<5>僕か私か
食事の後、「魔力も多少回復しているだろうから」と言われて、もう一度回復魔法が使えるかどうか、試すように、勧められた。
しかし、やはり上手に発動させることはできなかった。惜しいっていう感触すらなくて、全然無理という感じだった。
再び僕は落ち込んだが、男達3人は嫌な顔一つせず、明るく励ましてくれた。
「気にしなくていいさ。本当に死にそうな状況から逃げ出してきたんだから、命があっただけで奇跡だ。魔法が使えないくらい、どうってことない。あの時、たぶん、頭をぶつけたんだな」
「やっぱり魔法が使えるかどうか、っていうのは頭────記憶と結びついているんだろうなぁ」
と、サアスが言う。
「魔法は経験が物を言うからね」
と、イトも同意する。
「あのぉ、僕……私、本当に記憶喪失なんでしょうか」
おずおずと尋ねると、「いいんだよ。記憶が無くても、アーラは、アーラだから」と言われた。
こうなってくると、いっそ僕は記憶喪失である、というフリをした方が良い気がしてきた。中身が別人で、僕はアーラではない、ということが明らかになれば、彼らの予想というか、期待を裏切ることになる。
『大切な仲間』であるアーラさんの体を乗っ取った悪霊として、憎悪されたら、手のひらを返して酷い扱いを受ける恐れもある。
それは……怖い。
────この人たちは、親切でいい人たちみたいだけど、街まで行ったら、ほどよいタイミングで冒険グループから抜けたほうが良い気がする。
僕は作り笑顔の裏で、そんなことを考えていた。もっとも、この冒険グループから抜けて、その後の生計が立つのか、見込みはない。
再び荒野の行軍が始まった。陽が傾いてきたが、うだるような暑さは相変わらずだ。歩く方角の関係で、前方から斜陽が照り付ける。
食事で体力は回復している。しかし、今日はもう既に散々歩いた後なので、精神的に歩くのが嫌になっている。
「暑いな~……」
「暑いっていうと、余計に暑くなる」
「この鎧部分の装備が蒸れるんだよな」
「魔導士のローブも、結構暑いよ。黒いから、熱がこもるし」
「俺も、この布を重ねて巻いてるところ、汗がすごいぞ」
男達は皆、厚着だ。それに比べて、僕……アーラは、とても軽装である。水着のように上下に分かれている服を着ている。
上半身は胸の谷間が見えるような胸当てをつけ、薄い半そでのカーディガンを羽織っているだけ。下半身は何というか、昔のブルマ?みたいなものを履いていて、その上に踊り子さんがつける女性用のふんどしみたいな前垂れがヒラヒラしている。
足にはニーハイ?と呼んでいいのか、長い薄手の靴下を履いている。この靴下のゴムの所が太ももにギュっと食い込んでいるのが、いかにも太ってるっぽくて嫌だ。
総評として、全体的に、露出が高い。
なぜこんな恥ずかしい恰好をしているのか……。もちろん、これは僕自身ではなくて、アーラさんの肉体なわけなので、間借りしている人間が文句を言える立場ではないが、理解に苦しむ。
ただし、太っていると言っても、不健康なだるんとした感じではなく、むちっ、ぱんっ、とした肉付きなので、デブ、という表現は言い過ぎかもしれない。
ぽっちゃり、と言うよりはむっちり、という感じ。
あぁ、でも、二の腕なんかはプヨプヨ、ふわふわ、って感じだ……やっぱり、ぽっちゃりかも。
更に歩き、ようやく風景に変化が見られてきた。地平線のあたりに、建物の密集のようなデコボコが見える。
「あの屋根が集まってるところが、街だな」
「何ていう街ですか?」
「それは分からない。俺達も初めての街だ」
「あ、そうなんですね。じゃあ、なんでこっちの方角に街があるって分かったんですか? 地図とかがあったんですか?」
「道を辿ればどこか、村なり、街なりにつくもんだぜ」
「道……?」
僕は怪訝に思って、足元を見た。
特に何もない荒地だ。これを道と行っても良いのだろうか?
