22話目 言葉の代わり 後編
「そっか。今度会った時に言ってみたら?」
御厨の言葉に、静流は曖昧に頷く。
結局あの同級生の出現で、青山には告げられないまま、タイムリミットになってしまった。
自分でなかったことにしてしまったことが、今となれば悔やまれる。
でも、簡単に幽霊が見えることを言えるのならば、静流だって悩みはしない。
次に会った時に青山に言えるのか、静流はまだ自信がなかった。
「でも、全部誰かに言う必要も、ないんだけどね」
御厨が困ったように笑う。
「……そう、だね」
確かに、言わなくても生活には支障はないし、青山と会うのにも困らないだろう。
だけど、あの時静流は唐突に、青山に言いたくなった。
その気持ちは本当のことだ。
だが、その時の勢いは、もうすでにしぼんでしまっている。
静流は小さく息をつくと、向かいから歩いてきた人に御厨がぶつかりそうな位置にいることに気づく。
どうやら、静流のことを気にしている御厨は気付いていないらしい。
「紗英ちゃん、ぶつかるよ」
静流が御厨の腕を引くと、御厨が不思議そうな顔で静流を見る。
「え? 誰もいないけど?」
だが、確かに御厨の横を、人が通り過ぎていく。
あ、と御厨が声を漏らす。
「静流君、もしかして、見えてる?」
御厨の言葉に、静流は青山と学食にいた時に見た女性を思い出す。
「そう、なの?」
だけど、静流の御厨のことを好きだと思う気持ちは、消えてなどいなかった。
*
また今年も木の葉が色づき始めた。
『ことのは屋』は時々稼働している。稼働し始めたのは、半年ほど前のことだ。それは、不安定ながらもまた幽霊が見えるようになった静流が、見えるときに対応しているためだ。いつ見えるとも見えないともわからないのだが、静流がいるときだけはサムターンカバーを外している。
見えないときでも、静流の耳にはあの高いベルの音が聴こえる。それで顔を出してみて、見えなければ、来てくれた幽霊には申し訳ないが、大声で帰りを促し、サムターンカバーをかけることにしている。
いつ見えるとも見えないとも、と表現したが、静流には大体、見えるときと見えない時が分かるようになった。
恋愛感情で不安定な時は、幽霊が見えない。だから、恋に落ちた時とか、付き合い始めとかの気持ちが不安定な時に、幽霊が見えなくなっていたのだろうと静流は理解している。
御厨との付き合い始めたばかりのフワフワしている頃には、全く見えなかった幽霊だったが、その付き合いが静流の中で落ち着いてきたことが、幽霊が見えるようになった理由らしい。
御厨と付き合い始めた頃に従姉妹と交わした会話で、静流は恋をすると全くもって幽霊が見えなくなるんだと思っていたが、実際には恋をしたままでも、幽霊は見えるようになった。勿論、痴話げんかとかちょっとした嫉妬心が湧き出た時などは、如実に駄目だ。幽霊は全く見えない。
そのことを告げた時の従姉妹の顔は、ものすごく戸惑っていた。恋をすると見えないと思い込んでいた従姉妹の常識が、完全に覆されたことが大きな理由だと静流は理解した。
でも、もしかしたら、高校生の時に従姉妹が見えなくなった理由は、恋心を自覚する前に彼女を作ってしまった光の彼女に対する嫉妬心だったのかもしれなくて、従姉妹はもう二十年も経ってからそのことを自覚したんじゃないか、と思ったりしている。だから光も従姉妹の恋心が定められず他の女子に流されたんだとしたら、理由がつくと静流の中で納得がいったからだ。
その話は勿論従姉妹にはしていないが、光には、こんな見解なんですけどどうですか、と披露してみた。光は気まずそうに恥ずかしそうに笑っただけだったが、静流としてはそれで満足だった。
従姉妹と光と言えば、一年経った今でも相変わらずの様子だ。
恋をすると完全に幽霊が見えなくなるわけではないと理解はした従姉妹だったが、やはり両親の死と祖母の死を自分が招き入れたんだという気持ちがぬぐえないようで、頑なに光のアプローチを拒否している。
かと言って、完全拒否するわけではなく、家への出入りも許しているし、時折二人で出かけたり、ご飯を食べに行ったりしている。完全に拒否しているのは“付き合う”ことに対する許諾その一点のみで、はたから見ている静流にとっては、付き合っているのと同じだと思っている。
ただ、従姉妹からは幽霊が見えない、という話をまだ聞いたことがなく、まだ再び恋には落ちていないのかもしれない。
静流からすれば、ものすごく不思議でしかないのだが。
静流が不安定ながらも『ことのは屋』を続けている理由は、幽霊たちの伝えたいと思っていることを受け止めてあげたいという気持ちと、従姉妹の頑ななその気持ちを救ってくれるヒントがないか、探しているからだ。
