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ノイズキャンセリングイヤホン

作者: 相草河月太

 私が初めてノイズキャンセリングイヤホンを買ったのは三年前だ。


 当時私は就職して初めての一人暮らしをし始めたばかりで、お金もなく、安いアパートに暮らし始めていた。

 狭かったり寒かったりと色々な不便はあるが、私が一番驚いて、かつキツかったのは、『音』だ。


 アパートとはいえ鉄筋コンクリート造りだったのだが、考えられないほどうるさかった。テレビの音、エアコンの駆動音、会話や笑い声、トイレを流す水音、窓の開け閉め。


 東京の人間は皆、いや、少なくともこのアパートに住んでいる30世帯近い住人は皆、この騒音に何も感じずに生き

ているのだろうかと、私にはそれが一番信じられなかった。


 中でも悩まされたのが足音だ。自分とは違う生活リズムの住人が、なんの考えもなしにただ部屋を歩く、というその行為からもたらされる、ゴスゴスという重く響くノイズ。不意に、寝ている時も何かに集中している時も、リラックスしている時にも全てを無視して突然訪れ、重いもので頭上を叩かれているような暴力的な響きで私の意識を強制的にそこに向かわせる。


 それは私の神経をすり減らし、睡眠を妨害し、ついには吐き気と倦怠感に苛まれる日々がやってきた。


 もちろん引っ越せればいいのだが、引っ越しにかかる費用や部屋を探す時間などもなく、私は刑務所に閉じ込められた囚人が逃げ場のない恐怖に苛まれるように、自分の部屋で音にビクビクしながら暮らしていた。


 そんな時だ。

 大手の通販サイトのタイムセールで見かけた、ノイズキャンセリングイヤホンのセール。


 当時使っていたのは有線のイヤホンで、部屋にいる間は騒音を気にしないためにほとんどの時間つけて音楽を流していたのだが、ケーブルがあるために感じるストレスがこういう無線式のイヤホンなら解消できるな、と何げなくクリックして、レビューのよい、値段も手頃な、そこそこ有名なメーカーのものを購入した。


 翌日、早速届いたそれを装着して驚いた。

 ノイズが消える。


 常日頃、部屋の中に響いていて慣れているといえ常に意識を刺激し続けていた様々な雑音が、すっと溶けるように消えたのだ。


 私は機械に弱いので、詳しい仕組みはわからない。なんでも、低周波に対して逆位相の音波をぶつけることで、物理的に音をなくしている、らしい。


 だからある程度の高音、コツコツいうような音は消えずに残る。

 しかし、このアパートに住んでいて一番悩まされていたのは部屋に響く低周波だったので、それが消えたことは私にとって奇跡に近い感動だった。


 ここに引っ越してきてから感じていた重苦しい、誰に相談もできない不快感が、イヤホンをつけることで対処できるレベルに遠のいたのだ。


 それから、私は1日中、家にいる間はイヤホンをつけるようになった。


 そしてその快適さに慣れてゆくと、通勤の電車内や街を歩いているときにも、周りの雑音から解放されたいと感じるようになり、次第に外出時には欠かせないものになっていった。


 考えてみれば、今の人間の生活とは迷惑をかけたものが勝ちだ。


 匂いも、騒音も、態度も、マナーも、悪口や迷惑行為も、人に不快感を与えている側は何の苦痛もない。そしてこの人がひしめきあう東京で、分母が多いだけ他人に対して不快感を与えることを平然と行い我が物顔で生きている人間の数が多く、部屋に閉じこもっていてさえ隣の騒音に苦しまずには居れないこの異常な世界で、少なくとも音だけは遮断できるというのはとてもありがたいことだった。


 だが、今年に入ってアパートの住人が入れ替わり、騒音が今使っているノイズキャンセリングイヤホンでも消しきれない程になった。狭いアパートの床を、飼っているアフリカ象でも歩いているのかというような、ズシンズシンと腹まで振動するような足音が響く。


 私は再び眠れぬ夜を重ね始め、この先ずっと続くのかという恐怖でますます眠れなくなる悪循環に陥り始めていた。


 救いを求めてネットの海に飛び出し、今使っているイヤホンよりも性能のよいものを探すことにした。値段的にも、仕事に慣れてきた今ならばこれよりも高級なものを買うことができる。藁にも縋る思いでレビューを漁るうち、私は見たこともないページに飛んでいた。


 「素晴らしい経験」

 「今までにない静けさ」

 「圧倒的な無」


 いかにも怪しい、商品を褒めちぎる煽り文句が飛び交ってた。笑顔でイヤホンをつけ、読書や映画を楽しむモデルたち。


 何が一体、私の心に響いたのかわからないが、私の目はその商品に釘付けになっていた。


 『このイヤホンは、他のノイズキャンセリングイヤホンとは一味違います。低周波や環境音だけでなく、あなたが不快だと感じるあらゆる騒音を消し去ることができます。このイヤホンに使われている特許技術は、人間の精神の受容に訴えかけ、認知のレベルであなたが嫌だと思う、全てのノイズを除去、圧倒的にクリアで快適な、あなただけの自由な空間を作ることをお約束します』


