95 西の公爵領 1
ライたちが王都での謁見ののち転移陣を使って、西の公爵邸の別館に移動した。
「遠いところ、よくいらっしゃいました。王都からの心遣い感謝します。王都の書記官殿、今宵細やかですが歓迎の宴を開きます。当地の豊かな食事を堪能していただきたい。護衛の方々もごゆるりとお休みください」
恰幅の良い赤毛の男性は、王都の書記官たちには挨拶をするが、ライたちは見ることもない。西の迎えの者はそのままライたちに声もかけず背を向けた。王都の書記官と護衛は戸惑うも、案内されるまま公爵家の本館に移動していった。
「東の方はこちらの別館にお泊り下さい。明日、治療の家にご案内します。夕食はこちらに運びます。それと代表の方は、打ち合わせがありますので隣の部屋にお集まりください」
疲れ顔の事務官はそう言って、返事も待たずに隣の部屋に移動した。ここまであからさまに無視するとは驚きだ。顔色の悪い西の事務官数人も、動き出さない東の代表に声のかけ方が分からないのか黙っている。明らかに貧乏くじを引いたと顔に書いてあった。
「こんなもんだと思ったが、まあ想像通りか。俺とハイラと執事・・・」
「もちろんわたくしも伺います」
気難しいストロングさんの眉間に深い皺が刻まれ、さらにこめかみに青筋を立てていた。ストロングの怒りが頂点に達している。ライはもめ事は大人に任せることにした。
侍女が置いて行ったお茶を皆に配りながら、ライは持参したお菓子を鞄から出した。慣れない移動に2度の転移で、ぐったりしている人もいる。ライは初級回復ポーションを少しずつコップに入れて、お菓子と一緒に配った。
受け取った治療チームの女性が不思議そうに首をかしげる。「飲んでも良いのですか?治療用では?」
「これは私が個人的に作った物ですから心配しないでください。今日の様子では、西の公爵様の協力はないと思います。今ここにいる人だけで治療にあたることになりますので、わたしたちが万全でなければ患者にも、西の公爵様にも立ち向かえません」
「うふふ、若いのに凄いわね。わたしは遠慮なくいただきます。…すごいのね。回復薬を飲んだことないから知らなかったけど、先ほどまでの浮遊感とめまいと吐き気がすっとなくなったわ」
「「「私もいただきます」」」
次々と他の転移酔いの人たちも、渡されたお菓子と初級回復ポーションを口に運んだ。空いた小腹に甘いお菓子は優しく、先ほどの体調不良と戸惑いが薄らいでいく。残ったものが一息ついたところに先ほど出て行った代表者たちが戻ってきた。
「だから言ったんだ。西の公爵の援助なんて当てにならない」
大声で医師のアーツが叫びながら部屋に入ってきた。どうも先程の疲れ顔の事務官の説明に苛立っているようだ。
西の公爵家は東の公爵家に応援要請はしていない。王都の指令なので仕方なく受け入れたが、勝手に来たのだからあとは自分たちでやってくれ。貴人は西の者が治療するので手を出すな。その他の下賤な者なら診ても良い。古い宿屋を治療部屋兼宿屋として使う許可をやろう。西の公爵家はその他の援助をしない。
随分な言い様だ。疲れ顔の事務官も自分の考えではなく上からの指令だけに、反論に何も答えられない。執事のストロングは、ロッキング公爵代理として、親書を持参していた。それを公爵本人に手渡すと言って、本館に向かった。執事の怒りは相当のものらしい。
「アーツさん、怒っても変わりませんよ。このお茶だって、庶民が使うようなお茶です。待遇改善に使う力を治療に向けて早く帰りましょう」
「アーツ、ライちゃんに諭されてどうする。来る前から分かっていたことだ。各ギルドが十分に準備してくれている。出来るとこまでやって帰ろう。西の公爵家にとって俺たちは元々必要ないんだから」
別館に軽い夕食が運ばれた。サンドイッチとスープという軽食で、夕食とは言えない。ライは追加で、果物やお菓子を出した。ここはまだ西の目があるのであまり目立つことはできない。そのため食事後はそれぞれが部屋に戻り体を休めた。
翌朝、馬車で案内された治療用の家は、大きな食堂兼宿屋の跡だった。新しい道路が出来て人の道が変わり、宿屋としては寂れたらしい。
「建物はしっかりしていますね。広い食堂を主な治療部屋にしましょう。隣接した個室は重症者か女性部屋にしたらよいと思います」
台所の隣には入浴施設まであった。2階には二人部屋が10部屋、大部屋が3部屋ある。さらに宿屋の横には宿屋の主家族が住んでいた家まで残っていた。
「アーツさん、ハイラさん、最高の建物です。どうせ取り壊し予定なら好きなだけ改築しましょう。まずは寝台を・・」
「おーい、家主の家の倉庫に寝台が積んである。少し古いが問題ない。男手は運んでくれ」
「では女性たちは、お湯を沸かして掃除をしましょう」
さすがに手慣れたもので、それぞれが出来る仕事に入っていった。ライはまずは食堂の椅子とテーブルを一度外に出し、全体にクリーンを掛ける。寝台を配置したのち必要な数のイスとテーブルを寝台周りに置き、残りを倉庫に片づけた。
ここに集められる患者は冒険者や街の人たちの10名ほどで、今は自宅で安静にしている。公にはしていないがすでに死人が10名ほど出ているようだ。だが死人の数はもっと多いのかもしれない。
