落日のナイチンゲール ― 託された黄金の知恵 ―
大陸の空は、泣き出しそうなほどに青かった。
かつて救世の象徴であった白銀の装甲「ナイチンゲール」は、今、皮肉にも民衆の憎悪の標的となっていた。眼下に広がる帝都の広場では、数えきれないほどの民衆が拳を振り上げ、呪詛の言葉を叫んでいる。
「魔女を殺せ!」「すべての戦争はあの女が仕組んだことだ!」「オリビアさえいなければ、息子は死なずに済んだのだ!」
その罵声は、高度数千メートルのコックピットにまで届くかのようだった。 オリビアは静かに目を閉じ、サイコミュを通じて伝わってくる、ドス黒く濁った思念の渦に身を委ねていた。誰かが裏で糸を引いている。民衆の悲しみを怒りに変え、自分という「共通の敵」を作ることで、新帝国を揺るがそうとする者が。
「……いいわ。予定より少し早いけれど、幕を引きましょうか」
オリビアは通信を開いた。追撃してくる二機の影――赤と青の「ケンプファー」へ。
『ミーティア、マリーン。聞こえる?』 「オリビア様! どういうことですか、あの民衆の言い草は! 貴女がどれだけ……!」
ミーティアの悲痛な叫びが響く。オリビアはそれを遮るように、穏やかに、しかし断固とした口調で命じた。
『いいのよ。誰かが民衆を扇動している。今、私がここで「聖女」として踏みとどまれば、矛先はアルヴァンに向き、帝国には再び深淵が襲いかかるわ。……だから、二人にお願い。私を、撃ちなさい』
「そんなこと、できるわけないでしょう!」マリーンの声が震える。
『ひと芝居よ。私が撃たれ、墜ちることでしか、この憎しみは浄化されない。……これは私から貴女たちへの、最後の命令よ。アルヴァンの未来を、空から守りなさい』
数瞬の沈黙の後、二機のケンプファーが激しく機首を翻した。 ドッグファイトが始まる。それは、神話の戦いを彷彿とさせる凄絶な空中舞踏だった。
急上昇、急降下。ナイチンゲールが放つ光条を、赤と青の影が紙一重で回避する。民衆は、空を焦がすその光景に固唾を呑み、憎しみを忘れて空を見上げた。
「……行くわよ、マリーン。外さないで」 「分かってる。……オリビア様、ごめんなさい!」
ミーティアの駆る赤いケンプファーが、背負ったジャイアント・バズーカを構える。マリーンの風魔法が弾道を完璧に補正した。
ドン、と空が震えた。
放たれた魔導弾が、回避行動をとらなかったナイチンゲールの胸部装甲を直撃する。白銀の機体が、眩い火花を散らしながら大きくのけぞった。
「オリビア様――!!」
無線越しに、ミーティアの悲鳴のような叫びが届く。 爆炎と煙に包まれながら、オリビアは最後の操作を終え、脱出シークエンスを起動した。彼女の口元には、慈愛に満ちた、どこか清々しい微笑が浮かんでいた。
『いいのよ、ミーティア。……あとは、任せたわ』
白銀の翼が、夕日に溶け込むように高度を下げていく。 民衆の歓喜の叫びが遠のき、オリビアの意識は、彼女を招くエイルの光の中へと吸い込まれていった。
空に残された二人の少女は、ただ、煙を引いて墜ちていく愛しき主の残光を、涙を流しながら見送り続けていた。




