98 西の公爵領 4
西の公爵子息と共に森にはいった貴族たちの高熱が下がりかけた時、公爵邸から治療宿に馬車が来た。医師アーツと治療師ハイラの召喚状を持参していた。西の騎士たちが無理やりアーツ達を連れ去ろうとする。それを止めようとするストーンをアーツが止めた。
「ストーンさん手を出さないでください。召喚状ですから仕方ないです。残った皆をよろしくお願いします」
西の騎士たちは二人を無理やり馬車に連れ込んだ。
『ライ、俺がついて行く』
グレイが馬車に乗り込むと馬車は音を立てて走り去った。
「ライさーん、患者をお願いしますー」
馬車の窓からアーツの声がする。急な展開にライは茫然としてしまった。召喚状ということは貴人の治療が上手くいっていないのだろう。それしか考えられない。西の医師や治療師がこちらのやり方を受け入れてくれるとよいが、毒入りを服用していたら手遅れになるかもしれない。その責任をアーツやハイラに負わせるのではないかと不安になってきた。
ハイラと共に働いていた人が魔力測定器をライに手渡した。ハイラがそっと予備を持たせてくれていた。
「ライさん、貴族の子息が目を覚ましました」
止まっている暇はない。貴族は魔力量が高いため、枯渇前に魔力ポーションの摂取を開始しないといけない。今は自分しかいない。緊張で、身が引き締まる。
「ライさん、ハイラさんから魔力測定を教わりましたから、わたしが測定します」
「ライさん、わたしが患者記録に魔力量を記入しますからその値から魔力ポーションの量を指示出してください」
「大丈夫です。ライさんは動かず指示を出すだけでいいのです」
東から来た人たちと西の患者の家族が声を掛けてくれる。慌てるな。焦るな。たとえ貴族でも患者に変わりはない。深呼吸してライは仕事を再開した。
高熱が下がり、魔力枯渇が改善される頃には貴族の子息は我が儘を言い始めた。
「こんな薄いスープなど飲めるか」
「どうして個室でないんだ」
「汚い宿に貴族を押し込めるなど、死罪だ」
「早く治せ」
「もったいぶらず薬をよこせ」
「なぜこんなとこにいる?」
差し出した水の入ったコップを投げつける者や、体を拭き清める者に手を上げる者まで出てきた。ライは献身的に働いてくれる人に暴言や暴力をする貴族が許せなかった。
「今すぐここを出て行きなさい。ここは治療を必要とする人がいるとこです。子供の様な我が儘を言うものなど診るつもりはありません」
「生意気な女がなにを言う。お前などすぐに死罪だ。不敬罪だ」
「貴方たちの親が西の治療が受けられないと泣きついてここに連れてきました。親心が分からないのですか!禁止されている森にはいって勝手に熱病にかかったのは自業自得です。自分の過ちが分からないのですか」
「そんな訳ない。俺はスリネス様の側付きだ。俺を見捨てるはずがない」
「俺はフィギネス様の側付きだ。あいつらとは違う」
「ここで治療されているのが事実ではないですか」
頭に血が上ったか貴族の子息の一人が急に立ち上がりライに襲いかかろうとした。ライは殴られると頭を押さえた。さすがに平民のライが攻撃を加えることはできない。ここにいる東の人達に迷惑がかかる。
「いい加減にしろ。今起きたら意識を失うぞ」
ストーンが振り上げた腕を払いのけ、起き上がろうとした体を抑えつけた。貴族の子息は、唸り声しか出せない。
「バチン」と殴る音がした。殴ったのは、最初に息子の治療をお願いに来たコイネインさんだった。
「ゴードン!お前がここまで情けない奴だとは思わなかった。本来なら側付きとして、規則を守るべくフィギネス様やスリネス様に苦言を呈するべきなのに、それどころかボイネンの煽りに乗せられて、この不祥事。死をもって償うのはお前たちだ。
公爵は自分たちの治療のためにお前たちを西の治療から外させた。このままでは死を待つしかなかったお前たちを受け入れ、昼夜問わず治療をしてくれた者に暴言を吐き、暴行をするなど人として情けない。お前たちは廃嫡されると思え」
「父がそんなこと許さない」
「俺は一人息子だ。廃嫡などない」
「お前たちが熱病を街に運んだせいで街に高熱病が広がっている。この責任は誰が取る。正しく治療しなければ7日で死ぬ。街の半分が死ぬかもしれない」
「俺は助かるのか?」
「俺は原因の草を刈ってきたから、もう熱病は広がらない。父の持っていた文献に書いてあった」
「毒のアス草を刈ってはだめ」
「なぜだ。あれが原因だ。知りもしないのに」
「熱病の原因は分かっていません。毒のアス草で、薬を作らなければいいだけ。毒のアス草はコウガイを起こす虫を森でせき止める仕事をしています。アス草がなければ他の草木を食い散らします。そうすれば更なる食料を求めて、街や農産物を襲い食べつくします。アス草の毒が虫を死滅させる働きをしているのです。アス草がなくなれば作物を食べる虫が大量に移動してしまう」
