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11話目 飲み込まれた言葉 前編

 静流は午後から友達と出掛ける予定があるが、午前中は暇だから、と『ことのは屋』の店番を買って出た。

 土日仕事が休みの従姉妹は、今はまだ惰眠を貪っているはずだ。


 あの悪霊とおぼしき幽霊と遭遇した翌日、静流は従姉妹からボランティアの手伝いはしなくてもいいと言われた。

 従姉妹はその当日には思い付かなかったようだが、翌日朝御飯を食べていてふと思い付いたらしく唐突に提案された。

 静流は一旦はその言葉に従った。友達と会う約束をして朝から出掛けた。だが、予想外の土砂降りに午後の予定をずらすことになって帰ってくると休みのはずの従姉妹はいなかった。誰もいない家で、足を向けるつもりではなかった勝手口のある小部屋が気になってしまい、結局、覗いてみるだけ、と小部屋のドアを開き、昨日感じた嫌な感じが一切ないのを感じとると、折角だから、と勝手口の鍵を開けた。


 結局、誰も来ることはなかったが、五時半になると家に帰ってきて小部屋にやって来た従姉妹が、少し呆れたような顔をしながら、これからは五時半に閉めればいいと静流に言って、昨日から五時半が戸締まりの時間になった。


 カランカランと何時もより低めに聞こえたベルの音に首をかしげながら静流は小部屋に向かう。もう梅雨が明け暑くなった小部屋には長時間いられない。


「おす」


 ドアを開けると、背の高いスポーツ刈りのサングラスをかけた男性が立っていて、そのこの場にふさわしくないようなファンキーさに静流は少しおののいた。夏なのに革のパンツをはいている、という格好も、そのファンキーさに輪をかけているように思える。

 静流も動きが止まったが、相手の方も動きが止まっている。先に我に返ったのは静流の方で、形ばかりにこりと笑って見せた。


「『ことのは屋』へようこそ」


 静流の言葉に我に返った男性は、つかつかと静流に近寄ってきた。


「おまえ……人間だな」


 くいっと静流の顎を掴んだ男性が、まじまじと静流を見ている。静流の方はと言えば、ついこの間の恐怖が甦ってきて、顔が青ざめている。

 でもその男性の手が温かいのが、この間遭遇した幽霊と違うところで、とりあえず静流は混乱していた。


「きら! きらら! いるんだろ! 出てこいよ!」


 静流の顔に興味をなくしたらしい男性は、静流の顎から手を離すと、家の奥に向かって怒鳴り付けた。


「ったく! いたいけな少年囲って何しようって言うんだよ」


 ぶつくさと言いながら、その男性はカウンターの内側にある椅子にどかりと座った。その慣れた様子に、更に静流は戸惑う。


「あ、お前も座れよ」


 もうひとつ、カウンターの中に置いてあった丸椅子が静流に差し出される。静流は混乱したまま、勧められるままに丸椅子に座った。

 奇妙な沈黙が小部屋に落ちる。


「ったく! 起こしてくるわ」


 すぐにはやってこない従姉妹にイラついた様子で立ち上がった男性に、静流が慌てて立ち上がる。


「僕が起こしてくるんで!」


 何者かはわからない以上、静流はこの男性を家の中に入れるのは辞めた方がいいと思った。

 線香の匂いがしないため、幽霊じゃないのかもと思い始めていたが、この間の悪霊も生憎線香の匂いがしなかった。そのため人間であるという根拠は手の温かさしかないが、幽霊と触れた経験が先日の恐怖体験しかないため、それも判断材料としては乏しかった。


「……お前。きららの何?」


 がしっと腕を捕まれて、静流は名乗るべきか否かを悩む。何せ、相手の得体が知れないからだ。


「うるさい」


 静流が答えを出す前に、従姉妹が現れた。


「きらら、俺の知らないうちに俺より若いやつ侍らすことにしたのか」


 男性が最後まで言うが早いが、男性の腹部に従姉妹の拳が向かう。だがその拳は簡単に払われる。


「腕鈍ったんじゃないか」

「去れ」


 軽口をたたく男性に、従姉妹は静かな声で退出を促した。確か従姉妹は昔空手を習っていたはずで、黒帯までは取ったはずだった。それをいくらブランクがあるとは言え易々と退けた男性もまた、空手の有段者なのかもしれない。