静流は小さい頃から従姉妹に守られてきた。それを自覚したのは、幽霊が見えることを思い出した去年のことだ。いや、従姉妹だけではなく、両親がこちらに転勤してきたのだって、静流を守るための行動だったのだと思う。
ずっと静流は誰かに守られ続けていた。だけど、静流にも守りたいと思える相手ができた。だから、守られるだけではなくて、自分も変わらないといけないと思い始めていた。
一年経った今でも、静流には従姉妹の気持ちを救ってくれそうなヒントを見つけることはできていない。勿論、それを従姉妹だって探していたはずで、もう従姉妹の両親にも祖母にも幽霊という形ですら会えそうにもない静流は、糸口すら見つけられなくていた。
ピーンポーン。
チャイムの音で、静流は玄関に向かう。二か月に一回、月の初めになると、健紀がやってくるので、きっと健紀が来たんだろうと思っている。
まだ従姉妹への恋心を失くしてはいない健紀も無駄に従姉妹に会いに来ているわけではなく、きちんとした用事でやってくる。護符を持ってくるのだ。いつぞや持ってきた自分が書いた護符ではなく、健紀の父親が書いた、霊験あらたかと言えるような護符をだ。
どうやらそれほど安くもない護符を二か月の頻度で張り替えるのはやりすぎだと健紀は言っているのだが、従姉妹は頑なにそのスタイルを崩さない。健紀の言葉を聞くにつれて、静流は健紀の商売っ気のなさに、神社の将来が少々不安になるが、まあ、こんな親切心を発揮するのも相手が従姉妹だからなんだろうと思っている。
時折自分が書いた護符を持ち込んでは、散々つれなくされているのを見るが、健紀に対する何だか可哀そうだな、という気持ちは沸けども、健紀と従姉妹の恋路を応援したいわけもなく、そう思っているだけに留めている。それは、同情を見せたら最後、健紀は静流に従姉妹との仲を取り持つように言ってくるだろうと思っているからだ。
静流は今も絶賛光と従姉妹の恋を応援しているので、健紀の入り込む余地など作る気はさらさらない。
「あ、こんにちは」
健紀が来たものだと思っていたが、玄関先にいたのは、健紀の父だった。ただ、手にはよく見る護符を入れた袋があるので、用事は静流が思っていたものと同じだったようだ。
「こんにちは。今回の分を持ってきたよ」
「はい。ありがとうございます」
静流が護符の入った袋を受け取ると、健紀の父が苦笑する。
「季来ちゃんに、もう少し期間を延ばしてもいいんだよって、言ってくれるかい?」
なるほど、健紀の父も健紀と同じ意見らしい。どうやらそれは単なる親切心だけとも言えないようだ。
「どれくらいの期間で交換したらいいんですか?」
「……私にも幽霊が見えるわけじゃないからね。でも、君らのおばあちゃんの話だと、半年くらいは持つって話だったんだよ」
「そうなんですね。……あの、きら姉はいつから二か月ごとに護符を張り替えるようになったんですか?」
その話を健紀に聞いてみたことはあるが、健紀はこっちにいなかった時期が長く、よくわからないとの話だった。
「そうだね。君らのおばあちゃんが亡くなった後、だね」
え? と静流は何かの答えに行きついたような気がして、頭の中にあるだろうその答えを見つけ様子とする。だが、漠然としたその感情は、はっきりとした答えを導いてはくれない。
「それまでは、半年ごとに交換してたんですか?」
「……そう、だね。ただ、君らのおばあちゃんが亡くなった時だけは、半年よりもう少し時間が空いたかな」
その健紀の父の言葉に、静流はドキリとする。もしかして、それが従姉妹が悪霊を呼び寄せたと思っている原因なんじゃないかと、思えたからだ。
「どうしてその時は、半年より時間が空いたのか、知ってますか?」
はやる気持ちを抑えながら、静流は問いかける。健紀の父は何の気なく頷く。
「季来ちゃんが幽霊が見えなくなったみたいで、それでもう護符はいらないんじゃないかって」
「おばあちゃんが?」
「いや。季来ちゃんが」
ようやく静流は、従姉妹が自分で悪霊を呼んだと言った意味が理解できた。従姉妹はもう護符が必要ないんじゃないかと思っていた。だが、護符を張り替えなくなったとたんに、祖母が亡くなってしまった。これがきっと、従姉妹が祖母の死を自分のせいだと思い込んでいる理由だと静流は結論付けた。
「あの、きら姉は、そのせいで悪霊がうちの中に入ってきて祖母が亡くなったと思い込んでるんだと思います。だから、頻繁に護符を張り替えるようになったんじゃないでしょうか」
静流の言葉に、健紀の父が困ったように眉を落とす。
「君らのおばあちゃんが亡くなったのは、そのことと関係ないと思うけどね。まあ、幽霊が見えるわけではない私が言っても信ぴょう性がないとは思うがね、幽霊はしょせん幽霊だ。人を殺す力なんてないよ。……そりゃ、ちょっと不幸にする何かは持ってるかもしれないけどね」