「ライさん、どうしたらいい?街に虫が来る前にどうしたら」
「お、俺、森で虫に刺された」
「お、俺も」
「熱病の原因は虫に刺された毒のせいかもしれません。街に虫が広がれば、熱病も一気に広がってしまうかもしれません」
「虫なんて燃やせばいい」
「あなたは、馬鹿ですか!森を燃やしたら、魔獣や獣が逃げまどい街を襲います。さらに王都まで大きな道の多い西から王都へ魔獣が移動しますよ」
「そ、そんな」
「コイネインさん、街中に外出禁止を出して、虫に刺されない服装で家に立てこもらせてください。それとできれば森の近くで虫を捕まえて、焼却か氷魔法で凍死させてください。潰せばその体液で熱病を発症するかもしれません。
あと、これは私が作った殺虫剤です。効果があるか分かりませんが森の周りに10倍に薄めて撒いてください。一時的かもしれないですが、虫の勢いが弱ります。森から出られなければ虫たちは、残ってる森のアス草を食べつくして死滅すると思います」
「森に閉じ込めるんだな。分かった」
息子の様子を見に来ていた父親たちはコイネインと共に外に駆け出した。貴族のボンボン息子も現状を理解し始める。
「そんなつもりなかった」
「何てことをしたんだ」
「ライ、危ない」
唐突にストーンがライを抱え込み倒れる。何が起こった?と伸ばしたライの手に、ストーンの背から生温かいものがながれてくる。
「ストーンさん?」
「良かった。君を助けることが出来て・・」
「だ、誰か!」
ストーンは魔法攻撃からライを守るために自身の背で攻撃を受けた。肩から流れる血をライは、自分の手で押さえる。一瞬の静寂から騒音の渦中にライはいた。
「ライさん、ストーンさんを寝台に移します。大丈夫です。肩を貫通しただけです」
「捕まえました。こいつがライさんをねらった!」
「「「ボイネン!?」」」
「「「なぜ?」」」
「この女さえいなければ、すべてうまくいったのに。西の公爵領なんてなくなればいい。虫だろうが、熱病だろうが、魔物だろうが、すべての災いに飲み込まれろ!同じ親から生まれたのに、なぜだ!なぜ母は死ななければならない!」
ライは、一人の青年の恨みのこもった怒号を聞き流してストーンの治療に専念した。魔力ポーションを飲みながら、肩の傷に回復魔法をかける。太い血管の修復には時間がかかった。
ライにはそんな強い力はない。それでも願った。『傷よ塞がれ』『傷よ塞がれ』『傷よ塞がれ』せっかく高熱病から回復したのに、オズの泣きそうな顔が目に浮かぶ。ストロングの顔も浮かぶ。ストーンは、こんなに皆に愛されてる。
『わたしを守って死んではダメ』『生きて!』ライのすべてを込める。ライの意識が途切れた。『ライ、よく頑張りました。少し休みなさい』優しい声が聞こえたような気がした。
「ボイネン!恨むなら父親を恨みなさい。なんの罪もない民に危害を加えるのは間違っています。貴女の母親の治療を拒んだのは医者のハリネス、毒草で薬を作って、売ったのは薬師ギルドのアロガンス、魔力枯渇の治療が出来なかった治療師ウエイク、彼らです。
彼らは王都からの命令で出向いてくれた東の人たちを無碍にして、仕事のできない者を治療のトップに据えました。父も兄たちも命はとりとめましたが、後遺症が残りました。自業自得です」
「後遺症・・」
「「「クレバリー様」」」
「わたしは情けないです。次代を背負う私たちがこんな為体でどうするのですか。貴方たちはたとえ貴族籍を失っても命があり健康を取り戻せます。でもこれから熱病を発症する人々を誰が助けるのですか。今ここで、わたしたちは自分の過ちを省みる時間はありません。さっさと治して、倒れたライさんの代わりに働きなさい。貴方たちが連れてきた虫が病気を広げているのです」
声を張り上げたのは西の公爵代理第三夫人クリアールの娘クレバリー。クリアールは初めの頃、東の治療応援の情報を隠されていたことを最近知った。状況が分からずにいた所を、クレバリーが出向くと言い出した。最初は、隠れて情報を探るつもりが真摯に働く東の人たちに心を打たれ、手伝いに参加していた。
ライが魔力枯渇から回復したときに側にストーンがいた。心配そうにライの顔を見ていた。
「目が覚めましたか?ライさんは、思いっきり魔力を流すから魔力枯渇になって、意識を失いました」
「ストーンさんは?まだ顔色が悪い」
「結構血が流れましたから。でも今は傷は塞がり、肩も腕も支障がありません。今もあなたの護衛騎士です」
ああ・・良かった。彼が騎士でなくなるのは命を失うより辛いだろうとライは思った。
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