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3章 親友のオタクは早口になりがち

赤子としての生活はなんと楽なのだろうか。一日中寝て、乳を吸う。これだけだ。毎日机に向かって参考書を開いたり、僅かな時間ですら単語帳に目を通す必要も無い。バイト先の先輩の愚痴を永遠と聞かされることも無ければ、クレーム対応で頭を下げることも無い。


安寧…僕が求めていたのはこれだったのかもしれない。あらゆるしがらみから解放された生活。

子供の頃に戻りたいなんてボヤく大人たちの気持ちが今、はっきりと分かった。まぁ彼らの言う『子供』というのは友達と鬼ごっこやら泥遊びをした時代のことだと思うけどもともかく、僕はこの生活に満足している。


ビバ異世界!ビバ赤ちゃんライフ!


───────────────────────


赤子としての生活はなんと退屈なのあろうか。一日中寝て、乳を吸う。これだけだ。毎日友達と食事を共にしたり、ありきたりな話に何故か大爆笑してしまうことも無い。バイトの給料で趣味の自転車のパーツを購入してカスタマイズをすることも無い。


退屈…僕がたどり着いた先はこれだった。あらゆるしがらみから解放された自由の世界、しかし本当は自由なんてものは無かった。


早く大人になりたいなんて生意気なことを言ってた小学生の頃の気持ちを今、はっきりと思い出した。

子供と大人の自由はまるで異なる。


大人から見れば社会に対して責任を持たない子供は自由な存在なのだろう。しかし、実際に子供たちは身体的に、知能的に、経済的に…主に力が足りない故の不自由がある。


子供から見れば成長し、力を持った大人は自由な存在だと考える。しかし彼らは責任という枷に縛られ、自由というものを謳歌することは敵わない。


現実を知らない子供は大人を羨み、現実を知った大人は子供を羨む。


その事実に僕は気付いてしまった。だが、そんなことはどうでもいい。立つことすら叶わない今、僕は不自由を強いられている。まるで発達していない筋肉ではまともに喋ることすら出来ない。


鬱だ…


「あなた見て見て。エトラったら世界に絶望し切ったみたいな眼をしているわ。」

「ははは。赤ん坊のしていい眼じゃないよ。おしっこでも漏らしたんじゃないかな。」

「あらあら大変ね。直ぐに替えてあげなくちゃ。」


眼前では、僕を産んでくれたこの世界での両親がそんな会話をしている。

この僕、シミズ マサヒロはエトラという名前でこの世界に転生した。


赤ちゃんライフもはや一週間となるが気付いたことがある。ここは異世界だというのに使用されている言語は日本語のようだ。正確には口語は、になるみたいだけど。揺りかごの中で寝ながらでも見える範囲に本が置いてあるがその背表紙に書かれている文字は全く読めない。


しかしどういう訳か発音や物の名称は日本語そのものみたいだ。偶然の一致なのか、それとも自動翻訳というやつかは分からない。どっちにしても言葉を話せない今はこの情報はどうでもいい情報だね。


おしめを替えようとした母さんだったが、別に僕は何も漏らしちゃいない。体は赤ちゃんとはいえ糞尿を垂れ流すのは僕のプライドが許さない。ただ我慢する筋肉がまだ発達してないだけなんだ、僕は悪くない。


特に別状のない僕の下半身に疑問を覚えながらも母さんはおしめを元に戻してくれた。それからおでこにキスをしてから両親は部屋を出ていった。


あぁ退屈だ。昼寝をしたくても眠ってばかりいる状態ではそうそう眠ることが出来ない。何か赤ちゃんの状態でも出来ることは無いかな。

何か、何か──────


そう言えば友達の尾宅おたく君がよく話してくれたっけ、異世界転生のテンプレ的なことを。

えーと確か何だったかなぁ


『やっぱり異世界といえば魔法でござるなぁ!』


お、今のセリフをリプレイで


『やっぱり異世界といえば魔法でござるなぁ!』


ここから必要なフレーズだけ残すように…


『異世界といえば魔法でござる』『といえば魔法でご』『えば魔法で』


『魔法』


あ、そうそう魔法だよ魔法。尾宅君から借りたゲームでもあったじゃないか。確か魔力やらMPなんて呼ばれる何かを使用するんだっけかな。本来なら詠唱が必要みたいだけど無詠唱で使えたりもするなんて尾宅君が言ってたし試してみてもいいかもなぁ。


魔力、というものがどのようなものかはさっぱり分からないけれどなんとなしに目を閉じ精神統一をしてみる。


その行為が正しかったのかはともかく、左胸、ちょうど心臓にあたる場所に不思議な温もりが感じられる。


一度それを知覚すれば、その温もりが一気に全身に拡がる。それでもなお留まらず段々と熱量が上がっていく。僕の初めて知る力が僕の体の中で荒れ狂う。力の波動が外に漏れ出たのか、部屋全体が小刻みに揺れ始めた。


あれ?これどうするの?なんか際限なく溢れてくるんですけど。部屋の揺れもどんどん強くなってるしヤバい気がしてきた。助けを求めなくては


「あぅあぅあ〜」


あぁ喋れない!いや本格的に不味そうだ。天井のランタンが荒ぶっていらっしゃる。

尾宅君の言葉を思い出さなくては。こういう状況の時にどう対応するか話していたかもしれない。


しかしこの状況を解決する尾宅君の話は見つからなかった、あるいは思い出せないだけかもだけど。

一度熱が上がると永遠と一人でマシンガントークを始める尾宅君のオタクトークを右から左に聞き流して来たことが仇になった。


これからは真面目に全部聞くから僕を助けてください。


助けて!尾宅くーーーーん!!!!


