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10話目 受け取ることのできない伝言 後編

「幽霊って壁抜けできたりするんじゃないの?」


 静流の疑問に従姉妹は少し考えてから首をかしげた。


「ドアだけ」


 従姉妹にもその理由はよくわかっていないのかもしれない。だが幽霊たちの出入りはドアからのみ行われるらしい。


「夜になると、あんなのが入ってくるの?」


 眉根を寄せた静流の問いかけに、従姉妹は申し訳なさそうに頷く。


「ごめん」

「確かに言って貰えてたら違ったかもしれないね」

「ごめん」

「……でも、まあサムターンカバーをつけ忘れたのは僕だし……助けてくれたのはきら姉だから……」

「ごめん」

「もう二度とゴメンだけど、勉強にはなかった……かな……」


 静流が困ったように笑うと、従姉妹が静流の頬を両側から手で包む。


「無理すんな」

「……してないよ」

「ごめん」


 従姉妹は静流を抱きかかえると、わしゃわしゃと頭を混ぜ繰り返した。


「子供じゃないんだし、辞めてよ」

「怖がらせた」

「確かに怖かったけど……ねぇ、あの幽霊はどうしていなくなったの?」


 静流はようやく、あの幽霊がどうしていなくなったのかについて気になった。今の今まで、そんなことを考えられるような冷静さは戻ってきていなかったからだ。


「声」

「声? きら姉の声でいなくなったってこと?」


 静流の疑問に一旦頷いた従姉妹だったが、首をかしげて考え込んだ。


「大きな声」


 従姉妹は絵をかいていた紙を裏返すと、大きく吹き出しを描いてその中に、“去れ”という言葉を書いた。


「……それで、幽霊が居なくなるの?」


 コクコクと頷く従姉妹の顔は真剣だったが、訝しく思っている静流は首を傾げた。


「きら姉が言うから、じゃなくて?」


 従姉妹はこくんと頷いて、視線を遠くにやった。


「おばあちゃんも」


 静流もまさか想像もしていなかった名前を出されて、目を見開く。


「おばあちゃんって、幽霊が見える人だったの?」


 祖母は外から嫁いで来た人で、この家系の血が入っている人ではなかったはずだった。


「見えない」


 従姉妹は首を振って静流の言葉を否定した。


「でも幽霊を追い払えたんでしょ?」


 またコクンと頷く従姉妹に、静流は混乱する。


「見えないのにどうやって?」

「たまたま」


 ……まさかの単語に静流は戸惑う。


「たまたまって……」

「教えてくれた」


 それでようやく、静流は従姉妹の話の流れがわかった。


「怖い幽霊が居たときのために、きら姉に追い払う方法を教えてくれたってこと?」

「そう」

「……きら姉、それでよく仕事やってるね」


 静流は従姉妹の説明能力の低さに改めて呆れた。それは従姉妹がすべて単語でしか言葉を発さないせいで引き起こされることだろう。


「別」


 仕事は別との従姉妹の言い訳に、そんなことあるのか、と静流は思ったが、肩をすくめて話を流した。


「じゃあ、大きな声で去れって言えば、あんな怖いのは追い払えるんだね?」


 だが従姉妹はすぐには頷かなかった。


「たぶん」


 そんな曖昧な返事に、静流も困る。


「……たぶんって」

「いつもは」

「……大丈夫だと思うけど、絶対じゃないってこと?」


 従姉妹がようやく頷いたのを見て、静流はとりあえずもしまたこんなことがあったらその方法を取ろうと決める。

 少なくとも今まで従姉妹はそれで悪霊と言えるだろうヒトを追い払えて来ているのだ。

 それ以外に静流に選択肢があるわけもない。


「とりあえず、僕も次からはそうするよ」


 でも実際にあんな場面にまた遭遇することがあるとすれば、静流の喉から声が出てくるかどうかについては、静流も自信はなかったが。


「……ところでさ、きら姉、あの小部屋に入る前に、一旦足止めたでしょ? もう来ないかと思ったんだけど……何で止まったの?」


 その足音が止まったことで、静流は一瞬絶望感を味わったため、その変化の理由が知りたくなった。


「嫌な気配」


 なるほどそれで従姉妹は足を止めたわけだ、と静流も納得する。静流にはその嫌な気配が気づけていなかったが、何となく感じた胸騒ぎは、従姉妹の感じたものに通じるものなのかもしれない。


