救援
それは何の前触れもなく始まったように見えた。
ユズリハとテオドールたちが、武士団の大地人たちを伴って出発した時にはすべてがいつも通りだった。
〈シルフィード〉から受け取った資材を荷馬車に載せ、砦への補給を兼ねた武士団の訓練行。今や溶岩竜とも渡り合える武士団を先頭に、道中のモンスターを相手にさせていた時でさえ憂慮すべきことは何もなかった。
変化は砦に到着した直後のことだった。突然アムンゼンから念話が入ったかと思うと、切羽詰まった声で簡潔に事の大きさを伝えてきたのだ。
――レイドボスの襲撃。
オルニソと同じように仕掛けてきたのだ。冒険者が守るそこを、フルレイド・ランクのボスが何故いまここを襲う気になったのか、それは分からない。どうでも良い事だ。
重要なことは。
(ここで耐えきらなきゃ全部ご破算だってこと……!)
ユズリハは今日何度目かになる〈溶岩敏竜〉の襲撃を迎え撃ちながら、あまりにも過大と思える目標に歯軋りした。
「待たせたッスよ、ユズ! 最前列はお任せッス!」
ユズリハの背後から空気を突き破るような勢いで突進してきた朱鳥が、そう声を掛けながら暴力的に大剣を一薙ぎした。すぐに朱鳥の分隊が脇を固めるように進み出て、疲弊したユズリハたちの分隊の盾になる。
「まったく、エンカウントが凄すぎてシクシエーレに帰れないと思ったら、こんな騒ぎに放り込まれるなんてたまったもんじゃないッス!」
「仕方ないよ! 僕らも〈ワイバーン〉は翼竜種が邪魔で飛べない! トクシマで何とかするしかないよ!」
「オーマイゴッド、ッス!」
朱鳥のぼやきに、ユズリハと入れ替わりで進んできたテオドールがなだめるように言った。彼らが陣取っているのはトクシマに通じる橋の入口。そこを塞ぐようにして戦いを繰り広げていた。同時に、三人が率いる分隊が、トクシマに居る冒険者のすべてでもある。砦にいたアムンゼンたちは、法義族を連れたユズリハ達を逃がすために殿を務めた。いまごろはミナミの大神殿に居るだろう。
おまけに海には海竜種、空には翼竜種の溶岩竜が跋扈して退路をつぶしている。おかげでせっかくここまで逃げおおせたというのに、空路でも海路でも法義族を逃がすことができなくなった。
「いよっと! ふぅ、とりあえず一波しのぎ切ったッス!」
「朱鳥! 大丈夫かい!?」
「ふふん、もちろんッス! でも油断禁物ッスよ、テオ。タワーディフェンスは始まったばっか、ウェーブ1ってとこッス」
ホームランを打った野球選手のように、空へ打ち上げた溶岩竜がマナになって散っていくのを見届けた朱鳥がそう注意した。そこへ、回復のために近づいてきたユズリハが加わる。
「ありがとう、ユズリハ」
「どういたしまして。それより、我らが〈ルナティック〉レイド本隊はいまどうしているの?」
「ん……僕は空振りだった。誰も応答してくれない。朱鳥は?」
ユズリハは尋ねた。レイド部隊の到着はこの危機を乗り越える必須要件だ。トクシマに戻るのが最優先で後回しにしていたが、今からはレイド部隊の都合に合わせて戦略を考える必要がある。
だが、朱鳥は顔を曇らせると、口をとがらせていじけたように話し出した。
「んー、正直よくわかんないッス。念話してもみんな出てくれないッスし……」
「そうか……戦闘中なのかな、向こうもなにかのイベントに巻き込まれてるのか」
砦でユズリハがオスカーへ念話をつないだ時はこっちの状況を伝えるので頭がいっぱいになっていた。それからすぐ戦闘になって、ユズリハもあまり話を聞いていなかった。
「あ! でも一瞬だけハルト君とはつながったッス! すげーキレ気味ですぐ切られたッスけど」
「本当に! どうだった」
「なんか滅茶苦茶に追いかけられてるとか、どうとか。とりあえずダンジョンは出てるみたいッス」
酷使されてるんスねぇ、としみじみとした様子で朱鳥が言った。他人事だな、と心の中で突っ込んだが、意識の大半は朱鳥が念話で得たというレイド部隊の情報に向けられている。
「ダンジョンを抜けてるなら、トクシマまでは最短なら〈ワイバーン〉と騎馬で戻ってこれるけど」
「どうッスかねぇ。追われてるっていうことはモンスターとやりあってるってことッス。最短は無理ゲ、トクシマに戻るってのも全員は望み薄ッスよ」
朱鳥が疑わし気に首を振り、そう言い返した。テオドールが腕を組む。
「リナリアたちが戻ってくるまで耐えられるかどうか……」
