7話目 伝えられる言葉 前編
空が赤味を帯びてきたのを見て、静流はソファからのっそりと立ち上がる。見るともなくつけたままのテレビは、静流が聞いてもいない情報を垂れ流している。
この家の勝手口は、昼間誰かが居る限りには、鍵が開けられている。そして暗くなる前にその鍵を閉めるようにこの家の家主である静流の従姉妹から言われている。
数日前までは、その勝手口が開いている時には勝手口があるカウンターのある小部屋で過ごすことが多かった静流だったが、今は鍵を開ける時と閉める時と以外は近寄らない。ここ数日誰も勝手口を開けて現れていないこともあって、近寄る必要もあまりなかった。
勝手口から入ってくるのは、『ことのは屋』というボランティアをやっている従姉妹に伝言を頼むためにやってきたヒトだ。静流は従姉妹がいない時間その伝言を預かる手伝いをしている。
その勝手口を開けて現れるヒトが幽霊だと言うことを知ったのは、つい最近のことだ。
流石に最初に聞いた時には、静流だって信じられるわけもなかった。だが、それを裏付けるようなことがあって、静流は信じるしかなくなった。そしてそれは同時に、静流が幽霊が見えている、という事実でもあったわけだ。
実は幼い頃から幽霊が見えていたという事実を、静流は記憶してもなかったし、自分が幽霊を見えているとは思ってもいなかった。
だが、数日前、静流が幽霊が見えていると伝えた相手に、“気持ち悪い”“化け物”と罵られて、小さい頃にも同じように罵られていた体験があったことを思い出した。
そしてそれをフォローしてくれていたのが従姉妹だったという事実も。
静流が幽霊の存在に怖がらなくなったのも、上手くスルーできるようになったのも、従姉妹の必要最低限ではあったが必要十分なアドバイスのおかげだった。小学校に上がる頃には、静流は友達からそんなことを言われることもなくなり、小さい頃にあったその出来事は記憶の底に沈んでいた。そして思い出すことはなかったのだ。
そしてその事実を思い出してようやく、静流は従姉妹が受け取っていた伝言をなぜ頼まれた相手に伝えることがなかったのか理解した。
幽霊が見えることなど、本当はあり得るはずがない。……見えることを忘れていた静流だって、最初は思ったくらいだ。幽霊が見えない人がそう思っていたって、普通のことだ。しかもその見えるはずのない幽霊の言葉を赤の他人が運んでくるなど……“気持ち悪い”と言われても仕方がないことなのだと、静流も頭ではわかっている。頭では。
だが感情的に“気持ち悪い”や“化け物”と言われることに単純に凹む。
静流は普通の十八の男だ。単にちょっと幽霊が見えるだけでちょっと話ができるだけ。別に役に立つこともあるわけではない、他の人とちょっと違った能力なだけだ。他は何も他の人と変わらない。だけど、この世界の大多数の人たちの中ではそう言う評価になってしまうのだという事実に、静流は自分自身の存在意義をも見失って更に凹んでいた。
だから、ここ数日はその事実と向き合うことになるカウンターのところでは過ごさなかった。
それでも律儀に勝手口を開いて待つあたりが、静流のお人好しな性格を表しているかもしれない。
勝手口を閉めようと手を伸ばした瞬間に、カランカランと音が鳴りドアが開いた。勝手口は外開きのため、静流がドアにぶつかる様なことはなかったが、予想もしてなかった突然のヒトの出現に静流はビクリとなる。
勿論ドアを開けた男性とも目が合って、静流は少し気まずい気分になった。
ここに来る幽霊のことを拒否しているつもりはなかったが、今の反応は拒否しているようにも見えることに気付いて、申し訳ない気分にもなる。
「『ことのは屋』へようこそ」
とりあえず張り付けた微笑で、その相手に歓迎の意を伝えた。
すると目の前に静流が出現して固まっていたその男性も、目的地に正しくたどり着いたとわかったせいだろう、ホッと肩を撫でおろした。
静流はいつもより香るお香の匂いから離れるようにカウンターに向かうと、いつものノートを取り出した。
「もしかして、店じまいするところかな?」
おずおずと杖をつきながら中に入ってきた男性は申し訳なさそうに静流を見る。
「いいえ。大丈夫ですよ」
静流がニコリと笑えば、その男性は刻まれたしわをクシャリと深くして困ったように笑った。
「ばあさんにもいつも行動が遅いって怒られてたんだが、変わらんもんだな」
自嘲する言葉が意味することは、“死んでも”と言うことなんだろうか、と思いながら、静流はじっと男性がカウンターに近づくのを待つ。
「伝言をどうぞ」
男性がカウンターに杖を立てかけたのを見て、静流はペンを持つ。
「そうだなぁ、待ってる……じゃあ、不謹慎かな。でも、本音だからな」
