二話目:3つの小さなフルーツ牛乳【前編】
銭湯…
家とは違う大きな風呂を
楽しむ事が出来る下町の風物詩は
後継者不足・経営者の高齢化の問題もあり
最近はめっきりと数を減らしている。
ここ川越商店街にも
かつては何軒か銭湯があったが
今ではこの【翠春】のみと
なってしまった。
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時刻は22時半過ぎ。
店を閉めるまでは、後1時間もない。
この翠春を経営する夫婦の1人娘
李星麗は
がらんとした待合室で
受付の台に座りながら
テレビに映る魔法特集の番組を
ぼんやりと眺めていた。
人間界でも魔法が存在する様に
なったとはいえ
元々人間界の者の魔力自体が
魔法界の者より少ない為
人間界の者は1人につき1つのみしか
魔法を使えず
魔法を使える人口の割合も
全人口の8割程しかない。
星麗は、魔法を使えない2割の一員である。
魔法への憧れから、魔法界に
留学をした時期もあったが
結局今まで魔法を使えずじまい…
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「星麗」
不意に男性の声が
名前を呼ぶのが聞こえた瞬間
小さく空を切る音と共に
フルーツ牛乳と書かれた
小さな紙パックが
突如として星麗の目の前に現れた。
星麗は一瞬目を丸くしたものの
すぐに平常心を取り戻し
台の上に落ちる前に
紙パックをあっさりと掴む。
続けて同じ様に現れた小銭も
(恐らくフルーツ牛乳用のお代だろう)
傍にあった、つり銭用のトレー皿で
これまた難なく受け取った。
紙パックや小銭が急に現れたのは
勿論マジックやポルターガイストの類ではない。
これが魔法と呼ばれるものの1種である。
それも魔法の中でも空間移動に
分類される比較的珍しい系統の魔法だ。
先程の声の主であり、この魔法の使い手が
現在翠春を利用中の客の1人で
10年来の知り合いの男性である事には
星麗は直ぐに気がついた。
辺りを見回した後
待合室の隅の冷蔵庫の前に
黒髪に黒縁眼鏡の素朴な男性の
姿を見つけるや否や
星麗は嬉しそうに急ぎ足で
その男性の元へと駆け寄った。
「晴兄!いつの間に出てきてたの!?」
「ついさっき
お前ぼーっとしてて全然気づかなかっただろ」
「う…ごめんアル」
「いや別に怒ってないし、謝る必要もないって
ほら、店閉めたら風呂の清掃とかで色々
忙しくなるんだしぼーっとしてたら危ないぞ
冷たいこれ飲んで気分転換しとけ!」
「うん!ありがと晴兄!」
早速奢って貰ったフルーツ牛乳を
飲み始めると
牛乳とフルーツの混ざった甘くて
優しい味が口の中に広がる…
銭湯で飲むフルーツ牛乳というのは
どうしてこうも格別に感じるのか
…不思議だ。
晴兄こと定食屋【神楽屋】
2代目店主の毛利晴は
奢って貰ったフルーツ牛乳を
まるで子供の様に無邪気に喜びながら
ちびちびと飲む星麗の姿に
思わず笑みをこぼした。
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その昔、魔法への憧れが捨てきれず
両親にも頼み込んで魔法界に留学した星麗は
同時期に魔法界に留学してきた
毛利晴・毛利瑚子の兄妹と
偶然にも出会った。
以来、彼らとはもう知り合って10年の仲になる。
二話目:3つの小さなフルーツ牛乳〜後編に続く〜