「これ誰?」


 男性が静流を指差すと、従姉妹は、は? と首をかしげた。


「知ってるでしょ」


 どうやら従姉妹の言い方だと、静流とこの男性は初対面ではないらしい。だが、静流にはこの男性の記憶がない。


「あ、あー」


 静流をじっと見ていた男性が思い出したと声をあげる。


「静流か!」


 どうやら知り合いに違いないらしい。だが静流は頷きつつも誰か思い出せずにいた。


建紀たけのりだよ」


 そう言われても、静流の記憶には引っ掛かることはない。


「サングラス」


 静流が首をかしげていると、従姉妹がその男性にサングラスを外すように促す。


「……何でだよ」

「それじゃ無理」


 従姉妹の言葉に、渋々といった体でサングラスを外した建紀と名乗った男性の目は、その尖った格好に見合わぬ優しそうなたれ目だった。


「あ、」


 その目に静流の記憶が刺激され、思い出したのは、小さい頃従姉妹とよく散歩に出掛けた近所の神社で、従姉妹を見ると突っかかってきていた、たれ目の男子高校生だった。確か従姉妹に“タケ”と呼ばれていたような気がする。

 目は優しそうなのに、従姉妹に意地悪なことを言って絡んでくる嫌なやつだと静流は記憶していた。


「何しに来たんですか」


 小さい頃そうしたように、静流は従姉妹をこの建紀から守ろうと、冷たい声を出す。


「おうおう。静流もいっぱしになったな」


 余裕の表情で静流の頭をぐしゃぐしゃとかき回す建紀の手を静流はパシッと払いのける。


「何?」


 冷ややかな従姉妹の声に、建紀はポケットから無造作に薄い紙の束を出した。


「ほら」


 従姉妹はその紙を取ろうとせず、睨み付けるように建紀を見た。


「何?」

「護符。俺の霊力をありったけ込めといたからさ」

「帰れ」


 従姉妹はそう言われても、護符を受けとることはなく、追い払うように一度手を動かした。


「おいぼれ親父の護符よりいいと思うんだけど」


 それでも建紀は気にもしていないように、護符をカウンターに並べ出す。


「むしろ悪い」


 ちらりと護符を見た従姉妹は、そう言って建紀を睨み付けた。


「マジで真面目に修行したんだって!」

「知るか」


 従姉妹はそう言って建紀をしっしっと手で払う。


「……次は受け取らせるからな」


 ムッとしたまま建紀は護符を集めると、無造作に元のようにポケットに突っ込んだ。静流は護符の雑な扱われ方に、あっけにとられるばかりだ。


「で、何で静流がここにいるの?」


 建紀は従姉妹に追い払われたのを気にもしない様子で静流に問いかけてくる。


「四月からここに住んでるんです……」

「マジかよ! 俺も住む!」

「……帰れ」


 従姉妹はため息と共に呟く。


「だって俺がいた方が何かと便利だろ」


 何が、と静流が心の中で呟くと、従姉妹はそのまま口にしていた。本気で迷惑そうに。


「護符をかけるし、悪霊はたぶん追い払えるし、いい霊しか寄ってこないんじゃね?」


「追い払えるし」


 普通に従姉妹は返事をしているが、静流は建紀が口にしたことにぎょっとする。建紀はまるで従姉妹が霊が見えるのを知っているような口ぶりだった。


「いやいやいや。俺の修行の成果を見せてやるから」

「いらない」

「ほら、背高いから、電球とかも簡単に取り替えられるし」


 建紀の背の高さはこの中で確かにダントツだろう。が、静流はなんか違う。と思う。


「いらない」


 従姉妹は当然にべもない。


「夜寂しくなったら俺いるし」

「ならない」

「……きらら強情だな」

「帰れ」

「仕方ない、今日は帰るわ」

「……来るな」


 従姉妹の声に二度と、という言葉が隠されているのに気づいて、静流は苦笑する。


 *


 暑い。

 今の時間、駅から家までの間に、陰になりそうな建物も大きな木もない。

 ここのところ、35度を越える暑い日が続いていて、静流も流石にうんざりしてきたところだ。

 だが、これが夏だ。

 仕方がない、と静流は小さくため息をつくと前を向く。その瞬間、通りすぎる人と目があった。

 