 本当に夢のような謳い文句だった。


 他の製品ではどれもレビューにはマイナス面が描かれていて、いくら性能のいいイヤホンでも周波数的に除去仕切れない音があるのは事実なようだった。


 しかしこの製品は違う。もちろん怪しい、限りなく怪しいが、同時にとてつもない真実味を感じさせてくれる。

 30日間の返金サービスがあるのが最後の一推しになって、私はその商品を購入していた。


 それは今ある高級ノイズキャンセリングイヤホンの中でも最高クラスに高く、こんなに高い商品をこんなに怪しいサイトで買うなんてことはもちろん今までやったことはなかった。


 しかし、それだけ私は追い詰められていたのだ。

 無自覚な他人から罪の意識のかけらもなくもたらされる時を選ばぬ『暴力』に、もう耐えきれなくなっていたのだ。


 お金を振り込んでから一週間ほどして、無事にその商品が届いた。


 apple製品によく似た作りの、それを黒くしたようなパッケージに収まった、見た目自体は他の製品とあまり変わらないノイズキャンセリングイヤホン。


 私は説明書にあったQRコードからスマホにアプリをダウンロードする。なんでも、一般的なノイズキャンセリングイヤホンと違って、つけた瞬間にいきなり効果を発揮するわけではなく、アプリを通して自分の好みを調整していくうちに、その本領が発揮されるらしい。


 耳に装着し、スマホをいじる。

 調整は決して簡単ではないが、私にも使えるくらいにシンプルにはできていた。


 どうやら音やノイズをイヤホン側に覚えさせ、それが鳴っている時に操作することで次からは対象の音声を選んで消していけるらしい。


 私はとりあえず今部屋で鳴っている音を、片っ端から選択していった。


 エアコン、冷蔵庫、空気清浄機といったもののノイズ、アパートが面している道を走るトラックの走行音や振動音、隣の建物の開け放たれた窓から響く子供の鳴き声、階下の老人の執拗な咳払い、遠くで響くヘリコプターの駆動音。


 高い代金を支払っていてもやはり怪しい通販サイトで購入した商品である、という私の持っていた不安は、その時に消えた。


 今までのイヤホンとは比べ物にならないレベルだった。


 アプリ上で選択した音が、完全に消えたのだ。低周波だけではない、微かな高音や、以前であれば消えずに残る一定レベル以上の音量の爆音も、まるでもともとそこに存在していなかったかのように消え去った。


 それでいて、選んでいない音は消えることがなかった。たとえば電話の着信音。料理をしている時の焼ける音や湯の沸く音、テレビから普通に流している音声も、音量をあげる必要なく普通にイヤホンをすり抜けてくる。それでいて、階下の住人が流している微かなクラシック音楽を選択すれば、それは綺麗に消え去るのだ。


 もちろん、あの地鳴りのような足音も無事に消えた。


 私は本当に泣きそうなほど嬉しかった。窓を開けても、ゆっくりと本を読んでいても、誰にも邪魔されないという保証があるのは素晴らしいことだ。


 当然、眠る時もつけっぱなしにするようになった、姿勢が限られるので最初はなかなか慣れなかったが、途中で眠りを中断されないという安心感はすぐに平穏な眠りをもたらしてくれた。


 問題はイヤホンのバッテリー切れの間だった。高い商品だったが、私は迷うことなくもう一台のイヤホンを購入し、充電がきれそうになるとすぐにもう一台を耳にはめるようにした。


 1日中、それこそ仕事以外の時間は、通勤でも買い物でも、休日にもつけ続けるようになった。


 一度、久しぶりに友達に会う時に外したのだが、喫茶店で会話をしていても他人の咳払いや甲高い笑い声、食器をガサツにぶつけあう音や子供の金切声に耐えきれず、その後は友人の前でもイヤホンをつけ続けた。


 友達はきっといやな気分だったろう、それから誘いの頻度が極端に減った。でも、今の私には、他人に邪魔されない静寂の方が大事だった。


 快適さ、というのは慣れてしまうと普通になる。そのことを私は知らなかった。


 たとえばお金持ちの人は、いくらお金があっても足りないと感じるようになる。たとえば過食症の人は、いくら食べても食べ足りないと感じるようになる。たとえば美人で優しい奥さんがいる人でも、それが当たり前になれば彼女が一緒にいてくれることへの感謝を忘れ、別の刺激的な女に手を出すようになる。


 静寂に心も身体もすっかりと癒され、騒音に苦しんでいたときのそれさえ解消されたら他には何もいらない、と望んでいた感覚を忘れた私は、次第にこの生活の中にも不満を覚えるようになった。


 それは街で他人と触れ合わなければならない時に頻繁に訪れた。


 たとえば道を歩いているとき、向こうから歩いてくる二人が、左右の端に別れてこちらに向かってくる。どうして私が、必ずどちらかに避けなければならないような歩き方を彼らはしてくるのだろうか?


