<2>水面に映る姿
それから僕は、3人から説明を受けて、回復魔法とやらの使い方を教示してもらった。
意識を集中させて、回復の呪文を唱える。教えられた通り、『ルイヲッウティ』みたいな変な言葉を、変な発音で唱えて、回復させたい個所────自分の頭の上に手をかざす。
ゲームやファンタジーの創作物に出てくるスタンダードなやり方だ。
だが、この『ルイヲッウティ』を言われた通りに何度試しても、上手く魔法の実行につなげることができなかった。
中身が別人の「僕」では魔法というものが使えないようである。
この事実は、3人の男達を再び大いに落胆させた。僕自身も、いきなり異世界に来た上に、周囲を失望させているという事態に、気持ちが滅入った。
「はぁ~……」
何度目かのため息を聞き、僕もつい、同調してしまう。
「アーラは、俺達のグループ内で、唯一の回復役だったから……、回復薬も、先の廃墟で全部使っちゃったしな」
「ああ、こうなったらとにかく、一刻も早く街に戻って、回復をしないといけない。今まで、こんなこと一度も無かったから……」
かなり、深刻な雰囲気だ。
「あのぅ……僕のせいで、ご迷惑をおかけしてるみたいで、どうもすみません」
頭を下げて、謝っておく。
僕としては被害者くらいの気分だけれど、別にこの人たちが悪いわけではない。むしろ、今頼みにできるのはこの人たちくらいなのだから、できるだけ媚びておいたほうが良い。
「いやいや、大丈夫。時間が経てば、記憶も戻るかもしれないし、ここは廃墟の外だから魔物も少ない。危険はほとんどないから、アーラは何も心配しなくていいよ」
黒髪青年は、優しくそう言ってくれた。
廃墟、魔物、そんなファンジーっぽい単語を頭の隅に留め、僕は次の言葉────今、何を質問すべきか考えた。
……そういえば、僕はまだ彼の名前を聞いていない。
「ありがとございます。あの、改めて、あなたのお名前を聞いてもいいですか?」
「がっ……ガーン……」
「えっ? ガ・ガーン?」
「あ、いや、違う。俺の名前も忘れてるんだな、と思って。俺達は、仲間だったからさ。忘れられていると思うとショックで」
「すみません」
僕はもう一度謝る。確かに、親しい人間の名前を忘れるというのは失礼なことだ。しかし……。
「忘れてるっていうか、中身が別人なんだと思います。別人がいると思って、扱って頂いた方が、たぶん、分かりやすいと思います。アーラさんの意識がどこに行ったのかは僕も知りませんけど、もしかして、入れ替わったのかも……」
指をクロスさせて見せる。
すると、青年君は困ったような顔でうーん、と唸った。横から、民族風衣装のルザクが口を挟んでくる。
「まぁ、まぁ、そんなに深刻になることないさ。街で回復すれば、きっと治るって。とりあえずアーラも混乱してるみたいだし、記憶を無くして不安だろうから、簡単に現状を説明してやるのがいいんじゃない? まずは俺らの自己紹介からとか?」
「それは、助かります。是非お願いします」
両手を合わせて、拝むようにした。
なかなか気が利く提案だ。僕は内心で、こっちの年長っぽい男────確か、ルザクだっけ?の評価を上げる。
「そうだな。記憶が無いんじゃ、色々と不安だよな。まず、俺の名前はサアスだ。職業は勇者。あいつが、イトで、魔術師。そいつが、ルザク。盗賊」
サアス、イト、ルザク……か。僕はカタカナで頭にインプットした。
「勇者に盗賊というと……。つまり、やっぱり、ファンタジー風の設定なんですね。剣と魔法というか。では、あの、僕────私は? 私は何なんですか?」
「そっか。なんか、変な気分だな。君は、アーラだよ。アーラ・キーィフェンス・マルクディア。職業は回復師」
「回復師、っていう職業もあるんですね。そちらのイトさんの魔術師と区別しているっていうことは、回復に特化した魔法使いということですね……?」
「待って、これ以上説明する前に、日陰に行こう。ここは、暑過ぎる」
横からイトが、暗い声で呟いた。その提案には、皆が同意した。