「そう、なんでしょうか」
あの悪霊の一件があった静流にも、にわかに同意はできない意見だった。
「ほら、色んな所で、呪いで亡くなったとか、そう言う話を聞いたりするけどね、それはたまたまなんだと思うんだよ」
たまたま。本当にそれだけで説明できるのか、静流には肯定も否定もできない。
「でも……悪霊にならば、そんな力があるかもしれないじゃないですか」
「だとするとね、静流君。幽霊が見えない人間も、次から次に悪霊に殺されていくってことになるよ? そんな大量殺人事件って見たことあるかい? それに私なんて、その悪霊を追い払うものを作ってるわけだから、私が一番に恨まれて殺されても仕方なくないかい?」
そう言われてしまえば、確かにこの家にいる人間だけが悪霊の影響を受けることも、おかしいことなんだとは思える。
否定できる材料を健紀の父から受け取ったような気がして、静流は少しだけ心強くなった。
ただ、従姉妹の両親の死も自分のせいだと思い込んでいる理由がまだ静流には分からない。
「おじさんとおばさんが亡くなる前にも、きら姉が護符はいらないって言ったりしたんですか?」
健紀の父が昔のことを思い出そうと、んー、と考え込む。そして、あ、と何かを思い出した。
「あの時は逆でね。護符を早めに欲しいと言われたよ」
護符を早めに? その理由は健紀の父も知らないらしく、静流は従姉妹に聞いてみるしかないと思う。
だが、その理由が分かれば、従姉妹がこだわっている理由も解決するかもしれないと、静流の気持ちは上向きになった。
ついでに、今日来なかった健紀がなかなか結婚しないことにじれた父親に言われて見合いに行っていると聞いて、少しだけホッとしたのは秘密だ。
*
外からは、もうセミの声は減ってきて、早くも虫の鳴く声が聞こえてきている。一年が経つのは早いと思いながら、静流は従姉妹を見た。
「どうして、きら姉の両親が亡くなった時、いつもより早いタイミングで護符を頼んだの?」
一緒に食卓に着いている光には、既に健紀の父から聞いた話を伝えている。
そして、従姉妹からその話を聞くのは、光がいるときにしようと静流は決めていた。それは、静流一人ではきっと聞き出すことはできないと思っていたからだ。
戸惑ったように手を止めた従姉妹が、すぐに気を取り直したように食事を続ける。
「別に」
明らかに従姉妹は誤魔化したのだと、静流にもわかる。
「その時、何があった?」
「……知らん」
光の問いかけに従姉妹は目を逸らす。
「おばあさんが亡くなる前、きららは護符がもういらないって言ったんだろ? 見えないからいらないって。でもその後から急に二か月ごとに護符を頼むようになったのは、なぜ?」
「何で?」
まさか光からそのことを問われるとは思っていなかったんだろう、従姉妹の顔は驚きに満ちている。
「健紀さんのお父さんから聞いた」
静流がそう補足すると、従姉妹は観念したかのように大きくため息をついた。
「そ」
でも、その先の言葉は何も続けなかった。
「きら姉!」
「知らん」
「健紀さんのお父さんも言ってた。悪霊が誰かを殺すってことがありえるわけがないって。そんなことなら、悪霊を払う仕事をしてる自分が真っ先に殺されるんじゃないかって。見えてるからって悪霊が人を殺すとかそんなことあるわけないって」
「そんなことない」
「……じゃあ、どうしてきら姉は死んでないの?」
静流の問いかけに、従姉妹が唇を噛む。ひどいことを言っている自覚は静流にだってある。だが、それくらいのことを言わなければ、従姉妹の本音を引き出すことは難しい気がしたのだ。だからこそ、直球でひどいことを従姉妹に告げたのだ。
「そんなんなら、僕だって前に悪霊に会った後、どこかで殺されても仕方がないってことでしょう? でも、そんなことないよ?」
「違う!」
「何が違うの? きら姉に関係する人が亡くなるってことなら、僕だって死んでおかしくないってことにならない? でも僕は少なくとも死んでない。きっと幽霊が見えなくなったタイミングと護符のことが関係してるんだと思うけど、それは本当にたまたま偶然のタイミングで、きら姉が居たからおじさんおばさんが亡くなったとか、おばあちゃんが亡くなったわけじゃないよ」
「証明できない」
「そんなこと……きららのせいで亡くなったとも、誰も証明できないだろ」
かたくなな態度を取り続ける従姉妹に苛立ったんだろう。光の声は低く、その中に怒りが含んでいるのが嫌でもわかる。
「だけど!」
「……だけど、何だよ」
光の問いかけに、従姉妹は唇を噛んで首を横に振った。
「言いたくない」
そのはっきりとした拒絶の声に、静流も光も、従姉妹から何かを引き出すのは難しいと諦めるよりほかはなかった。
だけど、従姉妹の顔はとても哀しそうで、苦しそうだった。