 ギクリ、とする。

 途端に、ざわりとした感覚が、背中を駆ける。

 油断していた。

 まだ昼間だ。だから、出会わないと思っていた。それに、従姉妹の注意さえ守っていれば、今までも問題はなかった。

 そのせいで、静流はすっかり自分の持っている感覚を研ぎ澄ますことを忘れていた。

 昼間だって、出会うことは稀にあったのに。


 通りすぎたはずのその気配が、静流の背後から動かない気がした。

 心臓がバクバクと動き始める。


 家に帰れば。

 家の中に入りさえすれば、護符のために幽霊は家の中に入ってこれないはずだ。

 だが、家まではまだ距離があった。


 走ったところで、逃げ切れないだろう。なにせ、相手は幽霊だ。


 そうだ、大きな声を出せば!


 思いついた静流は、即座に躊躇する。

 今は昼間で、ここは駅前で、人通りもそれなりにある。 

 しかも、ここは地元だ。どこで知り合いが見ているかわからない。

 こんな中で唐突に叫び出す勇気など、静流にはない。


 じりじりと、背中に感じる圧が近づいている気がした。

 動悸が速くなる。

 

 はっと、静流は思い出す。

 小さなころに、従姉妹と怖い人に追いかけられて、この駅前の道を駆けたことを。

 その時駆け込んだのは、駅と家の間にある神社だった。

 その時に交わした会話も、断片的だったが思い出す。

 

 静流は、この道沿いにある神社に向かって全速力で走り出した。

 走り出しても、嫌な気配は消えることはない。

 やはり、ついてきているのだろう。

 静流は振り返ることなく、一心に神社を目指す。

 

 視界に神社の鳥居が見えて、息が上がってきていた静流は安堵する。だが、まだ油断はできない。

 背中を嫌なものが追ってきている。

 その感覚はまだ消えない。


 鳥居の内側に走り込む。

 途端に、嫌な感覚が消える。

 記憶の中でも、確かに静流がこの鳥居に走り込んだ時に、怖いものは消えた。

 それはきっと、この鳥居の存在が、霊を遮断する役割があるからかもしれない。


 ざぁ、と鳥居の奥から風が静流にたどり着く。

 振り向くと、神社には木が生い茂り、その葉が重なりあったところには十分な木陰があって、参道に入る前には感じなかったどこかひんやりとした風が通り抜ける。

 静流は息を切らせながら、木陰に入って、ようやくほっと息をついた。


「おい」


 どこかで聞いた声に振り向けば、神主と言われて間違えようもない格好の背の高い男性が建物の影から出てきた。


「あ、こんにちは」


 それはつい先日会った建紀で、その優しそうな目に神主の衣装は、先日会った時の格好に比べてよほど建紀に似合っていた。


「あれ? きらは?」


 キョロキョロと見回す建紀に、静流はキョトンとする。


「今の時間なら仕事じゃないですか」

「……ああ、そうか。お前がここにいると、きらが連れてきたみたいな気分になる」

「連れてきた?」


 静流は首をかしげる。従姉妹とこの神社に来た記憶は、それこそこの町に引っ越してきて小学生になるまでの話で、そのあとは静流が友達とカブトムシやらクワガタやらを取るためとか、かくれんぼをするためとかに従姉妹とは関係なく来ていただけだ。


「ここ、護符が結界になってんのか霊が出にくいらしくてな。お前が怖い霊に会って泣くと、きらはここに連れてきてたな。変なのも浄化される気がするとか何とか」


 なるほどそれで小さい頃は頻繁にここに連れてこられていたのか、と静流は納得した。従姉妹が散歩に行こうと言うと大抵この神社で、まだ五才だった静流は遊具のある公園に行きたいと駄々をこねたこともあった。

