血族編(三)自殺
(一年半後)
電話はまるで真夏のさなか、蝉が鳴くように部屋中に鳴り響いていた。達也を含め、社員はせわしく電話対応に追われている。
「三日前に銀行で料金を支払ったのに、何でこんな督促状が届くんだ」
「こちらに連絡がこなかったものですから、申し訳ございません」
「料金を払わなければ契約解除とはどういうことだ」
「申し訳ございません。お客様の場合前月分も支払われておりませんので」
「請求書が届いていないのに、どうやって支払えっていうんだ」
「それでは再発行しますので、その請求書でお支払いください」
毎日毎日苦情ばかり、達也はうんざりしていた。
通信会社に入社した達也は、都内郊外に所在する営業所の営業課に配属された。
一昨日、料金未納者に督促状を発送したため、営業課の社員はその苦情対応に追われていたのである。
業務終了時間になると、着信に業務が終了したことを告げるテープが流され電話はピタリと止まる。静寂となった部屋のなかで、自動督促機のカセットテープの回る音だけが、自己主張するかのようにカチャカチャと地味な音を立てている。
みんなが帰ってしまう前に伝えておきたかったのか、総務課の社員が息を切らせながら営業課の部屋に入って来て言った。
「明日の土曜日は、雨模様のため運動会が中止になりました」
誰かが「やった」と言って叫び声をあげた。
―明日は家でゆっくりしていよう―
蟠りから解放された達也は、思わずため息をついた。
土曜日の朝、いつもの朝をむかえるはずだった。いつものように朝だか昼だかわからないような時間に目を覚まし、いつものように近くの公園に行って軽く運動をして汗を流す。家に帰ってシャワーを浴びて、自分の部屋でコーヒーを飲みながら煙草をいっぷくする。その時が達也にとって一番の至福の時であった。しかし、その日は普段の土曜日とは様子が違っていたのである。
前日の夜十一時頃、自分の部屋の畳に敷いてある布団のふちで、母の実家から送られてきたスルメを肴にビールを飲み、その後眠りについた。
深夜の二時に目が覚めて、尿意をもよおした達也はトイレに行くために一階に降りた。トイレの反対側の居間に隣接している寝室では、母親が仰向けになっていびきをかきながら眠っている。隣に敷いてある布団には父の姿が見当たらなかったので、母を起こそうかと思ったが、あまりにも心地よさそうに眠っていたため、そのまま自分の部屋に戻って床についた。
そして十月十二日、土曜日の早朝、自分の部屋の布団のなかでうとうとしていた時だった。一階の居間で電話が鳴っているのが聞えてくる。母親が電話にでたようで音はすぐに鳴りやんだ。しばらく沈黙が続いていたが、「あ、どうして、私、どうしたらいいのか」という怯えた声が微かに聞こえてきた。その直後、母親が叫喚しながら階段をあがって来た。
「達也、達也、お父さん死んだって。会社で首吊って死んだって」
達也はすぐに寝床から飛び起きて、瞬時座ったまま放心状態にあった。細かく刻む、秒針の音が鈍く感じる。真っ白な頭のなかは、まるで異次元の空間にいるようだ。部屋のなかの風景はいつもと変わっていない。布団のすぐ隣に置いてある、折り畳み式のテーブルの上には、昨日飲みほしたビール瓶と空のコップ、スルメの食べ残りが数本こびりついた皿が乱雑に置いてある。昨日このテーブルで晩酌していた時間、父親は生きていたのだ。
―深夜中どこで何をしていたのか―
達也はぼんやりと考え込んでいたが、ふと我に返った自分に気がついた。
―何でそんなことが起こってしまったのか―
と思いながら、しばらくの間茫然と布団の上に座っていた。
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