折れた剣と白い包帯:北の聖地に咲く鋼の信仰
北風が吹き荒れるグレートバレン聖国の国境地帯。かつて「白銀の平原」と呼ばれたその場所は、今は鉄屑と硝煙、そして敗北の匂いに満ちていた。
聖国誇りの「白銀聖騎士団」団長、ガリウスは、野戦病院と化した旧教会の冷たい石床の上で目を覚ました。意識が浮上すると同時に、激痛が脳髄を走る。右腕がない。肩から先が、まるで巨人の手で引きちぎられたかのように消失していた。
「……あぁ、そうか。私は負けたのか」
記憶がフラッシュバックする。 彼らが信じた「神の盾(物理防御付与魔法)」を纏い、突撃したあの日。空から降り注いだのは神罰ではない。サマーズ軍の『航空魔導部隊』が放つ、無慈悲な『アサルトライフル』の爆裂弾だった。 白銀の鎧は紙のように裂け、誇り高き騎士たちは、剣を振るう間もなく肉塊へと変えられた。圧倒的な、理不尽なまでの技術格差。それが、ガリウスの信仰を粉々に砕いたのだ。
「殺せ……。異教徒の手にかかって生き恥を晒すなど……」
乾いた唇から漏れたのは、祈りではなく呪詛だった。しかし、彼の視界に入ってきたのは、死刑執行人ではなかった。
純白のローブを纏い、前髪に金色の光を宿した少女。サマーズから派遣されたセブンシスターズの一人、フィオナであった。
「目が覚めましたか、騎士様」
彼女の声は、北の風よりも温かく、春の日差しのように柔らかかった。ガリウスは憎悪を込めて睨みつける。
「何用だ、魔女め。我らが神スタプアは、貴様らのごとき邪教の施しを拒絶する!」
フィオナは、その罵倒にも微笑を崩さなかった。彼女は静かにガリウスの欠損した右肩に手をかざす。
「可哀想に。貴方の神は、貴方の腕を守ってはくれなかったのですね」
「なっ……!」
「でも、安心なさい。女神エイル様は、敵である貴方さえも見捨てません」
彼女が詠唱を始めると、黄金の粒子が傷口を包み込んだ。
「『ハイキュア』」
信じがたい光景だった。焼けるような痛みが引き、骨が軋み、肉が盛り上がる。失われたはずの腕が、指先が、神経が、光の中で再構築されていく。それは、スタプア正教会の高位神官が数人がかりで行う儀式よりも遥かに速く、そして完全な「奇跡」だった。
数分後。ガリウスは、再生した自分の右手を呆然と見つめていた。指が動く。熱がある。生きている。
「なぜだ……。なぜ、我々を生かす? 我々は、お前たちを殺そうとしたのだぞ!」
フィオナは汗を拭いながら、静かに答えた。
「オリビア様は仰いました。『命に敵味方はない』と。生きて、見てください。新しい光を」
数日後、ガリウスは王都の街角に立っていた。 敗戦したはずの王都は、奇妙な活気に包まれていた。サマーズ貿易公社が持ち込んだ「オーク肉」や「麦」が市場に溢れ、飢えていた市民たちが歓喜の声を上げている。彼らの手には、教会の免罪符ではなく、『エイル硬貨』が握られていた。
「これが……敵国の支配なのか?」
略奪も、凌辱もない。あるのは、「圧倒的な物量」と「無償の医療」による、静かで確実な征服だった。市民の瞳からは、旧王家や教会への忠誠が消え、代わりに「覇王アルヴァン」への感謝の念が宿り始めていた。
だが、全ての人間がその光を受け入れたわけではなかった。 路地裏の「深淵」には、まだ旧体制の闇が澱んでいた。
「騙されるな! あれは悪魔の餌だ!」
「エイルの魔女を焼き殺せ! 聖なる炎で浄化するのだ!」
松明と農具を手にした集団が、大通りを練り歩く。先頭に立つのは、かつてガリウスが敬っていたスタプア教の司祭たち。彼らの目は血走り、口元からは狂気の泡がこぼれていた。 彼らが向かう先は――「女神エイル治療院」。フィオナたちが、怪我人を治療している場所だ。
「やめろ……! あそこには、怪我をした市民や、我々の部下もいるんだぞ!」
ガリウスは叫ぼうとしたが、喉が引きつった。かつての自分の信仰が、今やただの「暴力」となって目の前に存在している。
治療院の前。フィオナが立ちはだかっていた。彼女は武器を持たず、ただ両手を広げて暴徒に対峙している。
「おやめなさい! ここは癒やしの場です!」
「黙れ魔女め! 神罰を受けよ!」
司祭が石を投げる。それはフィオナの額を割り、鮮血が白い頬を伝った。それでも彼女は退かない。彼女の背後には、まだ動けない重傷の聖騎士たちが怯えていた。
ガリウスの脳裏に、戦場の記憶が蘇る。神の盾は砕けた。神は誰も救わなかった。 だが、あの少女は――敵である自分を救い、今も、石を投げられながらも人々を守ろうとしている。
「真の聖なるもの」は、どちらだ?
