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煉獄の斎場  作者: 長野 智
3/14

隷属

 トクシマの宴が酔いや疲れ、眠気といったものに白旗をあげた頃。オスカーはトクシマからほど近い海にとどまっていた精霊帆船シルフィードにいた。


 つい数日前に冒険者をフォーランドに連れてきたこの船も、今朝ばかりはひっそりとしている。オスカーはこの船に用意された個人用船室で、着用したダークスーツの乱れがないかを確かめていた。


 どこにも問題はない。そう確信すると、静かに、帰還呪文コール・オブ・ホームを唱えた。


 瞬きの間で、わずかに波を受けて揺れる木造の船室から、瓦礫と灰色の支配するミナミのプレイヤータウンへと転移していた。


 ミナミの街は早朝ということもあってほとんど人の往来がなかったが、その代わりあちこちの道路や廃ビルに、瓦礫を撤去したり地面を均したりといった工事作業の道具が置いたままになっていたのを見つけられた。


 例のない規模で勃発した<スザクモンの鬼祭り>を鎮圧するために大勢の冒険者が参戦したが今では殆どが動員解除されている。一時は進捗が滞っていたミナミの再整備計画も、峠を越えた現在では工事用の人員も元の場所に戻っており、主要区画から順に整備が進められているという話だった。


 ミナミの大神殿から歩を進めるオスカーはそうした情景を目に入れつつも、足取りはまっすぐギルド会館の方へと向かっていた。


 何故なら、そこはほとんど行政部や執行部の人員によって占領された、<Plant Hwyaden>の一大拠点だからだ。そこで寝泊まりしている者も少なくない。大災害よりこっち、ミナミ運営の中心として利用されているギルド会館は、それほどまでに徹底した利便化が続けられていた。昇降機の設置に加えて宿泊・食堂用にフロア全体を改装したところまであるほどだ。


 しかし最上階とその下の数階だけ、それとはまた別の論理で運営され、異なる事情で改装が施されている。そこは<plant hwyaden>の首脳や大幹部が用いる専用のフロアとなっていた。


 とはいえ、席将や各方面の大幹部として重用される地位にあるプレイヤーたちは大なり小なり自分で好きに使えるホームを持っていた。そのため、ここに自分用のスペースをわざわざ確保していない者も多く、空いている場所がかなりあった。


 もちろん、だれもが同じ立場というわけではない。大災害以降に立場を上げた者、例えばゼルデュスのようなプレイヤーはかなりの面積を自分のものにし、実務と生活の拠点にすることが多かった。

 あとは建物の管理をさせるために住まわせている大地人の使用人なども多くおり、それぞれの階級や役職ごとに固められていた。


 そのほかには——<Plant Hwyaden>の支配者、濡羽やインティクスがミナミへやってきたときに使う専用階がそれだった。



 オスカーの目的地は会館の上から2階、インティクスの専用階にある。最上階のことは知らないが、インティクスのフロアは彼女が表向きの用件で人と会うときに用いるため、それなりに使用されることが多い場所になっていた。


 今日の訪問はもちろん事前に伝達済みであるため、専用階の主はすでに自分の執務室で何かしら雑務をこなしているのだろう。西ヤマトを併呑する巨大機構の実質的な長であるインティクスがこなすべき事務処理というのは意外に多く、それは自分の手足として多数の人員を抱え込み続けている今も例外ではない。彼女が直接に目を通すべき書類、判断をくだすべき事物は増え続ける一方なのだ。


 会館前の広場までやってきたオスカーは、直接中に入らず、会館脇のところにまで足を運んだ。そこには最近になって新しく建設された昇降機塔が最上階の方にまで伸びており、入り口のところにはそれなりの規模の管理施設が塔を支えるかのように建てられていた。


 待ちかまえていた警備の人員と受付の大地人へ、オスカーは自分の幹部用ギルドパスを彼らに観察させてやった後に中へ進んだ。

 要人が利用するフロアへ直通することと、昇降機がデリケートな魔法機械でかつ貴重であるために、妙な連中が近寄らないようこんな管理体制が組まれているのだ。面倒だとは思うが、こんなことでもやっていれば箔付けにもなるかとオスカーは考え直した。


