<38>晴れて
浮き立つ心を秘めて、サアス達に会いに行った。
彼らが寝泊まりしている安宿のロビー……と呼んでいいか分からないけれど、玄関口である。
僕は、見て欲しいものがある、と言って、回復士のレベル証明書を差し出した。
「えっ……! これ……嘘! すごいよ、アーラ!」
「記憶喪失からの、結果でこれって、天才じゃないか?」
「怪我回復が、すごい。満点なんて、滅多にないと思うぞ」
3人は、僕の偉業を口々に褒めちぎってくれた。
「すごい」、「偉い」、「流石」などの言葉のオンパレードで、お世辞だと分かっていても、気分が良かった。
何せ、この証明書発行のために、とても怖くて痛い思いをしたのだ。
誰かに褒めて欲しい気持ちは、大いにある。
「……それで、この前の話の続きなんですけど」
僕が、続けようとすると、サアスに遮られた。
「ちょっと待って。それについては、立ち話も何だし、とりあえず、どこか……そうだ、ケーキでも食べに行かないか?」
「えっ、ケーキですか。ケーキはちょっと……いいです」
僕はダイエット中なのである。この世界のケーキは美味しくて大好きだけど、今は我慢だ。
「そうか、じゃあ、夕飯は?」
「まだ、早くないですか?」
日はまだ高く、特に、お腹もすいていない。
「じゃあ、お茶でも飲みに行こう」
「え、はい」
やや強引に、お茶に連れていかれることになった。
僕としては立ち話でさらりと済ませようと思っていたのに、そういうわけにはいかないようだった。
サアスに引っ張られて行く途中、後ろから少し離れてついてくるルザクとイトの内緒話が聞こえた。
『どうする……。これ、絶対にお断りのパターンだぞ』
『証明書取ったら、回復士なんて就職し放題だからね……』
『アーラは意思が強いからな。それに、俺達みたいなうだつのあがらない冒険グループにはもったいない人材だから。でも、何とか引き留めるぞ』
『いざとなったら、泣き落としでも使う?』
あぁ、そんな風に思われてるのか、と納得した。だから、立ち話じゃなくてお茶なのか。
マルチとか宗教に勧誘する時にとりあえずファミレスに連れて行こうとする人達と類似の行動パターンだ。
「あの、ちょっと待ってください。お茶は、結構です。行かなくても大丈夫です」
「アーラ、頼むから、話だけでも聞いて欲しいんだ」
サアスは、縋りつくように、僕の手を下側から引っ張るように握った。かなり真剣な表情だ。
「いえ、そうじゃなくて……あの、お話を受けに来たんです。だから、別に大丈夫です」
「え? 何が」
僕は、道の真ん中で立ち止まる。
「人工呼吸はしなくていいんですよね。なら、大丈夫です。」
「そんなこと、しなくていいよ! もちろん」
「じゃあ、皆さんの仲間に、もう一度入れてください」
「えっ……それって────まさか……」
なんだか、気恥ずかしい。
「冒険のグループに入れて欲しいってことですけど、駄目ですか?」
一応、これでも証明書持ちのれっきとした回復士なんですけど。
照れ隠しに、そんなことを思いながら、ちょっと口を尖らせた。こういう所作は、わざとじゃない。つい、出てしまうだけだ。
「駄目なわけがない!」
後ろで、ルザクの声がした。
振り向こうとすると、前方から抱き着かれた。サアスだ。
────わっ……。いきなり、抱擁だ! えっ、そういうのは、アリなの?