「その辺は、溶岩竜の気分次第よ。あたしたちは少しでも長く、できる限り大勢で戦い続けるだけ」
ユズリハが言った。テオドールと朱鳥が見つめる中で、さらに続ける。
「住民は避難させてある。あそこの――」
言いながらユズリハは背後にそびえる城を指した。山とも丘とも言い難いそれの頂上に建てられたトクシマ城は、画一的な街並みが広がる狭苦しいトクシマの中でやたらと目立つ。ユズリハは城というよりは高台に焦点を合わせたまま言った。
「城や練兵場に住民を籠らせたみたい。ガーランド将軍たちもそこにいる」
まさしく最後の砦ってわけ、とユズリハが言った。
「ここが抜かれたら」
「まずは城下で粘る。それでもだめなら、城まで引き下がるけど」
「そうなってほしくは無いッスけど、無理な相談ッスよねぇ……」
朱鳥が諦観の笑みを浮かべて大剣を構えた。テオドールとユズリハの手にも力が入る。熔岩竜の第二波が迫っていることを示す唸り声と熱波が届いていた。焦げ付いた炭の木立の間から、赤々とした地竜の一団がこちらを覗き見ている。人間の背丈を軽く超える巨体がいくつも。
「大型の溶岩竜。おでましだよ」
「これからが本番ってね……いくわよ!」
城の建つ高台の背はそのまま川になっている。しかもトクシマの民が手を加えたためか、異様に切立った崖と化している。河幅も不自然に広くされており、登ってくる輩にプレゼントする岩なども備えられている。そのおかげで直接的に城へ襲いかかってきた溶岩竜はまだない。
だが正面切っての侵入はいよいよ激烈なまでになり、迎撃の手も無くなりかけている、とテオドールは歯を食いしばりながら周囲を見渡した。
戦いの場はもう橋の周囲から街の奥へと移っている。橋の守りが3ウェーブ目で突破されてしまったからだった。
渡河されたわけではない。それを可能にしたのは、何体もの鎧竜系の溶岩竜が突貫して冒険者たちを押しのけた圧力と、後から飛び越えていったラプトル系がもたらした混乱だった。
それでもしばらくは橋の根本で踏ん張っていたが――背に大剣のような刃を生やし、アルマジロのように丸まって突撃してきた溶岩竜のせいで御破算となった。
「動きを止めた! 攻撃を!」
テオドールが叫ぶ。背後から体を掠めるように魔法や弓矢が飛来し、目の前の溶岩竜を吹き飛ばした。だが、街を廃墟にしながら攻撃を続ける溶岩竜たちは後から間断なく流れ込んでくる。小型の溶岩竜は絶滅したように見かけなくなったが、その代わりに大型の溶岩竜が跋扈している。進撃の速度は緩んでいるものの、倒しづらくなってきた。
(だけど、後回しにすれば対処不能になる)
それはただ単に強力な大型獣を同時に相手取るというだけでなく、最後にやってくるレイドボス、《煉獄斑竜》と協働して襲い掛かってくるという悪夢を確約する。
(でもこの調子なら、今回の波もしのぎ切れそうだ)
テオドールがいくらか気持ちを浮き上がらせつつそう思った。もう城まで目と鼻の先まで押し込まれているが、〈溶岩帆竜〉や〈溶岩異竜〉といった大型を片付ければ一息つける。
そう考えたときだった。ユズリハの分隊から悲鳴のような叫びが聞こえたかと思うと、テオドールへ警告する声が響いた。
「気を付けて、テオ! "手"がそっちに抜けていった!」
"手"ってなんだよと訝りながら、テオドールが振り向いた。一瞬よくわからなかったが、地面のすれすれを物凄い速さで迫ってくる物体がある。巨体のわりにこじんまりとした肉食恐竜らしい前脚が、三本の指で馬が駆けるように地面を蹴って疾駆している。
そして、三本の指で地面に沈み込み――跳躍。テオドールが自由落下の勢いで繰り出されるだろう鉤爪の一撃を迎撃すべくサーベルを抜き放ったところで、その手首から爆炎が放たれた。
「ぐぅっ……!?」
自由落下とは比べ物にならないジェット噴射の速度で鉤爪がテオドールの懐に飛び込み、腕を弾き飛ばして地面に突き刺さる。すぐさま手首の力で地面を掘り起こしながら手刀を天に向け、今度はがら空きのテオドールの胴体を灼熱の三本爪で引き裂いた。
「こん、のぉぉっ!!」
だが空中で勢いを失った"手"を、今度はテオドールがサーベルで叩き付ける様に斬り下ろした。すぐさまサーベルを逆手に持ち替え、≪ソーイング≫で無理やり地面に縫い付けようとする。しかし"手"はテオドールの軸足へ突進して掴みかかり、そのまま手首の断面から炎を噴き上げた。態勢を崩されたテオドールは踏ん張らずに足を背中に畳むようにひっこめ、宙にめがけて振り払う。
