第七話 「毒を食らって骨を断つ」
自分の足にからみついた泥に気づき、イズミは短く悲鳴を上げる。
「イズミ!」
青年はイズミのもとへ走り、勢いよく体をぶつけた。
イズミは泥のたまりの外へ倒れ、足首にからみついていた泥もちぎれた。
青年が再び剣をかまえようとした時、彼の背後の泥が音もなく盛り上がった。気配を察し、青年は振り返る。それと同時に、盛り上がった泥の先端から何かが姿を現した。
それは幾重にも霊符を張り付けられた、一角獣の頭蓋骨だった。
頭蓋骨はその眼孔を青年に向け、大きく口を開き、浴びせかけるように霧のようなものを吐き出した。
「野郎……!」
青年はとっさに後ろへ飛び退いたが、霧をまともにくらってしまう。
どうやら毒性のものらしく、青年の視界は次第にかすみ、怪物の姿を見失ってしまった。
「お客さん!」
「兄さん、もうよせ、逃げろ!」
イズミとニシキが叫ぶ。二人の声を聞き、青年は剣をかまえた。
「耳が聞こえるなら十分だ。ここでケリをつける。野郎の場所を教えてくれ」
「正気か? 目が見えねえんだろ。戦えるわけが」
「右です! 右に剣を振って!」
イズミが叫ぶ。
青年は即座に剣を右に振り抜いた。
剣は空を切ったが、剣先はわずかに怪物の頭蓋骨をかすめた。
頭蓋骨は泥のたまりに身をひそめ、別の方向から現れては青年に襲いかかる。そのたびにイズミは青年に指示をおくり、青年は彼女の言葉を信じて剣を振った。
そんな彼女の様子を見て、ニシキは目を丸くする。
「どうしたってんだよイズミちゃん」
「倒すしかないんです。今ここで。あのお客さんなら、きっとできます」
「けどよ、あのバケモノ、出たり引っ込んだりで動きが読めねえぞ。このままじゃこっちの分が悪すぎるぜ」
「大丈夫。私に、策があります」
イズミは懐から薬包を取り出し、中の錠剤を口に入れ、飲み込み、青年のもとへ走った。
「よせ! イズミちゃん!」
ニシキが叫ぶ。それを聞き、青年も声を上げた。
「危険だ、さがれ!」
しかしイズミは止まらなかった。
怪物はイズミに狙いを変え、彼女の真正面に姿を見せると、大きく口を開き、毒の霧を吐き出した。その瞬間、イズミは両目を固くつぶり、腕を前に伸ばして怪物の頭蓋骨を捕らえた。
「そのまま前へ走って! 合図をしたら剣を振って!」
もはや一刻の猶予もない。青年はイズミの言葉を信じ、走った。
「今です!」
イズミは両腕をのばし、青年に向かって怪物の頭蓋骨をかかげる。
青年は剣を振り上げ、そこにいるであろう怪物に向かって振り下ろした。
剣は怪物をとらえ、頭蓋骨を真っ二つに切り裂いた。
ついに力尽きたらしく、頭蓋骨は地面に落ち、泥のたまりは風に吹かれた灰のように消えて言った。
「どうやら終わったらしいな」
青年は剣を地面に突き立て、やれやれと腰をおろす。
「口を開けてください。今、薬を出しますから」
「すまねえな。助かる」
イズミは自分が口にしたものと同じ薬を青年に飲ませる。
「しばらくすれば目の神経も回復してくると思います。それまで安静にしていてください」
「わかった。しかし、この毒の性質がよくわかったな」
「泥のにおいで思い出したんです。あのにおいは、霊獣の血を材料にしてつくる神経毒のにおいによく似ていました。だから、私が持ち歩いている解毒薬で対処できると思ったんです」
「まさかお前さん、それで大丈夫だと踏んだから、あの怪物に突っ込んできたのか?」
「はい。実際、毒の霧を浴びても苦しくはありませんでした。我ながら良い出来ですね」
「よくもまあ、そんな無茶を。うまくいかなかったらどうするつもりだったんだ」
「その時はまあ、その時ですよ。でも、お客さんに無茶だなんて言われたくないですね。あの怪物にたった一人で立ち向かっていったんですから」
イズミは小さく笑い、青年は頭をかいた。
「まったく、こわいもん知らずほどこわいもんはねえな」
「ところで、あの怪物は何だったんでしょうか」
「頭蓋骨に霊符が張り付けてあった。おそらく、霊獣を核につくられた式の一種だろう」
「いったい誰がそんなことを……」
「太陽の使徒って可能性が一番高いな。連中はこういう手をよく使うんだ」
視界がもどってきたらしく、青年は地面に転がっている霊獣の躯に目を向ける。
イズミは立ち上がり、骸のそばへ行くと、おそるおそる手を伸ばし、抱きかかえた。
「じゃあ、この霊獣には、何の罪もないんですね」
「そうだな。そいつはただ術式をかけられて利用されていただけだ」
「ならちゃんと、弔ってあげないと」
その時、遠くからイズミの名を呼ぶ声が聞こえてきた。
「イズミ! 無事か!」
店主の声だった。
店主はイズミのもとへ駆け寄り、肩をつかんだ。
「ご主人? どうしてここに」
「騒ぎを聞いてきたんだ。大丈夫か、けがはないか」
「安心してください。私は大丈夫です。それに怪物はお客さんが退治してくれました。だからもう心配することはありません」
ですよね、とイズミは青年に笑顔を向ける。
「たしかに怪物は退治できた。イズミのおかげでな。だが……」
青年は目を細め、大通りの向こうにある美奈木大橋のほうを見る。
怪物が退治されたことを知ったのか、少しずつ人々の姿が見えはじめていた。
しかし青年の目は、警戒を緩めてはいなかった。
「厄介事は、まだ終わってねえぞ」