<9>ギルド
食事の後、ギルドという場所に行った。ギルドは冒険者のサポートをする事務機関だそうだ。事務というから役所のような堅苦しい場所をイメージしたが、実際には全然違った。
一口で言えば、雑多な場所だ。
ギルドの周囲には、冒険者なのかよく分からない人間たちがたくさんたむろしている。
まだ朝早いせいか、だらしない部屋着のようなものを着てウロウロしているおっさんもいる。井戸のあたりで歯磨きしている者もいれば、井戸の桶を使って洗濯する者もいる。
「なんか、生活感がありますね」
「ギルドは、冒険者向けの安宿を併設しているんだ。まるで、兵士の共同宿舎みたいだろ」
「うーん……どうなんでしょう」
兵士の共同宿舎、と言われても全然ピンとこない。ただ、確かに男がほとんどで、むさ苦しい感じがする。
女の冒険者は少ないのだろうか?
それとも、女の冒険者はこんな雑多な安宿には泊まらない、ということかもしれない。
「まだ、ギルドの窓口が開いてないみたいだな~」
「その辺で、回復魔法使えるやつがいないか、交渉してくるよ」
サアスがそう言って、人の集まっている方に歩いて行った。僕がその背中をジッと見守っていると、イトが横から説明してくれた。
「ギルドの窓口を介して依頼することもできるけど、回復魔法が使える冒険者に直で依頼するのが、一番手っ取り早いんだよ。よくあるやり方だから、大丈夫だよ」
「そうなんですね。はい。お任せします」
仲介が無い方が、早いし、きっと安く済むだろう。別に「ギルドを介して正式に回復依頼してくれ」、なんてごねるつもりは毛頭ない。
ただ、サアスの実行力と言うかコミュ力は立派だな~と思っただけだ。
「回復魔法がこんなに身近に利用できるなら、この世界の人たちは怪我や病気に悩まされなくて済むんですね。回復師?に依頼すればいいんですものね」
「そうだね。依頼するのにお金が必要だから、貧乏だと難しいけどね……。もしも、怪我や病気が魔法で治せない世界があるとすれば、それは悲惨だろうね」
怪我や病気が魔法で治せない世界。
僕にとっては、それが当たり前だ。だけど、悲惨だったかと言うと────どうだろう。魔法は無いけれど、医療技術は発達していた。あれが、魔法の代わりと言うこともできる。
魔法も医療もお金がないと受けることができない。
ならば、その違いは何だろう。不治の難病の有無、だろうか。お金が続く限り、衰えず、生き続けることができるとしたら、それは貧富や身分による社会格差を生む可能性がある。
真面目にそんなことを考えていると、サアスが1人の人間を伴って戻って来た。
ずいぶんと綺麗な顔立ちをした背の高い男だった。白いフードを被っている。
「回復師さん、彼女です。お願いします」
「はい、宜しくお願いします」
男は僕の真正面に立つと、「あれ?」と言う顔をした。
「貴女、同族ですね?」
男が被っているフードの耳の部分を掻き上げるようにした。
「あ」
そうか。彼もエルフなのか。そして僕もエルフだった。
同族だと言われても、僕は記憶が無いから共通の話題を持たない。「どうも」みたいな愛想笑いを浮かべるしかない。
しかし、次の一瞬、男の視線が僕の体を一瞥し、わずかに口元が動いたのに気づいてしまった。
────あっ、今、絶対、デブな女エルフ、って思われた……。
思いがけず羞恥と悔しさが立ち上って来た。
被害妄想か? いや、そんなことはない。あからさまな、嘲笑だった。
────いや、確かにデブだけど。僕だって、好きでこんな格好しているんじゃないし!
男は特に何の前置きも無く、僕の前に立ち、僕の頭に手をかざした。僕は吹き荒れる感情を胸に押し殺して、身を屈める。洗礼を受けるみたいに、頭を出した。
「あのー……記憶喪失って、回復魔法で治るんですか?」
横からイトが口を出した。
「分かりませんが、外傷によるものなら、治るかもしれません。とりあえず、やってみます」
エルフの男は口の中でブツブツと呪文らしきものを唱え、最後に『ルイヲッウティ』と言った。
ひんやりした空気が僕の頭の上に広がる。冷風をあてられているみたいだ。気になって上目遣いに伺うと、何やら手から光が出て僕の頭にかかっている。
────なんか、変なの。こんなので、治るのかな。
僕は身じろぎせず、大人しく待った。
今、回復魔法がじわじわと僕の頭に浸透しているのだろうか。
これで何かが変わるかもしれない。変わらないかもしれない。どちらに転ぶにしても緊張はする。
結果、予想通りというべきだろうか。
僕の────アーラの記憶は戻ってこなかった。
だから、記憶喪失じゃないんだってば~……!と思ったが、口に出すのは止めた。
とりあえず気落ちした感じを装って項垂れておく。
「どうも、ありがとうございました」
「いえ、お役に立てず、すみませんでした」
回復魔法は何の効果も無かったが、サアスは回復士の男に謝礼を支払ったようだった。この点については、もったいなくて、申し訳ない。お金を無駄にしてしまった。
「こうなったら、教会に行くしかないな」
「そうだな。この街に教会があるか聞いてみよう」
「教会って、何ですか? 宗教的施設ですか?」
「起源は宗教だけど、どちらかというと、回復とか解呪の専門施設になりつつあるかな」
「へぇ……」
じゃあ、最初からそっちに行った方が手っ取り早かったんじゃないかな。その方が無駄なお金も使わなくて済んだだろうし……。
と、思い、打ち消した。
逆だ。たぶん、先にギルドで回復してもらう方が、安いんだ。
一個人に回復魔法をかけてもらう方が、謝礼金が安いから、先に試したんだ。
「さっきの謝礼金が、おいくらくらいですか?」
「今のアーラは、そんなこと気にしなくていいんだよ。」
回復にはいくらくらい、かかるものなのだろう?
サアスたちに、あまりお金の負担をかけるのは心苦しい。この世界における金銭的な価値の相場が把握できていないのも、不安だ。何にしても、先立つものはお金だ。
「でも……」
「大して高くないよ。冒険者同士の回復魔法は『困った時はお互い様』ってやつで、身内価格にするものだから」
「そうなんですね。じゃあ、食事代くらいですか?」
「食事3回分くらいかなぁ」
3食分……。日本円に換算するなら千円くらい? いや、もう少し高いか……。
外食の3食分だとすれば、3千円くらいだ。これが身内価格だとするなら、一般なら一万円くらい、になる。
本当に大雑把な計算だけど、こんなもんか。
「お金を見せてもらってもいいですか? 貨幣ですか? 紙幣ですか?」
「あぁ、いいよ。お金の記憶も無い?」
「無いみたいです」
「それは不便だな。後で授業をしなくちゃな。足し算と引き算は覚えてるか?」
「えっ……はい」
「掛け算と割り算は?」
「分かります」
見ると、サアスの表情が悪戯気に笑っている。どうやら、冗談を言われたらしい。
「もう……っ。それくらい、分かります!」
僕はつい膨れてしまう。ルザクが笑って、横から僕の頭をポンポンと撫でた。
イトは小声で「アーラは本当に、可愛いなぁ」とか言っている。
……………………なんというか、このパターンが妙にしっくりくるのは、たぶん以前のアーラがそういうポジションだったからだろう。
サークルの姫的なポジションに慣れ過ぎるのは、どうも僕の精神状態に不健全な影響を及ぼしそうで、怖い。