15話目 伝える伝言 前編
カランカラン。
もう聞きなれた高いベルの音に静流は顔を上げた。
「……『ことのは屋』へようこそ」
静流が動揺を隠そうとしてその声がかすれたのは、来たヒトにはばれてはないだろう。
あどけない男の子が、不安そうにそこには立っていた。
ここにいるということは、つまり、その男の子は、亡くなってしまっているのだ。
この間伝言を受け取った女性が三十歳前くらいの女性でショックを受けていたが、どんな年齢でも亡くなってしまうのだと、そんな当たり前のことを静流に思い出させた。
男の子は精々五歳くらいだろうか。静流の身近に小さな子供がいないためその年齢は定かではないが、間違いなく小学校に入学前の年齢だろう。
「あのね……いいたいことあるの」
その喋り方から、静流はもっと年齢が小さいのかもしれないと思いながら、ノートにペンをつける。
「なんですか?」
「くるまがね、ボン、ボン、って。おんなじくるまなの」
言われていることがわからなくて、でも静流は懸命にノートに書きとる。
「車が、ボン、ボン、なの?」
静流の問いかけに、男の子がうん、と頷く。
「おんなじくるまなの」
「おんなじ車、ね?」
「おじちゃんたちこまってるの」
ますます何を言いたいのかわからなくて静流は困ったが、言われた通りにノートに書き記す。
「それで?」
静流の問いかけに、男の子は首を横に振る。
「もう言いたいことはないのかな?」
うん、と頷いた男の子は、所在なさそうに手をぶらぶらと動かした。
「名前は?」
「たかはしのぞむ」
「たかはしのぞむ君ね」
静流はどこかでその名前を聞いたような気がしたが、どこで聞いたのかは思い出せないし、この男の子にあったような記憶もない。だから、高橋はよくある名前だし、だから聞いたことがあるんだろうと結論付けた。
「誰に言えばいいかな?」
静流の問いかけに、のぞむ君はきょとんとした後、首をかしげた。
「おじちゃん?」
「おじちゃん?」
静流は途方に暮れる。性別が男性という以外全く何のヒントもないからだ。
「うん。いっぱいいるおじちゃん」
ヒントは増えたが、ますます静流は困る。いっぱいいるおじちゃんが何のことなのか、静流の想像力では全く想像できない。
「知ってる人?」
「ううん。しらない」
これでは全くヒントにもならない。静流は何とかヒントを得ようと、いい言葉がないか考える。
「……どこに行けば会える?」
「あ、おまわりさんにきけばいいよ!」
良いことを思いついた、的に声が弾んだのぞむ君に、がっくりと肩を落として静流は渋々ノートに書く。
全くもって意味が分からない。
そして書き終わってから、静流はその伝言の依頼が奇妙だと思う。
なぜ、のぞむ君は、自分の家族ではなく知りもしないおじちゃんたちへの伝言を頼むのかと。
こんな小さな子供だったら、それこそ自分の母親に何か言いたいことがあるんじゃないかと思うからだ。
それを問いかけようとして、静流は伝言の依頼が終わったか確認していないことを思い出す。
伝言は聞いた、名前も聞いた、相手は聞いた、場所も……一応聞いたことになるだろうか。
名前以外は全く想像もつかない内容で、静流は途方に暮れるしかない。
でも、一応、いつも尋ねる内容は網羅しているはずだ。
従姉妹もこのノートを見て途方に暮れるだろうが、まあ子供の言うことだからと、納得はするだろう。
静流は念のため、どこに伝えに行けばいいのか問おうと思う。
「ね、これどこに行って言えばいいのかな?」
「えー。おまわりさんだって!」
さっきと変わらない答えに、静流はがっくりと肩を落とす。静流には従姉妹の行間を読む能力は備わっているが、小さい子供の宇宙語を解読できる能力はないらしい。
「そっか。じゃあ、お巡りさんに言っておくね」
そう静流が適当に返事をすれば、のぞむ君はうん、と力強く頷いた。
静流はその願いを叶えられないことを思って、申し訳ない気分にはなる。だが、はっきり言って、伝えられるとは思わない。
お巡りさんも、この伝言を伝えられたら、困惑するしかないだろう。
「バイバイ」
のぞむ君はそれで満足したのか、静流が問いかけようとした質問をする前に、ドアに走って行ってしまった。
「バイバイ」
それが、この世との別れの言葉なのだと、のぞむ君は理解しているんだろうかとぼんやり思いながら、静流は道端で出会った小さな子にするように手を振った。
「ねえ、おにいちゃん」
ドアノブに手を掛けたのぞむ君が振り向く。
「おかあさんは、どこにいるの?」
その言葉に含まれた意味を一瞬で想像してしまった静流は、咄嗟に答えられなかった。
ここに来るヒトたちは、その伝言を伝える相手がどこにいるか把握している。それは、自宅だったりするわけだが、中には離婚した元妻が自分の家に来ているのを知っているヒトもいた。
つまり、相手がこの世にいるのならば、どこにいるかは知っているはず、なのだ。
知らないとするならば、それはその相手がこの世にいない、と言うことになるんじゃないか。
静流の想像したその内容は、咄嗟に言葉を詰まらせた。
のぞむ君のお母さんは、きっとのぞむ君が生きている時には、この世にいた。でも、今はもうこの世にいない。
もしかしたら事故か何かで、のぞむ君と一緒に亡くなってしまったんじゃないか。
