<12>教会
街はずれの教会についた。
知らない模様のモニュメントが掲げられていて、派手な赤い枠の窓が並んだ建物だ。この教会では僕の知っている宗教の神を祀っていないことが察せられる。
僕らは受付を済ませて教会に入り、病院の待合室と同じような感じで他の患者と一緒にベンチに座って待った。
しばらくして名前を呼ばれ、3人揃って診察室に入った。
中には赤い服を着た老人が座っていた。受付で僕が書いた問診票らしきものを眺めている。
「ん~~……記憶喪失だって? 珍しいね」
「はい。昨日からです」
「きっかけは? どこかぶつけたとか」
老人の問いに、代わりにルザクとイトが答えてくれた。
「廃墟で魔物に襲われました。その時に怪我をした可能性があります」
「それから、その後ワープしたから、もしかして着地で頭をぶつけたかもしれません」
「ふーん、じゃあ、頭を見せて」
老人先生は赤い服に、白いひげ。まるで、サンタクロースみたいだ。僕はそんなことを考えながら、指示に従った。出された椅子に座って、頭を下げた。
先生が僕の頭に触れる。髪の毛をかき分けるようにして、頭皮を確認しているようだった。
一通り終わると座り直し、僕の前髪を上げておでこと、目を確認した。
「怪我は無さそうだねぇ……」
それから、いくつか質問を受けた。今日は何日?とか、100から7ずつ引いて計算してみて、とか。
この世界の常識が無いと答えられないものは、ルザクがフォローしてくれた。それ以外の問題は全て淀みなく回答できた、と思う。
次に、いくつかの単語を一度に暗記して、復唱するというテストをさせられた。
「海、窓、スプーン、馬車、本棚、首飾り……」
こんなことをして、意味があるのだろうか。
そもそも、僕自身は記憶喪失だとは自覚していない。たぶん、魂が入れ替わったのだと思っている。
「本当に、記憶喪失なの?」
言われて、ドキッとした。まるで、心の中を読まれたような気がした。
「えっ、そ、それは…………」
「本当は覚えてるけど、記憶喪失のふりをしている、ってことはない? 何か隠したいことがあって、記憶喪失のまねをする、っていう人がね、たまにいるから。ギャンブルで、スったお金の場所を忘れたとか、奥さん以外の女性と遊んでた時の記憶だけ忘れた、とかそういう人」
「それはないです!」
僕は慌てて、否定する。
サンタクロース先生は冗談を言ったつもりのようで、茶色い歯を見せて笑った。
横からルザクが、記憶喪失の症状を説明してくれた。
僕が、自分の名前も覚えていないこと、お金の数え方や、当たり前の常識も全て抜け落ちていること。別人格だけが残っていて、別世界の男としての記憶だけ有していること。
「ふむ……だとするとね、これは治らないかもしれないね」
「どうしてですか」
「記憶が抜けた時の回復方法って言うのはねぇ……。記憶の回路に何か邪魔になっている障害物、例えば血栓だとかが脳血管を圧迫している場合……ならば、それを取り除けば済む場合もある。だけど、そういう時の記憶障害なら、もっと別の症状も出ているはずなんだよ。見当識が無くなるとか。要するに認知症だね。貴女の場合、それが無いみたいだから、ケースが違う」
「けんとうしき? にんち……? すみません、あまり、専門的なことは」
ルザクは首を傾げた。
対して、僕は驚いた。
「それって、つまり、魔法を使えば、認知症も治せるってことですか?」
「君はエルフだから、そっちの方面の知識もあるかな。しかし、認知症も種類が多様だからねぇ。上手く治せるものと治せないものがある。いや、治せるといえば、一応、全部治せる。回復魔法の効果は絶対的だ。だけど、元通りにはならない。期待通りにはならない、というべきだな。しかるべき回復方法を取れば、脳の不純物を取り除いて、綺麗な状態にすることはできる。だけど、それをやれば記憶が戻るかというと、そうではないんだな」
「えっ、でも、すごいですね。記憶が戻るかどうかは別として、綺麗にして、若い脳になれるなら、すごいことです」
回復魔法というのは本当にすごい。高齢化によるボケも治せるなら、肉体も、頭脳も健康なままに維持できれば、それって不老不死と同じじゃないか。もちろん、お金の続く限り、という意味だけど。
僕は目の前の先生を、崇拝するように目を輝かせた。
「いいや、君、違う。それは勘違いだ。回復魔法は回復はできるが、老化は治せない。機能の減弱は回復できない。老いれば、老いた分だけ、機能障害が頻発する。それを短いサイクルで回復し続けても、体に無理をさせるだけだ。結局、手の施しようがないほど壊れて、途中で諦めることになる。頭の中も同じこと。その時には、頭の中も真っ白になって、赤ちゃんのような老人になるだけで、全く空しいことだ」
先生は悲しそうな目をして、頭を振った。何か、そういう症例を思い出しているようだった。
「神父様、そろそろ次の信徒さんが待っていますから」
横に控えていた女性────完全に看護師のポジションだ────が言った。話が脱線しているのを、戒めたのだろう。
「あぁ、はいはい。すまんね。回復してみるから、頭を出して」
「は……はい」
結局、回復魔法をかけるのか。
なんだか、さっきの話を聞いた感じだと、脳に回復魔法をかけるのは結構なリスクを伴うような印象だ。うっかり、今の僕の記憶まで消されてしまわないか、心配になる。
僕は、もう一度、お辞儀をして頭を差し出した。
「そのまま、動かないで」
朝、エルフの青年に回復してもらった時のことを思い出した。
前のエルフの回復士と違い、事前の呪文はなく『ルイヲッウティ』とだけ聞こえた。
頭がひんやりして、治療自体は、すぐに終わった。
「シスター、少し、隣の部屋で休んでもらってて。頭をいじった影響がないか、様子を見るように」
僕は、シスターと呼ばれた看護師に連れられて隣室へ行った。リクライニングの傾斜がついた椅子がある。
「この砂が落ち切るまで、様子を見て、吐き気とか、気分が悪くなったら、呼んでください。問題なければ、受付に戻って、薬をもらって帰っていただいて結構です」
てきぱきと処理し、看護師は戻っていった。
イトとルザクが心配そうに、僕の顔を覗き込んでいる。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫です。別に、何ともありません」
「寒くない? 毛布、借りようか?」
「大丈夫です」
全く何ともないし、何の変化も無い。二人に気遣われると、却って申し訳ないくらいだ。
僕は病人の体で横になり、二人に見守られながらジッとしていた。
時々、シスターが置いて行った砂時計を見る。見たことの無いでっかいサイズの砂時計だ。砂がたっぷり入っているので、全部落ち切るのに、15分から30分くらいかかりそうだ。