「きら姉があのタイミングで帰ってきてくれて助かった。……本当に僕死んじゃうかと思った」


 はぁ、と大きく息をつくと、従姉妹の手が静流の頭に乗った。


「ごめん」

「もういいよ。きら姉がこの話をしてなかった理由は、僕を怖がらせないためでしょ」


 ボランティアの相手が幽霊だということも、静流が勝手にその伝言を伝え始める前までは教えてくれていなかった従姉妹の考えていることは、きっと静流を怖がらせたくない、それだけだろうと静流は理解した。


「でも」

「いいよ。……でも、他に何か怖いことあるなら、今のうちに教えといてよ」

「もうない」


 首を横に振る従姉妹に、静流はホッと息をつく。


「これ以上あるって言われたら、どうしようと思った」

「昼は大丈夫」

 

 従姉妹の言葉に、静流は前に従姉妹が昼の幽霊は大丈夫と言っていたのを思い出した。


「それって、怖くないってこと?」

「悪くない」


 頷きながら言葉を追加する従姉妹は、どうやら経験上そうだと理解しているようだ。


「……どうして夜になると悪い幽霊がやってくるわけ?」

「わからない」


 従姉妹は首を横に振って、申し訳なさそうに静流を見た。


「そっか。全てのことをわかってるってわけでもないよね」


 そもそも従姉妹も単に見えてしまっているだけなのだ。それを経験したことでこうなんじゃないかと理由づけしているだけなのだ。

 幽霊がどうしてそんな風に動いているか、知るのは幽霊だけだろう。


「静流」


 物思いにふける静流に、従姉妹の声がかかる。


「何?」

「寝れる?」


 一人で寝られるのかと問われているのが分って、静流は苦笑する。


「もう十八だよ?」


 小さい頃、それこそ幽霊に追いかけられて怖がっていた静流は、時折この家に泊まっていくときには従姉妹と手を繋いで寝たものだ。そうすると、怖いものに会わないような気がして安心して眠れたのだ。


「怖がってた」

「……大丈夫……だよ」


 そう言いながら、静流は少しだけ自信がなかった。


「行こうか?」


 静流の部屋に従姉妹が寝に行こうか、と問われたが、静流はちょっとしたプライドから頷けなかった。


「いいよ。それよりきら姉、今日飲み会だったんじゃなかったっけ?」


 静流は話を変えるため、先ほどから抱いていた違和感を尋ねることにした。


「そうだよ」


 てっきり違うと言うかと思ったが、従姉妹はあっさりと肯定した。まあ、確かに従姉妹の服には雑多な食べ物の匂いとお酒の匂いが染みついているような気はした。

 だが、静流の抱いた違和感は、従姉妹の吐く息からお酒の匂いがしてこないことだった。


「飲まなかったの?」

「飲まない」


 従姉妹は頷く。


「お酒、好きだったよね?」


 静流の記憶にある従姉妹は、家族たちから“ザル”だと言われていた気がする。


「飲まない」


 従姉妹が首を横に振るのを見て、静流は確かに最近従姉妹がお酒を飲んだ姿を見たことがないことに気付いた。それがいつから見なくなったのかは思い出せなかったが、少なくとも静流がこの家に住み始めてからの三か月の間では従姉妹がお酒を口にすることはなかった。


