<13>お風呂
結果として、アーラの記憶は戻ってこなかった。
僕は、元の世界には戻れなかった。アーラが戻って来れば、僕も元の世界に戻れる、というのは僕の希望的な仮説に過ぎないが……叶わなかったのは残念だ。
本当に、どうすれば元の世界に戻れるのだろう。手がかりの欠片もない。
「そもそも、記憶喪失じゃないんだから、回復では治らないんだと思います」
僕は、ちょっと投げやりな気持ちになって、そう言った。
鼻をふん、と鳴らすと、我ながら闘牛のようで嫌だな、と思った。口をちょっと尖らせる仕草に切り替えた。
「アーラ、元気だして」
「先生も言ってたよ。回復魔法でコンディションは良くなっているはずだから、ふとした拍子に記憶が戻ってくるかもしれない、って」
「お薬も出してもらったしね」
診察代と、薬代で、230リア50オンの寄付金を支払った。
道すがら教えてもらい、230リアがざっくり3万円くらいで、50オンが5000円くらいと概算した。
だったら、リアとオンで単位が分かれている意味が不明なのだけど、貨幣の種類によって、支払いが違うのだと言われた。いまいち理解不能だ。
それにつけても、3万5千円の貸しは、高い。
────そういえば、教会に来る前に、先にギルドの回復士に頭の回復魔法をかけてもらったことを、サンタ先生に伝えるべきだったかな……。
こういう後悔は、大抵、診察が終わった後にやってくる。
しかし、脳をいじられるというのは、話を聞いた感じでは、とても怖い。頭へ回復魔法をかけられるのは、もう二度とご免だ。
教会から宿に戻って、僕ら3人は少し仮眠を取った。
要するにお昼寝だ。昨晩の宿は厩で、野宿みたいなものだったし、体が疲れていたのだ。
布団で横になって寝れるというのは、本当に素晴らしい。
グーグー寝こけているところに、サアスが帰って来た。
ギルドの用事は滞りなく済んだそうだ。前回の廃墟の冒険で得た収入と、掛け払いの支出を清算し、1マリア、150リア、200オンになったと言う。
まだお金の単位がよく分からない。1マリアは1000リアだというので、1150リアと200オン、前回目途をつけた利率に合わせるなら、17万円くらいか。文化によって物価の違いがあるから、そう単純には判断できないけれど。
「アーラ、教会、お疲れ様」
「サアスさんも、ギルドお疲れさまでした」
「先に風呂に入って、それから、ちょっと早いけど、夕飯を食べに行こうか」
「わぁ……。お風呂に入れるんですね。嬉しい」
「宿の風呂があるみたいだ」
お風呂に入れるというのは、非常に嬉しいことだった。
実のところを言うと、ずっと同じ服を着ているものだから、なんだか不衛生な気がして、体が痒い気もするし、落ち着かなかったのだ。
しかし……────。
「はい、これ、アーラの着替え」
そう言って、ルザクのリュックから替えの下着と寝間着らしきものが出てきた時には、衝撃だった。アーラは、自分の下着まで、仲間の男に持たせていたのか……。
それは、女性の慎みとして、どうなのだろう……。ありか、なしか、と言ったら、僕的には絶対になしだ。
「あ、りがとうございます……」
僕は顔を引きつらせ、消え入りそうな声で御礼を言って受け取った。
宿の風呂は1階の離れにあった。
もちろん、蛇口をひねればお湯がザーザー出てくる、というような仕組みは無い。代わりに、今まさに煮沸しているお湯が石桶の中にたっぷり入っていて、それを手桶で汲んで水と併せて適温にして、好きなだけ使うことができる。
注意書きが貼ってあって、「湯量が減ったら水を足してください」「水は湧水を利用していますので、虫などが入ることがあります」と記してある。
僕は、こちらの世界の文字が読める。書くことも、できる。
これは、不思議なことだ。でも、こちらの世界の言葉も分かるのだから、同じ理屈かもしれない。
一方で、風呂に備え付けられている石鹸の使い方は分からない。これは、体を洗うものなのか、頭も洗っていいのか、実は床を磨くためのものなのか……。
自分にできること、できないこと。分かること、分からないこと。生活していくにあたっては、それらを選別して、整理することが重要だ。
今日の教会の治療で僕の記憶は戻ってこなかった。リーダーのサアスは、そのことを知っても、全く態度を変えなかった。
でも、記憶が戻らないことがハッキリしたのだから、この先の身の振り方を考えなければいけない。
というのはつまり、僕がこのまま冒険者の仲間として居続けるのは無理だろう、ということだ。
記憶も戻らず、回復魔法も使えないならば、「命の危険がある」という冒険にはついていけない荷物が持てるわけでもないし、まるっきり足手まといになってしまう。
いくら、冒険仲間のサー姫的立場だとしても、マスコット的にニコニコしているわけにはいかないし、よしんばそれを許されても、僕の方が嫌だ。
────せめて、回復魔法が使えればなぁ……。
回復魔法が使えれば、冒険についていくこともできるし、冒険について行かないにしても、それを職にして日銭を稼ぐこともできそうだ。
────アーラとしての記憶がないから、回復魔法が使えないなら、それをまた1から習得し直す、っていうこともできるのかな?
