16話目 伝える伝言 後編
『ピーンポーン』
この家に備え付けられたチャイムが、のんきな音を出す。あの衝撃から何とか抜け出した静流の用意したご飯が、丁度そろったところだった。
「光だ」
静流が「誰かな」と言い出す前に、がたり、と従姉妹が立ち上がり、玄関に向かう。
「え? きら姉どういうこと?!」
まさかさっき電話した相手がうちに来るとも思っていなかった静流は、戸惑う。
「光」
いやそんなこと聞いてない、そう思ったが、既に玄関に向かった従姉妹には声がかけられない。
たぶん下の名前を呼んでいる気安さから、従姉妹とは仲がいいんだろうと言うことだけはわかる。それと、おまわりさんだってことだけは。婦警がいることは知っていても、自分の身近にはいなかったため、静流はどんな人なんだろうな、と想像する。
ぼそぼそと玄関先で話す声がして、引き戸が閉まった音がした。
「おじゃまします」
聞こえてきた声に、静流は、え、と止まる。
それが予想していた女性の声ではなくて、低い男性の声だったからだ。そしてダイニングに従姉妹と一緒に入ってきたのは、確かに間違えようもなく男性だった。
静流もだが、その男性──光も目を見開いた。
「あのときの」
光の言葉に、静流は頷く。
あのとき──橋爪に伝言を伝えたあと、追いかけられた時に出会った警察官、その人だった。
光がニカリと笑った。とたんに、険しい様子が消えて、静流の緊張も少し取れる。
「あのとき?」
従姉妹が首をかしげる。
「いつだったかな。春先に、俺が声かけたんだよ」
光の言葉に、従姉妹が静流を見る。
「不審者?」
不審者認定されて、静流はムッとする。
「違う! 伝言を伝えて追いかけられた時!」
一瞬考えた従姉妹が、あー、と興味もなさそうに声を漏らして肩をすくめた。
「偶然とは言え、きららの関係者とはね。きららが話してた従兄弟の話が、小さい頃の話ばっかりだったから、もっと小さいのかと思ってたけど、よくよく考えると、もう十四年は経つんだよな」
その言葉で、光と従姉妹の付き合いの長さがわかる。そしてその親しさも。でも、静流がこっちに引っ越してきてから、光に会った記憶は全くない。一体どんな繋がりなのか、静流は興味をひかれながら、ぺこりと頭を下げる。
「静流です」
「今日、のぞむ君に会ったんだって?」
あっさりとそのことを口にした光に、静流は面食らう。どう答えればいいのかわからなくて従姉妹を見れば、従姉妹はじっと食卓を見ていた。
「きら姉?」
静流の問いかけに顔を上げた従姉妹は、ちらりと光を見て口を開いた。
「ごはん」
その言葉に、光はブッと吹き出して、盛大に笑い出す。
「……きら姉。人来てるんだから、待ってよ」
「一緒に」
従姉妹が光を見て、静流に視線を動かす。
「……まあ、おかずは余りがあるからいいけど。あの、光さん、とりあえずご飯が先でいいですか? きら姉がお腹が空いて駄目だって言うんで。良ければ一緒にどうぞ」
「えーっと、俺はいいけど。いいのかな?」
笑いすぎたんだろう、目じりに溜まった涙をぬぐいながら、光が静流を見る。
「家主がこう言ってるんで、いいですよ」
静流が肩をすくめれば、当の家主はさっさと椅子に座る。
静流はどこに光の皿を置こうかと考えて、とりあえず従姉妹の隣に皿と箸を出した。
テーブル自体は昔使っていた八人がけの大きなものではなくなったが、五人くらいは座れるものだ。だから、光の座るスペースもあっさりと作れる。
「結構品数あるな。……きらら、料理の腕上がったのか?」
従姉妹の隣に座った光が、従姉妹に問いかける。それは、以前に従姉妹の料理を食べたことがある可能性を示していて、しかも料理が得意とは言えない従姉妹が料理を披露したことがあるということだ。
静流は、もしかしてと思っていた可能性を、もしかしてじゃないかもしれないと思いながら光の分のごはんをつぐ。
従姉妹は当然、首を横に振った。そして、静流を指さす。
「……料理男子ね。きらら楽してんだな」
「当然」
当たり前のように答える従姉妹に、光は楽しそうに笑った。
「いいな。俺もここに住ませてよ」
家から光の職場が遠いと言いたいらしい従姉妹に、しずるはやっぱりそうなのかな、と思いながら、光の前にご飯を出す。光への従姉妹の態度は、明らかに健紀との態度に違いがある。健紀がここに住みたいと言ったときは、きっぱりと門前払いだった。
「そうか? 別にちょっと早起きすればいいだけだけど」
「実家」
「まあ、確かにそれなら実家と距離は変わんなくなるな。でも今実家に戻ったらめんどくさいだけだし」
「知らない」