次の瞬間、体内で荒れ狂っていた力が一つに集い、鳩尾のあたりに途方もないエネルギーの塊が形成される。その熱量故に脳裏にマグマを連想させる。そんなものがゆっくりと体の奥からせり上がり、外の世界に顕在する。


その眩い輝きに思わず目を閉じる。爆発でもするのだろうか、一瞬先の地獄を思い描き、より一層強く目を閉じる。


死ぬのが怖い訳じゃない。ただ自分を産んでくれた両親を巻き込んでしまうだろうことを恐れた。異世界人である僕が転生してきたばかりに命を落とすことになる二人の人間に対する罪悪感だけが僕の胸の中を覆い尽くしていた。


しかし、十秒近く経ったが何も起きなかった。勢いよく扉が開かれ、血相を変えた両親が僕飛び込んでくる。そして、僕を抱き上げて強く抱きしめる


「大丈夫かエトラ!?」

「どこにも異常はない!?『回復(ヒール)』!『回復(ヒール)』!」


父さんは僕の体の隅々を確認し始め、母さんは何やら変な言葉を唱えている。


ゆっくりと辺りを見渡せばあのエネルギーの塊はすっかりと消えていて、部屋の揺れも収まっていた。


危機が去ったと思ったと同時に、自然と涙が頬を伝う。その姿を見て両親は更に慌てだした


「よーしよし怖かったよな〜。お父さんたちが来たからもう大丈夫だよ〜。」

「そうよ〜。目を離してごめんね〜。」


僕を安心させようとしているみたいだけど怖くて泣いた訳じゃない。だからこそ、流れ続ける涙を止めることが出来なかった。短すぎる手では涙を拭うことも難しい。


ふと、僕を見つめる父の後ろに何かが見えた。涙で視界がボヤけたせいで何かの見間違いかと思い、瞬きを数度繰り返すがピントが合わずともその何かは宙を浮遊し続けている。


ふと、そいつと目があった、そんな気がした。でもそれは気のせいなんてものじゃなくて


『やぁやぁシミズ殿、おはようでござる。』


そう、聞き慣れた声で挨拶をしてきた。


───────────────────────


部屋内は落ち着きを取り戻し、揺りかごの傍では母さんが僕を見守っていた。だが、そんな母さんを差し置いて、とあるモノ────いやモノ扱いはよくないかな。


宙をゆらゆらと部屋中を自由に浮遊している()の姿をずーっと目で追っている


「エトラちゃんったらさっきから何を見ているのかしら。」


どうやら母さんには彼が見えていないようだ。


癖がなく、男にしては少し長い髪の毛。運動不足からくる軽度の肥満が伺える少しふくよかな頬と顎。そしてフレームのやけに太い地味な眼鏡、しかしそれが妙に似合う冴えない顔。


前世で何度も見た顔だ。変わったところといえば頭以外の体の部位がなく、頭の大きさも二回りほど小さくなっている。そして何より若干透けていた。


そんな小さな頭だけで宙を動いている親友の姿から目を離せないでいた。そして、当の本人はというと


『ほほうこれが異世界でござるか。いざ目にしてみると胸が踊るでござるな。』


そう呑気なことを言っている。ちなみに、この声も母さんには聞こえていない。最早幻覚と言われても納得しちゃうような状況だ


『それにしてもシミズ殿が転生とは驚きでござるな。』


こうして話しかけてこなければただの幻覚として片付けられたんだけどなー


『やぁ尾宅君、二週間振りくらいかな。変わり果てた姿とはいえ元気そうで良かったよ。』


喋れないため思念で語りかける。どうやらこれで交信が出来るみたいだ


『変わり果てたとは他人事のように言うでござるな。拙者はシミズ殿に創られた存在でござるよ?そこのところ、しっかりして欲しいでござる。』

『…もしかして僕が尾宅君をこっちに呼び出しちゃったりしたの?』

『いやいや、拙者はオリジナルの尾宅 虹介(にじすけ)とは違うでござる。』


そう答えられて安心する。もしも尾宅君の魂だけ呼び出して地球では抜け殻になった、なんてことになったらごめんで済む話ではない


『じゃあ君はどんな尾宅君なのかな?』

『拙者は先程も申したようにシミズ殿に創られた存在…正確にはシミズ殿の魔法でござる。シミズ殿が拙者の力を求めたことで拙者が創造されたでござる。』


そういえば魔力か何かが暴走しかけた時に尾宅君に助けを求めていた記憶がある。それの影響って訳みたい


『拙者はそうでござるなぁ…言うなればシミズ殿の中の尾宅 虹介という人間の人格を持った存在でござる。』

『えーっと、つまりどういうこと?』

『オリジナルの拙者とシミズ殿との間のありとあらゆる記憶を元に再現された尾宅 虹介の人格ということでござる。シミズ殿の馬鹿げた魔力が人間一人の人格を再現し創り出した…この世界でこれが普通かどうかは知らぬでござるが恐ろしい所業でござるよ。』


