<23>ケーキ
仕事の後、寮アパートに戻ると、扉のドアノブに袋がかかっていた。
サアス達からの差し入れで、中身はケーキのようだった。
僕は、このケーキを「お裾分け」するために、隣の部屋のドアを叩いた。
この世界には────というか、僕の部屋には冷蔵庫が無いので、クリーム系のお菓子はその日のうちに食べきらないと、腐ってしまう。
「ミミロアさん、ケーキ食べませんか」
「え~。食べる食べる~。どうぞ入って」
ミミロアさんは嬉しそうに僕を部屋に招き入れてくれた。ミミロアさんの部屋は、僕の部屋と同じ間取りだ。ベッドの横に、四角いちゃぶ台のような机が置いてある。
ミミロアさんは、わざわざ可愛い紙皿とフォークと飲み物を出してくれて、ちょっとしたお茶会の様相になった。
「甘くておいしい。はぁ~疲れが吹き飛ぶわね。このケーキって、この前会った男の子たちが持ってきてくれたの?」
「はい。僕の仲間です」
「うわぁぁん。いいなぁ。ケーキ差し入れしてくれる彼氏とか、私も欲しい~」
「彼氏じゃないですよ。冒険グループの仲間です」
ミミロアさんは、クリームのついたフォークを僕に向けた。
「でも、ほとんど毎日じゃん。普通、ただの仲間っていうだけで、こんなにしないよ。ケーキなんて……結構高いんだから。それに今は、アーラちゃんは冒険グループから抜けてるんでしょう?」
「はい。まぁ、記憶喪失で魔法が使えないので……」
言いながら、僕は新しい回復士さん見つかったのかなぁ、と思った。
今の僕は自分のことに手いっぱいで、サアス達とコミュニケーションを取っている余裕すらない。
「今度の休みには、会ってあげたら? こんなに毎日通ってくれてるのに、平日はほとんど家にいないか、寝てるかだし、この前の休みの時も、せっかく来てくれたのに追い返してたでしょう」
非難するような口調だ。
「あ、見てたんですか?」
「偶然だよ」
サアス達が休日の朝に訪れたが、「すみません。今日は疲れているので、また今度」と言って追い返したやつだ。
あれは、あんな朝早くに来るのが、タイミングが悪いというか……。せめて、夕方だったらまだ良かったのだが。
「あ~……そういえば、就職が決まったらデートする、って約束したっけなぁ……」
「えぇっ! 何それ~!」
ルザクと、ケーキ屋に行く約束をしていた。
しかし、こうしょっちゅうケーキを差し入れてもらっていると、今更デートでケーキを食べに行く気にもなれない。
こちらの世界のケーキは、僕が元居た世界と似たような形状である。スポンジっぽい土台に、クリームやフルーツが挟んである。
「そもそも、あんまりケーキばっかり食べると、太りそうだから、持ってきてほしくないんですけど……」
「贅沢っ……。羨ましいっ」
ミミロアさんは、床を拳で打ち付けた。鈍い音がした。
きっと、1階の部屋に響いたことだろう。寮生活なのだから、そういうマナーは気を付けたほうが良いと思う。
「あの3人の中で、誰がアーラちゃんの彼なの? 背が高い彼? それとも黒っぽい服の魔法使いの彼?」
背が高いのはルザクだ。黒っぽい魔法使いの彼はイトだ。……サアスが出てこないのは、特徴が少ないからだろう。
「だから、誰も彼じゃないんですってば」
「恋心は全くないの?」
「えぇ……。向こうが勝手に『アーラ』のことを好きみたいですけど。僕は、別に……」
言ってから、「ん?」となった。
「アーラちゃん、お姉さんは今、殺意が沸いたわよ」
「す、すみませんっ」
「はぁ…………モテる女の秘訣、教えて……」
ミミロアさんは深刻そうなため息をついた。
「でも、ミミロアさんこそ、モテそうじゃないですか。女性の冒険者って、珍しいですよね? 相手はたくさんいたんじゃないですか?」
持ち上げようとしたが、逆効果だったらしい。じろり、と恨めしそうに睨まれてしまった。
「…………いたら、今こうして作業服で土方仕事をやってないわよ」
「でも、息抜きにこの土方仕事を選んだのは、ミミロアさん自身ですよね?」
「そうじゃなくて、恋人がいたら、こんな力仕事してなくて、今頃結婚して、ガーデニングかお菓子作りでもしてるわよ、ってこと」
「あぁ……はい。なるほど」
そもそも、息抜きに土方を選ぶ時点で、恋愛に縁が薄い気がするのだけども、余計なお世話だろうか。
ケーキを口に入れる。とても甘い。
クリームが唇の横についてしまったので、舌を伸ばして舐め、それから指で拭った。
「「アーラ」はこんなに太っているのに、どこがいいんでしょうねぇ」
あえて、そう口にした。
つまり、一人称を「アーラ」にしてみた。なんだか、既視感がある。
────もしかして……。かつて、僕の一人称が「アーラ」だった理由って、もしかしてこういうことじゃないだろうか?
