19話目 聞こえない伝言 前編
「ウキウキしてる」
朝御飯を食べる従姉妹が、箸を止めて静流を見た。
「え?」
心の動きをあっさりと従姉妹にも見破られたことに、静流は動揺する。
「まあいいけど」
すぐに興味を失ったように、従姉妹は食事を再開する。
他人に余計な興味を持たない。その従姉妹の性質は、良くもあるが、少し身構えた静流にとっては、掛けた梯子を突然外されたような気持ちになった。
たぶん、誰かにこの心のうちを吐露したい、という気持ちはあるのだろう。
初めての経験だからだ。
昨日、突然映画に誘われた。
「期限が今日までで、誰か行ける人探してるんだけど」という、取りようによっては、誰でもいい、と取れてしまうが、静流にとっては、その相手が女子で、しかも大学の講義の一つでたまたま一緒のグループになったのが縁で話すようになっただけで、学部も違う、授業以外で会ったことのない相手、と言うところがポイントだ。
静流も、いいな、と思っていたが、その相手からも、そんな態度が見えるような気がしていて、それが静流の願望なのか、真実なのか、悩んでいるうちにその講義は終わってしまい、夏休みに突入した。
結局、静流はその相手を誘うような勇気もなく、授業で交わした連絡先はあるものの、授業がある間もLINEで軽い会話すら交わさなかったことで、夏休みに入り、何かを仕掛けるような勇気もない。
だが、昨日の午後、事態が一変した。
二つ返事で映画に行くことにした静流は、それから 舞い上がっている。
例え単なる都合のよい相手、だったとしても、嫌な相手と行こうとは思い付かないだろう。
だから、その相手に曲がりなりにも選ばれたと言うことは、その女子の好意を表していると静流は思うわけだ。
それが正しいと 、誰かに言ってもらいたかったが、あいにく友達は捕まらず、今すぐ話し相手になりそうな従姉妹は、既に興味を失っている。
だから、このモヤモヤした気持ちを吐露する場所を失った静流は、がっかりしたわけだ。
「今日、遅くなるかも」
「……食べとく」
三時からの映画の約束は有るが、それよりあとの約束はない。だが静流は、誘ってくれたお礼にご飯に誘おうと決めていた。
「カップ焼きそば」
食べたいものをぼそりと呟く従姉妹に、静流はため息をついた。従姉妹を放っておくとすぐ、ジャンクフードに行き着くのだ。
「食べるものは用意するから」
静流も今日決めた予定が上手くいくかはわからない。だから一応、自分の分も食べるものを用意することにする。
もし上手くいけば、光に連絡して夜ご飯を食べに来てもらおう。もし光が無理でも、残りは静流の明日の昼御飯にすればいいだけだ。
静流はいいこと思い付いたと自画自賛して、残りのスープを口に入れた。
*
「ごちそうさまでした」
ペコリ、とお礼をされて、静流は慌てていやいやと手を降る。
「チケット代払ってないんだから、ある意味当然だし」
「でも、私はお姉ちゃんから代金もらってるから、別に良かったんだよ」
「でも、御厨さんに誘ってもらって嬉しかったし。だから、そのお礼」
静流の言葉に、髪を右側に一つにくくって流している御厨が、恥ずかしそうにうつむく。
静流と話していると端々に見えるその態度は、静流への好意だと自惚れていいだろうか。
「だから、また今度、どこか行かない?」
静流はなけなしの勇気を振り絞って、御厨を誘う。
その声が緊張で震えずに済んだのは、ひとえに『ことのは屋』での幽霊たちへの対応が産み出したものだろう。
顔はあげなかったが、コクリと頷いた御厨の耳は、真っ赤だった。
*
駅の反対側にある御厨の家まで送って、そのまた反対側にある静流の家にたどり着くと、光が楽しそうに笑っていて、従姉妹は憮然として静流を睨んだ。
御厨を夜ご飯に誘ってOKを貰った後、静流は光に良ければうちにご飯を食べに行ってくれないか、と頼んでおいた。勿論光の仕事の都合などもあるから、LINEに流すだけ流して、その結果を見たのは御厨を送っていった後のことで、従姉妹が不機嫌なのは、その返信のLINEで既に知っていた。
「聞いてない」