ストーンは身体強化を使って重いものを軽々運んでいく。彼はライの護衛ということは秘密にしてライの付き添いということになっている。そのせいか力持ちの助手として、方々から声が掛かった。
黙々と働く彼はすぐに信頼されていった。言葉は少ないし、笑顔もないが美味しいものを食べる時に少し笑うのが可愛いと、女性たちに人気が出ている。
『人はどこかに良いとこがあるというらしいが、あいつにもあるんだ』
斜め見のグレイがぼそりとつぶやいた。
『ライ、貴族を見ている医者はたいしたことない。アーツたちの論文も読み解いていないようだ。高い薬と栄養価が高いらしいが、油ギトギトのスープを作って飲ませてる。身体を冷やす冷却材は高いから、金の払えるものしか渡してない。患者はみんな死ぬな』
「冷却材渡そうか?」
『ライ、本来十分にあるものをないと言って、高値で売りつけるやつに塩を送ることはない』
「塩を送る?」
『この国より東の遠い国のことわざだ。敵が困っているときに生きるのに不可欠な塩を断つのでなく、逆に敵に塩を与えて助ける。要は弱みに付け込まず正々堂々戦うかな?』
「本当にあっているの?」
『俺は塩がなくても生きていける。敵にマソを送るか?そんなことはいい。冷却材は倉庫にある。心配するな。それに西の奴らは敵にもならない。今治療している奴ら、森に入って狩り遊びして発病した奴らだ』
西の領地は温暖な気候なので森は豊かだ。小動物が多く、何だかんだと言って一年中、男性貴族は狩りを嗜む。だから今回アス草の異常発生の最中でも森にはいった。当然冒険者ギルドが立ち入りを拒否したが、そんなことは聞かない貴族の息子たちだった。だが貴族とはいえ無駄金は払わない。継承権の高い順に手厚い手当てが受けられる。
さらに、粋がって異常発生のアス草を刈り取りにいった者までいる。当然それに付添う下の者まで高熱病を発症していた。発症者を出した貴族家では40年前の記憶などとうに消えていて、高熱病の恐ろしさを感じていない。西の公爵自体も思慮深いという言葉を持ち合わせていなかった。
『3人の妻に妾が数人いる好色家。畑違いの息子達が継承権を争っているのに気が付かない馬鹿だ』
そんな話をしているうちに高熱病の患者が運び込まれた。発症して三日目らしい。皆意識が朦朧としていた。
「もしかして毒入りアス草から作られた薬を飲んでいるのか?」
「これから使う薬はすべて東の物しか使わない。ライ、水分補給用の水を作ってくれ。体を起こし声を掛け水分を飲ませろ。それから四日目の者に熱さましを飲ませたい。少しでも意識が戻ったら水と一緒に飲ませろ」
「一通り回復魔法を掛けます。そのあと少し体調が良くなるので、その機会に薬を飲ませてください」
ライは生活魔法で出した水に回復ポーションと解毒ポーションを数滴入れた水を、各寝台横に置いて行く。
「この水には解毒薬を入れてあります。この水の効力は今日限りなので、明日に持ち越さないでください」
「ライさん。アス草の解毒薬を作ったのですか?」
「異常繁殖のアス草の毒は僅かです。件のアス草を食べた虫はすぐに死にましたが、その死骸を食べた小動物は死にませんでした。でも錬金薬でできた薬の解毒は難しいと思います。
アス草の毒は薬になると濃度が濃くなり、人に害が出ます。ただ、一回の服用の毒なら意識が混沌としてしまうだけですから、意識を一時的に戻すには解毒薬は効果があると思います。内服量も少ないので、健康な人が飲んでも害にはなりません」
「そうか、意識が一時的にも戻れば薬も水分も取らせることができる、、」
「アーツ、今は治療に専念しろ。意識が戻った者がいる」
それからは意識が戻れば解毒薬と回復ポーション入りの水を飲ませた。発症後四日目の者は、加えて熱さましも飲ませる。汗が出てきたら体を拭いて、冷却材を交換した。
運び込まれた時は声を掛けても目を開けなかった人が、目を開け水を飲み体を拭かれる。高熱であっても、呼吸は荒くなくなった。家人が声を掛ければ手を握り返すものもあらわれた。
ライは台所で少しの塩を加えたコメの薄いスープを作った。それから介護人のために野菜や肉を取り出す。調理担当者は慣れたもので、すぐにそれらを受け取り具沢山のスープを作った。
商業ギルドから固焼きパンを多量に持ち込んでいるので食料には困らない。商業ギルドが水の魔石と火の魔石を入れておいてくれたので大助かりだった。食事の用意が済めば、その次に風呂を準備する。そうやって数か月前と同じことを繰り返した。ミリエッタ叔母様の手助けしてくれたところを今回ライが受け持つ。
今の所男性しか患者が来ていないので、二つの個室で付き添い家族と東から来た応援者に分かれて食事をとり、かけ湯をして、休息をしてもらう。
徐々にアーツやハイラの疲れが出ていた。回復薬だけでは疲れは取れない。数時間でも仮眠をとってもらいたいが、一度異常繁殖のアス草の毒を服用しているために、今日明日の二日間が回復への分かれ目になるいま、なかなか患者から離れることは出来なかった。
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