「なんなんだよ、今のは!?」
テオドールが掴まれた足にできた火傷の痛みに顔をしかめながら声を荒げる。トクシマを包む夜空に浮かぶ"手"はテオドールを援護するために放たれた魔法や弓を避けながら周囲を泳ぐように飛び回っている。
だがテオドールはそればかりに注目していられなかった。背後に伸びる通りで奇跡的に無事だった長屋が突然、内側からはちきれる様にして爆ぜる。ぎょっとしたテオドールが振り向くと、スピノスでもアルロでもない大型溶岩竜のしゃれこうべが爆走して街並みを突き破り、通りの真ん中に出てきたところだった。いかにして筋肉を動かせばそのようなことができるのか、顔をばたばたと左右に振りながらのたうつように猛然と突っ込んでくる。
「アイリス、スコット! 迎え撃って!」
ユズリハが分隊の仲間にそう叫んだ。響の掛け声と同時に、アイリスと呼ばれた武士の女性と両腕に巨大な鉤爪を装備した武闘家のスコットが、破壊された長屋の中からしゃれこうべの前に飛び出した。
アイリスは太刀を上段に構え、反撃の体勢をつくったままヘイト操作技である《餓狼の一喝》を放つ。挑発に対して敏感に反応したモトレイは、血反吐のようにマグマを口からまき散らしながら咆哮をあげると地面でぎゅるんと急角度の方向転換し、限界まで開いた口腔をアイリスへと向けた。
アイリスはドレスのような武者鎧を翻しながら、朱色の刀身を煌かせ〈切り返し〉の剣戟でその突進の勢いを殺す。すかさず飛び込んできたスコットが〈エアリアルレイブ〉を下顎から叩き込んで空中へ打ち上げる。浮遊して一瞬身動きができない頭を狙い撃ちにした、後衛に控える冒険者の弓や魔法が一斉に着弾して爆ぜた。
「助かったよ、ユズリハ! あいつは」
「親玉のご到着よ! あいつが、レイドボス――もう来たんだ!」
テオドールは息をのんだ。先ほどやりあった"手"が、どこからかやってきた片割れとともに、その断面から炎を吹き出しながら自らのしゃれこうべを抱え上げている。
〈煉獄斑竜〉。それがレイドボスの名前だった。
異様な姿のボスであることは間違いない。生首だけのその姿は、肉食恐竜とともにいて然るべきものだった。爬虫類を思わせる頭蓋に、飢えたように立ち並ぶ牙。えらが張って脚のごとくふるまい、首というべきか退化した胴体というべきものが、後頭部でのたうっている。
中空で爛々と輝くさまは正に邪悪な小太陽だ。そして、陽炎どころかほとばしる紅炎を纏ったモトレイは、ごぼごぼとその体躯の内側から沸き立つ音を外へ漏らしている。不意の音に冒険者たちも身構えたが――彼らがそこまで待たされることはなかった。決壊は突然やってきた。
せりあがってきたマグマを噴火のような勢いで喉奥から吐き散らす。重い水音を鳴らしながら地面に落ちた溶岩には、様々な部位の化石が混じっていた――どう考えてもモトレイのものではない量の骨だった。
また、ごぼごぼと煮沸音が聞こえる。モトレイではない、吐き散らかされた骨交じりのマグマが泡立ち、うごめいている。ユズリハの中に生理的嫌悪感を塗りつぶすほどの危機感が胸を突き上げるように沸き上がってくる。
「全員、マグマから距離を取って! 分隊ごとに固まるのよ!」
アイリスが正面に体を向けながら後ろへ跳ぶようにユズリハの前まで下がり、スコットがくるりと反転して全力で駆け戻る。
その背中を追うように白むような光とともにマグマがせりあがった。そこらじゅうにまかれたマグマから骨が組み上がり、溶岩が巻き付く。
あっという間に十数体の溶岩竜が湧き上がり、一斉に駆け出してくる。
「反撃! エントマ!」
ユズリハは分隊の暗殺者の名前を呼びながら《天足法の秘儀》を自らに掛け、なだれ込む溶岩竜たちに《露払い》を放つ。振るった刀は与えた被害こそ乏しいが、溶岩竜たちは脚を乱し、体勢を大きく崩した。
一瞬できた戦場の間隙。大鎌を携えたエントマが《グリムリーパー》の横薙ぎの一撃を叩き込んだ。淀んだ黒い靄を後に引きながら描かれた斬撃はバターを裂くように溶岩竜の首や胴、脚を切断し、数体は一撃で死を宣告された。死神の一撃に危機感を抱いた溶岩竜が、まだ生きている仲間を踏みつけわずかにできた距離を詰めてエントマに牙をむく。
