話北の空、雪解けの風:鋼鉄の翼と誇り高き手綱
グレートバレン聖国の北端、教皇領との国境に近い山岳地帯は、「魔の回廊」と呼ばれる乱気流の巣窟だった。切り立った断崖が複雑な風の通り道を作り、目に見えない大気の刃が飛び交う空域。
そこに、不協和音が響いていた。
ギュアアアアァッ!!
眼下、雪に埋もれた小さな村の上空を、十数体のワイバーンの群れが旋回している。彼らの目は血走り、口からは泡を吹いている。教皇領の残党が、聖国への嫌がらせのために放った、薬物投与された「狂化ワイバーン」だ。
「くっ……! なんで機体が安定しないの!?」
上空で歯噛みするのは、サマーズ航空魔導部隊「漆黒の豹」の中隊長、フリーダだ。彼女が駆る『モクバ改』は、圧倒的な推力を誇るはずだった。しかし、この山岳特有の複雑怪奇な乱気流が、彼女の行く手を阻む。
「前方、突風! 回避!」 部下の機体が風に煽られ、射線がずれる。その隙を突き、ワイバーンが上昇気流に乗って襲いかかる。
「こいつら、風を知っている……!」
サマーズの「科学」が生み出した推力をもってしても、この土地の「自然(風)」を読み切れていない。直線的なスピードでは勝っていても、三次元的な機動戦で、地元の猛禽に翻弄されていた。
「村が持たないわ……! 一度着陸して態勢を立て直す!」
フリーダは唇を噛み切りながら、村外れの広場へと緊急着陸を命じた。
広場には、村人たちが避難していた。そしてその護衛にあたっていたのは、敗戦により武装解除された元聖国軍の「空騎兵」たちだった。かつてペガサスやグリフォンを駆り、北の空を支配していた誇り高き騎士たち。今は翼(騎獣)を失い、地上で槍を構えることしかできない「飛べない鳥」だ。
空騎兵の隊長、ゲイルは、着陸した黒い鉄の塊(モクバ改)と、そこから降りてきた幼い少女を見て、鼻を鳴らした。
「酷い飛び方だな。力任せに風をねじ伏せようとするから、そうなる」
「なんですって!?」
フリーダが睨みつける。9歳とはいえ、彼女は数多の戦場を潜り抜けたエースだ。敗軍の将に侮辱されて黙ってはいられない。
「あのワイバーンどもは、谷底から吹き上げる『龍の息吹』と呼ばれる風を使っている。お前たちのその……黒い鉄塊は速いが、風を読んでいない。このままじゃ、村は全滅だ」
ゲイルは空を見上げ、悔しげに拳を握りしめた。
「俺たちに翼があれば……。あの程度のトカゲ、一ひねりなのに」
フリーダは、ゲイルの瞳を見た。そこにあるのは、敗北者の惨めさではない。空を奪われた者の渇望と、民を守れない己への憤りだった。
オリビアの言葉が脳裏をよぎる。 『使えるものは何でも使いなさい。敵の誇りさえも、ね』
フリーダは決断した。 「……なら、乗りなさいよ」
「は?」
「あんたたちが風を読みなさい。操縦と攻撃は私たちがやる。後ろに乗って、ナビゲートしろって言ってんの!」
ゲイルは目を見開いた。敵国の、しかも子供の背中に乗れというのか。騎士の誇りが痛む。だが、頭上からは村人の悲鳴が聞こえてくる。
「……フン。落ちても知らんぞ、お嬢ちゃん」
「誰がお嬢ちゃんよ! 中隊長と呼びなさい!」
ゲイルは部下たちに合図を送る。 「野郎ども! 翼を借りるぞ! サマーズの鉄の馬、乗りこなしてみせろ!」
「「応ッ!!」」
かつての敵同士が、一つの機体に跨る。 前席にはアサルトライフルを構えた魔導少女。後席には、風を読む熟練の空騎兵。 異色の混成部隊が、爆音と共に北の空へ舞い上がった。
「10時の方向、風が巻いてる! 突っ込むな、右に旋回して上昇気流を掴め!」
後席のゲイルが叫ぶ。フリーダは反射的にスロットルを回し、機体を右へ倒す。 するとどうだ。先ほどまで機体を叩いていた暴風が、嘘のように機体を押し上げる力に変わった。
「すっごい……! 背中を押されてるみたい!」
「当たり前だ! 俺はこの空を30年飛んでるんだ! 次、ワイバーンが急降下してくるぞ! カウント3で急制動!」
襲いかかるワイバーンの爪。しかし、ゲイルの指示通りに動いたモクバ改は、空中でピタリと静止したかのような挙動を見せ、攻撃を紙一重で躱す。
「今だ! 腹がガラ空きだぜ中隊長!」
「言われなくても!!」
フリーダは結界四式を展開したまま、至近距離でアサルトライフルを連射する。
ダダダダダダッ!!
爆裂弾がワイバーンの腹を食い破る。悲鳴を上げて墜落していく魔獣。
「やった! 次!」
他の機体でも同様の連携が起きていた。 サマーズの圧倒的な「火力・推力」と、聖国空騎兵の神業的な「操縦技術・環境適応」。二つが噛み合った時、モクバ改は単なる兵器を超え、空を支配する「王者の翼」へと進化した。
「ヒャッハー! なんだこの加速は! ペガサスの十倍は出るぞ!」
「風が見える……! この鉄の馬、俺の指示に完璧に応えやがる!」
空騎兵たちもまた、未知の機体がもたらす高揚感に酔いしれていた。かつての敵意は、風の中に消え失せていた。あるのは、共に空を翔ける者同士の、魂の共鳴だけ。
最後のワイバーンが、フリーダとゲイルの連携によって撃ち抜かれ、雪山へと消えた。 北の空に、勝利の凱歌のごときエンジン音が響き渡った。
夕日が雪山を黄金色に染める頃、部隊は村へ帰還した。 村人たちの歓声の中、フリーダとゲイルは機体を降りた。
ゲイルは、まだ熱を帯びているモクバ改のボディを、愛おしそうに撫でた。かつて愛馬に向けたのと変わらない、優しい手つきで。
「……美しい機体だ。無骨だが、素直で、強い」
彼は独り言のように呟き、そしてフリーダに向き直った。
「礼を言う、中隊長。お陰で、久しぶりに『空』を感じられた。それに、村も守れた」
フリーダは、ゴーグルを外して汗を拭った。その顔には、年相応のあどけない笑みが浮かんでいた。
「あんたもね。あの指示がなきゃ、今頃私が雪山に刺さってたわ。……悪くなかったよ、相棒」
フリーダが小さな手を差し出す。 ゲイルは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに分厚くタコだらけの手で、その小さな手をしっかりと握り返した。
「ああ。悪くない飛び(フライト)だった」
その光景を見ていた村人たち、そしてサマーズと聖国の兵士たちの間に、温かな空気が流れる。 宗教の違い、国境の壁、過去の因縁。それらが、北の空での共闘を経て、雪解け水のように溶けていくのを感じた。
後日、この報告を受けたオリビアは、即座に「旧空騎兵のサマーズ航空魔導部隊への編入」と、「複座型モクバの開発」を命じたという。
北の聖地グレートバレン。そこは今や、女神エイルの慈悲だけでなく、かつての敵同士が背中を預け合い、最強の翼となって空を護る、「鉄と風の結束の地」となっていた。




