をつけや」
「…霊障ってなんですか?」
「霊障は簡単に言うと。霊や悪霊、又はその呪物に触る事によって呪いとして残った霊の意思が生きている人に対して悪影響を働く事や」
つまりは触ると呪われる遺物が入っているのか。
「そんな物を何で残してるんですか?」
「霊媒系の仕事を継承するか始める際は最初に霊障を起こすのが一般的らしくて、霊障を起こす事でその人の中の霊感を刺激して霊に対しての免疫力?みたいな物を高める意図があるらしい。詳しくは知らんけど」
霊媒系の仕事の継承や始めるなんて引っかかる事は一旦置いておいて、安全性が無さそうなのが気になった。
「意図があるなんて言いますけど、そんな危険な事して大丈夫なんですか?」
「この呪物に呪われてしまった時はこれの本体を清めた時の様に神社に行って清め祓って貰えば大丈夫やろ?」
(曖昧…)
役立たずと言わんばかりの顔をする。
「そんな顔すんなよ、俺かて静護さんにはただ着いて歩いて色々聞かされてただけで専門家じゃないんねんから」
そんな話をしている間も藤井さんはきびきびと動き用済みになった依頼書を元の場所にしまい、次に右手を入れていたポケットから五光星が描かれた風呂敷を取り出していた。
「でも友貞はこんな物に触れんでももお大丈夫そうやけどな」
「?」
「今日葬式に出て友貞の手見てびっくりしたわ、どこでそんな『霊障痕』つけて来たん?」
そう言いながら机に置いてある呪物を包み込んでいく。
「手の『霊障痕』?」
なんかの跡があると言われ両手を見て確認してみると。
右手にはさっきまでは見えていなかった薄暗いモヤの様な気の悪い物がへばりつく様にかかっていた。
「これなんですかこれ!さっきまで無かったのに!」
「それは『霊障痕』や。それが今見え出したって事はこの遺骨の欠片から出てる邪気が霊障の後押しになったんやな」
俺が慌てているのを横目に呑気に風呂敷で包んだ呪物をもとあった場所に戻して行く。
(そんな物騒なもん直したくな!)
一心不乱に手を振ったり、服に擦り付けてみたりしていると藤井さんが鬱陶しそうに舞い散った埃を手で叩きながら俺を軽く宥めてくる。
「そんな事しても無駄やから埃立てるな。それに跡になってるだけやから大丈夫やって言ってるやん」
「こんな気持ち悪いの大丈夫な訳ないですやん!」
「本当に大丈夫やって言ってるやん。それはもお呪いでもなんでもない、痕でしかないから」
言葉を理解できない若造を見る様な目を向けて呆れながら続けて言う。
「まぁ確かに、霊障はそのままおいてたら呪いになるらしいし。やからそうなる前に祓うか清めるか霊障をつけた霊の願いを叶えるとか、後は厄祓いの御札を使うとかせえへんとやけど、それももお必要ないぐらいやから」
俺だけ慌ただしく焦っているとどこからか変な音が鳴り始めた。
カタ…カタカタ…カタ、ガタ
それは爺ちゃんが首を吊った所のすぐそばにある、事務所の階段側とは逆の壁に置かれている家族写真が飾られているスチール製の上に3段、縦横に5個分の書類棚から突然カタカタと音がしていた。
さっきの事もあって少し気味が悪いけど、最初はネズミかと思って俺も藤井さんもチラ見するだけでそんなに気にもしなかった。
でも、カタカタ音は止まる事がなく段々と強くなっていき、棚そのものがガタガタと音を立てて揺れ始め家族写真を倒したところで俺も藤井さんも異常事態だと悟った。
俺は身近に続いた奇妙な出来事から恐怖心で1人後退りしたけど。
藤井さんはそんな俺に少し被さるように前に出て真剣な眼差しで書類棚を見ていた。
「友貞。事務所の遺品整理はまだ手つけてへんよな?」
「えぇ。そんな時間はなかったんで」
爺ちゃんが亡くなって直ぐに葬儀会場が取れていたから遺品整理なんて家の物を少ししか出来てない。
事務所に来るのも数年ぶりぐらいだ。
「てか、藤井さんは爺ちゃんの手伝いしてましたしあそこにある物ぐらい分からないんですか?」
「俺は結局のところただの荷物持ちで着いて行くだけやったから。事務所にどんなもんが放置されてるかなんてしらへんのよ」
それもそうなのだろうが、霊媒探偵の付き添いをするにしてもそれ相応の覚悟の下でやらないと不意に取り憑かれても文句は言えないだろうに。
「でも俺が知る限りでは…静護さんが事務所にどんな物騒なもん置いてても不思議じゃないかもな」
懐かしさを感じてか、藤井さんは少し笑いながらそう言う。
でも、そこらへんに呪物があってもおかしくない事務所を警察の人に触らせてたのか?