男性がポリポリと頭をかく。静流はノートに書いた言葉を消すことはなくそのまま男性の言葉を待つ。
だが確かに死後の世界で待ってる、と言われると、早く亡くなってほしいと言っているようにも取れる。
「ああ、そうだ。いつもは遅いのにこんな時だけ早くて申し訳ない、って言ったら嫌味かねぇ」
静流は伝言を預かる手伝いをし始めてから、こんなに伝言に迷うヒトに会ったのは初めてだった。その中身を考えれば正しく不謹慎なのだが、ノートに書きながらついクスリと笑いが漏れる。
「やっぱりそうかね?」
静流が笑ったのを、男性は肯定と取ったらしい。静流は慌てて首を横に振る。
「すいません。ここでこんなに悩んでいるヒトは初めてだったので」
「優柔不断だとも言われてたねぇ。死んでも直らないもんだね」
肩をすくめる男性に、静流は何とも答えづらくて曖昧に頷いた。本当に静流は伝言以外の話でここに来たヒトと言葉を交わしたのは初めてだったし、幽霊だとわかったこともあって、どんな態度を取ればいいのか、全く分からなかったのだ。従姉妹からもその話は聞いたことがなかったから、また聞いてみようと静流は思う。
「うーん。でも、待ってるよりは、こんなに早くて申し訳ないの方がいいかな。うん、そうしよう」
静流は後から言われた言葉の方に丸を付けて、でもあえて先の言葉も消さなかった。優柔不断だという男性が気が変わらないとも限らないからだ。
「どなたに伝えますか?」
「ばあさんに……」
この伝言を奥さんに伝えたいんだとわかると、静流は何だか暖かい気持ちになった。今までの話だけでこの男性と奥さんの関係性がいいものだと理解できたからだ。数日前にあった殺伐としたやり取りがあったから猶更だ。
「相手のお名前をお願いします」
「加藤咲子。さくは花が咲くだ。本当に花がほころぶように笑うんだよ」
そしてまさかの惚気をおじいさんと言える男性の口から聞くことになると思わなかった静流は、口元が緩む。
「少年、その顔は信じてないようだね?」
まさかの責めに、静流は慌てて首を横に振る。
「いえいえ。お二人が仲が良さそうでいいな、と思っただけですよ」
「そうだ少年。私は運が良かったんだよ。本当にいい人と結婚できた。……私は果報者だよ」
その満足したような、でも切なそうな声に、静流もついつられて涙が滲む。すん、と鼻をすすった静流は、あえて笑顔で男性を見る。
「住所は?」
「……はて、施設の名前はよく知ってるんだけどね。住所と言われると困ったな」
本当に困った様子の男性に、静流は施設の名前がわかればすぐに調べられるわけだし、と大丈夫だと踏む。
「こちらで調べますので、施設の名前を」
「ひまわりの里と言ってね、一応市内にあるよ」
静流はノートに書きつけて大きく頷いた。
「それだけわかれば大丈夫です」
「そうか、良かった」
ホッと息をついた男性に、静流は少々罪悪感が沸く。……この伝言は伝えられることがないとわかっているからだ。しかも男性とその奥さんの仲が良好だとわかったのもその罪悪感を強める。
でも、静流は笑顔のまま男性を見る。
「では、お名前を」
「加藤孝。親孝行のこうだよ」
ノートに名前を書くと、静流は男性を見る。
「はい、確かにお預かりしました。」
「よろしくな」
そう言ってまた杖を持って勝手口に向かって歩き出した男性が、ドアまでたどり着くとドアノブをつかんで振り向く。
「やっぱりどっちも伝えてくれるかな。咲子は怒るかもしれんがな」
ぐっと沸き上がってきた涙を隠すように、静流は頭を下げる。
「はい、両方伝えておきます」
「じゃあ、よろしくな」
カランカラン、とまた軽快な音がして、ドアが閉まった。静流は顔を上げると、目じりに溜まった涙を指で拭う。
こうやって静流が感情的になるかもしれないこともわかっていて、従姉妹はあえて相手が幽霊だと伝えなかったのかもしれないと静流は思う。
勿論その真実が何かは、従姉妹が語ってくれない限りには知る由もないわけだが。
静流は、はー、と息を吐くと、気を取り直してドアに向かう。
ドアにカチリと鍵をかけてサムターンカバーをかけた時には、空はもうすっかり赤く染まっていた。
従姉妹は今日は飲み会で帰りが遅い。だから今日の従姉妹の散歩はなしだ。
*
「行く?」
翌日、従姉妹は帰ってくると静流をまた散歩という名の伝言主の成仏を祈る儀式なるものに誘った。従姉妹の儀式は、預かった伝言を相手に伝えに行くわけではなく、教えられた住所まで散歩するだけだ。
「……行く」
前回誘われた時には、そんな意味もなさそうなことに付き合いたくはない、と断った静流だったが、小さい頃から幽霊が見えていた静流が、“怖い”思いもせず幽霊をスルーするスキルを身につけられたのがこの従姉妹のおかげで、“化け物”だとか“気持ち悪い”だとか同級生に言われることもなく学生生活を積み重ねられたのもまたこの従姉妹のおかげだとわかったため、この一見意味がなさそうな行動にも意味があるんじゃないかと思えたからだ。
