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死にかけの第一王子を拾いました 生ず殺さず領土開拓  作者: トール
五章 黎明のノルディア

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空の残照 ― 墓標に誓う赤き翼 ―

 帝都の喧騒が遠く霞む、小高い丘の上の軍人墓地。  かつての激戦を物語るように整然と並ぶ白亜の墓石の群れの中に、その一角はあった。


 華美な装飾はない。ただ、そこには常に「赤」と「青」の、この地には自生しないはずの鮮やかな魔導花が手向けられている。


「……オリビア様」


 低く、震える声が静寂に溶けた。  墓石の前に立ち尽くしているのは、ミーティアだった。かつて「ケンプファー」に跨り、紅蓮の炎を操った勇猛な空の戦士の面影は、今の彼女にはない。その瞳には、あの日、空から墜ちていった最愛の主への、消えることのない思慕と後悔が揺れていた。


 彼女はそっと、冷たい墓石に指先を触れた。  石の表面には、オリビアの意志を継いだ職人たちが刻んだ、簡潔な碑文がある。


『知恵を遺し、空へ還った者。その翼は、今も我らと共にある』


「あの日……貴女に銃口を向けた時の手の震えを、今も覚えています。本当は、撃ちたくなんてなかった。貴女をこの手で墜とすくらいなら、民衆すべてを敵に回してでも、貴女の前に立ちはだかりたかった」


 ミーティアの頬を、一筋の涙が伝い、地面に落ちた。


「でも、貴女が託してくれたこの技術と、ザックさんたちが守り抜いた知恵のおかげで、帝国は、アルヴァン様は、新しい時代を歩み始めています。空を見上げる人々の顔に、もう怯えはありません……」


 彼女は腰に差した魔導短筒に手をやった。それは、オリビアが最後に遺した設計図をもとに、彼女自身がメンテナンスを続けている「遺産」の一つだ。


「マリーンは今、航空隊の教官として、新しい『巫女』たちを育てています。あの子も、ここに来るたびに泣くんですよ。私たちが泣き虫なのは、全部オリビア様のせいです」


 ふっと、柔らかな風が吹き抜けた。  それはかつて、ナイチンゲールが空を切る時に放っていた、あの清涼な魔力の残滓によく似ていた。


 ミーティアは顔を上げ、高く、どこまでも高い青空を見上げた。


「見ていてくださいね。貴女が遺したこの世界が、二度と深淵に飲み込まれないように……私たちが、貴女の代わりにこの空を、生涯守り続けますから」


 墓石に手向けられた赤い花が、風に揺れてカサリと鳴った。  まるで、かつて主がよく見せていた、あの自信に満ちた不敵な微笑みが、空の向こうで返されたような気がした。


 軍人墓地の冷たい風が、ミーティアの頬をなでる。  指先で触れる墓石は無機質で、どれだけ言葉を尽くしても、あの主からの返事はない。


「でもね、ナイチンゲールだけは、誰も修理ができないんです。ザックさんがどれだけ技術を継承しても、あの機体だけは……。今となっては、動かない古代の遺物扱いですわ。寂しいです。オリビアさま……」


 ミーティアは、主を失った白銀の翼を思い出し、胸を締め付けられるような孤独に俯いた。その時だった。


「――何をそんなに悲しんでいるの? ミーティア」


 凛としていて、どこか楽しげな、聞き紛えるはずもない「あの声」が静寂を切り裂いた。  ミーティアの心臓が、跳ね上がる。幽かな幻聴などではない。空気が、あの懐かしい魔力の波長に震えている。


「えっ……?」


 はっとして後ろを振り返る。そこには、墓石の陰から歩み寄る、一匹の黒い子猫がいた。  艶やかな漆黒の毛並みに、知性を宿した金色の瞳。その瞳が、かつて自分たちを導いた主と全く同じ色で、悪戯っぽく細められる。


「私が話せることは、あなた以外には内緒ね。さあ、あなたの部屋へ連れていってちょうだい。ミーティア」


 子猫の口から漏れたのは、間違いなく、あの傍若無人で慈悲深いオリビアの声音だった。  女神エイルのもとへ還ったはずの魂が、形を変えて、再び自分のもとへ舞い戻ってきたのだ。


「あ……ああ……」


 言葉にならない嗚咽が漏れ、ミーティアの目から大粒の涙が溢れ出した。視界が滲んで、子猫の姿が歪む。  悲しみでも、絶望でもない。それは、凍てついた時間が一気に溶け出すような、救いの涙だった。


「オリビア、さま……本当に、本当に貴女なのですか……っ!」


 ミーティアは震える手で、壊れ物を扱うように黒い子猫を抱き上げた。  腕の中に伝わる小さな鼓動と、確かな温もり。  ナイチンゲールが動かなくてもいい。技術が失われてもいい。ただ、彼女が、彼女としてそこにいてくれるだけで。


「はい、オリビアさま……。どこへでも、どこへでもお連れいたします……!」


 ミーティアは子猫を胸に抱きしめ、何度も何度も涙を拭った。  空はどこまでも青く、吹き抜ける風は、今はもう、ちっとも冷たくなかった。



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