────でも、言われてみれば、ずっと歩いて来た道は、荒地の中でも草が少ない場所だった気がする。
舗装されていない道というのは、人が幾度も通ることによって自然にできる通りやすい場所、というものを指しているんだな、と気づいた。
「街が見つかってラッキーだったね」
「ああ。ラッキーだった」
ラッキーだったのか。そりゃそうだ。道らしき場所を伝ってひたすら歩く、なんて、一歩間違えれば遭難まっしぐらだ。
こうなると、軽い「ラッキー」、の言葉にも重みがある。
「あの街まで、ここからどれくらいかかるかな?」
「真っすぐ行けると仮定して、夜にはつくだろうけど、結構遠いね」
「適当な所で野営をするか、頑張ってあそこまで歩くか、どうするかな……」
男たちが相談し始めた。
「夜に到着しても、門が閉じていれば街に入れないかもしれないぜ」
「街の近くまで行けば、夜露をしのぐ場所くらいはあるかもしれないけど。とりあえず、もう少し歩いてみる?」
「そうだな。野営の覚悟で、休むのに良い場所を探しながら進むか」
僕はその会話を聞きながら、是非もない。ついていくしかない。
しかし、野営……つまり野宿するとしたら、寝床はどうやって作るのだろう。それも魔法で何とかするのだろうか?
「アーラは、どうしたい?」
「へっ? 僕、ですか? いえ、僕はよく分かってないので、皆さんにお任せします」
「まだ歩ける? 疲れてない?」
「あ、あぁ、それは、大丈夫です」
そうか。体力を心配してくれていたのか。
正直な所、足が痛い。喉も乾いたし、そろそろ休憩したい気持ちだ。
でも、お世話になっている身でありながら、あまり我が儘は言いたくない。既に結構頻繁に休憩を取ってもらっているし、その頻度も増えている。
「頑張って歩けば、今日中に街に入れるかもしれない。でも、頑張ったとしても、街の門が閉まってたら結局入れない。徒労に終わるくらいなら、無理せずに諦めて野宿する、っていう手もある」
「はい」
それは、さっきの3人の会話を横で聞いていたので、理解している。
「えーと……野宿って、いつものことなんですか?」
「いいや。そうでもない。こんな荒野で野宿したことはないよ。森とか洞窟で一夜を明かしたこともあるけど、それも稀だ」
「あ、そうなんですね。冒険者っていうから、そういうのが日常茶飯事なのかと思いました」
「いやいや、野宿なんて、準備万端のキャンプと違って、いいもんじゃないから。逆に疲労が溜まるよ」
「きっと、そうでしょうね」
周囲の草木を見渡し、深く頷いた。
エアコンもなくて暑いし、小さな虫が飛んでいたりする埃っぽい屋外で蹲って寝ることを考えると、げんなりする。行き倒れと何の違いもない。
「頑張って歩きます。街に入れなかったとしても、街の周囲まで行けば、多少の軒先くらいは貸してもらえるかもしれないですし」
「そうだな。じゃあ、そうしよう。アーラには無理させちゃうけど、悪いな」
サアスが面目ない、というように頭を掻いた。
「いえ、僕────私は、大丈夫です」
僕は僕だ。
しかし、この可憐な女の子の声で受け答えるするときに『僕』という一人称を使うのは、却って違和感がある。
発言するたびにいちいち、気になるので、いっそ『私』で通そうか、という気持ちになってきた。
────僕でも私でも、別にどっちでもいいんだけど。
「ちなみに、元のアーラさんは、自分のことを何と呼んでましたか?」
「ん? アーラはアーラだよ」
「いえ、そうじゃなくて、僕とか、私とか、ええと……」
僕は、サアスからの回答が微妙に食い違っていると思った。
「アーラが、自分のことをなんて呼んでたか、ってことだろ? アーラの一人称は、私か、アーラだったよ」
会話を聞いているイトとルザクも隣でうんうん、と頷いている。
「えっ? どういうことですか? 自分でアーラ?」
「そう。アーラは~、アーラはあれがしたい~、とか、アーラは嫌だ~とか」
「うぇっ……」
そ……それって、つまり、幼児がやるみたいなやつ?
なんでこんなデブなのに、そんなぶりっ子みたいな喋り方なんだ~、と顔が引きつる。
「なんか、アーラに対して偏見がないか?」
「いえっ、別に特に何も」
僕は慌てて両手と顔を同時に振った。
アーラを侮辱すると、サアスの逆鱗に触れる可能性がある。
「じゃ、じゃあ、僕が僕って言うのは、皆さん変な感じがするんじゃないですか?」
「そうでもない。真面目な話のときは私、って言ってたし、ごく稀に僕って言ってる時もあったな。どんな呼び方でも、アーラはアーラなんだから、気にするなって」
ルザクに頭をポンと叩かれた。