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6話目 日の目を見ることのない伝言 後編

「お疲れ様。ね、秋本君、次のレポート、間に合いそう?」


 授業が終わり、教養の講義棟の階段を下りる静流の後ろから、落ち着いた女子の声がかかった。

 静流は振り返ると、口元を緩める。

 学部は違うが、同じ課題グループになったことが縁で、こうやって講義の前後でしゃべるようになった女子だった。


「お疲れ様。御厨みくりやさんが間に合わないんなら、僕も間に合わないだろうね」


 静流が知る限り、御厨は真面目にコツコツと課題をこなすタイプの女子だった。


「私が間に合わなくても、秋本君は間に合うでしょう? どんな風にまとめたらいいんだろうね? 今日は、話し合いの時、意見が割れちゃったもんね」


 御厨が小さく息を吐く。


「僕は、御厨さんの意見を採用するつもりだけど?」


 静流の言葉に、御厨が驚いて静流を見る。


「私の? ……大した事言ってないよ?」

「いや。最後の意見は、確かにそうだなって思ったし」


 御厨は控えめだが自分の意見をきちっと持っていて、グループの話し合いでも、話し合いが膠着した時に、ハッとする意見を言うことがある。


「……そう、かな? でも、反論されちゃったし、反論はできなかったし」

「同じ意見の人なんていないでしょ。それに、正解は一つじゃないと思うよ」


 静流が肩をすくめると、御厨は少し考えた後、頷いた。


「そう、だね」

「僕は、御厨さんの意見にハッとすることが、結構あるんだよ。だから、自信もっていいと思うよ?」


 静流の視線に、御厨が照れたように目を伏せた。


「アリガト。でも、秋本君の方がすごいよ」

「すごい?」


 静流は首をかしげる。褒められるようなことをした記憶がなかったからだ。


「だって、意見をまとめるとき、迷わずまとめ役になってくれるでしょ。それに、私の意見もだけど、他の人の意見も、きちんと意味をつかもうとしてくれるでしょう?」


 静流は、あー、と思う。それは、従姉妹と関わっていることによって得たスキルで、静流にとっては特別なことをしたつもりはないからだ。


「いや、それは大したことじゃないから」

「ううん。すごいよ!」


 御厨が、力強く言い切って、静流を真っ直ぐに見た。

 その態度に、静流は気恥ずかしくなる。


「御厨さんの視点の方がすごいと思うけど……」


 静流は困って、肩をすくめた。


「ん。ありがとう。秋本君がそう言ってくれると、自信になる」


 柔らかい御厨の笑顔が眩しくて、静流は少し目をそらした。

 講義棟の階段を降り切ると、そこはすぐ出口だった。

 静流の学部と御厨の学部は、この講義棟から別方向に位置している。


「また来週、よろしくね。レポート、頑張ろうねー」


 御厨があっさりと手を振る。

 少し残念な気持ちで、でも静流も手をあげる。


「うん。また。レポート頑張ろ」


 御厨が先に歩き出す。

 ちょうど四時限目が終わったところだった。だが、お昼をどうするのか、静流は尋ねることができなかった。

 静流は、モソモソとスマホを取り出すと、連絡がないか確認する。

 いくつかLINEは来ていたが、静流が欲しいと思っていた連絡は来ていなかった。

 