「それなのに飲み会に行くの?」


 今月だけでも二度ほど従姉妹は飲み会に行ったはずだ。


「付き合い」


 どうやらこの従姉妹にも付き合いという概念は存在するらしいとわかって、静流はどこかホッとした。 

 何しろ仕事も定時で帰ってくる従姉妹だ。職場での人間関係も一応は作っているのだと感じられたからだ。


「そっか」


 静流はほお、と息を吐いた。


「疲れたから、もう寝るね」


 静流の言葉に頷く従姉妹の顔は心配そうだったが、静流は気が付かないふりをして二階にある自分の部屋に向かった。


 *


 トントン。

 ドアをノックする音に、静流は答えなかった。

 一人で寝れると言った手前、まだ眠れずにいるのも部屋に電気が煌々とついているのも従姉妹に知られるのが何だか気まずかったし気恥ずかしかった。

 もう十八になって、大学生になって、いっぱしの大人になったつもりでいた自分が、たとえ恐怖を味わったとは言え、一人で寝れないともいつも寝るときのように真っ暗闇に出来ないとも言いたくなかった。


「静流」


 従姉妹がドアの向こうで呼び掛ける声も、聞こえなかったふりをして布団の上でもう何度もうった寝返りをする。

 トントン、ともう一度ドアをたたく音に、従姉妹にしてはしつこいな、と静流が思ったのと、ドアが空いたのは同時だった。


「起きてる」


 淡々とそう言って、従姉妹はドアを背で止めたまま、廊下から布団を部屋の中に引き入れた。


「……何してるの?」


 どうやっても答えは一つしかないが、静流は恥ずかしさをごまかすために訊ねた。


「寝る」


 静流はため息をつく。従姉妹は間違いなくこの部屋で寝るつもりだ。


「大丈夫だから」

「寝てない」


 静流の虚勢は、一言で却下された。黙々と布団を敷く従姉妹を見ながら、静流はまたため息をついた。


「そのうち寝れるから」


 たぶん、と静流は自分の希望を口にしただけだ。


「そ」


 従姉妹は静流の言い分を聞くつもりはないらしい。布団を敷くと言っても、敷布団と肌布団が一枚だ。あっという間に布団が整うと、従姉妹はパジャマ代わりのハーフパンツのポケットから少しくしゃっとした薄い紙を取り出した。


「セロテープ」


 従姉妹の声にのそりと布団から立ち上がった静流は、大学進学を機に買ってもらったパソコンデスクの引き出しからセロテープを出した。

 いったい何を、と思って立ち上がったまま従姉妹の手元を見ていると、従姉妹はくしゃっとした薄い紙を広げる。何やら文字が書かれた紙は、静流にはその文字は読めそうにもない。ただ、何となくどこかで見たような気はする。


「きら姉……それって、護符ってやつ?」


 静流はまじまじと従姉妹の手元を見つめる。


「そ」


 従姉妹は躊躇することなく、その護符にセロテープを張り付けると、ドアの取っ手の横に張り付けた。張り付けられた護符は少しクシャリとして、どう見ても斜めに貼ってあるように見えた。


「ね、きら姉……。その護符……ものすごくありがたみが薄いんだけど、効果はあるの?」

「入れない」


 実際に入れないのかもしれないが、少しクシャっとした感じと、斜めの護符にはありがたみが半減する。


「せめてもう少し丁寧に扱ったらどう?」


 ちらりとドアに視線を向けた従姉妹は、静流を見る。


「道じゃない」


 二階は幽霊の道ではないと言いたいのだろうが、あのぞんざいな扱いの紙を見ると、ありがたさもその効果も半分以下しかない。


「……せめて僕を安心させるために、もう少しやりようがあるよね?」

「いるし」


 どうやら従姉妹がいるんだから別にいいだろうという理論らしい。


「きら姉……そんな雑だから彼氏できないんじゃない」


 ふ、と従姉妹には鼻で笑われる。


「いい」


 その言葉は、どうでもいいとも別にいいともとれるが、どちらにせよ彼氏の存在を必要としない言葉だ。従姉妹は三十六で妙齢な訳であるが、静流の予測と違わぬ反応に、静流は肩をすくめて自分の布団の上に座った。