 だが静流の駄々が通ることはほとんどなくて、たまに通った日の夜は夢見が悪かったせいか、次第に静流が公園に行きたいと駄々をこねることもなくなった。


「あの……きら姉と僕が幽霊見えるの知ってるんですか?」

「ああ。きらはおまえんちのばあ様が小さい頃からここに連れてきてたからな。親父とばあ様の話を聞いてればわかるよな」


 静流はなるほどと頷く。


「……昔、きら姉に突っかかってたのって、それが気持ち悪いとかそういう理由ですか?」


 あー、と声を漏らした建紀は、顔をそらす。その耳が赤いのに静流は気付く。


「念のために聞きますけど、建紀さんはきら姉のこと好きだったりしますか?」


 静流の問いかけに、建紀の耳が更に赤くなる。


「高校生にもなって……好きな子いじめるとか……」


 あの頃の建紀を思い出して、静流はため息をついた。小学生じゃあるまいし。


「ガキの頃からそんな会話しかしてないんだから……変えようもないだろ」


 まさかの建紀の返事に、静流はパチクリとまばたきをする。


「……そんな頃からの片想いですか?!」

「何で片想い認定なんだよ。両想いかもしれないだろ」


 建紀の反論に静流は呆れる。


「あのきら姉の態度見てそう思い込めるって、ある意味幸せですね」

「……そうでも思わなきゃやってられないだろ」


 ぼそりと呟く建紀に、なるほど現状はきちんと理解しているらしいと、静流もほっとする。

 だが、小さい頃から従姉妹のことを好きで、今はもう三十を越えてるはずの建紀のことを考えると、静流はどうでもいいが気になることが浮かぶ。


「何だよ静流」


 静流が何か言いたげに建紀を見ているのに気づいたんだろう。建紀がぶっきらぼうに静流の名前を呼ぶ。


「……ずっときら姉一筋なんですか?」


 流石に直接は聞けなくて、婉曲的に静流は訊ねた。童貞ですか? と。まあ伝わらない可能性はあるが、一筋と答えればその可能性は高いだろう。


「あー。そうだよって言いたいところだけど、流石に俺も健全な男だからな。言い寄られればふらつくこともある」


 なるほど建紀はきちんと静流の問いかけの意味を理解したらしい。静流からすればパーフェクトの答えだ。確かに性格はどうであれ、背が高く優しそうな見た目の建紀は、それなりに需要はありそうだ。

 だが、静流はついチクリと言いたくなる。

 何しろ従姉妹は身内、建紀は他人である。


「何か不潔」

「なんだよその潔癖な女子高生みたいな言葉!」

「だってずっときら姉のこと好きだったって言うなら、貫き通してほしいじゃないですか!」

「よく言うよ。これで俺がきらのために童貞を守ってるって言ったらキモいとか言うくせに」


 まさにその通りで、静流は苦笑した。


「そういう静流はどうな訳?」


 薮蛇だった、と静流は思うが、静流はここが神社であることを思い出す。


「そんな下世話な話、神様の前ですることじゃないですよ」


 まあ、ほとんど童貞であると答えたようなものだが、これ以上の追求は免れるだろう。


「自分が先に振ってきたくせに」


 そう言いながらもニヤっと笑っている建紀は静流の実情は理解したらしい。静流は肩をすくめた。

 好きだと思った相手はいたことはあったが、静流は誰かと距離を縮めることができなかった。それは、静流の中にずっとあるものだった。

 ずっと、草食系だから、と自分のことを納得させてきた。


「きら姉は見込み薄いですよ」


 静流は首を横に振った。当然、攻撃のつもりだ。


「言われなくても知ってるし!」

「結婚もしないつもりですよ」


 最近手に入れた情報を提示すれば、建紀は予想外にため息をついた。


「やっぱりか」


 その建紀の言葉に静流は違和感を持つ。


「何がやっぱりなんですか?」

「……三十六越えて彼氏も作ろうとしない女が結婚願望あると思うか?」

「……できないじゃなくて?」


 静流の従姉妹の場合、どちらかと言えば、作ろうとしないというよりはできないと言われた方がしっくりくる。非常に失礼ではあるのだが、身内だから許されるだろう。

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