エルフ族は、回復魔法に長けている……というニュアンスの言葉を誰かから聞いた気がする。
だとすれば、きっと、魔法を使う素地はあるのだ。頑張って訓練すれば……何とかなる可能性もある。
僕は、石鹸を手にして、体を洗い始めた。
────それにしても、太ってるよなぁ……。
むちむちした体をタオルで擦りつつ、アーラさんに詫びる。
────異性の女の子の体を勝手に洗ったりして、すみません。でも、不潔にしておくわけにもいかないので……!
罪悪感が強いせいで、女性の裸をこうして見下ろしても、興奮はしない。
────っていうか、自分の裸体に興奮するとか、あり得ない……。
と、言い聞かせている節も否めないが、そういうことにしておく。
もし、今頃アーラさんが僕の体の方に入っているとしたら……僕の貧相な体に苦笑しているかもしれない。
────だとしたら、お互い様だよなぁ。
真面目なことを考えていたはずなのに、全然根拠のない妄想が、延々と続いてしまう。
考えごとをしながら、石鹸で体を洗い、次いで、髪の毛を洗う。
そうしたら、ものの数秒で、酷いことが起きた。
髪の毛がめちゃくちゃに絡まってしまったのだ。慌てて引っ張ったら毛根から抜けて、痛かった。
他人様の体を手荒に扱ってはいけない。ましてや、髪は女の子の命だと言う。アーラさんの金髪は、本人がどう手入れしていたのか不明だが、とても綺麗だ。
絡まった所を桶に浸し、手で優しく解す。少しずつやると、徐々に元通り真っすぐになった。
────この石鹸は、髪の毛には向かないっぽい。顔を洗うのには、使ってもいいのかな?
僕は石鹸を手につけて、片方の頬だけに塗った。あまり泡立たない石鹸だ。
洗ってお湯で流すと、そこだけパリッとした感じがあった。
これが────肌が突っ張る、っていうやつだろうか。テレビのコマーシャルで、そんな表現を見たことがある。
しかし、肌が突っ張るのは、良いことなのか、避けた方が良いことなのか、肝心な部分が分からない……。
悩んだ挙句、石鹸は使わず、ぬるま湯で洗うのみに留めた。
ニキビも無い、つやつやむちむちの肌なので、あえて石鹸で皮脂を取る必要も無かろう。
こんなことを考えたり、試したりしていたら、長風呂になってしまった。
僕がお風呂を出て、新しい下着と寝間着で部屋に戻ると、男達3人が待っていた。全員、明らかに風呂を出た後だった。
「すみません、遅くなって」
「ん? いいよ。俺達ものんびりしてたところだから。お風呂で、困ったことは無かったか?」
「大丈夫です。でも、石鹸とかがちょっと、使い方が分からなかったです」
「あー……ここの宿の石鹸、あんまり質が良くなかったな。女性は使わない方がいいかも」
「あ、やっぱり……」
ついでに、濡れた髪の毛をどうすればよいか、アーラさんが普段どうしていたかを教えてもらった。どうも、この背中まである長い髪の毛を、僕は持て余してしまう。
タオルでよく拭いてから、濡れてないもう一枚のタオルを肩にかけていることが多かった、と言われたので、それに従った。
「風呂上りのアーラだ~……」
と言って、なぜか喜ばれた。