 結局、授業が終わるまでには青山の連絡先は分からなかった。

 うまく行けば今日中に二つ行けるかな、と思っていた静流は、仕方ないかと気持ちを切り替える。

 これから、昨日の伝言を伝えに行くのだ。


 *


 四限目が終わってからその足で目的地に向かったおかげか、まだ日は高い。そろそろ梅雨だなと思いながら、静流はじっとりとかいた汗に一足早い季節を感じる。

 たどり着いたアパートは、ボロボロのアパートで、ビレッジハイツという少しおしゃれな名前に完全に負けている。○○荘という名前の方がしっくりきそうなアパートだ。


 一〇三はすぐわかったし、その中からごとごとと音がしていて、部屋の中に人がいるのは明らかだった。

 静流は、よし、と気合を入れてチャイムを鳴らす。

 だが、そのチャイムは出すべき音を発することがなく、カチャ、という気の抜けた音しか生まなかった。

 少し肩透かしを受けた気分で、静流はもう一度気合を入れなおすと、トントン、とドアを叩いた。

 だが、返事はない。だが、同時に物音が止まったのもわかったため、中の相手が聞こえなかったとは思えない。


「真鍋さん?」


 トントン、と再度ノックしてみるが、反応はない。


「町田さん? 町田瑞枝さん?」


 もう一度トントンとノックをすると、ごそごそと音が近づいてきて、チェーンのついたドアが細く開いた。


「誰?」


 訝しそうな女性は、昨日会った男性よりももっと老けて見えた。それは、そのやつれたような表情が老いを静流に感じさせたからだ。


「秋本と言います。町田瑞枝さんでしょうか?」


 静流の問いかけに、その女性は訝しそうな表情のまま頷く。


「何?」

「真鍋正幸さんから、伝言を預かっていて」


 静流の言葉に、町田が目を見開く。


「何?! 何で今更?!」


 少し取り乱したような町田に、静流は少し身を引く。何で今更、という言葉に、静流はすぐに答える言葉を思いつけなかった。幽霊に会った、と言って、町田が素直に受け取ってくれるような雰囲気ではないと流石に静流も感じたからだ。


「あんた誰なの!?」


 黙り込んだ静流に町田が噛みついてくる。名乗りはしたが、確かに何者かということは伝えなかったと静流も思い出す。


「すいません。ボランティアで伝言を預かっているんです。」

「は? ボランティア? 一体何なの?! 何!? それが人助けだって言うの?!」


 ますます興奮して罵ってくる町田に、静流は戸惑う。

 そのことを責められるとは思ってもいなかったからだ。


「ええ……人助けです」


 そうとしか静流には言えなかった。


「大層なご趣味だこと! それで、何が伝言だって言うのよ!」


 興奮した町田の気持ちを抑えきれそうにもなくて、静流は逆にドアにかかったままのチェーンに安心しているくらいだった。

 でも、これを伝えればきっと、町田は気持ちが落ち着くはずだ、と静流は意を決して口を開く。


「幸せになってほしい、と」


 町田の目がまた大きく見開かれた。


「何を! 何を言ってるわけ! そんなことあの男が言ったって言うの!?」


 一瞬の沈黙の後に続いた町田の声は、怒りの声だった。

 その怒りの声に、静流は身じろぎ体を後ろに動かす。


「……ええ、確かに真鍋正幸さんから」


 この時点で静流は、町田が静流が思い描いていた反応を返してくれないだろうということは流石に理解していた。

 だが、初めて静流が伝言を伝えた相手が最初は怒っていて、その後遭遇したときに感謝していたという出来事が、つい最近あった。だから、きっと後になって冷静になれば、この伝言を聞いたことが良かったと思うはずだと、この伝言をなかったことにして帰ることにはしたくなかった。


「は?! どんな顔してそんなこと言ったって言うの!」

「とても……心配そうにされていました」


 静流は昨日の男性の顔を思い出す。


「何がよ! 何が心配よ! 一体いつ聞いたって言うのよ!」

「二か月前です」


 静流は咄嗟に嘘をつくことにする。流石にこの状況で幽霊に聞きました、とは町田の怒りを煽るだけだと思って言うことはできないと判断したからだ。


「あんた何言ってるの!」


 だが、町田の怒りは頂点に達したようだった。その顔は真っ赤になり、怒りで体がぶるぶる震えている。


「あの男が! 自分が死ぬ前に! 私のことを考えたっていうの!? 女作って家飛び出して、ばあさんの面倒押し付けて! 挙句の果てに借金作って自殺して! 何でようやく別れられた私が後始末しなきゃいけないのよ!!」