ユズリハが《飛梅の術》で無理やり間に割り込み、大口を開けた溶岩竜の牙とつばぜり合いを行う。ユズリハが稼いだ数瞬で技後硬直からぬけだしたエントマは、《アクセルファング》の高い機動力を生かし、瞬く間に溶岩竜を次々と葬り去っていく。
その間にもユズリハは《物忌み》や《露払い》を用いてエントマの独壇場を支える。もちろん、同時に自分自身で溶岩竜を斬り伏せることも忘れていない。
「モトレイは……っ!?」
大半を地面に沈めたユズリハがあたりを見回したところで、奥の方からまだ暴れている〈溶岩異竜〉に押される形で朱鳥たちがじりじりと退いてくるのが見えた。その背後の頭上からモトレイの頭が両手に運ばれていく様子も。
「朱鳥! 後ろ!」
ユズリハが叫びながら駆けだす。とてもじゃないが、二体に挟み撃ちにされて無事でいられるはずがない。モトレイが両手から離れ、蛮声を上げながら弧を描き朱鳥たちの方へ落下する。朱鳥がひきつった表情をうかべて真横へ走り出した。
だがモトレイはユズリハたちの想像を裏切った。モトレイの大顎は冒険者の頭上を通り過ぎると、〈溶岩異竜〉の首元へとかみついた。
「んなっ……」
「げぇぇっ、なんかきもいッス……」
二人が生理的嫌悪を表している最中にもモトレイは溶岩竜への奇行を止めなかった。アルロの頭へ噛り付く間に、身体が癒着するように融合し、侵食していく。マグマの流れが変わる気配があり、急速にアルロの頭部が熱を失って崩壊していった。大型溶岩竜の体を乗っ取ったモトレイは絶叫を上げると、よたよたと不安げな足取りで猛然と走り出してきた。
「ぎゃーッス! こっちくんな、ッス!」
朱鳥が前に出て異形の大剣を、異形の溶岩竜に向かって振り下ろす。筋力というよりは遠心力でもって爪と牙をふるうレイドボスに立ち向かう朱鳥を援護すべく走り出そうとした時、突然念話がユズリハのもとへ届いた。慌てて電話のジェスチャーを取ったユズリハの耳に、オスカーの声が尋ねた。
『ユズリハ、まだトクシマにいるよね!?』
「オスカー! どうしてたの、今どこに!?」
『すぐ近くだ、それより、朱鳥はいるのか?』
「ええ? それは、いるけれど……代われないわよ?」
お互いに聞きたいことだけを言い合って先に戸惑ったユズリハに、オスカーは続けた。
『それでいいよ。……もうすぐ着くから!』
「もうすぐっていつ? 近くって――」
「今、だよ!」
一瞬オスカーの声が通り過ぎたかと思うと、砲弾のような影がモトレイの首筋へめり込むように衝突した。すさまじい衝撃でぐらつくモトレイをよそに、オスカーが地面を足で削りながら着地する。
「オスカー、来たのはアンタだけなんですか!?」
「違う、よく見て!」
混乱したようにオスカーの指した方向を見やる。そこには〈溶岩翼竜〉を縫って〈ワイバーン〉の群れが空を覆っている。その中から飛び降りてくる人影がもう一つ。
「リナリア!」
「うおおおおぉらっ!」
テオドールが人影の正体に気づき、その名を叫んだ。リナリアは木こりが幹に斧を打ち付けるような自然さで、モトレイと胴体の接合部へ〈ニブルヘイム〉を振るう。
朱鳥とリナリアたちが前線を支える間に、次々とレイド本隊のメンバーたちが地上に降り立ち、支援と攻撃の輪に加わる。
「ユズリハたちとレイドを組むわよ! 各自足りない分を補いなさい!」
「ユズリハ! そういうわけで、お前は僕の分隊ね。あと一人足りないんだ」
クレメンテの号令を耳に入れたユズリハへ、オスカーが近づいてくる。若干押され気味になりつつも、ユズリハはオスカーへ聞いた。
「オスカー、ここまでどうやって来たのよ……他の皆は?」
「囮になった。カイティングする連中以外は無理矢理ここまで突っ切って来たんだ」
こともなげにオスカーが説明した。信じかねる、といった目付きでユズリハが口を開いた。
「半分しかいないし、アドラまで脱落してる。うまく行かなかったら、どうしてたのさ」
「トクシマが壊滅してからレイド本隊が着いても意味がないよ」
それより、とオスカーは視線を移した。つられてユズリハもその後を追う。気づけば、レイドの態勢は整い、新たな強敵と睨み合っていた。
「実際、こうして上手くいったことだしね! 後は思う存分戦おう!」
オスカーの声とともに、朱鳥が鬨の声を上げた。急ごしらえのフルレイド、その三体目の討伐の始まりだった。