「言ってない」
平然と答えた静流に、光がプッと吹き出した。
「言って」
静流は光の味方をすると決めているので、従姉妹に睨まれても全く堪えない。
「何でさ」
「家主!」
「家主の友達呼んだだけでしょ?」
「許可!」
許可してないと憤る従姉妹に、静流はさてどう答えようと思う。
「許可なくても今日みたいに押し入るけど?」
静流が答えられない間に、光が参戦してきた。
「警察!」
「え? 令状必要?」
警察のくせに、と言われたことがわかっていて、あえてとぼけてそう返しているだろう光に、静流は吹き出す。
「違う!」
「え? 家に来ていいって?」
「ち……」
言いかけて言葉を飲み込んだ従姉妹は、違うと言えば、来るのを拒否したことになると思ったのかもしれない。
「がわないけど、連絡して」
従姉妹が初めて文章を喋ったのを聞いた静流は、目を見開く。
いや実際はきっと聞いたこともあるんだろう。だが、静流が記憶にある従姉妹は単語しか話さない。
「わかった。今度から連絡する」
ニヤリと笑う光に、光の意図を読み取る。光も従姉妹の許可を取りたかったのだ。いや、許可と言うよりは、来ても良いという約束だろうか。
「やられた!」
光の意図をこれまた読んだ従姉妹が悔しがっている。
こんな風に感情を露にする従姉妹もまためずらしく、静流は驚きと共に、おかしくて笑いが漏れる。
「何が?」
「……くせに!」
どうやら従姉妹は光に文句があるが長すぎてしゃべるのが億劫になったらしい。流石に静流も従姉妹が文句を言いたい気持ちは分かったが、行間を埋めきれない。
「何だよ。そうだな……身長高いくせに?」
明らかに理由になりそうにもない内容を挙げて光が従姉妹をおちょくる。
「違う!」
「給料安いくせに、か? 事実だけど泣くぞ」
「違うし!」
「えー……好きなくせに?」
「ち……」
「がわないからな」
「知らない!」
従姉妹を光が面白そうに見ている。光に翻弄されて顔を赤くする従姉妹に、静流はまたぷっと噴き出す。
「静流!」
従姉妹に真っ赤な顔で責められても、静流は全く怖くもない。
「今度、マイ箸とマイお茶碗でも持ってこようかな」
ニヤニヤと笑う光に、従姉妹がクッションを投げつけて、上手くコントロールされてないクッションは光に当たらず床に落ちた。
「下手くそ」
光がそう笑ってクッションを持ち上げる。
「静流!」
従姉妹はそのイライラを静流にぶつけることにしたらしい。単なる痴話げんかにしか見えなくて、静流は笑い声で答える。
この家に笑いが溢れたのはいつぶりだろうと、静流は拗ねたようにしか見えない従姉妹を見ながら、そんなことを思っていた。
*
『まさか、静流から恋バナ聞く日が来るとはな』
電話の向こうの青山が、ふ、と笑った気がして、静流はムッとする。
勉強の相談で青山からLINEが来て、それに答えたあと、静流は現状をかいつまんで「どうすればいいと思う?」と質問した。それに対して、音声に切り替えてまで話し始めたのは、青山の方だ。
なのに、揶揄されたような気がして、静流は腑に落ちなかった。
「真面目に相談してるんだけど」
スマホの向こうで、青山が慌てた空気が伝わってくる。
『いや、悪い。静流って、こう……人の世話は焼くくせに、自分の悩みとか言うことがなかっただろ? だから、相談されて嬉しいんだよ』
青山の指摘に、静流はハッとする。
確かに、誰かに悩みを吐露することなど、今まではなかったことだった。
「そう……かもな」
それは、物心ついたころからだった。何か悩みがあっても、人に言うことはしなかった。
自分の胸のうちを誰かに話そうと思ったことがなかった。
……どこかで、人と距離を取ろうと思っていた。
『で、どうするんだ?』
青山の声に我にかえる。
「どうするって……だから、相談してるんだろ」
『え? 俺が『告白しろ』って言ったら、するのか?』
青山の言葉に、静流がグッと詰まる。
「……できるなら、したいけど」
『じゃあ、すればいいだろ』
「簡単に言うけど……」
『上手くいって付き合うことになるか、上手くいかずに振られるか、どっちかだろ』