ガリウスは走った。足がもつれそうになるのを堪え、全速力で走った。 道端に、敗走兵が捨てていった「白銀の鎧」が転がっていた。かつての誇り。しかし、今の彼には、それはただの重く、役立たずな鉄屑にしか見えなかった。
その横に、サマーズ軍が警備兵募集のために置いていた装備があった。「高分子繊維の防刃ベスト」と、「特殊警棒」。黒く、無骨で、しかし機能的な「オリビアの装備」。
ガリウスは迷わず、黒いベストを掴み取った。
「死ねぇぇッ!!」 狂信者が、松明を治療院に投げ込もうとした、その瞬間。
ドォォォンッ!!
黒い風が割って入った。投げられた松明が、警棒の一撃で弾き飛ばされる。 仁王立ちするのは、黒い防刃ベストを纏ったガリウスだった。その右腕には、サマーズの紋章が刻まれた腕章が巻かれている。
「だ、団長!? 何をしているのです! そいつは魔女ですぞ!」
司祭が驚愕に目を見開く。
ガリウスは、血を流すフィオナを背に庇い、かつての同胞たちを睨みつけた。その眼光は、戦場で見せたどの瞬間よりも鋭く、そして澄んでいた。
「魔女だと? ……笑わせるな」
ガリウスは警棒を突きつける。
「私が戦場で腕を失い、部下たちが死に絶えた時、スタプアの神はどこにいた!? 祈りは届かず、加護は紙切れのように破られた!」
「そ、それは貴様らの信仰が足りなかったから……」
「違う!!」
ガリウスの咆哮が、広場を揺るがした。
「神が救わなかった命を、この少女が拾い上げたのだ! 私の腕を、部下の命を繋ぎ止めたのは、祈りでも教義でもない! この『慈悲の光』だ!!」
彼は一歩、前へ踏み出す。
「私は見た。サマーズの力は、破壊のためだけではない。飢えた民にパンを与え、病める者に薬を与える。民を救わずして、何が神か! 何が騎士か!」
暴徒たちがたじろぐ。かつての英雄、聖騎士団長の言葉は、彼らの狂信の殻にひびを入れた。
「私はもう、腐った教義の盾ではない! 私は……!」
ガリウスは振り返り、フィオナに視線を送った。フィオナは、傷ついた額を拭うことも忘れ、涙を溜めて彼を見つめ返した。
「私は、目の前の命を救う、この『光』の盾となる!!」
「裏切り者め! 殺せ!」
司祭が短剣を抜いて襲いかかる。だが、ガリウスの動きは速かった。 再生した右腕が唸りを上げ、特殊警棒が司祭の手首を正確に打ち据える。
バシィッ!
剣が落ちる音と共に、勝負は決した。 遠くから、『陸戦型モクバ』のサイレンが近づいてくる。サマーズの衛兵隊が到着したのだ。
暴徒たちは散り散りに逃げ去り、広場には静寂が戻った。
夕日が、王都を赤く染めていた。 ガリウスは、治療院の前で、フィオナに跪いた。それは、主君に対する形式的な礼ではない。魂からの敬意を示す、騎士の最敬礼だった。
「シスター・フィオナ。貴女を守れなかった私の未熟さを、どうかお許しください」
「顔を上げてください、ガリウス様。貴方は、私たちを守ってくださいました」
フィオナは、包帯を巻かれた額で微笑み、彼の手を取った。
「その黒いベスト……とてもよくお似合いです」
ガリウスは、自分の胸を見下ろした。そこにあるのは、煌びやかな装飾も、神の紋章もない。ただ、機能的で、強靭な黒い布地。 だが、それはかつての白銀の鎧よりも、遥かに軽く、そして誇らしく感じられた。
「グレートバレンは生まれ変わる……。ハリー家令の言葉は真実でした」
ガリウスは立ち上がり、北の空を見上げた。そこには、教会の尖塔よりも高く、航空魔導部隊の翼が輝いていた。
「我が剣は折れた。だが、この身は砕けていない。これより先、我が命は女神エイルと、この国の民のために」
かつての狂信の騎士団長は死んだ。 今、ここにいるのは、アルヴァン帝国の北の守護者。「女神エイルの黒き盾」としての、新たなガリウスであった。
北の聖地に、真の慈悲の時代が訪れようとしていた。