呪われて死んでも可笑しくない物がゴロゴロ置いてある事務所を現場検証してたら誤って呪物触っちゃいました〜みたいなホラー系の冗談なんて親族の俺は肝が冷えすぎるぞ。
「…じゃあ、あの書類棚の中にも何かしらの呪物が?」
「そうかも…やけど、もしかしたら御神体が仕舞われてるって事もある」
「御神体って…逆に神様に呪われるか神罰が降るやん!?」
御神体は本来神様の依り代として祀られている物で、本当なら神聖な物として神社で保管されていたり、神棚に祀られているはず。
そんな物をこんな埃っぽいところに保管なんてしていたら祟られても何一つおかしくない。
「それは大丈夫や…と思う。静護さんは霊媒探偵の傍ら廃神社の御神体の回収とお清めの依頼もしてたからな。多分その残りがあん中にあるんやろ」
「残りって事はまだお清めが済んでない物もあるんじゃないんですか!?」
「…でもまぁ、ほっておいても仕方ないし確かめよ」
確かめてくると藤井さんは書類棚へと近づいて行く。
書類棚はそれを待っていたかの様に近づかれるに連れて振動を緩くして行く。
あと少しの距離だが、藤井さんはもしもの為の警戒は緩めずにゆっくりと近づ来始める。
俺もみっともないがそんな藤井さんの影に隠れながら着いて行く。
目の前にまで辿り着く頃にはガタガタとしていた音は止んでいて書類棚が少し震えている程度だった。
「どの段に呪物なのか御神体なのかがあるんですかね?」
俺も真正面に着いて家族写真が倒れているのが目に入り手に取って立てかけて元の場所に戻した時に気づいた。棚の揺れも収まっていた。
「どの段かは分からへんけど、多分知らん人が不用意に開けて触らへんようにする為には入れてるんちゃうかな?知らんけど」
その説は確かにある。そうしてないと今回の様に警察の調べが入った時すぐに見つかって持って行かれてたかもしれないからだ。
と言う事はさっきの藤井さんの依頼書の様にこの書類棚の何処かに上手く隠されているんだろう。
でも、1階にも響いていたであろう異常な程の揺れの音を心配して調べに人くる前に元凶を調べやうと藤井さんが右から、俺は左から引き出しを開いて確認して行く。
棚の中を全部確認したけど、中は全て依頼書や書類しか入ってなく元凶と思わしき物は何も無かった。
中を確認し切ったタイミングで事務所の扉がノックされ開かれる。
「あの〜、1階でカフェをしている山岡というものなんですが。上の階から凄い音が響いて来まして、2階から確認して回ってるんですけどもこちらではないでしょうか?」
俺は慌ててくるし間際の言い訳を考えて謝罪した。
「すみません!うちです!。 祖父の探偵事務所を片付け出たんです。言うのが遅くなって申し訳ございません」
苦しい言い訳だったけど、カフェの人はどうやら信じてくれたらしい。
「そうだったんですね」
信じてはくれはしたけど暗い顔でもう一つ尋ねて来た。
「…もしかして友貞さんの御親族ですか?」
「はい、自分は孫の智幸って言います。…もしかしてご存知でしかた…?」
「えぇ…この度はご愁傷様です。同じビル内で商いをさせて頂いていたのにお葬式に顔を出す事ができず申し訳ありませんでした」
流石にビル内の人には何があったのかは知られていたらしい。
「いえいえ、こちらこそご報告とおご連絡が遅くなり申し訳ございません。今後はこちらの事務所を締めるつもりですのでその際にまたご挨拶させて頂きます」
「納めちゃうんですねこちら…片付けのお邪魔をしてしまった様ですみません。ではお暇させて頂きます」