真昼の太陽はギラギラと照り付けていて、風もない。確かに、このままでは熱中症になりそうだ。
「よし、あの辺りで休もう」
サアスが、少し離れたところにある低木の密集している場所を指さした。年齢は一番若いように見えるが、勇者というだけあって、リーダー格らしい。
「あっちの、あの辺りに、オアシスがありそうだよ」
イトが杖で逆の方向を指さす。
結構な距離を経ているが、確かに緑の地帯が見える。
「そうか。じゃあ、そっちに向かおう」
意見は簡単に覆った。
勇者がリーダーなのかと思ったけど、そういうわけではないのかもしれない。
3人で荒野を、歩き始める。
歩きながら、僕は色々なことを考えていた。
例えば、この現状が夢なのか、死後の世界なのか、ということ。
僕は元の世界に戻れるのだろうか。今のこれは、『何か』に騙されている状態、何かの茶番なのではないだろうか、と。
────だけど、考えれば考えるほど、よく分からない。それらはやっぱり「現在」の目の前にある事実の前ではどうでも良いことのように思われた。
つまり、今僕が直面している現実的問題に比べれば、後回しにして良い疑問だ。
それよりも……────もっと気になることがある。さっきから、ずっと気になっている。僕は歩きながら、自分の体に付属している丸い丘を観察した。歩くたびに、ちょっと揺れる。重力に引っ張られているような感じがする。
「オアシス……水があるといいな。水のないオアシスだったらどうする?」
「暑ぃ~……」
汗がぽたぽた落ちてくる。乾きで喉が貼りつく。湿度が低く、干からびるような暑さだ。黙って歩くこと、どれくらい経っただろう。体力がジリジリと削られ、歩いているのに、息が切れるようになった。
しかし、徐々に目的地が近づいているのは視認できる。鼻面にぶら下がった人参を追うように足を動かした。限界に近くなったころ、ようやく目的地についた。
ぽっかりと、そこだけ緑が生い茂り、生命の楽園のような風景が広がっている。本当にオアシスって存在するんだな、と思った。これが本当かどうかはさておくとして。
濃い緑の葉をつけた木が生い茂り、下草をかき分けた先に、澄んだ泉があった。
男たちは歓声をあげ、水を飲み始めた。ルザクは、豪快に顔を泉に突っ込んでいる。
「ほら、アーラもここに来て、水どうぞ」
「あ、はい」
僕は草を踏みながら水辺に近づき、直前で少しためらった。生水をいきなり飲んで大丈夫なのか? この泉の水源はどこにあるんだ?
だけど、郷に入っては郷に従えという。それに、喉も体も干からびるほど渇いている。
そっと泉に手を浸し、水を掬って飲んだ。ほぅ、とため息が出た。生き返る、としか言いようがない。
何度も水を掬って喉を潤した後、僕は水面に自分の姿が映っていることに気づいた。
自分の姿────女になった自分……。
僕はしばらく水面を見つめ、揺れずに鏡のように静まるのを待った。そして────絶句した。
「あっ、あっ……あっ……」
「どうしたんだ、アーラ。記憶が戻って来たか?」
「あのっ!? あ、いや、記憶は全然です……っていうか……え? アーラさんって、この耳! 僕、人間じゃないんですか?」
僕は自分の両耳を手で掴んだ。普通の耳よりも一回り大きくて、尖っている。人間と同じ位置に生えてはいるけれど、普通ではない。
「ウサギ的な何か? それとも、地球人じゃない感じですか?」
「違う、違う。アーラ、落ち着いて。アーラはエルフ族なんだよ。そうか、その記憶もなかったんだな」
「エルフ? 妖精とか、小人みたいなものですか? 羽根って生えてない、ですよね? でも、とにかく、人間じゃないんですね?」
「いや、人間みたいなものだよ。もちろん種族間の断絶や諍いはゼロじゃないけど、同じ、生きとし生ける者同士、大切なのは相互理解であって……」
サアスの込み入った説明に、僕は余計に混乱した。巨乳の金髪女子になっているという現象だけでもいっぱいいっぱいだったのに、なおかつ、人間ではないなんて……。