再現なんて言うが目の前の尾宅君は前世で親友だった尾宅君と一切違いが分からない。そのござる口調も、意外と冷静に物事を捉える思考も、話す途中途中に鼻をフゴフゴ鳴らす癖も何もかもが同じだった


『人格ってそう簡単に再現出来るとは思えないけどなぁ。ほら、意外と細かいところって思い出せなかったりするでしょ?』


自分でそう言ってみたもののやはり尾宅君からは何の違和感も感じ取ることが出来ない


『人間の記憶について昔、印木谷(いんきや)殿が話さなかったでござるか?人は物事を思い出せないだけで完全に忘れるということは無いのでござる。』


どんなことであろうと人は記憶し、一生残り続ける。それが消えることはなく、ただ思い出せなくなるだけ。


だからこそ些細なキッカケから、忘れていたと思っていた記憶を思い出すことがある。その他にも人の記憶に関する説明を尾宅君は長々と語る。


それはかつて脳についての番組を見た印木谷君が僕達に語ってくれたことと一緒だった。


もう何年も前の忘れかけていた────思い出せなくなりつつあった雑談の内容をなぞるような説明だった。僕自身、言われてから思い出した説明もあった


『まぁ脳についてはまだまだ未知の部分もあるようでござるが…魔法の補助もあって、拙者はシミズ殿も思い出せないような記憶も参照して生み出された人格。オリジナルにそっくりなのは当然でござろう?』

『小中高ずっと一緒に居たからね…。ということは印木谷君の人格も再現出来るってことかな。』

『答えからいえば可能でござる。だけど今はやめておいた方がいいでござるよ。シミズ殿はまだまだ魔力の取り扱いに慣れていない様子。ここでは魔力操作の練習をするのがセオリーでござる。』


本物の尾宅君が言いそうなことばかりを言う。もしかして僕が聞き流してきた尾宅君の話も記憶の奥底に眠っていて、それらも参照していたとしたらこの尾宅君は凄い存在なのでは?


それこそ尾宅君の言葉を借りればチートってやつになるのかもしれない


『シミズ殿は異世界転生を想定したことはないでござろう。ここは拙者がシミズ殿をバシッとサポートするでござる。』

『普通想定するものじゃないんだよなぁ…まぁよろしく頼むね。あと、僕はこの世界じゃエトラって名前だから。そこのところもよろしく。』

『了解でござるエトラ殿。ふむ、それだと拙者も呼び名を変えたいでござる。オリジナルとは違うでござるし、異世界なのでかっこよく行きたいところでござるな。』


そんなことを言い出すと何やら考えだす尾宅君。しばらくすると何か名案を思いついたような顔をする


『エトラ殿、拙者のことは英れi(サーヴァン)


おっとそれは何だかいけない気がする。眼力で尾宅君のセリフをキャンセルさせる。ふぅ危ない危ない。それに今の尾宅君にその呼び名は贅沢というものだ


『オタクソウルでいいかな。安直な気もするけど。』

『オタクソウル…オタクソウル…ふむ、悪くないでござる。ではエトラ殿、これからは拙者はオタクソウルでござる。』


意外と気に入ったのか満更でもない表情を浮かべる。と、そこで空腹を感じる。どうやらオタクソウルの脳の話を聞いているうちに結構な時間が経過したみたいだ。



…これはオタクソウルが会話相手になってくれるおかげで赤ちゃんライフを退屈せずに済むのでは?


これは嬉しい誤算だ。だが、今はそのことを喜ぶよりも空腹感が勝った。少し泣き声を上げれば察してくれた母さんが乳を飲ませてくれる。懸命に吸っているとふと、オタクソウルと目があった。


─────鬼のような形相を浮かべたオタクソウルと


『エトラ殿!羨ま……けしからんでござるよ!?そんな美人な女性に授乳してもらえるなんて!?こ、この変態!!』

『自分の母親を性的に見るわけがないでしょ。無心だよ無心。』


そういえば尾宅君は結構スケベなんだった。そのことも参照されているならオタクソウルも当然スケベということになる。満腹になり、再び揺りかごに寝かせられた後、オタクソウルの説教が始まった。凄い早口だというのに妙に滑舌がよく、一切止まることなく続く説教────性癖論説だったが、僕は前世と同じように右から左へと聞き流していく。


ごめんよオタクソウル。さっきは真面目に全部聞くなんて思ったけれどやっぱり無理みたい。


そのまま満腹感から眠気を感じた僕はオタクソウルの性癖論説を子守唄に昼寝を始めた。

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