 町田が崩れ落ち玄関に座り込む。閉まりそうになったドアを、静流はそのままにもできなくてドアノブをつかんで止める。

 最悪だ。まさかあの男性にそんな背景があるとも知らなかった静流だが、“幸せになってほしい”という伝言が、火に油にしかならなかったことはわかった。


「……まさか、そんな話だとは知らずに……。すみませんでした」


 本当に申し訳なくて謝罪する静流に、玄関に座り込んだ町田が顔を見上げる。その目は怒りに満ちていて、静流にもその謝罪が受け入れられていないことはわかった。


「あんた何なのよ……。あの男の伝言伝えてそれで満足?」


 町田が力なく呟いた言葉に、静流はドキリとする。

 それは、伝言を伝えたことが静流の自己満足だと指摘されたように聞こえたからだ。いや、確かに正しくそうなのかもしれなくて、静流は今まで人のためと思って行動してきたことが、それだけではなくて、自分を満足させるためにも行われていたのだと自覚せざるを得なかった。


「二か月前に会った? ……借金で首が回らなくなって自分のことしか考えられなかったんでしょ。私のことを気遣うなら、とっくの昔に裁判起こす前に離婚するって連絡くれてるはずでしょ。何で私がこんな縁もゆかりもない場所まで後始末に来なきゃいけないのよ……」


 町田の言いたいことは最もで、あの男性が伝言を伝えに来たのは昨日だ。そんな状況なら、亡くなる前は切羽詰まっていて誰かのことを気遣う余裕なんてなかったはずだと静流にだってわかる。

 きっと亡くなった後気持ちが落ち着いた男性が、ここに片付けに来ている町田のことを見て伝言を伝えたくなったんだろうと静流は想像した。


「私も律儀に片付けなんて来なきゃいいのに。何してるんだか」


 目を伏せて自嘲するような町田の声に落ち着いたものを感じて、静流は真実を告げようと思う。

 それが町田にとっての救いになるのかはわからない。それに、これも静流の自己満足でしかないかもしれない。

 だけど、亡くなった後に律儀に片付けに来てくれた町田のことを、あの男性は感謝しているはずだ。


「実はあれ、昨日受け取った伝言なんです」

「は?」


 ぽかりと口を開いた町田が、さっきとは違う不思議そうな目で静流を見る。


「……僕、幽霊が見えるんです」


 しばらく逡巡していた町田の表情が、訝しい表情に変わった。


「は?」


 町田の声に、険が混じる。


「正幸さん、昨日が四十九日だったんですよね? だから見える僕に伝言を伝えに来たと思うんです」


 静流がそう言い切った瞬間、ぶるりと体を震わせた町田が静流を見る目が恐ろしいものを見るような目に変わったのはすぐだった。


「あんた何言ってるの! そんなことあるわけないでしょ! 帰って! 帰ってよ!」


 開いたドアの隙間から、靴が静流にめがけて飛んでくる。


「だから、正幸さんの言葉は、落ち着いてからの気持ちだと思うんです!」


 靴を避けながら、静流は必死に言い募る。


「気持ち悪い! 化け物! 帰れ!」


 立ち上がった町田が、ドアノブを内側から一生懸命に引いている。

 静流は記憶をかすめた言葉に気取られて、ドアノブをつかむ力が抜け、そのドアはバタンと強い音をさせて閉まった。

 突然やってきた静寂に、隣の部屋のドアがギギと薄く開き、ドアの中から見えた瞳は呆然と立ち尽くしている静流を見ると、そのドアはまたギギと閉まった。


 *


 夕焼けの中を、静流は呆然と歩いていた。本当ならバスで行き交う距離だが、静流は一時間ほど歩いて家に向かっていた。

 先ほど聞いた罵りの言葉をいつ聞いたのか、静流はようやく思い出していた。

 あの言葉を聞いたのは、まだ静流が小さい頃。静流は自分が幽霊が見えると教えられたのはつい先日が初めてのことで、実は小さい頃から見えていたのだという事実にも気づいていなかったし、今の今までそれで支障がなかったのだと思い込んでいた。

 だが、確かに小さい頃から静流は幽霊が見えていて、そのことを何も考えず口にしていたことで、周りの子供たちから“気持ち悪い”とか“化け物”とか言われたことがあったのだと言うことを、本当にさっきの罵りの言葉で思い出した。


 その記憶があるのは静流が五歳くらいのことで、東京で勤めていた父親の転勤を期に、母方の親族が住むこの町に暮らし始めたのも、五歳くらいの頃のことだった。

 ……もしかしたらもっと小さい頃から静流は幽霊が見えることを口にしていて、同じように言われていたのかもしれない。それを解決しようとの思いで静流たちの両親はこの町にやってきたのかもしれない。だから父親は本社勤務から地方の営業所に移ったのかもしれないと、今になって静流は思う。