面食らったが、サアスは感極まったように、僕を抱きしめている。
「ちょっと! サアス!」
咎める声が飛んだ。
「馬鹿、離れろ!」
「あっ、ごめん。アーラ……嬉しくて、つい……」
サアスが僕から離れた。ルザクとイトが、サアスを殴ったり、蹴ったりして怒りをぶつけている。
「ふふっ……」
この感じは、デジャブというやつだ。
結局のところ、元のさやに納まったということだが、ギルドでLv証明書をもらえた僕としては、出戻るにしても、多少恰好がついた形である。
**
こうして、僕は、ようやく慣れ親しんだ寮を引き払うことになった。
僕の荷物はほとんどなかったので、退去に時間はかからなかった。多少増えた僕の私物についてはルザクがリュックサックに入れて、持ってくれることになった。
僕は自分の下着くらいは自分で持つようになりたいので、カバンを買いに行きたいと伝えた。
すると、案の定「アーラは荷物なんて持たなくていいよ」と言われてしまった。
「でも、できれば、私物くらいは持ちたいです」と粘ると、案外あっさり承諾がもらえた。
「ただし、アーラが重い荷物を持つと、疲れやすいから、とにかく軽くて小さいのにしような」
「うーん……それは、そうですね……すみません」
僕としては、重い荷物を持つのが嫌なわけではない。が、一番体力がないので、疲れてメンバー全員の足を引っ張ると、迷惑になるのである。
その後、街に行き、僕用の手ごろな小さいリュックサックを買った。この街で流行っている、オレンジ色の生地だ。このオレンジ色は、この街での思い出になりそうだ。
これで、念願叶った。自分の下着を自分で持てるようになった。一つの懸念が解消して、僕はにっこりした。
経費だ、と言ってグループの装備品の一部として支払いをしてもらった。
実は証明書を発行してもらうのにお金を使ってしまって、ほとんど手持ち金が無かったので、助かった。
一応、明日役所に行って、寮の鍵を返しがてら、工事現場の労働の賃金をもらうつもりだ。
「明日お給料が入ったら、今まで色々助けてもらった分をいくらかお返ししますね」
「そんなの、いいよ。大した金額じゃない」
「でも、ケーキとか、夕食のお弁当とか、何度も差し入れしていただきましたから。あれって、グループの冒険費から出てたんですか?」
言いながら、その辺の勘定はどうなってたんだろうな、ということが気になった。
冒険費から出ているとすれば、結構雑なお財布管理である。
「いやいや、いいんだよ。アーラは俺達の仲間なんだから、困ってる仲間を助けるのは当たり前のことだろう」
「そうそう、それに、結果的にそれで俺達の誠意が伝わって、こうしてアーラが戻ってきてくれたんだとしたら、安いもんだよ」
────んん? 言われてみれば、それもアリなのかも?
抜けてしまった回復士を取り戻すための投資だと考えれば、冒険費から出すのも決して筋違いではない、気がする。
これは経費で落ちますか?という疑問に対する回答は、古今東西、解釈による玉虫色だ。
寮を引き払って、サアス達が寝泊まりしている安宿に移った。男女混合の相部屋だ。
手を伸ばせば、すぐ横にルザクが寝ている。3人の寝息が聞こえるくらいの近距離で、ほとんど雑魚寝に近い。
でも、別に、抵抗はない。初のことではないし、僕はその辺りは彼らを信用している。────一応、信用することに、決めている。
明日は、いよいよ、冒険に出る。
目標はこの世界の冒険者がフィールドにしている『廃墟』である。
つまり、この街とはお別れだ。
一応この街は、僕の初の拠点だし、30日も仕事した場所だから、ある意味では、故郷みたいなものだ。離れるのは寂しい。
僕はまだ、この世界についても、自分についても分からないことだらけで、不安もある。
でも、サアスと、ルザクと、イトと一緒なら、大丈夫な気がする。
────きっと、記憶をなくす前の僕も、『アーラ』も同じように考えていたんじゃないかな。
真実は、まだ分からない。
記憶が戻ってきたら、とんでもない事実や、自分の感情がハッキリするかもしれない。
そう思うと、まだもうしばらく、記憶喪失のままでも良いかな、という気もする。
何にせよ、明日からは冒険者として、新スタートだ。
土木作業で鍛えたから、前よりは体力もついているはずだし、頑張ろうと思う。
お読みいただきありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたなら幸いです。
またTSモノ書きますので、次回作でお会いできれば幸いです。