<26>祈り
地面に、べったりとした血の染みがある。点々と続く血痕らしき跡もある。
僕は呆然と立ちくしてしまった。
今まで、一緒に働いていた人たちに降りかかった悲劇だ。それは、一歩間違えれば、僕自身が受けた被害だったかもしれない。
顔も名前も知らなくても、毎日同じ仕事に汗を流していた仲間たちだ。他人事とは思えない。
僕の同僚たちが、今、瓦礫に押しつぶされている。
「どうして…………」
街側から、大きな木が堀に倒れて、不自然な斜めで横たわっている。あんなに幹の太い木が倒れてきたら、とても危ない。
崩れた街壁が、瓦礫になって土砂崩れのようになだれ込んでいる。
一緒に、土も削れて崩れてしまっている。
その惨状に、僕は目を覆いたくなった。
「瓦礫の下に、まだ人がいるのか?」
「分からん。とりあえず、撤去するしかない」
誰それの姿が見当たらない、知らないか、と人づてに探し回っている者がいる。
だが、労働者同士は必ずしも顔見知りではなく、一体、誰が下敷きになったのかが、把握できていない。
救出すべき人が、その下にいるのかも、はっきりしない状況で、現場は混乱している。
「担架をもっと、寄せろ。真下に置いて。動かすな、支えて、よし、乗せるぞ」
多人数がかりで、負傷した人を担架に乗せていた。
その担架が僕の傍らを通って行った。僕は、負傷者の運ばれて行く方に、よろよろと足を向けた。
そこには、怪我人が、集まっていた。
腕から出血している人が居る。それをもう一人が止血しようとしている。よく見ると、何か刺さっている。あれは、木の枝?だろうか。倒れてきた木から突き出ていた枝だろうか。手で身を庇って、そうなったのか。
目を布で押さえて蹲っている人もいる。頭が砂で真っ白だ。土砂が目に入ったのかもしれない。とても痛々しい。
堀の隅に寄せて、並べられている人が二人。こちらは特に重傷だ。内出血で肌が黒ずみ、一部から血が出ている。
「今、回復士を呼んでいるから」と怪我人を励ましている人がいた。
この工事現場は、怪我時には回復魔法を無償で受けられる契約になっているが、現場に回復士が常駐しているわけではない。
────回復士……。
街から回復士が来てくれるのに、どれくらいかかるのだろう?
死にそうな人を、こんな堀の中に寝かせておくなんて、そんなことしかできないのか、せめて給水所、休憩所のテントまで連れて行った方が良いのではないか、と思った。
が、そんなことで憤っても意味がないことに、自分で気づいた。
事故が起きた時に、その処理の粗を探し、賢しらに改善案をのたまうことに意味はない。
この堀から人を運び出そうとしたら、梯子が昇れない以上、無理矢理吊り上げるしかない。
けが人にそんな無理をさせるよりも、回復士が来るまで大人しくここで寝かせておく方が、余程良いのだ。
堀の外側より、内側の方が、まだ日陰も多い。
「早く……死んでしまう……」
怪我人の傍で手をこまねいている人間のつぶやきが聞こえた。
僕は、土砂を掘り起こす救出作業の方に戻るべきか、怪我人の様子をもっと近くで見に行くべきか、迷った。
非力な僕が土を掻くより、今、一か八かでも、やってみたほうが良いのではないか。……………………つまり、回復魔法を。
────ダメだ。僕には、絶対に、できない。
できるはずがない。
そんなにうまくいくものではない。
失敗すると分かっていることを、やっても、周りを幻滅させるだけだ。
無責任に、やってみることは、容易い。
でも、失敗するに決まっていることを試して、何の意味があるだろう。
あるいは、あいつがダメだったから、あいつのせいで、死んだ。
そんな非難を受ける恐れもある。
ならば、最初から無理だと、ダメだと、諦めて、手を出さなければいい。
余計なことはせず、知らぬふりをすれば、トラブルには発展しない。
────分かってる。でも、試しもせずに、逃げて、いいの?
────余計なことは、しない方がいい。それは、自分のためだけじゃない。周囲のためでもある。
────本当に? 本当に、絶対に、できないの?
正解は分からない。
僕は疲労しきった足で、よろよろと怪我人の方に近づいた。
そこに横たわっている怪我人の、凄惨な姿を直視できなかった。
この人は、もう死んでしまっているのではないか。
恐る恐る、僕はその人の手に触れた。ぴくり、と動く反応があった。体温もある。
……まだ、生きている。
色んな思いが渦巻いて、涙が出そうになった。でも、泣いてる場合じゃない。
怪我の上に手をかざす。
以前、ギルドで聞いた前口述を思い出せない。あんな長い詠唱呪文は、記憶できていない。
僕は、記憶喪失で、この世界に関する記憶を失っている。
今、僕に分かる呪文はこれだけだ。
「ルイヲッウティ」
必死で、頭に怪我を直すイメージを作る。
イトにも魔法の使い方の基本は教えてもらったが、イトは回復魔法の使い方は知らない。
だから、どうすれば良いのか、回復魔法に関する基本も分からない。
────何も分からない。こんなことしても、馬鹿げてる。失敗するに決まっている。
僕は、自らの内からわき出る絶望を引き摺りながら、続けた。
手から、靄のようなものが出た。
失敗を確信している。
でも、ただ、ひたすら、強く祈った。
────治れ。治れ。治って。お願い……。死なないで……。神様。この世界の神様。この人を、死なせないでください。
手から出る霞が、微かに明るく光った気がした。
僕はその光を消してしまわないよう、意識を強く集中させた。




