12話目 飲み込まれた言葉 後編
「ここに希望者はいるだろ」
「需要と供給がマッチするとは限らないですからね」
静流は我ながらいい表現ができたと頷く。
「静流、お前本当に泣き虫だった静流か?!」
「いやもう違うし」
たぶん違う。と静流は否定した。涙もろくなったのは、きっとたまたまだ。
「小さい頃はめそめそしてかわいげがあったのに」
「高校生の頃はこれでもかと尖って好きな相手に突っかかってた人に色々言われたくないです」
静流の逆襲に、健紀は、く、と呻いた。
「静流が可愛げがない!」
「僕ももう十九になる男ですからね。かわいげがあったら困ると思うんですよ」
「背はかわいいだろ!」
「……身長が低くてコンプレックスな人間にそんなこと言ってるから、きら姉に気持ちが伝わらないんですよ」
「ひでぇ」
「どっちがですか」
年の差が十以上はあるはずなのだが、健紀の精神年齢は静流に近いのかもしれない。静流はこのやり取りがどこか楽しくなってきた。
「年長者を称えろ」
「そう言うなら年長者らしい物言いをしたらどうですか」
「してるだろ」
「どこが。僕の記憶にある高校生の頃の健紀さんと何ら変わりませんよ」
静流の言葉に、健紀がムッとする。
「何だよその俺が成長してない宣言! もう三十二だぞ」
「……そもそも、十八の僕とこんなばかばかしい言い争いが成立してる時点で、精神年齢低いですよね?」
「……静流が大人に見える! 静流、おまえ実は三十超えてるだろう!」
「……馬鹿ですか。僕は高校卒業したてのピチピチの男子大学生ですよ」
健紀は、うげ、と言いたそうな表情になる。
「男子大学生にピチピチはいらない!」
「まあ、どうでもいいですけど」
「どうでも……確かにどうでもいいな」
落ち着きを取り戻した健紀は、体裁を整えるためか、口元に握った手を持って行って、えへん、と形ばかりの咳ばらいをした。
「健紀さん、暇なんですね?」
こんな応酬をしてられるのも、今急ぎの用事が何もないからだろう。
「……今はたまたま暇なだけだよ。いつもは忙しいの!」
「まあ、そう言うことにしておきます」
「俺もこっちに戻ってきたばっかりで、いつもは雑用に追われてるから忙しいんだって!」
「……え? 健紀さんずっとこっちに居たんじゃないんですか?」
最近はこの神社に足を向けることもなくなっていたし、健紀のことすら忘れていた静流は、健紀がどうしていたのかなど知るはずもない。
「大学進学で家出て、その後修行がてら他の神社で働いてたから、こっちに戻ってきたのは四月になってからだよ」
「……それって十年以上こっち離れてたってことですよね? ……きら姉のことその間ずっと好きだったとか、嘘でしょ」
「嘘じゃねーし。帰省することあったら、きらには会いに行ってたし」
「ストーカー?」
「あほか。……一応幼馴染としてはきらも対応はしてくれるからな。デートに誘ってもにべもないけど」
「……よくそれでずっと好きでいられますね」
静流は自分はできそうもないと感心した気持ちで健紀を見た。
「……しょうがねーだろ。それでも好きなんだから」
ムッとしたような健紀に、静流は素朴な疑問が沸き上がる。
「……自分の従姉妹をこういうのも何なんだけど、一体きら姉のどこに好きになるポイントがあったんですか?」
はっきり言って、静流の知る従姉妹には、恋愛感情を沸き上がらせるような部分が全く想像できない。なにせあのコミュニケーションの取りにくさだ。もう慣れてしまった静流はなんてこともないが、慣れない相手は大変だろうと思う。
「……昔はかわいかったんだよ」
「……昔……?」
「そう、俺が幼稚園とかに行ってた頃、あいつはよく笑うし良くしゃべってた」
「良く……しゃべる?」
今の単語でしか会話をしない従姉妹からは全く想像もつかなくて、静流は首をかしげる。
「きらがしゃべらなくなったのは……たぶん俺が散々からかったせいなんだよな」
「好かれないのは自業自得ってことですね」
「言うなよ! 俺だって反省してんだから」
「反省してて、あの高校生の頃の物言いですか……。救いようないですね」
呆れた静流が健紀にそう言えば、健紀ががくんと首を垂れた。