話をはぐらかした従姉妹に、光がクスリと笑った。
話している内容はいつもと同じ単語だけだが、こんなに従姉妹が誰かとコミュニケーションを取っていると思えるのは初めてで、静流は光を尊敬のまなざしで見る。
静流が席に座ると、三人で手を合わせて「いただきます」の声が揃った。二人以外の声がする食卓はすごく久しぶりで、静流は何だか楽しくなった。
「うまいな」
光が驚いたように静流を見る。
「ありがとうございます」
「確かにこれなら、きららが作るより静流君が作った方がいいな」
「でしょ」
光の言葉に機嫌を損ねた様子もなく、従姉妹が当然と言わんばかりに頷く。
「でもさ、静流君もずっとこの家にいるわけじゃないんだろ?」
光の問いかけに、静流はちょっと考えて、頷く。
「まだ一年生なので、決めてはないですけど、たぶん就職する時には東京に行こうかなと、漠然と思ってます」
「ま、この田舎じゃ、仕事もそんなに選べないしな」
光が頷くのを見て、静流もやっぱりそうか、と頷いた。ここが嫌いだと言うことではないが、仕事を探そうと思うと断然東京の方が仕事が選べる。それに両親は東京に戻ってしまっているので、静流がここに残る理由はあまりない。
「大学どこなの?」
「K大学です」
「ああ、俺らの後輩か。まあ、ネームバリューから言ったら就職活動する時はこっちでした方が有利だけど、国立だし、東京でも仕事はある程度は選べると思うよ」
静流は光が従姉妹と同じ大学だったとわかって、その付き合いが大学からなんだろうと理解した。
「高校はどこだったの?」
「Y高校でした」
「高校まで一緒か。静流君に薦めた?」
光がそう従姉妹に問いかけるのを聞いて、その付き合いがもっと昔からなんだと言うことがわかる。
「いや」
「だろうな。きららが熱心にすすめるわけないよな」
バシっと、従姉妹の手が光の肩を叩く。
「聞くな」
わかってるなら、という従姉妹の心の声に、静流は珍しいものを見るような気持ちで、従姉妹と光のやり取りを見ていた。
「で、静流君がいなくなったら、きららはごはんどうするわけ?」
「……食べる」
従姉妹の答えに、光がクククと笑う。
「そりゃ、食べるだろ。何食べるんだって聞いてる」
「……知らない」
「ごまかすなよ。俺、作ろうか?」
え、と声を漏らしたのは、静流だけではなくて、従姉妹もだった。
「忙しいでしょ」
でも、拒否するでもなく光には仕事が忙しくて無理だろうと答えるあたり、静流は従姉妹の気持ちが見えたような気がした。もう静流には、従姉妹と光のやり取りが、単なるイチャイチャにしか見えなかった。
*
「ボン、ボン、ね」
光がノートを見てうーんと唸る。
「二回、言ってたの?」
光は顔を上げて静流を見る。
「はい。二回言ってました」
そう答えながら、静流はまさかこの情報が本当に有益になるかもしれないという可能性に、ドキドキと驚きを持って光を見ていた。
高橋望という名前を静流がどこかで聞いた気がしていたのは、その名前をニュースで聞いたからだった。
夜、親子で信号を渡っていた時、ひき逃げされた、というニュースだった。
ご飯を食べ終わって光がおもむろにスマホの記事を見せてくれて、静流はその名前をどこで知ったのか思い出した。
子供は即死だった。そして母親は、光の話だとまだ集中治療室にいるらしい。
望君の母親がまだ生きているという情報に静流はホッとしたものの、そのことを望に伝えられなかったことが悔しかった。
でもそれは仕方がないのだと、静流は従姉妹に慰められた。
そのやり取りを何の疑問もなさそうに見ている光には、静流も疑問しかないが、きっと従姉妹と光の間にはその情報が共有されているから平然としているんだろうと静流は理解するよりほかはなかった。
「同じ車……。同じ車に二回? 嫌でもそんなことする意味って……。同じ車……いや、同じ車種ってことか?」
ブツブツと何やら理論を組み立てているらしい光から静流が目を離すと、光の隣に座る従姉妹が何とも言えない表情で光を見ていることに気付く。言うなれば、切なそうな。
静流の視線に気づいたらしい従姉妹は、ハッと表情を取り繕った。
それがますます、この二人の間にある関係性を静流に確信させるものだとは、従姉妹は気付いてないだろう。
どうしてこの二人は付き合ってないんだろう、その疑問だけが、静流にはある。
確か従姉妹は結婚するつもりはないと以前言っていた。それとこれは何か関係があるのかもしれないと思う。
もしかしたら光は既に既婚者で、従姉妹の想いが届かないのかも、と思ったところでそれはないと静流は否定する。