 入り口を開けて中に入る。右手の通路の方に警備の連中やスタッフの待機所なども設けられているのが見えたが、当然そんなところに用はない。


 一直線に向かった待機所のホールには利用者の応対を担当する大地人の侍従が配置されていた。時間のせいもあってか今は二、三人だけしかいない。そのうちの一人が前に出てオスカーにつき、行き先を確かめて昇降機の扉を開けた。


 円筒状のそれがどのような仕組みで動いているのかオスカーは覚えていなかったが、侍従が何度か操作するそぶりを見せると足場が揺れて上に動き始めた。数分足らずで目的階へと到着すると、侍従は帰りの際の手順を言ってから下へ戻っていった。



 あいかわらず無駄に広い建物だった。ゲーム時代はここまでの階にはおろか、およそ階段というものさえ使った覚えがなかったが、今や半月に一度のペースで利用している。あのエレベーターができて良かったと思っている数少ない人物の一人というわけだった。


 しばらく歩いてオスカーは執務室の扉の前に立ち、幾度かノックして来訪を知らせた。そしてドアノブを掴むと、入室の許しも待たずに扉を開けた。


 普段ならば、部屋の内側で待機している侍女が扉を開けてくれるか、そうでなければ施錠されていて物理的に入れない。


 だから部屋に入れるのなら入室を許可されたも同然だと思ったのだが、部屋の中にはすでに先客がいた。


 「オスカーか、君もインティクスに呼ばれたのかね?」


 扉を途中まで開けて半身をのぞかせた態勢のままでいるオスカーにそう尋ねてきたのは、神経質そうな顔に眼鏡をかけている官僚のような男だった。片手に書類を持ち、執務机のそばに立っていたゼルデュスは、おもしろそうな目でオスカーを見ていた。オスカーはゼルデュスの方をみて答えた。


 「失礼しました。取り込み中なら出直しますが」


 「入りなさい。ゼルデュスにも聞いてもらうわ」


 冷たい声が短くそう言った。オスカーは顔を上げることもしない部屋の主を見据えた。


 「イエス、マーム。了解しました」


 気のない声でそう返事をしたオスカーは、後ろ手にドアを閉めると部屋の中央へ進んでいった。ゼルデュスが再び声をかけてくる。


 「朝早くからご苦労なことだな、オスカー。私も今やってきたところだ。昨日から徹夜で眠いのだがな」


 「研究所にいたのですか?」


 オスカーはあくびをかみ殺すゼルデュスにそう聞き返した。 


 「そのとおり。まだまだ電源の調整がうまくいかないのでね、いろいろ改良を施しているのだが……ああ、そういえば。昨日も無事、"素材"は届いたよ。君の配達人は予定通りで助かる」


 在庫が少なくなっていたからな、と楽し気にゼルデュスが笑った。オスカーが何か返事をしようとしたとき、トントンという軽い音がして二人の会話は途切れた。音の方を見やると、インティクスが机で書類の束を整えていた。


 「フォーランドの"素材"はどうかしらね、お前、街を見てきたんでしょう?」


 「ええ。貴女の言ったとおり、トクシマには法儀族のコミュニティがあるようです、マーム。2、3世帯分ほどしかいませんが、本土より大幅にレベルが高い者ばかりです」


 「もしやと思ったが、朗報だな。本土にいる法義族のレベルは一桁しかない者がほとんどだ。宮仕えでようやく20レベルほど……大地人のレベリングは少々骨が折れる。実験が行き詰まりかけていたところだ」


 ゼルデュスが顎に手を当て、大袈裟にしかめ面を作ってみせた。インティクスがゼルデュスの方へ顔を向け、相変わらずの声音で言った。


 「電源に用いる法義族はレベルが高いほど有用、ね……"レベルが高い"とはどの程度のものなのかしら?」


 「試していないから明言しづらいが、40レベルでも十分だ。ま、正直なところ、いくらでも困りはしない。目下のところ、研究しているのはレベルも含めた最適なステータスの発見だ。様々なサンプルが欲しい」


