<8>サー姫扱い
早朝、一番に目が覚めた。……尿意をもよおした為だ。
寝ている皆を起こさないように、こっそりと馬小屋を一人で抜け出すと、夜明け直前の薄暗い空があった。小屋の後ろに街の外周らしき堀があって、少し隠れることができたので、そこで用を足した。
よく考えたら、これがこの世界に来て初めてのおしっこだ。丸一日近く、一度も排尿してなかったということになる。気が張っていたせいもあるし、水分が不足していた為でもあるだろう。
下着を脱いでしゃがみこみ、女になって初めての経験に、僕は何とも言えない感情を味わった。罪悪感というか、置かれた境遇の不条理さというか、そういうものをヒシヒシと感じる。
なんというか……問題を直視させられるような辛さがある。
寝泊まりした馬小屋に戻ると、扉の前に人影があり、サアスだった。
「あ、サアスさん。おはようございます」
「おはよう。よく寝れたか?」
「はい」
サアスの笑顔を見て、昨晩の出来事を思い出した。暗闇の中で聞いた会話。それとも、夢か、僕の勘違いだっただろうか……。
「今日は街に入れるんですよね」
「あぁ。まだ、少し開門には早いな。さっき調べたら、そこに井戸があった。水が飲めるぞ」
「え、本当ですか? 助かります」
サアスに案内してもらって、井戸まで行った。
つるべ式の井戸だった。サアスが桶に水をくみ上げてくれた。僕はそれを受け取って手を洗い、顔を洗い、口をゆすいだ。井戸の周りに何匹か小さなアマガエルが跳ねている。
「腹は減ってないか?」
「減ってます」
正直に答える。答えながら、何となくアマガエルを見てしまった。
これを食べることを想像し、それはちょっと嫌だな、と思った。
「何か食べられるものを見つけに、狩りをしに行こうかと思うんだけど、そうすると街に入る時間が遅くなるかもしれない。アーラはどっちがいい?」
「どっちがいい、と言われると……。ええと、どっちでも大丈夫です。お腹が空いているのは、我慢できないほどではないです。皆さんのご都合の良い方にしてください」
「そっか。じゃあ、狩りはやめて、街に入る方を優先するか」
そう言い、サアスはもう一杯、井戸の水を汲み上げてくれた。僕が遠慮すると、自分の顔を洗い始めた。
もし、僕が空腹を我慢できないと主張するならば、街に入るのを遅らせてでも、サアスは狩りとやらに行ってくれたのだろうか。
『記憶が戻らなくても、俺はアーラが好きだ。』
暗闇の中、昨晩聞いたセリフを脳内再生してしまった。
きまり悪いと言うか、つい赤面しそうになる。いや、もう赤面している。薄暗くて良かった。
やっぱり、あれは夢じゃないみたいだ。
でも……。聞いてなかったことにした方が良い。
「えーと、あ、っと……狩りって、何をするんですか?」
「ん? ここに来る途中で草むらと、低木が続いているところがあっただろう。ああいうところに、自然の動物や生き物が集まりやすいんだ。あそこまで戻れば、多少時間がかかるかもしれないけど、狩りっていうか、食材が調達できる」
「あぁ、ヘビとかを捕まえるんですね」
「ヘビ、アーラは苦手なんだっけ?」
「『僕』は、そうですね」
以前のアーラはヘビが好物だった。今の僕は、そうでもない。
好きな相手の突然の変化、この違いを、サアスはどうとらえているのか……。
意識しないようにしているのに、どうも思考回路がそっちに行く。
徐々に、空が明るくなってきた。地平線が見える。そこに、大地を照らす光が兆す。
あちらが東なのだろうか。太陽と、月があるのか。だったら、フィールドとしては、ここも地球上なのかもしれない。
**
開門の時刻まで待って、入管手続きをした。
いきなり人の多いところに来たものだから、なんというか、面食らう感じがした。当り前のように、人が居る。僕の目から見れば異文化を感じる服装、顔立ちの人たちだ。
あまりキョロキョロとしていたら、槍を持った兵士に睨まれてしまった。
