禁忌の産声:百手巨人(ヘカトンケイル)の覚醒
教皇領、聖都大聖堂の地下深く。そこは、歴代の教皇のみが知る「開かずの間」であり、スタプア正教会の光が届かぬ「闇の心臓部」であった。 湿った石壁には、古代語で刻まれた警告文がびっしりと並び、床にはドス黒い乾いたシミが何層にも重なっている。
祭壇の前で、教皇は震えていた。恐怖ではない。極限の怒りと狂気による震えだ。 地上では、サマーズ軍の包囲網が狭まり、信者たちが「女神エイルへの改宗」を叫んでいる。神の代理人たる自分の権威は、今や風前の灯火だった。
「神よ……。スタプアの神よ。貴方はなぜ沈黙されるのか」
教皇は、祭壇に安置された「封印の石櫃」に縋り付いた。 「よかろう。天が裁きを下さぬのなら、地底の『古き神』を目覚めさせ、魔王アルヴァンを喰らい尽くすのみ!」
彼の背後には、数百人の「生贄」が鎖に繋がれていた。地下牢から引きずり出された囚人、そして「信仰の証を見せよ」と騙された下級聖職者たちだ。彼らはまだ、自分たちがこれから何になるのかを知らない。
「儀式を始めよ! 『神罰召喚』だ!!」
枢機卿たちが、震える声で禁忌の祝詞を詠唱し始めた。それは祈りではない。封印された「飢え」を呼び覚ます、悪魔の招待状。
『……肉を礎に……魂を糧に……目覚めよ……捕食する守護者よ……』
II. 融合する絶叫
異変は、祭壇の中心から始まった。 石櫃が内側から砕け散り、不定形の「黒い肉塊」が溢れ出したのだ。それは生き物のように脈打ち、周囲の空気を震わせる不快な音を立てた。
ジュルリ……ゴポォ……
「な、何だあれは!? 神の御使いではないのか!?」 生贄の一人が叫ぶ。だが、遅かった。
肉塊から無数の「触手」が伸び、最前列の神官たちを絡め取った。 「ぎゃあああッ! 助け……痛い、溶け、るぅぅ!!」
触手に触れた箇所から、人間の肉体が泥のように崩れ、黒い肉塊へと同化していく。彼らの絶叫は、途切れることなく肉塊の中に飲み込まれ、やがて「怪物の一部」としての唸り声へと変わっていった。
「おお……! 見よ! 人の魂を喰らい、神が受肉される!」 教皇は狂喜のあまり両手を広げた。
肉塊は、数百人の生贄を次々と捕食し、急速に膨張していく。人の手、人の足、苦痛に歪んだ顔が、表面に浮き出ては沈む。 やがてそれは、数百本の腕と、無数の絶叫する顔を持つ、醜悪な巨人の姿を形成した。
古代生体兵器『ヘカトンケイル(百手巨人)』。 かつて古代文明が、暴走した魔導師を殺すために生み出した、「対魔導捕食兵器」の成れの果てである。
III. 魔力を喰らう悪夢
ズズ……ズズズ……。 大聖堂の地下を突き破り、異形の巨人が聖都の広場に姿を現した。その身長は50メートルを超え、全身から瘴気と、取り込まれた人々の怨嗟の声を撒き散らしている。
「な、なんだあれは!?」 聖都上空を旋回していたサマーズ航空魔導部隊の偵察機が、信じがたい光景に息を呑む。 「巨大な……肉の塊? いや、人の腕が……無数に!?」
ヘカトンケイルは、空を飛ぶ「魔力を持った存在」を感知し、数百本の腕を一斉に天へ伸ばした。 『マ……ナ……ヨコ……セ……』
「攻撃開始! 怪物だ、撃て!」 偵察隊長が叫び、数機の『モクバ改』から魔法弾とアサルトライフルの魔石弾が放たれた。
ドォォォン!!
炎と爆風が巨人を包む。しかし、煙が晴れた後、隊員たちは戦慄した。 傷つくどころか、巨人は「一回り大きく」なっていたのだ。
「馬鹿な……!? 直撃したはずだぞ!」 「魔力反応、増大しています! こいつ、俺たちの魔法を……食べている!?」
ヘカトンケイルの表面にある無数の口が、着弾した魔法エネルギーを啜り、自身の肉体再構築に利用していたのだ。 教皇の高笑いが、聖都のスピーカーから響き渡る。
『無駄だ無駄だ! その御方は、魔力こそを糧とする最強の守護神! 貴様らのご自慢の魔法など、極上の餌に過ぎんわ!!』
巨人の腕が、不用意に接近したモクバの一機を叩き落とした。 「うわぁぁぁッ!!」 爆発する機体。その爆炎すらも、巨人は貪欲に吸い込んでいく。
IV. 物理という名の回答
ヴェルリーナ要塞の指令室。 モニター越しにその惨状を見ていたオリビアの瞳が、氷点下の冷たさを帯びた。
「……古代の対魔兵器、ヘカトンケイル。まさか、教皇庁の地下にあんな『粗大ゴミ』が埋まっていたとはね」
「オリビア様! 魔法攻撃が効きません! 撃てば撃つほど回復されます!」 通信兵が悲鳴を上げる。
だが、オリビアは冷静に紅茶のカップを置いた。 「魔法を喰らうなら、喰えないものを食わせてあげればいいだけよ」
彼女はマイクを取り、全軍に指示を飛ばした。
「航空魔導部隊、及び砲兵隊に通達。魔石弾の使用を禁止。全弾、『徹甲実体弾(APシェル)』および『質量爆弾』に装填変更」
「じ、実体弾ですか? 魔力がなければ、威力は……」
「相手は肉の塊よ。魔力がなくとも、『物理的な質量』で挽き肉にすれば死ぬわ」
オリビアの唇が、冷酷な弧を描く。 「魔法文明の遺物には、純粋な『運動エネルギー』という名の毒をくれてやりなさい」
戦場。 オリビアの命令を受けた陸戦部隊が、巨大な「レールガン(魔導加速砲)」を牽引してきた。装填されているのは、魔力を一切含まない、純粋なタングステンの鉄塊だ。
「目標、巨大肉塊! 撃てェッ!!」
ズガァァァァァン!!
超音速で撃ち出された鉄塊が、ヘカトンケイルの胴体に突き刺さる。 『ギャアアアアアアッ!?』
巨人が初めて悲鳴を上げた。魔力を含まない鉄塊は、吸収されることなくその肉を引き裂き、衝撃波で内部組織を破砕したのだ。
「効いている! 魔法じゃなきゃ食えないのか!」 「続けろ! 物理で押し潰せ!」
空からは、魔導爆撃機が「ただの巨大な鉄球」を雨のように投下し、地上からはレールガンが蜂の巣にする。 再生能力を超えた物理破壊の嵐。数百の手は次々と千切れ飛び、吸収した人々の怨嗟の声が、断末魔へと変わっていく。
教皇の絶叫が響く。 『な、なぜだ!? なぜ神の御使いが、ただの鉄クズに後れを取るのだぁぁッ!!』
オリビアは、モニターの中で崩れ落ちる巨人を冷ややかに見つめ、呟いた。
「時代遅れね。今の戦争は、魔法と科学のハイブリッドよ。……偏食家は長生きできないわ」
聖都に響くのは、神の産声ではない。禁忌を犯した者たちが、物理法則という絶対的な現実の前に砕け散る、破滅の音であった。