 ゼルデュスが肩をすくめてそう答えた。イコマの地下研究所を舞台に行われている秘密の実験。それがゼルデュスの楽しみといってよかった。毎日のように新たな発見があり、間違いなく攻略の最前線を走っているという事実が、彼にとって大きな快感なのだ。例えそれが法儀族を使った人体実験でも。

 オスカーは何の感慨も出さないように努めながら、ゼルデュスに向けて言った。


 「必要なら、今日にでも連れ出せるでしょう。理由はなんとでも言えますから」


 「それはいいな。もし本来の用途が発覚したところで、彼らは今回の事で大きな借りがある。むしろ堂々と要求してもいいのではないか? そのほうが面倒ごとがないだろう」


 「それも一つの手ではあります。それでも、知る者は少ないに越したことはないと思いますが」


 「まあ、それはそうだがね」


 「今すぐに必要なの、ゼルデュス?」


 インティクスがゼルデュスに尋ねた。ゼルデュスは手元の書類に目を落としながら片手を口元にあてた。


 「そうだな……まあ、いますぐとまでは言わないが、いずれ必要になるだろう。レベルの高低はまず間違いなく重要な要素になるハズだ。今試している項目をすっかり消化したら、高レベルの個体でも試験を行う準備が整う。どのみち、手に入る個体の数は少なそうだ、そうだろう?」


 最後の呼びかけはオスカーに向けたものだった。オスカーは答えた。


 「そのとおりです。多く見積もっても両手で数える程度でしょう。あまり期待されない方が良いですね」


 「それだけならやはり、しばらくは本土産の素材を使って今ある不明点を潰していく方が良いな。貴重な素材だ、雑に扱うわけにはいかん」


 話を聞いていたインティクスはふん、と軽く鼻を鳴らすとつまらなそうに言った。


 「なら、しばらくは放っておいていいわね。あとは」


 オスカーの方を見る。


 「フォーランドのクエストは、どうなってるかしら」


 「今のところ、想定以上のことは起こっていません。砦にいたのは一番格下のレイドボスだったのだと思います。フォーランド山脈に巣食う溶岩竜の首魁を討ち取れと、ガーランドは言いました。まだ複数のボスがいることを暗示していると思います」


オスカーは言った。今回のレイドはそれなりに長さのあるストーリーを持ったクエストのようだった。それに、ダンジョンの攻略もくっついている。十中八九ノウアスフィアの開墾で追加されたコンテンツなのだろうが、大きく変じたセルデシアではどれほど困難なものなのか、想像しきれない部分があった。


 「どう致しましょうか、マーム。サー・ナカルナードの部隊を呼ぶことが確実だと思いますが」


 「ハウリングはフォーランドへは投入しない。これは決定事項よ。ナカルナードにはナカスの作戦に注力してもらうわ」


 そう言い切ったインティクスに、オスカーは内心で溜息を吐いた。


 まあ、当然のことかもしれない。ナカスの併合はここ最近<Plant Hwyaden>が総力をあげて取り組んでいる最重要課題だ。軍事部門のトップとして君臨するナカルナードが参加しないということはありえないだろう。その目標が単なる都市であればともかく、九州の冒険者が揃うプレイヤータウンとあればなおさらだった。


 それに、聞くところによればサイキョウを陥落させてそこにいた冒険者や九家の大地人を追い落としたナカルナードは、今度はビッグブリッジ制圧に手間取っているという。


 理由は単純なもので、戦闘不能ロストになって大神殿送りになったときに近いのは当然ミナミで復活する<Plant Hwyaden>よりナカスの冒険者だ。戦力復帰のインターバルに格差があるせいで、あまり味方をロストするわけにもいかないナカルナードは防備の固められたビッグブリッジを攻めあぐねている。


 あまり期待してはいなかったが、やはり<ルナティック>以外にレイドを押し付けることはできないようだ。フォーランドの問題はあくまで下位の、重要性の低いものなのだった。