「俺ってバカだよな」
「そうですね、としか言いようがないですね」
「……今は心を入れ替えてきらに優しくするようにしてるんだよ」
「完全に今更感ありまくりですね」
「ないだろ」
ムッとした様子の健紀は、静流を軽く睨む。
「相手にもされてなくてにこりともしない相手をよく好きでいますね」
従姉妹は言葉も乏しいが表情も乏しい。
勿論笑わないわけではないが、少なくともこの間の建紀への対応を見る限り、従姉妹が建紀に笑いかけることは皆無だろう。
「きらは別にしゃべらないわけではないし、言葉を惜しんでるだけだよ。それにたまに笑うからレアなんだろ」
……何か間違ってる気がする、と静流は建紀をあきれた気分で見る。
「言葉を惜しむって……きら姉は単に話したくないだけだと思うんですけど」
「話したくない人間があんな仕事つくか?」
建紀の言葉に、静流も従姉妹の仕事を思い出す。言語聴覚士なる言葉を操れないとやっていけそうにもない仕事を、あの口下手な従姉妹がどうやってこなしてるのか、静流も疑問でしかない。
「仕事ではしゃべるって本人は言ってますけどね。信じられないですけど」
静流が肩をすくめると、建紀があー、と声を漏らす。
「友達があの病院いるんだけど、きらは普通に会話できるらしい」
「嘘っ!」
「俺もな、嘘だと思ってこっそり見に行ったんだよ。そしたら、本当にきら普通にしゃべってるし笑ってるし」
そこまで言った建紀は、静流からの冷たい視線に気付いて首をかしげる。
「何だよ」
「ストーカー」
「違うって! 一回だけだし!」
「ストーカーが身内にならなさそうで安心です」
「違うって!」
「ま、きら姉は誰とも結婚するつもりは無さそうだし、建紀さんが身内になることないと思いますけどね!」
「笑いながら毒吐くなよ……」
背の高い建紀が項垂れ膝に手をつく。
「あんだけ拒否されといて、よくそんなにダメージ受けますね」
「いや……普通に受けるだろ。でも……それならよくきらは静流と同居オッケーにしたな」
建紀の話す内容の繋がりがよくわからなくて、静流は首をかしげた。
「従兄弟だからじゃなくて?」
「……従兄弟だから、だよ」
やはり建紀の言いたいことが分からなくて、静流は何度かまばたきをした。
「きらはさ、もう親しい身内を増やしたくないんだと思う」
「どういう……こと?」
「……きらはたぶん、両親が亡くなったこととか、ばあ様が亡くなったのは、自分のせいだと思ってるんだよ」
へ? と静流は声を漏らす。
「きら姉の両親は事故に巻き込まれたって聞いてるし、おばあちゃんは心筋梗塞で……きら姉無関係でしょ」
建紀も頷く。
「無関係だよ。でも……たぶんきらは、そう思い込んでる。……だから他に害を与えないように、結婚するつもりがないんだと思う」
「……単に誰かと付き合うのが面倒なんじゃなくて?」
静流には従姉妹が誰かと付き合っていた記憶が全くない。それに普段の様子を見る限り、恋愛ごとなど面倒だと思っていると思い込んでいた。
「違うと思う。きらの小さい頃の夢はお嫁さんだったし」
それは信頼性の低い例えだと思いつつ、静流はそれ以上追求しなかった。
なぜか建紀と話していると乗り突っ込みみたいになるし、いつまでも延々と話が終わりそうになかったからだ。
「建紀さん仕事はいいんですか?」
とりあえず仕事中の健紀に仕事を思い出してもらおうと静流は素朴な疑問を提示する。
「……小うるさい小舅だな。結婚するなら静流は家出ろよ」
何でうちで同居前提と思いつつ、静流は肩をすくめる。
「結婚の可能性がないって話をさっきしたばっかりですよ」
「完全にないわけでもない」
無駄にポジティブなのが、健紀が従姉妹のことを諦めない一番の要因なんだと静流は理解して苦笑した。
「建紀!」
神社の奥から健紀が呼ばれる。多分声の主は健紀の父親だろう。建紀はじゃーな、と手を上げると急いで奥に引っ込んでいく。
静流も、日が傾いてきたのを見て、あのアスファルトの道に戻ることにした。多分、もうあの霊はいなくなっているはずだ。