この街の名前はハーベストというそうだ。立派な建物が立ち並び、豊かそうな名前に似合う景観が続いている。
「とりあえず、宿に行くか?」
「食事が先だろ。その辺で、食おうぜ」
建物が並ぶ街のところどころに、朝から早速準備している屋台の店があった。屋台で、パンや、果物を売っている。地元民らしい男たちが、そこで朝食を食べながら煙草っぽいものを吸っている。
「どの店が良さそうかな」
客が多いところは美味しい可能性が高いが、混んでいる。馴染み客ばかりで、一見さんお断りの雰囲気の店もある。
まだ開店準備をしているところも多くて、どこが何屋さんなのか分かりにくい。
適当にその辺の店で、と言いつつ結構な距離をウロウロすることになってしまった。
「あ、なんか、美味しそうな……」
ふんわりと、美味しそうな匂いがする。誘われるように道の隅に構えた屋台に近づく。
覗き込むと、ふかした饅頭のようなものが売っていて、その湯気の匂いだと分かった。お腹がキュウっと鳴った。
「お、旨そうだな。よし、じゃあ、ここにしようか」
僕の後ろを、サアスたちがついてきた。
「すみません、4人いいですか。その饅頭を4つと、汁物を4つください」
「あいよ」
ようやく店が決まった。
「お腹空いたね。アーラ、こっちに座って」
無造作に並んだ机と椅子を合わせ、4人で向かい合って腰かけられるようにした。めいめいが荷物を降ろし、一息つく。それほど待たず、すぐに饅頭が運ばれて来た。
「あちち……アーラ、これ熱そうだから気をつけろよ」
汁物も運ばれてきて、サアスがそれを受け取り、配ってくれた。最初に、僕の前に並べてくれる。
────なんか……。
そう思って見てみると、確かに、そうだ。
────僕って……アーラって、すごく大切にされている……気がする。
昨日までは、親切で仲間想いのメンバーが揃っているんだな、としか思っていなかった。記憶喪失になっているから、気遣ってくれているんだな、くらいに。
だけど、意識して見てみると、その域を『超えて』いるような……。
これは、アーラが、サアスの想い人だからだろうか。
「旨いな、これ。さすが、アーラの店選びの直感は健在だな~」
「あはは……俺達、それに何度も助けられてるよな。前にイトが選んだ店が酷かったのが、忘れられないぜ」
「あぁ、あの店ね。アーラは覚えてないと思うけど」
「忘れたほうがいいくらい酷い味だったんだ」
僕は、微笑を浮かべて軽く相槌を打つ。
思い過ごしじゃなければ、サアスだけではなくて、イトとルザクからも好意のようなものを感じる。
まさか、これは……あれか。
噂には聞いていたが、その立場になってみて、初めて理解した。
オタサーの姫? だったか。そんな言葉を教えてもらったことがある。
曰く、サークルで紅一点の女子がお姫様のようにちやほやされるという現象。圧倒的な女子不足により、大して可愛くない女子であっても、アイドルのように崇められるというやつ……。
「お代わりするか? 追加で注文しようか」
「あの……、いいです。大丈夫です。ありがとうございます」
笑顔が強張ってしまう。
なんというか……こんなデブなエルフで、しかも中身が男になってしまって、それなのにサークルの姫扱いされるのが、心底申し訳ない。今更だが、酷くいたたまれなくなった。
「遠慮しなくていいんだぞ? 別に、食事をケチらなきゃいけないほど困窮してないからな」
「そうだよ。昨晩もご飯抜きだったんだし、お腹空いてるでしょ。せめて、もう一個くらい食べときなよ」
確かに、まだまだ食べられそうではある。
山菜っぽい野菜と何かの肉の餡が入った饅頭は美味しいし、温かいスープも、塩っ気がちょうどいい。
「う、うーん……じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな。お代わりしてもいいですか?」
「二個追加でもいいぞ」
笑って、ルザクが追加の注文に行ってくれた。