「簡単に言うけど……」
付き合える可能性は高いかもしれない。それは、御厨の態度で感じている。
でも。
静流が迷っているのは、告白すること、じゃないのかもしれない。
静流は、従姉妹と光の関係性を羨ましいと思っている。
二人の関係性は、あの特異な性質を伝えていて成り立っている。
静流が幽霊を見えてしゃべることができることを、気持ち悪いと思わずに御厨に受け入れて貰えるのか。
それが一番の心配事なのかもしれない。
隠して付き合うという選択肢があることもわかっている。
だけど。
『俺が何言おうと、勇気を出せるのは、静流本人だけだからな』
勇気、には違いない。だけど、静流の必要な勇気は、青山の思っているものと、ちょっと違っている。
口を開いた静流は、もう一度口を閉じると、また口を開いた。
「そうだな」
折角復活した友情を壊す可能性があることを吐露する勇気は、静流にはまだなかった。
*
カナカナカナ、とどこかで鳴く声が、夏の終わりを告げているようだ。
お盆を過ぎてから、急に涼しくなった。昼間はまだ暑さが厳しいが、夕方になるとぐんと日差しが和らいで心地よい風が涼しいと感じるようになった。涼しい風に加え、緑の多い大きな公園の中は、太陽の光が木々に遮られ、散歩をするにも快適だ。
「おもしろかったね!」
本当に楽しかったようにニコニコと笑う御厨に、静流は大きく頷いた。
「そうだね。あんまりじっくり絵とか見たことなかったけど、見てみると結構面白いよね」
「えー。秋本くん興味ないのに美術館行こうと思ったの?」
驚いた様子の御厨に、静流は目をそらす。
「だって涼しそうだし」
「いや、涼しかったけどね?」
クスクス笑う御厨を、静流はああいいな、と思う。
「御厨さん好きかな、と思って」
静流が本当の理由を告げれば、御厨の耳がほんのりと赤くなる。
その姿に、静流まで照れる。
お互いに好意をもっているのは、きっと間違いないだろう。
静流が気持ちを告げることに躊躇しているのは、あの事実を、御厨に言うべきなのか言わざるべきなのかで、まだ悩んでいるせいだ。
……別に特に支障もないんだから、隠しておけばいいだけの話なのかもしれない。
幽霊が見えることで小さな頃に静流がつけられた傷は、確実に静流の人間関係に影響をもたらしていた。
静流は友達は多い。それは、広く浅く付き合うからだ。それはきっと誰かと深くかかわることで昔傷つけられたように傷つけられるのを恐れているからだ。
でも、従姉妹と光の関係を見るにつけて、本当の自分をそのまま受け入れてもらっている従姉妹と光の関係に憧れは募るばかりだ。
だから、御厨に告げたいと思う気持ちがある。だが、気持ちが悪いと疎遠になる可能性だってある話な訳で、簡単には告げるつもりにもならない。
人気のない道端で急に立ち止まった御厨が、静流を見上げる。
「どうかした?」
「秋本君のこと、好きなの。付き合って……もらえませんか?」
不安そうな御厨の顔に、静流は慌ててYesと答えようとして、躊躇する。御厨は唇を噛んで俯いた。
静流の態度がますます御厨の不安をあおったのだと理解して、もどかしい気持ちで、でもすぐには返事ができない。
「……ごめんね、急に。言いたくなっただけだから。付き合ってとかは、忘れてくれていいから。私が好きなんだなー、って知っててもらえればいいから!」
そう言って走り出そうとする御厨を、静流は慌てて手を握って捕まえた。これまで『ことのは屋』で伝言を受け取っていた人たちのことが頭をかすめた。
伝えられないまま終わらせたくないと思った。
「不安にさせてごめん! 僕も御厨さんのこと好きだよ」
静流の返事に驚いた様子の御厨が、パッと顔を赤くする。
静流の言葉を理解してくれたのだと、静流もほっとする。
だけど、同時に心を決める。
御厨とは付き合いたい。でも、幽霊が見えることを隠していたら、きっと静流は御厨との間に見えない線を引いたままになるだろう。だから、今伝えて、それで御厨に決めてもらおうと。
気持ち悪い、そう言われてしまえば、静流にとってはどうにもならない能力なわけで、御厨とは付き合うことも、下手すれば二度と話すこともなくなるかもしれない。