そう思い至った静流は、何と言っていいのか悩む。でもいい答えなど思いつくはずもない。
「ごめん。お兄ちゃんはよくわからないな」
知らないふりをして、いつもの笑顔を張り付けて、またバイバイと手を振るのが精いっぱいだった。
「ふーん」
もう静流に興味を失ったらしいのぞむ君は、ドアを開けて走って出て行ってしまった。カランカランと鳴るベルの音の余韻を聞きながら、静流はずるずると椅子に座り込む。
「きっついなー」
両手で顔を覆った静流の目には、涙があふれている。
あのあどけないのぞむ君が真実を知らないと言うことが、救いと言えば救いなのかもしれない。
いやでも、せっかくなら亡くなった母親と一緒に居られたら良かったのに、とも思う。そうすればのぞむ君は、あんな質問をしなくて済んだはずだ。なのにのぞむ君はたった一人、この世をさまよっていたのだ。神様なのか仏様なのか知らないが、小さな子供相手に酷なことをするな、と静流は心の中で罵った。
*
「ただいま」
「お帰り」
静流は帰って来た従姉妹を居間で迎えた。
あの後これ以上伝言を伝えに来る人がいても受け取れる気力がないと思って、早々に勝手口のドアは閉めたからだ。
「来た?」
「一人」
静流はそう言って、ため息をつきながらノートを差し出した。
「どうした?」
「小さな子供だったんだ」
「ああ」
ノートを受け取った従姉妹は、静流の頭をポンポンと撫でた。
「あるよ」
従姉妹もまた小さな子供からの伝言を受け取ったことがあるのだと知って、静流は止まっていた涙がまた滲んできた。
「仕方ない」
それが従姉妹の精一杯の慰めなのだと、静流は理解している。だが、滲んできた涙は引っ込みそうにはない。
「仕方ないけどさ。あの子、お母さんとはぐれちゃってさ、一人で来たんだ。で、お母さんはどこって聞くんだよ。僕……答えられなくてさ」
「……そっか」
従姉妹は頷くと、静流が座っていたソファに座り、ノートを開いた。
「神様なのか仏様なのか知らないけど、一緒に亡くなったんだったら、一緒に居させてあげればいいのに!」
「ねえ」
静流が罵った言葉をスルーした従姉妹は、開いたノートを指さして静流に声を掛けてくる。
「何?」
ある意味荒唐無稽な罵りの言葉を口にしたことに少々気まずさを感じつつ、静流はノートを覗き込む。
「これ」
従姉妹が指さすのは、のぞむ君の伝言だ。
「あー。まだ四歳くらいなのかな。しゃべるのはしゃべれるんだけど、言ってることの意味が分かんなくて。一応のぞむ君が言った通りには書いたよ?」
「ボン、ボン?」
「そ。ボン、ボンだって」
「同じ車?」
「うん。同じ車だって……そう言ってた」
「おじちゃんたち?」
「そ。……お巡りさんに聞いてって言うから、途方に暮れるしかなかったんだけど、子どもって困ったらお巡りさんに聞けばいいと思ってるのかな?」
「知らない……?」
「そ。知らないおじちゃんたちだから、お巡りさんに聞けばいいって、そう思ったのかなって思ったんだけど」
従姉妹は静流の言葉には返事をせずに、口元に手を当てると、ノートをじっと見ている。
「……お母さんも亡くなったんなら、二人は事故で亡くなったのかな」
答えてくれない従姉妹を気にするでもなく、静流は思ったことをぼそりと告げる。
「電話」
突然なぜか従姉妹がそう言って自分のカバンをあさりだした。
「電話?」
「そ」
静流には全く意味の分からないやり取りの後、従姉妹はスマホを取り出すと、確かに電話をかけ始める。
「光?」
どうやらその相手はあっさりと電話に出たらしい。
「たかはしのぞむ」
静流は突然その名前を口にした従姉妹にぎょっとする。
一体誰に……いやこの光という人にどうやら従姉妹は伝えたらしいが、なぜ全くの他人に唐突にそのことを告げるのか、静流には全く意味が分からない。
「来た」
従姉妹はうんうんと頷きながら、平然と答えている。
先ほどとは比にならない衝撃が静流を襲う。幽霊が見えているという事実を、従姉妹は他人に知られたくないはずなのだ。一体この光という相手が何なのか、静流は驚きとともに、興味を持つ。
「従兄弟が」
うんうん、と頷きながら、従姉妹は静流を見る。
一体どんな会話なのかはわからないが、あっさりとのぞむ君と会ったのが静流だと告げる従姉妹に、静流は戸惑いしかない。
「うん」
そう返事をした従姉妹は電話を切った。
はっきり言って、どんな会話が交わされたのか、従姉妹の言葉だけでは静流にはさっぱりわからない。
だが、衝撃だったのは間違いない。
「ねえ、きら姉、光って言う人、きら姉が幽霊見えてるって知ってるの?」
「うん」
あっさりと肯定する従姉妹は、それがどうした、と言いたそうだ。
「え、今なんで電話したの?」
「義務」
従姉妹のその答えが指すものを静流は理解できなくて、口をぽかんと開けた。
「は?」
「通報」
「は?」
「おまわりさん」
「はあ?!」
想像もしていなかった従姉妹の返事に、静流は開いた口が閉まらない。
「市民の義務」
そうぼそりと呟くと、従姉妹はカバンを持って立ち上がった。 どうやら自分の部屋に行くらしい。
一体何が起こったのかさっぱりわからない静流を置いて、従姉妹はスタスタと居間を出ていく。
一人残された静流は、ようやく我に返ると、首を傾げた。
「市民の義務?」
その言葉は、しんとした居間に、ポトリと落ちた。




