第二話 覚醒した事実が発覚してしまっては
間もなく朧月夜が終わりを告げ、東の空から紫色の明かりが零れて来ている。王城宮殿の廊下を、第一王子の寝室に向かう一人の姿。漆黒のドレスに身を包み、毛先が少しカールした明るい茶色の髪を軽やかに弾ませ、足取りも軽い。たれ目がちな明るい茶色の瞳は、彼女の性格を容易に想像させる。その頭上にはホワイトプリムが見える。勤務を交替した第一王子付きのハウスメイドだろう。
彼女が、寝室の扉をそっと開ける。殺意のないその気配に、アルヴァン第一王子は、ホッと胸をなでおろした。いつも通りの飾り気のない寝台。素早く寝台横に歩み寄り、身をかがめて、彼の寝息を窺う。目を覚ます気配はない。左手首を取り、脈を診る。規則的な脈動を感じるが、いつもより強い脈動だった。
「あれ? 元気になったの? 」
しかし、彼女はさほど疑問にも思わず、寝台の反対側に回り、上掛けをはがし、足を触ったあと膝と、右の肩甲骨に手をかけ、第一王子の身体をゆっくりと仰向けにする。彼の様子を確認し、体位変換を行ったあとは、軽い足取りで寝室を後にした。彼女にとっては、繰り返される毎日の延長だったようだ。
◇
夜の間に、寝室の東の片隅に一匹の小さな蜘蛛が巣を完成させたようだ。まるで第一王子の魔力に反応したかのように……。
◇
その日は、一刻ごとに、茶髪のハウスメイドが、寝室を訪れる。検温、脈拍測定、体位変換を行ったあと、水差しの薬を飲ませてくる。がそれは複合毒の素だ。アルヴァンは、飲んだ振りをしてやり過ごす。解毒は完全に済んだ。体力、魔力量の回復も大分進んだ。魔力循環による身体強化もでき、気力も戻ってきている。加護を授けて下さった神の御意思を理解したことが、彼を生きることに対して少し前向きに導いたようだ。とりあえず、解毒が出来た時点で、生き残るための厳しい課題の第一弾はクリアできた。
ただ、元のアルヴァンの精神状態には、かなりの懸念があった。多くの哀しみを抱え、母親に対する叶うことのない慕情、第一王子として要求される揺るぎない能力へのプレッシャー。そして、多くの人からの妬みや、憎悪の入り混じった視線が突き刺さる十歳の精神は、崩壊寸前だった。
以前のアルヴァン第一王子の深淵を覗くたび、生き返った気持ちが少しずつその深淵に引き込まれていくかのような錯覚を覚える。
◇
キノア王国の国王は、アダマン・アセルマン・フォン・キノア。国王には二人の王妃がいた。初めの王妃は既に死去している。前王妃の名前はリディア、現王妃はドロテー。なお側室はいない。
前王妃リディアは、第一王子アルヴァン、現十三歳を出産。その後アルヴァン第一王子が九歳の時に死去。死因はわからない。
現王妃ドロテーは、第二王子リラン、現十歳、第一王女メイシェル、現九歳、第三王子バイロン、現八歳を出産。現在、アダマン国王の寵愛を受ける王妃である。
この世界の貴族には、生れながらにして魔力量が多いとか、貴族として魔法教育がなされているからだろうか、魔法を使いこなせる者が多い。貴族の血、貴族の環境がものをいうようだ。
王家も例外ではない。アダマン国王は、火属性使い。第一王子アルヴァンは土属性使い、第二王子リランと第三王子バイロンは火属性使い。第一王女メイシェルは風属性使い。国王の子供全員が魔法使いというのは凄いことだが、ここでもアルヴァン第一王子の分が悪い。
皇太后アンネリースは、アダマン国王の母で健在も、所在地は不明。
現時点で、彼の理解している王家の情報はこれだけ。十歳の時点での情報であり、その後更新されていない。三年間アルヴァンは、病床に伏せっていたのだ。元気な十歳の時には、王子宮廷にも家令の目が届き、従者や女給なども沢山付いていたのだが、その後の闘病生活の中で少しずつ離れていったのだろうか。
継母が存命で、第二王子の実母だとすれば、第一王子の存在は、目の上のたんこぶでしかない。目障りで仕方ないだろう。第一王子が亡きものになれば、第二王子が国王の後を継ぐ。そのために毒殺か。そう勘繰るのは下衆の勘繰りだろうか。直接手を下せば、教会が黙っていないのだろう。だとすれば、教会の力もそれなりに強い影響力を持っているということになる。
王家の事情、王国内貴族の勢力バランス、教会の影響力。いろいろと確認しておかなければならないことは多い。無事に生き残ることができればの話しだが。アルヴァン第一王子の周囲には敵しかいない状況のようだ。
◇
夕刻、ハウスメイドが勤務交替となったようだ。今度寝室にやって来たのは、クールビューティのメイドの魔力反応だ。いつも通り、第一王子の左手首を取り、脈拍を取る。
――脈動が力強い!!
第一王子の手を離し、一歩後ずさる。『これは、第一王子の回復の兆し。誰かにお知らせした方が良いのだろうか。』一瞬の逡巡が、彼女の動きを鈍らせた。
(しまった!! 目覚めたのがバレたのか?? )