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あるドイツ人教授の回想日記  作者: 霞ヶ関京
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プロローグ

プロローグ


 荒廃した大都市。気力を失った民衆。陽気な進駐軍。占領国の末路とは儚いものである。

私は二回の敗戦を違う国で経験した。一度目はベルリンで、二度目はここ東京だ。どちらも哀れな最期であった。

遡れば、英米の様な現在も続いているのを除けば、帝国主義国家は必ず破滅して無茶苦茶な最期を迎える。歴史の必然なのである。

そんなことを考えながら、私は放浪者と闇市商人でごった返す上野駅前の交差点を抜けて、勤務先の本郷の大学へ向かう。

大学は進駐軍が大挙して押し寄せていた。大学図書館前の広場では今まで国家を挙げて収集されてきた大量の書籍、学術資料が焚書されていた。それらは大きな炎を上げて燃え上がっていた。大風も吹き、まるで二十数年前の関東大震災の時の様だ。職員がせっせと本を火へ移動する様子が、本を火から守ろうと避難させる様子と重なる。両者は対極であるにも関わらず。

その目の前で学生らが進駐軍と揉めていた。彼らは焚書への抗議に数人集まっていた。しかし、絶大な権力に対して所詮は無力なのだ。

進駐軍の一人が大声を出して英語で彼らを罵倒した。それに憤慨した一人の学生が進駐軍に掴みかかった。すぐさま別の進駐軍が笛を吹き、大勢で学生を拘束した。彼は進駐軍に連行されていった。

同じ光景が一九一九年のベルリン・フンボルト大学であったことを思い出した。当時哲学科博士課程の学生だった私も仲間らに連れられて進駐軍の指示で焚書を行う大学当局への抗議集会に訪れた。やはり職員に暴力を行った仲間が官憲に捕らえられた。官憲にも抵抗した彼は後に暴行と公務執行妨害で数年の禁固刑を言い渡された。占領体制批判を行っていた学生の私が権力対無力の構図を嫌でも認識させられた瞬間である。

嫌な光景を見た後に大学事務局へ向かった。事務局には大量の学生が列を組んで並んでいた。徴兵されていた文系の学生が戻ってきて復学手続きを行っているのだろう。

事務局の教員室の自分の席に着くや、すぐに職員から私の担当するドイツ語授業の停止が言い渡された。進駐軍の指示だそうだ。

私はここ東京帝国大学で哲学とドイツ語と西洋文学の授業を担当する教授である。元々は哲学だけだったが、戦時下で外国学専門教員が不足し、複数の授業を兼任していた。

失業宣告に近い通告に嘆き、葉の質が悪い配給品の煙草をふかしながら、事務作業を終わらせ、文学部哲学科教室へ向かった。私にはまだ仕事はあるのだ。そう前向きに考えながら足を進めた。

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