「行こう」
従姉妹は頷くとそのまま玄関に向かう。
「鍵閉めてくる!」
「よろしく」
静流は勝手口に向かい鍵を閉めると、いつもの通りサムターンカバーをつけ、軽い足取りで玄関に向かった。
調べてみるとひまわりの里は第一と第二があった。幸い二つの距離は歩いて五分程度の距離だったため、従姉妹は素直に行ってくれることになった。
ただ家からは一旦駅前に出てからバスに乗る必要があって、静流と従姉妹はてくてくと駅までの道を歩く。
静流がちらりと従姉妹を見ると、従姉妹は特に考えてる風でもなかったため、まだ従姉妹の言う儀式の途中ではないだろうと、静流は口を開く。
「きら姉、これいつからやってるの?」
静流にちらりと視線をやった従姉妹が、ん、と考え込む。
「二年前?」
疑問詞をつける従姉妹も、はっきりとは思い出せないみたいだった。
「二年前って……」
確かに静流が伝言を書き付けているノートは二年前に始まっていた。だが、静流たちにとっての二年前と言うのは、他にも重要な出来事があった。
「おばあちゃんが亡くなってから?」
静流の問いに従姉妹が頷く。従姉妹が同居していた母方の祖母が亡くなったのはその頃だった。十年前に両親を亡くし祖母と二人あの家に住んでいた従姉妹が一人暮らしになったのも二年前になる。
前日の夜ご飯を静流達家族とも一緒に食べた時まで元気だった祖母は、 翌朝眠るように亡くなっていた。
それを発見したのは勿論同居していた従姉妹で、従姉妹からの電話に母親と一緒に駆けつけたのは静流だった。
祖母は苦しんだ様子もなく、目を閉じたまま息を引き取っていた。
何事にも動じないだろうと思っていた従姉妹が呆然とその姿を見つめていることを、静流は意外に思ったが、昨日も元気そうにご飯を食べていた祖母が急に亡くなったことにショックを受けたのは静流も同じで、何もおかしくはないとその時は納得したことだった。
そして呆然として役に立たない従姉妹に代わりてきぱきと救急車を呼んだりその後の葬儀の手配をする母親の姿に、また静流は驚いたものだ。母親はよく言えば穏やかで、悪く言えばぼんやりとしている人だと思っていたからだ。
「またなんで?」
「……知らん」
そうごまかす従姉妹に、静流はもしかしたら従姉妹は祖母の幽霊に会いたくて始めたのかもしれないと思う。
従姉妹はどちらかと言えば寡黙で発する言葉は少ないが、どちらかと言えばおしゃべりな祖母の隣で穏やかに笑っている姿をよく目にした。 だからきっと、従姉妹は祖母にまた会いたいと願ったのだと思う。
それがなぜ今まで続いているのかは静流には分からないが、始まりはそうだったはずだ。
「なんで僕らだけ幽霊が見えるんだろうね」
「いる」
「……いやいるかもしれないけどさ、周りではきら姉と僕くらいのものでしょ」
「親戚に」
「へ?」
幽霊が見えると言われたほどの衝撃は静流にはなかったが、従姉妹の一言はなかなかの爆弾投下だった。
「親戚に……いたの?」
「昔」
「今は?」
静流の問いかけに従姉妹は首を横に振る。
「ひいばあと大叔父」
どちらも静流の記憶にはないため、静流が物心付いた頃には既に亡くなっていたんだろう。
従姉妹の家は所謂本家と言われていた家で、昔は人の出入りが多かったらしいが、静流の祖母の子供は今は亡き従姉妹の父親と静流の母の二人だったため、今では静流の家族が出入りするくらいのもので他の親戚付き合いは疎遠だ。二年前に祖母が亡くなってからは本家に従姉妹しかいなくなったのもあるだろう。
「……そういう家系なの?」
「みたい」
どうやら突然変異ではなかったことが、母方の家ですんなりと受け入れられた理由だったらしい。
静流が父方の祖父母と会わなくなった原因が、小さい頃の静流の発言にあったのだと言うことも、ついこの間色々な記憶が甦る中で静流が思い出したことだった。
今では疎遠になってしまった父方の祖父母のことを考えても、遠い人という意識しかないし、小さい頃疎遠になった父方の祖父母に会えない理由を父親に問いかけて 困らせていたことしか記憶にはないが、哀しいけれど普通の人の反応だろうと、今ならば思える。
勿論、母方のように無条件で受け入れてほしかったという気持ちがなくはないが、それが難しいのだと理解できる年にはなった。
異端は受け入れにくいのだ。
むしろ、静流の母方の連れ合いも受け入れてくれていた方が珍しいことだろう。
幽霊が見える家系でないはずの静流の祖母も従姉妹の母親も静流の父親も、静流に向けて気持ち悪がる様子も奇異の目で見ることもなかったのだ。
それがどれだけ小さな静流の心を慰めたのかは、静流にも分かる。