それでも、御厨との付き合いを深くして行きたいと願っているから、静流は言うことにした。御厨ならば、もし静流を振ったとしても、そのことを面白がって言いふらすような子じゃないと静流が思っているからだ。
「躊躇してたのは……僕が御厨さんに受け入れてもらえないんじゃないかと思って、それで躊躇しただけ」
御厨が不思議そうに静流を見る。
「私が告白したのに?」
「御厨さんって、幽霊っているって思う?」
「え?」
突然変わったと思える話題に、当然御厨が戸惑う。
「僕、幽霊が見えて……話しもできるんだ」
「え? ……秋本君?」
「幽霊が見えるって、話ができるって、気持ち悪くない?」
そう言って御厨をまっすぐ見ると、ようやく話が分かったらしい御厨が、戸惑った目をひっこめた。
「どうして?」
逆に問いかけられて、静流が戸惑う。
「……だって、他の人に見えないものが見えるんだよ? しかも話ができて、きっと誰もいない空間で一人でしゃべったりしてるんだ。……自分で言っててなんだけど、怖いよね?」
「……怖くないって言えば、嘘かもしれないけど、理由が分かれば納得できるし……ちょっとうらやましいかも」
「……羨ましい?」
予想外の御厨の言葉に、静流は理解が追いつかない。
「私、おじいちゃんっ子だったのね。おじいちゃん病気で療養中だったんだけど、高三の時、亡くなったの。丁度連絡が来たのは授業中で、でも、その連絡を受けた時、ああやっぱりって思ったの」
「やっぱり?」
「授業中に突然ね、こう虫の知らせって言うやつなのかな? 胸騒ぎって言うのかな、そんなのがしてて、何だろうなって思ってた。そしたらそんな連絡が来てね、ああやっぱりって」
遠くを見る御厨は、目が潤んでいる。
「きっとおじいちゃんが教えに来てくれてたんだって、授業なんてほっぽり出して帰っとけば、おじいちゃんの最後に間に合ったのかな、とか、そんなこと思ってたの」
目の潤んだ御厨はそう言ってニコリと静流に笑いかける。
「でも、幽霊が見えるなら、まだおじいちゃんに会えるってことでしょ? それにしゃべれるってことでしょう? だから、羨ましいかなって」
静流はどこか呆然とした気持ちで首を横にふる。
「そんな都合よくは見れないんだ。……だから、もし御厨さんが見えたとしても、おじいちゃんの幽霊に会えたかどうかは、わからないよ」
「そうなの?! 幽霊が見えるのに?」
「……うん。僕も二年前におばあちゃんが亡くなったけど、残念ながら幽霊には会ってない」
そう言えばそうだったと、静流は思い出す。祖母が亡くなった後会っていてもおかしくないが会った記憶などなかった。
「そっか。そうなんだ。都合よくは行かないんだね」
「うん」
「それで?」
それで、と御厨に問いかけられ、静流ははた、と止まる。
「いや、だから……そんな僕と付き合うの、気持ち悪くない?」
「うーん。聞いただけだと特には。ごめん、本当にその場面を見た時にどう思うかは、はっきり言ってわかんない。だけど……相手のことを嫌になるかどうかなんて、幽霊見えるかどうかとか関係ないと思うんだよね。幽霊が見えなくても、相手のことを嫌いにはなるでしょ? その理由がもしかしたらそのことなのかもしれないけど、それは、選択肢のうちの一つじゃない?」
ふいに風が通り抜ける。
その瞬間、静流は自分が完全に恋に落ちたことを悟った。
「……秋本君が、人と何だか線引きしてる理由が、何となくわかった気がした」
小さな声でそう言った御厨が、空を見上げる。
ああ、好きだな。その言葉が、静流の心の奥から湧いてくる。そう、こんな風に、控えめだけど、正直に物事を言う御厨だから、静流はいいな、と思っていたし、その御厨がきちんと静流を見てくれていると言うのが分かって、嬉しかった。
「御厨さん。先に言われちゃったけど、改めて言わせて?」
空を見上げていた御厨が、はじかれたように静流を見る。
「御厨さんのことが好きです。僕と、付き合ってもらえますか?」
御厨の瞳が潤んで、コクリと頭が動いた。