 それは、静流の進学を機に東京の本社勤務に戻った父親がその実力を認められていたんだと思うには十分で、静流に従姉妹との同居を強く勧めたのが母親だったからだ。


 そして、静流の記憶にある限り、静流が“気持ち悪い”とか“化け物”とか言われなくなったのは、静流が従姉妹と関わるようになってからだった。

 勿論、同年代の子供たちとの交流が最小限だったのも影響しているかもしれない。静流はこの町に移ってきてから、幼稚園には通わず、自宅か従姉妹も住む祖母の家で一日を過ごしていた。 

 母親は特に従姉妹と遊んでもらうように言っていたように思う。既にその時社会人なりたてだった従姉妹だったが、それを嫌がりもせずすんなりと引き受けてくれていた。だから従姉妹は五時半になれば家に帰ってきていたし、それから祖母と従姉妹家族と静流の家族が大所帯で夜ご飯を食べて静流が家に帰るまでの間、従姉妹は静流のそばにいつも居た。

 だから、静流はあのポンコツとも言えるコミュニケーション不良な従姉妹に懐いたのだ。


 小学生になった頃には、静流が同年代の子供たちから“気持ち悪い”とか“化け物”とか言われることなど皆無だった。小学生になる前のその一年間の中で、静流は従姉妹から幽霊に上手く対処する方法を学んでいたのかもしれない。だから、静流は“怖い”思いもしなくなったんだと、今ならわかる。


 家に帰りつく間に、一人、嫌な気配を纏う女性を遠目に見つけた。

 当然、目は合わせなかった。だけど、静流のように、その女性の存在に気付いている人間は、他にいそうもなかった。

 その女性は、手を繋いだカップルの間をすり抜けて行った。だけど、誰も驚くことはない。

 誰にも見えていないのだと、静流も理解するより他はなかった。


 *


「おかえり」


 居間でソファにもたれながらテレビを見ていた従姉妹が、静流の気配に顔を上げる。


「ただ……いま」


 沈んだ静流の声に訝しそうな表情になった従姉妹が、あ、と声を漏らした。


「また?」


 伝言を伝えに行ったのか? と呆れたように問いかける従姉妹に、静流は沈んだ気持ちとバツの悪さで目を伏せて頷いた。


「行くな」


 あの伝言たちが日の目を見ることがないのは、きっとこういうことだったのだと静流も理解する。


「うん」


 もう行くなとの従姉妹の言葉に素直に頷いた静流に、従姉妹が眉を寄せる。


「思い出した?」


 その一言に、静流の涙腺が緩む。男なのに情けない、そう思えたのは一瞬だけで、零れ落ちた涙に引き寄せられるように嗚咽が漏れだした。


「泣くな」


 呆れたような従姉妹が立ち上がり、もう今では静流の方が身長は高くなったのに、まるで子供にそうするように従姉妹は静流を抱きしめる。そして静流の背中をポンポンとなだめるように叩く。


「見えるだけ」


 幽霊が見えることをそう評するのは、きっとこの従姉妹だけだろう。そう思うと、静流は何だかおかしくなってクスリと笑った。


「得だよ」


 幽霊が見えるのが何が得なのか静流にはさっぱりわからなかったが、従姉妹が静流をネガティブな気分のままにさせておきたくないのだと言うことだけはわかる。

 こうやって小さい頃の静流は従姉妹に救われてきたのだ。

 だから静流はきっとどちらかと言えばポジティブに物事を捉えられるようになったのかもしれない。

 静流は従姉妹に依存しているつもりもなかったし、寧ろ同居してからは従姉妹のお世話をしているつもりくらいになっていたから、本当は見守られていたんだという事実に気恥ずかしさと感謝の気持ちが湧き出る。


「あり……がとう」

「別に」


 ぶっきらぼうな従姉妹が照れているのだと言うことは、付き合いの長い静流だからわかることだ。

 遠くに聞こえる風鈴の音は、今日はどこか優しく、静流の心に染みてきた。

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