血族編(一)追懐
中庭の養鶏場でひとり遊んでいた時、祖母に呼び止められて卵をとって来るように頼まれた。それぞれの鶏の臀部の下のところに、ちょうど卵一個分の穴が開いていて、鶏が卵を産むとその穴を通って外に出てくるように細工されている。その細工された取り出し口の木枠の上に、卵を一つ取るごとに正の字を書くように祖母に言われ、達也が白いチョークで三つの線を引いて祖母のところへ駆けよると、祖母は微笑みを浮かべていた。
中学二年まで、正月は浦和にある父親の実家で過ごすことが慣例であった。祖父は、実家の中庭で鶏を飼育して、規模の小さい養鶏場を営んでいたのである。
中庭の勝手口から通じる居間には、仕事を終え、冷えきった体をすぐに暖めるために掘り炬燵が備えつけられていた。炬燵のテーブルの上には、色とりどりのおせち料理がぎっしりと並べられている。天井から釣り下げられている白熱電球は、炬燵の上を暖かく照らしているが、隅々まで射しこむことのない仄明かりは、部屋の奥の薄っすらと暗く霞んだ光景を映しだしている。
炬燵はてっきり電気炬燵だと思っていたので足をのばして寝そべっていたら、足の親指に激しい痛みを感じたので、すぐに足を引いて親指を見てみると靴下が焼け焦げていた。電気炬燵ではなく炭炬燵だったのである。親戚といえども家族でもない幼い子供が火傷でもしたらと思われたのか、叔父や叔母がそろって達也のところに駆けよって来て様子を見ている。幸い、焼けたのは靴下だけで足に火傷はなかった。浦和の伯母さんが、息子のために買っておいた新品の靴下を、達也のところに持ってきて差し出してくれた。
兄弟が多かったため、浦和の正月は毎年にぎやかであった。親戚一同が集って団欒する雰囲気は、のどかな田園を訪れたような趣を達也にもたらした。
祖父と祖母の間には五人の子供がいた。長男が強一、次男が達也の父親である章次、その後は順に直子、達吉、英治と続いている。
強一と章次は性格が似ていて、気性が荒くギャンブル好きであった。母から聞いた話では、強一は若い頃ギャンブルが高じて実家を売りそうになったらしい。怒ると手がつけられなくなるので、弟達は強一にだけは盾突かなかった。また強一は、祖父が養鶏を廃業した後、すぐに養鶏場があった中庭に風呂場や離れを増築した。祖父と祖母は、母屋をはなれて強一が建てたその離れに移り住んだのである。
長女直子には二人の息子がいたが、子供を儲けた後離婚したため直子ひとりで二人の息子を育てていた。直子の長男隆明と次男敏章は、中山家の親族のなかでは珍しく優秀で、二人とも都内の学群のなかで一番偏差値の高い都立高校に進学した。
敏章は達也より一歳年下であった。いとこのなかで一番歳が近かったこともあり、生涯家族ぐるみのつき合いになるだろうと思っていた母親は、達也と敏章に将棋やトランプをやらせて遊ばせようとしていた。が、そのような関係になることはなかった。隆明と敏章は優秀なわりに卒業後は芳しくなかったのである。隆明は国立大学を卒業後、小学校で教鞭をとっていたがしばらくすると辞めてしまい、何か思うところがあったのか、僧侶の専門学校に通って寺の住職に就いた。弟の敏章にいたっては、国立の医学部に進学したものの一年で中退してしまい、その後は漫画家を目指していたのだが、芽が出ることなく今となっては行方の知れないままになっている(もっとも、自分も同じような境遇になるのであるが)。
三男達吉はまったくの謎の人物で、銀縁の眼鏡をかけて入念にアイロンのかかったスーツを着こなし、いかにもインテリじみた神経質な風采であった。毎年娘を連れて正月には顔を会わせていたものの、達也自身会話すらしたことがなかった。娘も娘で一言もしゃべらず、いつも親のそばについていたので、まるで可愛い女の子のこけしを隣に置いているように思えた。
中山家のなかで、四男英治は別格に人当たりが良かった。「達也君、達也君」と言ってはなにかにつけ話しかけてきたものであった。幼い娘がいたが親に似て人なつっこく、達也になついていたので、浦和に行った時はいつも娘の遊び相手をさせられていた。
祖父が離れで暮らすようになってから、達也の正月はおもに離れで過ごすことが多くなった。二間だけのこぢんまりとした家だったが、祖父と祖母が二人だけで暮らしていくのには十分な広さであった。その離れは、窓が少なくて薄暗い寂寞とした家屋である。この馬小屋のような離れに、祖父や祖母が自ら移り住んだとは達也には思えなかった。きっと、強一の籠絡があったのだろうと身勝手な憶測をしていたのである。
祖父は寡黙なひとであった。達也が何を話かけても地蔵のように頑なに沈黙を保ち、達也の記憶にあるのは「うまいこと知ってるねえ」のひと言だけである。「おじいさん僕囲碁できるよ」「うまいこと知ってるねえ」。一緒にバスに乗っている時に降車ボタンを押すと、「うまいこと知ってるねえ」といった具合である。煙草をこよなく愛していた。煙管に刻み煙草をつめ、火をつけて少しだけ燻らせて、煙草箱にカンと音をたてて灰を捨てていた。
その年の正月は、浦和で過ごす最後の正月だっただろうか、離れの部屋で炬燵に寝そべりながら大晦日に紅白を見ていた。ちあきなおみが喝采を歌いながら左手をゆっくり上げていく姿が、年月を経ても鮮明に達也の脳裏に焼きついている。
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