僕は、いまだに「僕」と「アーラさん」を同一視できない。
それは、もしかしたらかつての僕も同じだったのではないか。
だからこそ、自分のことを指すときに「アーラは……」と言うのが口癖になった。あり得ない話ではない。
「私が思うに、モテるかどうかって、太ってるかどうかはあまり関係がないのよ」
「はぁ」
同意とも疑問ともつかぬ相槌をうつ。
「ブスより、美人がモテる。これは間違いないわ。だけど、太っているより痩せている方がモテるかというと、そうでもないの。…………なぜか分かる?」
「いえ。全然分かりません」
「男はね、太っている女の子を見ると、その女の子の中の、純粋な可愛さを見出して、そこに釘付けになるのよ。宝石の原石を見出して、それを自分が見出したことに対して夢中になるのね」
「はぁ……そうなんですか?」
「痩せたらこの子は可愛い。っていう気持ちがね、でも痩せてなくても可愛い。ってなって、痩せたら可愛いことを知っているけど、それは誰にも教えたくない、っていう独占欲に変わるのよ」
「ふむふむ」
ミミロアさんの謎の力説をしている。
僕はそもそも、太っている女の子は好みではないので、同意はしかねる。
だが、一般論で言ったら、あるいは的を射ているのかもしれない。……どうだろう。
「やっぱり、モテる秘訣は、外見じゃなくて、本人からにじみ出る何かなのよ」
「何かっていうのは、何でしょう?」
「性格というか、ふるまいというか、言葉……ううん、もっと細かい目線とか。モテは細部に宿るのね……きっと」
「つまり、女らしさ、ってことですか?」
僕が言うと、ミミロアさんは横に倒れた。
「お、女らしさ……」
体をピンと伸ばし、水揚げされた魚のように、口をパクパクしている。この年齢で、そのリアクションはもはや芸に近い。
「あ、いえ、ミミロアさんは十分に女らしいと思います。魅力的です」
「うううっ……そうかなぁ。だって、私、今まで男の冒険者とグループを組んでも、一度も告白されたこともないんだよ」
「それに女らしさで言ったら、僕の方がよほど、男です。中身は男ですから。僕」
冗談を言ったと思われたらしい。ミミロアさんは体を起こし、あははと笑った。
**
次の日、僕は偶然、ミミロアさんがつるはしを握っている姿を見た。
男達に混ざり、大岩に向かって力強い一撃を振り下ろしている。
凄まじいつるはし捌きだった。僕は思わず「これが紅の……」と呟いた。
「おるぁぁぁああ!」
叫び声とともに、つるはしが振り下ろされる。
一撃の軌跡が赤く染まり、打ち込まれた一撃から巌に亀裂が入って行く様は圧巻の一言だ。
その剣技みたいなやつを土木工事に使うのは才能の無駄遣いのような気もする。
しかし、大岩の破壊に多大な日数を費やしている作業員の一人としては、とても貴重な労働力だ。
まさに、土木作業のために生まれた力ではないか、とすら思えてくる。
「あの人、凄い人ですね」
と、隣の誰かに話しかけると
「ああ。すごいよな。カッコいいなぁ。いいなぁ」
と返って来た。その「いいなぁ」は魅力的、という意味だよね?
判断が難しいけれど、現場で重宝されていることだけは、間違いない。
日に焼けた健康的な肌。今は見えないが、作業服の下では、腕の筋肉が漲っていることだろう。男でもうらやむ、超一流の雄々しさ、勇ましさだ。