光はここに住みたいと言っていた。しかもここに来るなら実家でいいと従姉妹に言われていた。つまり、光は独身だ。……まさか妻帯者が静流のご飯を羨ましいと言うことはないだろうと結論付ける。
光の態度も、従姉妹のことを好ましいと思っているだろうことは確かだし、ここに住みたいとか静流が居なくなった後ご飯を作ってやろうかと言うくらいだ。その気持ちはたぶん、間違いないだろう。
一体なぜ。
「静流君?」
光の声に静流は我に返る。
「何ですか?」
「悪いね、疲れてるところ。他に望君が言ってたことって何かあったか?」
「……すいません。それくらいしか。後は、さっきも言いましたけど、お母さんはどこって聞かれたくらいで」
「そっか。最後に会わせてあげたかったな」
静流の願いを口にされて、静流は涙が滲む。
「……でも、本来なら俺らが会うことはできない相手で、静流君はたまたま見えて話ができて、たまたま最後に彼の願いを聞いてしまっただけなんだよ。だから、静流君が悪いことは何もないから。俺らだって、会わせてあげられたら会わせてあげたいと思うんだから、その気持ちを持つのは普通のことだし、何も知らなかった静流君ができたことは、望君の最後の伝言を受け取ること。それだけでも、望君は救われたと思うよ。きっと犯人が捕まってなくてもどかしかったんだろうな。俺もこのおじちゃんたちのうちの一人だけど」
光の言葉に、静流は救われたような気がした。従姉妹が光を好きだと思う気持ちも理解できるような気がする。光は、静流たちを異端とは見ていない。だから従姉妹は光に惹かれたのかもしれない。
「でもおかげで、切り口にはなりそうだ。助かったよ、きらら」
「そ」
従姉妹はそっけない返事だが、その口元に喜びが滲んでいる。きっと光の役に立てて嬉しかったんだろう。本当になぜ、静流の疑問はそれだけだ。呼ばれるのを嫌う名前を、すんなりと呼ばせている相手の好意を、従姉妹はなぜ素直に受け取らないんだろう。
「じゃ、帰るわ」
「待って」
従姉妹が光よりも先に席を立つ。
「ああ、本な。よろしく」
そう言って光は立ち上がる。
「あの」
「ん?」
静流の問いかけに、光が首をかしげる。
「どうしてきら姉と付き合ってないんですか?」
「……またストレートだな」
光が苦笑する。
「きら姉が帰ってくるまでの時間しかなさそうなんで」
「どうして、そんな質問を?」
静流はそう質問をし返されるとは思わなかったが、思っているままを告げることにした。
「どう見ても両想いでイチャイチャしているようにしか見えないからです」
光はふ、と笑う。
「大人には色々あるんだよ」
答えになってない答えに静流はムッとする。
「ライバルがいますよ」
健紀ははっきり言ってライバルになりそうにもなかったが、ムッとした静流は光を動揺させようとそう言ってみた。
「……きららは、たぶん誰とも付き合わないだろ」
寂しそうな光が、その答えなんだろうとわかったが、静流には勿論納得のいく答えじゃなかった。
「どうしてですか?」
トントントンと階段を下りてくる音がして、光はポケットから名刺を取り出してさらさらと電話番号を書きつける。
「つまんない話が聞きたいなら、今度ゆっくり話してやるよ。きららに聞いても絶対埒が明かない話だから、聞くなよ」
それは光の願いというより、どちらかと言えば脅しの意味合いがある声色だった。怯えた静流はコクコクと頷いて、光の名刺をポケットに入れた。
*
それからしばらくして、望君たちをひき逃げした犯人たちが捕まったとのニュースが、地元の新聞に載っていた。
一体光がどのようにあの情報を他の人たちに伝えたかはわからないが、間違いなくあの伝言が役に立ったはずだ。
犯人たちは同じ車種の車を持っていて、続けて望君たちをひいたのだという。車が二台あるはずなのに車種が一台しか特定できないという事実が捜査を混乱させていたのだというニュースに、静流はなるほど、と思った。しかも一人は板金工で、自分で車を修理したために発見が遅れたという話だった。
あの望君の宇宙語に聞こえた話は、きちんと意味のある言葉だったのだと、静流は反省した。
子供の言っていることだから、と静流はその話の内容が意味あるものだと鼻から思っていなかった。たとえ小さな子供の言葉でも、きちんと耳を傾ける必要があるのだと、静流はそう心に誓った。
望君の母親は意識が回復し一般病棟に移ったと、その記事の最後に書いてあるのを見て、静流はホッとした。
でも、最後に二人を合わせてあげたかったという気持ちは、やっぱりなくなりそうにはなかった。