嘘の諸事情を信じてくれた山岡さんは一礼だけして何事もなかったようにカフェへと帰って行った。
原因がまだ分かってない今の現象に俺は精神的に疲れて来た。
「はぁ…こう言う現象って霊感がある人にしか分からないとかないんですか?」
「気持ちは分かるけどこればかりはなで。それに仕方ない事はどうしようもない!さぁ元凶をさっさと見つけ出そ!」
「無駄に元気やな…」
それから約10分、さっきの事があって下の階にあまり気を使わなくよくなってか探し方も大胆になった、2人で協力してまあまあな重さがあるスチール棚を動かして裏まで確認してやっと元凶を見つけ出す事が出来た。
爺ちゃんは上手く隠したもので、書類棚の1番上の右から2番目の段を少し開けた後、開けた段の丁度真ん中になる上の見えない天井部分に作られた10円玉サイズの穴に指を入れ、上に押した後少し奥にスライドさせて棚を引き出す事で下面になっていた部分が一緒に出てくる様になっていた。
実にめんどくさ過ぎる仕掛けを用意してくれたもんだ爺ちゃんは。
「…めんどくさい仕掛けやわ…」
「あんなけ探して…見つけたと思ったらこんな見えにくい仕掛け…静護さんも人が悪い…」
2人で愚痴大会が出来てしまう。
他人や事情を知らない人に被害を出させない為とは言え、処理する人へ仕掛けに関しての遺言なしに探させるのは一苦労だ。
でもそんな愚痴も程々にして元凶らしき物を確かめる。
25×25cmの高さ4cmの角が欠けて薄く汚れた古びた木箱、重さもそんな重くはない。
そして木箱にはしっかりとした紙垂のついた細いしめ縄がしてある。
木箱を書類棚の上に置きしめ縄を切らない様に慎重に気をつけて取り外す、そして蓋を開けて見てると中には左上からから右下へと斜めに亀裂が入った古びた鏡が入っていた。
「これは八咫の鏡? 模造品か?」
「3種の神器ってやつですよね?なんでそんな物が?」
「分からんけど、何にしても結構古い神社の物やろな」
八咫の鏡だと思う物を箱から出して棚の上において見てみると鏡の中に元々そこに靄があったかの様な濡羽色の靄が現れて鏡の中全体にかかった。
霧を目にした途端、俺は強い不快感を覚えた。
それは隣で一緒に見ていた藤井さんも同じ様だ。
不快感は毎秒進む速さでどんどん強くなっていく。
目を逸らせばいいのにそれは出来ない、出来ないと言うよりも『目を逸らすな』と訴えかけられている様だった。
そして『俺達』は目を逸らせずに見続けていると、鏡の『中』の濡羽色の霧は少しずつ薄れていく。
晴れた先に見えたのはコンクリート製のアパートが密集している島。
それは『軍艦島』だった。
「これ軍艦島ですよね?」
「そう…やな?」
そんな事を言っていると、鏡の『中』に映っている軍艦島がどんどん拡大されて行き、島の中央あたりにある1つのアパートの入り口前で止まった。
俺達は驚いたと同時に不快感の理由を理解した。
その入り口前には亡くなったはずの爺ちゃんが佇んでいる姿が映し出されていたんだ。
「爺ちゃん…!?」
「静護さん…!?」
俺達は驚いて声を合わせて呟いてしまう。
すると、佇んでいた爺ちゃんは歩きだし入り口を抜けてアパートの奥にある暗く影になっている廊下の先へと進んで行き見えなくなって行った。
亡くなったはずの爺ちゃんが、八咫の鏡に映し出された軍艦島のどこかで魂が囚われているのかも知れない。
それとも。
「…爺ちゃん…もしかして、自殺じゃなかったんじゃあ?…」
―霊媒探偵の死 弎 阿吽―