 たとえば自転車が、歩道をこちらが避けること前提のスピードで突っ込んでくる。どうして歩道を自転車で走っていながら歩行者によけさせるのだろうか?


 たとえば横断歩道を渡ろうとしているのに自動車が、一時停止どころか減速もせずに通り過ぎてゆく。どうしてこんな、交通ルールも守れぬ人間に免許が許されているのだろうか?


 たとえばスマホを持った若者が、下を向いたまま私に向かって突撃してくる。どうして道を歩く時すら、他人に甘えて生きているのだろうか?


 どうして私が避けなければ?

 どうして気を使った私が舌打ちをされる?

 どうしてガサツな人間の方が、神経をすり減らすことなく快適に暮らせるのか?


 ある日、街中で周りの音を消すためにアプリをいじっていた時だった。カップルのくだらない会話、中年男が鼻を啜る音、ガムをくちゃくちゃと噛む高校生、そうやって音を消してゆき、せめて周りに邪魔されない、自分だけの快適な時間を得ようと頑張っていた時。


 アプリの画面隅に、今まで気づかなかったアイコンがあった。

 目のマークのついた、小さいアイコン。私はなんだろう、とそれをタップした。


 すると、初めて目にする操作画面が表示された。


 「視覚遮断」

 どういうことだろう?


 疑問に思っていると、画面がカメラに切り替わった。そして、選択してください、の文字。


 私はわからないながら、もしかしたら、という感覚にしたがって、カメラを目の前のガムを噛む高校生に向ける。そしてタップして「選択」にする。


 「え?」


 思わず声がでた。目の前にいたはずの高校生が消えた。正確にいうと、消えて代わりにふにゃふにゃとした実態のない空気の影のような存在に変わったのだ。


 私は他の不快な人間たちもタップしていった。すると目の前から綺麗さっぱりと、彼らが皆きえ、代わりに存在を示すふにゃふにゃとした揺れだけが目に残った。


 気に触る人がいない、というのは、本当に快適だった。


 原理はよくわからない。イヤホンがどうやって私の視界を操作しているのかも理解できない。しかし、そんなことはどうでも良くなるほど、本当に静かで心地よい世界がそこに広がった。


 もちろん、彼らがそこから本当に消えたわけではない。だから、その揺らぎは移動するし、ぶつかれば痛みもある。

 でも、彼らを見なくていい、考えなくていい、というのは、とてつもない開放感を生んだ。


 私にとって彼らは、人に対してストレスを与えることだけを目指している存在だからだ。なぜって、私が彼らと話すことはない、関わることはない、理解し合うこともない。


 しかし彼らは身振りや、目線や、態度や、声や、歩き方や、存在感そのもので、私を威圧する。自分がそこに存在していることが正しく、当然で、周りは自分に気を使うべき、という無言の圧力が私を威圧する。


 向こうが誰にも気を使わず、誰にも遠慮しないなら、なぜ私が彼らに気を使い、遠慮しなければならないのか?


 視界から消え、存在として認識しなくて済めば、気を使う必要もなくなる。

 それから、私は街中のさまざまな不快な存在を消していった。


 このアプリは、カメラを向けて選択したものであれば物でも人でも消すことはできたが、もっと別の消し方ができることがわかった。


 それが、一定以上のレベルの不快によってフィルターをかける消し方だ。


 ちょうどウェブサイトのアダルトやセキュリティーのレベル設定のように、アプリ側で認識した不快レベルに合わせて自動的に対象を認識するか排除するか決定してくれるモードがあったのだ。


 いちいち選択するのは、人が多すぎる大都会ではあまり役に立たないということがわかっていたので、それはものすごく便利なモードだった。


 私は自由になった。

 人を気にせず街を歩け、不快な思いをすることなく1日を過ごせる。


 街を歩くのは、ふにゃふにゃとしたヒトカゲを避けるというゲームに変化した。そして、そのふにゃふにゃも、多少当たってもあまり気にしないでさえいれば、むしろ向こうから避けてくれることがわかったから、本当に快適になっていった。


 最初は低めに設定していた排除レベルも、自然と最高レベルになっていた。

 そしてある日、私は鏡を見ていて気がついた。


 この、不機嫌で仏頂面をした面白みのない人間。いつもイライラしていて、突然興奮して笑い出す不気味な人間。

 こいつも消えてくれないだろうか?


 私はカメラをそいつに向けて、排除を「選択」した。

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