 インティクスはさらに続けて言った。


 「フォーランドは引き続き、お前の部隊に対処してもらう。そのための資材の引き出しは許可するわ」


 インティクスが書類の一枚を滑らせるようにしてオスカーへと渡した。許可書を受け取ったオスカーは内容を確認した。それは、要約すると一か月分のレイド用戦闘資材の持ち出しを承認する、というものだった。オスカーは書類から顔を上げて言った。


 「イエス、マーム。了解しました。それから、レイド部隊の再編成に少々時間が欲しいのですが」


 「好きになさい」


 インティクスが短く言って認めた。それで、室内にいる者たちの間に沈黙が広がる。オスカーとゼルデュスが互いに顔を見合わせ、お互いに話題がないことを確かめた。


 「話は済んだかしら」


 インティクスが冷たい視線を振りまいた。それを合図にして、二人の男たちは部屋から出ていった。

 


 ゼルデュスはギルド会館の自分の部屋には戻らずに直接イコマの研究所に行くようで、騎乗用飛行生物を呼ぶために屋上へ階段を昇って行った。オスカーはレイド用資材の引き出し手続きをするためにもう一度、一階まで降りる必要があった。そこで昇降機乗り場へ歩を進めていた時、向こうから歩いてくる人影に出会った。


 「カズ彦さん」


 「オスカーか……」


 憂いを帯びた表情で名前を呼んだのは壬生狼を率いる席将の一人、カズ彦だった。あまり楽し気な表情をすることがないカズ彦だったが、オスカーと鉢合わせたことでさらに表情をこわばらせていた。


 「カズ彦さんもここに用事ですか」


 「そうだ。おまえは……フォーランド絡みの件か。こうして会うのは大災害が始まった時以来だな」


 「はい。ちゃんと話すのはゲーム時代以来です」


 「ああ、そうだな。リナリアはどうしている?」


 カズ彦はここにいない元ルナティックのサブマスターのことを尋ねた。カズ彦はルナティック――というよりは、引退したギルド創設者とリナリア——との間で交流があり、そのおかげでレイドの時などに助っ人にきてくれたことがあった。


 その縁がもとで<Plant Hwyaden>の勢力拡大時、ルナティックは勧誘リストの上位に名を連ねることになった。大災害直後にカズ彦と会ったというのも、詳しく言うなら<Plant Hwyaden>がルナティックを勧誘してきた時のことだ。


 当時のルナティックはメンバー総出で片っ端から知り合いのプレイヤーに連絡を取っており、どうにかして合併なり提携なりできないかと探っていた時だった。

 事態の長期化を見越し、プレイヤータウン規模で冒険者たちを統合するという話にリナリアはすぐ飛びついた。なんといっても勧誘に来たのはカズ彦だったし、<Plant Hwyaden>のやっていることは自分たちよりさらに大規模な試みだった。オスカーやクレメンテでさえ、特に疑うこともしないまま賛同したのだ。


 そうして仲の良いいくつかの零細ギルドやプレイヤーを引き連れて、ルナティックはこの計画に合流した。それ自体は悪い判断ではないと思っているが、この殺伐とした内情を見るとときどき迷ってしまう。カズ彦はそれでリナリアには負い目があるのだろう。


 「リナリアは今、フォーランドで待機組とレイドダンジョンの偵察をしています。その前のことを聞いているんでしたら……まあ、貴方の活動に共感しています。シクシエーレに壬生狼を派遣してくれて助かっていると、前に言っていましたし」


 カズ彦はそれを聞いて苦虫を噛みつぶしたような表情になった。その表情のまま問いかける。


 「……お前たち、まだあの"仕事"を続けているのか?」


 それを聞いてオスカーはどう返そうか迷ってしまった。ルナティックが"仕事"のために拠点にしているシクシエーレには壬生狼が派遣されている。ミナミの外にいる冒険者——この場合はルナティック――を監視するための措置だったが、シクシエーレでは実質的に協力関係にある。