「ずっとここに一人で住むつもりなの?」

「そうだよ」


 何の疑問もない様子で返される言葉に、静流は従姉妹の将来を不安に思う。


「僕だってずっとここに住んでるわけでもないだろうし……僕の実家も東京に引っ越しちゃったし、きら姉ここに一人っきりになるんだよ?」


 静流の言葉に、従姉妹は首をかしげる。


「それが?」

「……一人は寂しくない?」

「働いてる」

「……そうかもしれないけど……家に帰れば一人だよ?」

「困らない」


 どうやらこの話も従姉妹と静流の間では平行線をたどりそうな話なのだと理解して、静流はそれ以上追及するのを諦めた。


「寝る」


 寝れるはずもないのだが、静流はそう宣言して、自分の肌布団の中にもそもそと体を滑り込ませた。


「電気は?」


 従姉妹の問いに、静流は返答を躊躇する。


「スタンドライトは?」


 机の上のライトをつける案に、静流は頷いた。

 従姉妹は立ち上がると、スタンドライトをつけて角度を変えて直接光を見えないように調節すると、部屋の電気を消した。

 そして従姉妹は自分の肌布団の中に潜り込むと、視線を静流に向けることなく手を静流に差し出した。


「何?」


 静流が戸惑うと、従姉妹は視線をくれる。


「繋ぐ」


 どうやら小さい頃のように手を繋いで寝ようと言うことらしいとわかって、静流は苦笑する。


「いいよ。僕も十八だよ」


 まだ五歳の頃なら何とも思わなかった行為でも、流石に十八にもなれば気恥ずかしい。


「寝てなかった」

「……そうだけど」

「今日だけ」


 ずい、と静流の目の前に手を突き出す従姉妹に、静流は少しだけすがることにした。


「今日だけね」


 そう口では強がったふりをして。静流が手をつなぐと従姉妹は満足したのか、そのまま目を閉じた。


「おやすみ」

「おやすみ」


 従姉妹の言葉に促されるように、静流はお休みの挨拶のあと目を閉じた。勿論、眠れる気はしなかったが、さっきまで悶々と眠れなかった時よりは、気分的にはましだ。

 気が付けば従姉妹は寝息を立てていて、静流は寝つきのいい従姉妹に苦笑した。


 静流は当事者のため怖いのは当たり前だが、従姉妹はあれが悪い幽霊だとわかっていても、少しも怯えることはない。これは単なる経験値の差なのか、性格の違いなのか。

 少なくとも暗くなれば護符で家に入ってくる幽霊を門前払いする従姉妹は、あの悪意のあるヒトの伝言を受ける気はないのだ。あの悪意のある感じからして、頼まれる伝言もろくなものではないのかもしれない。従姉妹は実際にその伝言を聞いたことがあるのだろうか、と思う。でも、聞いたことがなくてあんなに律儀にサムターンカバーをかけるとも思えない。


 きっと一度くらいは従姉妹はあの悪意ある伝言を聞いたことがあるのだろう。

 静流は結局受けることがない伝言だったが、たとえ受け取ったとしても、その内容を口にしたいとは思えそうにもなかった。昼間にやってくるあのヒトたちの伝言を伝えたい気持ちになるのとは違って。

 それにきっと、昼間にやってくるヒトたちは、たとえ伝言を伝えなくても、生きている間の人となりで、死んだ後にも残された人にメッセージを伝えているはずなのだ。まあ、時折哀しい関係性のせいで正しくメッセージが伝わらない相手もいるようだが、それでも悪意のある伝言は残されることはない。


 静流も従姉妹がそう決めたように、夜にやってくるヒトの伝言は受け取らなくていいと思う。

 あれはきっと誰も幸せにならない伝言だ。


 ふわ、と静流があくびを漏らす。

 だんだんと静流の頭の中で考えていることがまとまりがつかなくなっていく。

 繋がれた手の暖かさと、従姉妹の規則的な寝息を聞いているうちに、形ばかり目を閉じていた静流も、だんだんと眠りの中に引き込まれていく。

 机の上の明かりが漏れる薄明るい部屋に、いつの間にか従姉妹と静流の寝息が揃っていた。

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