神社からそのアスファルトの道に戻るまで、静流の頭の中には、健紀が言ったことが引っかかっていた。従姉妹が親しい親族をもう作りたくないと思っている? 静流にはその原因として言われたことにも納得はできない。
だが、またアスファルトの道に出てじりじりと肌が焼き付けられる感覚に陥ると、静流は考えていたことが暑さで蒸発したみたいに考えられなくなった。
家にたどり着いたのは五時で、静流はどうしようかと思ったが、三十分だけでも『ことのは屋』を開けることにした。
サムターンカバーを外し鍵を開けて静流が小部屋の窓を開けていると、カランカランといつもと同じ高い音がなった。
「『ことのは屋』へようこそ」
静流はそそくさとカウンターに入る。訪ねてきたのは、静流の父親と同じくらいの年の男性だった。
まだ働き盛りだ。静流がもうその相手が亡くなっているとわかっているからか、スーツ姿がどこか寂しい。
「伝言をどうぞ」
「……子供たちをよろしく、と」
涙が滲まないように奥歯を噛み締めて笑顔を作った静流は、歯を食いしばったまま ノートに書き付けた。
「他にありますか?」
少し考えた男性は、首を横にふった。でもその表情には何か言いたげな様子が透けて見える。
今の今まで気づこうともしていなかったが、きっとこれまでここに来た人たちも、こんな風な表情を見せていたはずだ。
だが、きっと彼らは伝えたいことのうち一番のことしか口にはしないんだろう。
自分が死んでるとわかっているから。残された人間に負担にならないように。
彼らは言葉を飲み込んで、最小限の希望だけを伝えて行くのだ。
「どなたに伝えますか?」
そう言いながら静流は、言葉を惜しんでいると言われていた従姉妹のことを思っていた。
従姉妹も、このヒトたちのように、色んな気持ちを飲み込んでいるのかと。
従姉妹の言いたいことを読み取れると思っていた静流にも読み切れない、従姉妹の紡ぐ単語と単語の間には、どんな言葉が飲み込まれているんだろうか。
分かったつもりでいた従姉妹の姿が、実はほんの一部分でしかないことも、静流にとっては驚きだった。だが、考えて見れば当然なのかもしれない。従姉妹が静流に見せる姿は、静流だけに見せている姿で、その姿が従姉妹のすべてなわけもなかったのだ。
今日の健紀の話を聞いて、従姉妹に色々と聞いてみたいことはある。だが、言葉を飲みこんでいる従姉妹が全部のことを答えてくれるだろうか。
カランカランという音の中で男性の後姿を見送りながら、静流は思う。
亡くなった人の最後の思いを受け取るという、こんな切ない作業を始めた従姉妹は、何を思って始めたのか。
“知らん”と誤魔化しそうな従姉妹を思うと、静流がその従姉妹の気持ちを知る日はくるんだろうか。
そう。肝心なことを従姉妹は誤魔化す。それが健紀の言っていた“言葉を惜しむ”と言うことなのかもしれない。
もうこれ以上切ない気分になれそうにもなくて、静流は勝手口の鍵を閉めるとサムターンカバーを付けた。
ふと上を見上げると、勝手口についたベルの内側に、サムターンカバーに付いている護符と似たようなでも違う文字が書かれているのに気づく。
そう言えば、健紀が来た時には、このベルは低い音を鳴らしたのだ。いつもの高い音ではなく。
この音の違いの理由ならば、従姉妹は答えてくれそうだと静流は思う。
静流が大学を卒業するまで、まだ時間はある。
その日々の中で静流の疑問は解けていくかもしれないし、解けていかないかもしれない。
でも、人の心をすべて知ることなんて難しいことなのだ。
従姉妹のことを知っているつもりだった静流は、実は何も従姉妹のことを知らなかったのかもしれない。
寧ろ、知っているつもりだったから、従姉妹のことを深く知ろうとしなかったのかもしれない。……従姉妹のことを深く知る必要はないのかもしれないが、静流が交流のある唯一の従姉妹なのだ。
だから、あんな哀しいことを思いこんでいるのだとしたら、静流はどうにかしたいと思う。
従姉妹のせいで自分たちが死んだとは、従姉妹の両親も祖母も思ってほしくはないはずだから。
額から流れ落ちる汗をぬぐうと、静流は小部屋を後にした。
とりあえず、今日は従姉妹の好物を作るつもりだ。食べ物の好き嫌いだけは従姉妹はわかりやすいから。