 なんといってもルナティックは普通の大地人相手に暴行など問題行為を起こさない"優良な"冒険者集団であったし、リナリアとカズ彦の仲も良いことも大きな要因となっている。

 それに、厄介な冒険者連中の対処を手伝ってくれるのでルナティック側からの受けも非常に良い。


 問題があるとすれば、<Plant Hwyaden>の"仕事"が絡むときだけだ。今のように。


 しばらく考えた後で、オスカーは正直に答えることにした。手の平を見せるようにして両手を広げ、参りましたとでもいうように。


 「ふふ。ええ、もちろん続けています。それ以外の選択肢があるとでもいうのですか? カズ彦さんだって、インティクスの"お使い"をしてるそうじゃないですか」


 その発言を聞いたカズ彦の反応は激烈なものだった。それまでのやりにくそうな態度は消え失せ、むき出しの敵意と怒りをその眼に込めてオスカーを睨みつけていた。そうしていると人斬りの仕事人として暗躍しているらしいという噂も尤もらしく見える、とオスカーは他人事のように考えていた。


 「お前、それをどこで聞いた」


 「聞いてはいませんが、噂にはなっています。僕らの担当はシクシエーレです。大地人のやんごとなき方々からそういうことで相談をうけるんですよ。僕らは、シクシエーレには壬生狼がいるので心配いりませんと答えるようにしています」


 カズ彦はぎりぎりと軋む音が聞こえるのではないかと思うぐらい忌々しげに歯を強く食いしばっていた。


 ミナミの冒険者が暗殺を仕掛けているという話は大地人の貴族階級でまことしやかに広まっていた噂話だ。もちろん大地人はカズ彦を知っているわけではないが、話を知った冒険者の中には誰の事か想像できる者もいて、その中の一人がオスカーだった。


 一方、カズ彦はシクシエーレに壬生狼の人員を送ったことについて半ば後悔していた。初めはリナリアとの縁を頼りに、<Plant Hwyaden>の中で勢力をのばすためルナティックを壬生狼に引き込むか、少なくとも味方につけようと思っていたのだ。


 だがシクシエーレの実態は違った。シクシエーレの冒険者は大地人との融和を目指す慈善集団などではなく、インティクスになびいた連中によってまとめられた<Plant Hwyaden>の下部組織だった。


 その中の一人が、目の前にいるオスカーなのだ。


 「お前たちはそういう連中ではないと、思っていたがな」


 「僕達は、現実世界へ戻る術を見つけたいだけです。<Plant Hwyaden>に協力し続けるのは、他の連中よりマシだと思っているからです」


 「例え大地人を犠牲にしていてもか」


 「例え大地人を犠牲にしていても、そうです。それに、もう逃げられませんよ。今更」


 オスカーが言った。カズ彦が眼を閉じて息を吐き、胸の内に溜まった澱みを吐き出そうとしていた。もはやカズ彦にとってこれ以上オスカーと話しているのは苦痛以外のなにものでもなかった。そろそろ用件の時間だから失礼する、とカズ彦がオスカーの脇を通り抜け、インティクスの執務室へ向かう。オスカーは振り返り、その背中に向けて言った。


 「でも、リナリアは僕たちとは違います。いつの日か、カズ彦さんのところへ行くかもしれません」


 その言葉に一瞬足を止めたカズ彦だったが、振り向くことはしなかった。カズ彦は思案するような間を空けて、ぼそりと口にした。


 「リナリアは……あいつは俺のところにはこないさ」


 オスカーがえ、と驚きを漏らす。どういうことか聞き返そうとも思ったが、すでにその背中は廊下の向こうへと足早に遠ざかっており、やがて部屋の中へと消えた。


 オスカーはさっきの言葉の意味を考えようとして、ちらりと窓へ目をやった。来たときには薄暗かったミナミの街も、今や太陽の日差しを受けて朝を迎えていた。

 思ったより長くこの建物にいたことに気付いたオスカーは、その場に留まるのを止めると、昇降機を呼びに乗り場へと足を向けた。

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